第16話
「いったい、何を騒いでいるのですか!」
あまりにも騒ぎすぎたせいなのか、先生たちが何事かと慌ててやって来た。
当然だけれども騒ぎの中に王子もいるとなれば先生たちも黙ってはいられない。
そうして、騒ぎの中心に辿り着いてみれば、
黒いオーラを撒き散らすステファン殿下。
そんな真っ黒殿下に後ろから抱き込まれている私、リュシエンヌ。
喚くアンネ……の姿を認めて先生達は頭を抱えて盛大なため息をついた。
(何で私までそんな目で見られなくちゃいけないの……)
そう思うも仕方がないことだった。
とりあえず、先生たちは喚いているアンネの確保から取りかかった。
「ちょっと先生! 離して下さい! 何で私だけーー」
「どう見ても考えてもあなたが一番騒いでるからです、クンツァさん! いいから、静かにしなさい!」
「どこがよぉーー」
先生たちが暴れるアンネを必死に押さえつけようとしているけれど、それでもアンネは必死に抵抗して叫んだ。
「私、私は! 殿下の為に……殿下を助けようとしただけなのにーー」
「そんなこと頼んでいない。そもそも、君に助けを乞う事なんてあるはずがない」
チッと舌打ちが聞こえそうなほど冷たい声で殿下がアンネの言葉を否定する。
「嘘ですー、殿下は婚約者のせいで困っているのよーー」
「僕が困っている? 婚約者が鈍くて可愛すぎて困ってはいるけど、そのことは君には関係がない」
「そうじゃないのよぉぉーー」
殿下はアンネの訴えを気持ちいいくらいバッサリと切っていく。
よって、アンネの虚しい悲鳴がこの場に響き渡る。
「リュシエンヌ、大丈夫? あの女、本当に煩いね」
「私は大丈夫……ですけど」
「やっぱり野放しにするのはいけないなー……」
その言葉に背筋がゾクッとした。
(ちょっ……始末する気満々に聞こえる!!)
いったいステファン殿下はこの言葉をどんな顔をして口にしているのだろう。
だけど、私の本能が“振り返ってはいけない”そう言っている。
(話を変えてしまおう!)
そう思った私は必死になって口を開く。
「と、ところで、殿下?」
「何かな?」
(よし! なんとか話を変えられそう!)
「私が鈍い、とは何のことでしょうか?」
「それは……うん、そういう所だね」
「はい?」
殿下は軽く笑うと、ギュッと私を抱きしめる力を更に強めながらそう答えた。
(全然、答えになってない!)
だけど、そう言ってもちゃんとした答えを得られる気がしない。
「それならば、殿下。もう一つお聞きしても?」
「うん?」
「最近、殿下が私の名前を呼ぶ時に──」
私が先ほど疑問に思った件を殿下に聞き出そうとしたその時だった。
「ちょっと! いい加減、離れなさいよーーーいつまでベタベタしているのよぉぉーー」
アンネの絶叫にかき消されてしまった。
「はぁ……もう! クンツァさん、いいからこっちに来なさい!」
「いーやーー!」
呆れた様子の先生にアンネは必死に抵抗する。
「殿下とルベーグ伯爵令嬢には後で話を聞きますからね?」
「それならどうして、今は私だけ連れて行くんですかぁぁーー……私が平民だか……」
「関係ありません! この場であなたが一番煩いからです!」
とうとうアンネはズルズルと先生たちに引きずられていった。
「……」
「……」
アンネの退場と共に野次馬も解散し、それぞれ教室に向かうなどして歩き出す。
その場にはポツンと私たちだけが取り残された。
すると殿下がため息と共に吐き捨てた。
「まるで嵐のようで、気味の悪い女だったな」
(扱いが気味の悪い女になっている……)
「……」
「僕たちも呼び出しはあるみたいだけど、とりあえずは教室に向かおうか」
「……そうですね」
「本当に本当に迷惑な女だ」
アンネに向かってそう吐き捨てる殿下からは、彼女に対する好感度なんて微塵も感じなかった。
「あ、そうです、殿下! 私、殿下に聞きたい事がありました!」
「……リュシエンヌが僕に?」
教室に向かう途中で、私はアンネに遮られて聞けなかった話を思い出した。
「実は先ほど、聞こうと思ったのですが」
「さっき? ああ……あの女に」
殿下も遮られたことを思い出したみたいで頷く。
私はコホンッと軽く咳払いをしながら訊ねる。
「どうして最近、殿下は私の名前を呼ぶ時に“可愛い”とか“僕の”とか付けるのですか?」
ゴンッ!
「ゴンッ? って、殿下ーー!?」
「……」
凄い音がしたので何事かと振り返ってみると、なんと殿下が壁に激突していた。
(えぇぇぇえ!? 王子様が何をやっているのーー?)
