第20話
───────……
───また、夢を見た。
妙に偉そうだった小さい頃の私と、あの黒髪の男の子。
『───だからね? 私は待っているのよ』
『……よく分からないけど、作り話にしては良く出来ていると思うぞ』
『ひどい! 作り話なんかじゃないもん!』
黒髪の男の子の言葉に小さな私が憤慨している。
『だってさ、いきなり“おうじさま”とか言われても』
『それでも、私は幸せになるって決まっているのよ!』
やっぱり小さい私は偉そう。
あの男の子はよく怒らないわね。感心しちゃう。
『……浮気者の婚約者のバカ王子ねぇ……』
『どうかしたの?』
男の子が少し深刻な顔をして考え込む。
『いや? 何でもない。ところでリュシー』
『なぁに?』
『リュシーがそのアホ王子だかバカ王子とやらの婚約者に選ばれた方法っていうのはどんな方法なんだ?』
『バカ王子よ……ああ! それね? 聞いて欲しいわ。とっても酷いのよ? それが──……』
───────……
「…………夢」
私はそう呟きながら目を覚ました。
ベッドから身体を起こしながら今の夢について考える。
「……これって私の過去の記憶、なのよね?」
なら、どうして小さな私はあの男の子に“漫画の世界”の話を延々と語っているの?
「まさか、大人になるにつれて忘れてしまったけど、昔の私は覚えていた?」
男の子には作り話扱いされていたけれど、やっぱり客観的に見ても“私はこの世界の主人公で、将来は幸せが約束されてるの!”とか言い出すのは子供であっても本当に本当に頭がおかしい人にしか見えない。
しかも、その自分を幸せにしてくれる相手は皇子様なのよ、とか言っているのはどう聞いても思考が危険すぎる。
「男の子も、夢見がちな阿呆なことを言っているな、とでも思っていたでしょうね……」
口で言うほどバカにしてはいなかったような態度にも思えたけれど。
でも、妄想癖のある子だと思われていたに違いない。
「…………そして、そもそも彼はどこの誰なんだろう?」
残念ながら、夢の中の男の子の顔はぼんやりしていて全く分からない。
顔立ちとか瞳の色とか特徴的な部分が全く分からず、唯一分かるのは黒髪だということだけ。
「前世の漫画のことならすぐに思い出せるのに」
どうやら、その代わりに小さな頃の記憶については曖昧になってしまったみたいだった。
*****
「……えっと、殿下?」
「おはよう、リュシエンヌ!」
朝の支度を終えて、屋敷を出るぞという所で何故か丁度よく我が家に馬車が入って来た。
「んん?」と、不思議に思っていたらやっぱりな人が朝から爽やかな笑顔で馬車から降りて来た。
「おはようございます……って、殿下、大丈夫なのですか?」
昨日、あんなに青白い顔をして倒れたくせにその爽やかな笑顔はなんなのよ!
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」
「……大丈夫なら、良かったですが……」
だけど、約束をした覚えはないのに今朝も迎えに来るとは?
そんな私の疑問が伝わったのか、殿下は楽しそうに笑った。
「ははは、具合が悪いなんて言ってられないよね」
「え?」
「だって僕の大事な大事な可愛いリュシエンヌが狙われてるんだから」
「……!」
ボッ! と一瞬で私の顔が真っ赤になる。
「うん、その顔が見たかったんだ、少しは意識されてると思うと嬉しくなる」
「そ、その言い方は……ず、ず、ずるいです!」
「そう? まぁ、僕も無意識にダダ漏れして前から口にしていたみたいだから今更じゃないかな?」
殿下は首を傾げながらそんな事を言う。
その顔はとても楽しそうだ。
「そういう事ではないんです!」
今までは、こんな軽口は何となく聞き流してしまっていたけれど、こんなのもう聞き流せない……
「怒ってるリュシエンヌも可愛いね。ずっと見ていたい。けど、あんまりここでモタモタしていると遅れてしまうよ? さぁ、行こう?」
「うぅ……」
殿下は自然に手を差し出して来たので、私も自然とその手を取る。
この手を取る事が、もう当たり前の事のようになっている……
そのことに戸惑いを覚えるけれど、嫌悪感は無い。
むしろー……
「リュシエンヌ?」
「は、はははい!」
「……どうしたの? その顔はすごく可愛いけど、行くよ?」
思わず足を止めてしまったので、不思議そうな顔をされた。
私は無言で頷いてエスコートされながら馬車へと乗り込んだ。
ちなみに、馬車の中で
「私にゆっくり考える時間をくれるのではなかったのですか?」
と聞いたら、殿下はとってもいい笑顔を浮かべながら答えた。
「だけど、その間、リュシエンヌを口説かないとは一言も言っていないからね」
前々から思っていたけれど、現実の殿下は腹黒だと思う。
そうして、馬車が学園に着いたので、殿下の手を借りて馬車から降りていると、私達に向かって人が近付いて来る気配がした。
(誰かしら……)
顔を上げるとそこに居たのは……
「はっはっは! なぁ、リュシエンヌ? 昨日あれだけ言ったのに朝から堂々と浮気するとは君もなかなかいい度胸をしているようだね?」
「……」
今、私の中で最も会いたくない男性1位(ちなみに女性1位はアンネ)に君臨した、ウォーレン殿下その人だった。
「……おはようございます、ウォーレン殿下。朝から元気ですね? そして、あなたは朝の挨拶すら出来ない、大変非常識な方のようだとお見受けしますが?」
ステファン殿下が私を庇うようにして立つと、ニッコリ笑顔でそう言った。
バッチバチの喧嘩の売り方。
笑顔だけど目は全く笑っていないのでかなり怖い……
「ああ、すまない。俺の嫁が昨日、あれだけ言ったのにも関わらず朝から貴殿と浮気していたのでね、つい」
はっはっは、と笑うウォーレン殿下の態度からは申し訳ないという気持ちは一切伝わって来ない。
もちろん、指摘された挨拶もないまま。
何より、昨日嫁って呼ばないでと言ったのに全く聞いていない!
きっと最初からこの人は聞く耳なんて持っていないのだと思わされた。
「なぁ、リュシエンヌ。次はないと言っただろう? 何故、浮気をするんだ」
私を問いつめるウォーレン殿下の声には怒気が含まれている。
確かに言われた。
だけど、どう考えても今、私がこの人に怒られる意味が全く分からない。
「……リュシエンヌは浮気などしていない。婚約者である僕と二人で登校しただけだ」
「はぁ……泥棒間男は黙っていてくれ。いずれそなたはリュシエンヌを簡単に捨てる男なんだからな。大人しく婚約破棄の準備でもしていてくれ」
その言葉にはステファン殿下もカチンと来たようで、ウォーレン殿下を睨みつけながら声を荒らげた。
「勝手に決めつけるなと言っただろう? 婚約破棄は有り得ない! 僕はリュシエンヌを愛しているんだ!」
「は? 何だと……あ、愛!?」
「そうだ! 僕は誰よりもリュシエンヌを愛している!」
(……なっ! ステファン殿下ったら、ひ、人前で!?)
私は混乱した。
昨日は先生も席を外している時で、人が居ない医務室内での話だったけれど、今は違う。
ここは校門。
よって、ステファン殿下の堂々した朝からの愛の告白に、集まっていた野次馬達も大きくざわついた。