何がどうして壁に激突なんてする事態になったのかさっぱり分からず、私は大きく動揺した。
とりあえず、駆け寄って殿下の無事を確かめる。
「で、殿下……あの? 大丈夫ですか? ……すごい音が……」
「……っ、大丈夫、だ。ちょ、ちょっと目測を誤っただけだから」
「も、目測を誤った?」
それで壁に激突?
私は首を傾げる。
「そ、それよりもリュシエンヌ」
「は、はい!」
「君の今の質問だが……た、確かに“可愛いリュシエンヌ”とは口にした記憶はある……のだが」
「は、はい……」
(改めて言われると何だか照れ臭いわね?)
「だが、ぼ、僕はリュシエンヌがそんな質問をしたがるほど、そ、そんなに口にしていただろうか?」
殿下の声が上擦っている。
「それと“僕の”とは?」
「……え?」
「え?」
「……」
「……」
壁に激突したせいでおでこが赤くなっている殿下としばし見つめ合う。
「えっと、殿下……昨日から特に多くそう口にされていますよね?」
「そんなにか!?」
「か、可愛いリュシエンヌが、とか、僕のリュシエンヌ……とか言っています、よね?」
「!!」
バッと口元を押さえる殿下。
そして殿下の顔がおでこに負けないくらいどんどん赤くなっていく。
私は慌てた。
「で、殿下!? 急に顔が真っ赤です! 頭をぶつけたせいで熱でも出てしまったんですか?」
「ち、違う! じ、自分の言動を思い出していただけだ!」
「なぜ、それで顔が赤くなるのですか?」
私は顔をしかめてそう訊ねる。
「だって、ほ、本音と願望が自分でも無意識のうちにそんなにダダ漏れしていたなんて恥ずかしいじゃないか! ……あ!」
私は殿下のその言葉に目を大きく見開いて驚いて固まり、殿下は殿下でしまった! という顔をした。
「本音と……願望、ですか?」
「……っ」
殿下は照れ臭そうに私から顔を逸らす。
そして、少しぶっきらぼうな様子で口を開く。
「……リュシエンヌは、か、可愛い僕の婚約者、だろう?」
「可愛いかはよく分からないですが、婚約者ではありますね……」
前世の記憶──漫画の知識のせいで婚約破棄されるとばかり思っていましたけどね。
「……リュシエンヌは可愛いよ、誰よりも」
「っ!」
「それで僕と婚約しているのだから、君は僕のリュシエンヌ……間違っていないはずだ」
「で、殿下……」
殿下が私の頬に手を添えて軽く撫でながらそんなことを口にする。
そんなまさかの言葉に私は動けない。
(殿下は本当に私のことを“可愛い”そう思ってくれているの?)
そう思うと私の胸がドキドキバクバクして張り裂けそう。
ギュッと胸の前で拳を握る。
「リュシエンヌ……リュシー……」
「ステファン殿下……」
互いに名前を呼び合う私たち。
そして見つめ合ったままの殿下の顔がそっと私に近付いて───……
キーンコーンカーンコーン
「「っっ!!」」
突然、授業開始の音が鳴り響いたので驚き、お互い慌てて距離を取る。
(い、今、私たち何をしようとしていた……?)
完全に雰囲気に流されてしまっていた気がする!
もしも今、この授業開始の音が鳴らなかったら───……
ボンッ!
私の頬も一瞬で熱を持つ。
頬を押さえたら熱かった。
(うわぁぁ……穴があったら入りたいーー)
「リュシー……リュシエンヌ」
「で、で、殿下……」
「……」
「……」
互いに変な沈黙が出来てしまう。
殿下の顔も、おでこ以外はまだ赤いまま。
それを見て二人揃って茹でダコみたい、なんて思ってしまった。
「じゅ、授業、始まる、怒られる」
「ソ、ソウデスネ」
「急ぐ、教室」
「ソ、ソウデスネ」
「手」
殿下がぎこちなく私に向かって手を差し出す。
私はぎこちない手つきでその手を取る。
「ハ、ハイ……」
何故か言葉がカタコトになってしまった私たちは、手を繋ぎ頓珍漢な会話をしながら慌てて教室へと向かった。
その後、アンネの件で殿下と共に先生に呼び出され話をした。
そこでアンネが一週間の謹慎処分になったという話を聞いた。
なんでもあの後、相当暴れたらしい。
(とりあえず、一週間は平和な日常が過ごせそうね……)
───そう思ったのに。
どうやら、シナリオが狂いまくったこの世界は、とことん私を混乱させたいらしい。
それから三日後。
学園に一人の留学生がやって来ることになり、私たちのクラスに編入すると聞いた。
(留学生? そんな人いたかしら?)
前世……漫画の記憶を辿っても、留学生……そんな話はなかったのにと不思議に思いながら、私たちはその“留学生”を迎えることになった。
「───名はウォーレン・アドュルーク。隣国からの留学生としてやって来たのでよろしく」
(う、嘘でしょうーーーー!?)
その日、教室にてそう挨拶する“彼”を見て私は言葉を失った。