第14話
(あぁ、すれ違う学生がギョッとした目で私達を見ているわ……!)
だって当たり前。
王子様が婚約者をお姫様抱っこして学園内を爆走しているんだもの。
(とっても恥ずかしい……だけど)
チラッと私はステファン殿下を盗み見る。
(これが私の為だということも分かっている……)
目が覚めた時の殿下の顔は本当に心から私のことを心配してくれていた。
このお姫様抱っこも、私の足に負担をかけさせない為なんだと思う。
でも、それとこれとは別なのよ!
だって恥ずかしいものは恥ずかしい!
「───リュシエンヌ。しっかり捕まって? 君を落としたくない」
「……あ、ハイ」
ギュッ……
言われるがまま、私は殿下の首に腕を回した。
すると余計に距離が縮まったせいか、更に胸がドキドキしてくる。
「……」
「……? あの? ステファン殿下?」
すると何故か、急に殿下が黙り込んでしまった。
「…………」
「ねぇ、殿下?」
「…………」
「いったいどうし…………え?」
よくよく見ると殿下の頬が赤い。
まさか、照れている? 照れているの?
人前でお姫様抱っこなんてしているのに!?
「ステファン殿下、あなた……」
「リュシ……リュシエンヌ! さぁ、急ごう!!」
「え! あの、ちょっ……」
まるで何かを誤魔化すかのように殿下の足は急に早足になった。
そうして私たちは馬車に着いた。
これでようやく降ろしてもらえる……そう思ったのに!
「ひゃ!」
殿下は私を抱きかかえたまま、そっと中に入りようやく座席に私を降ろしてくれた。
「あ、ごめん、痛かった?」
「い、え、違います……」
「そ、そう?」
殿下はそのまま私の横に座る。
(横ですって!?)
「…………座られるのは向かい側ではないのですか?」
「うん。よりリュシエンヌの近くに居たいから……こっち」
「なっ!」
あまりの直球な返事に私は固まってしまう。
しかし、ステファン殿下は、そんな私の様子を気にすることなく───なんと、そのまま腕を伸ばしてギュッと私を抱きしめた。
「!?!?」
「リュシエンヌ……君が無事だったことを感じたい」
「え?」
「君が階段から落下したと聞いた時、本当に生きた心地がしなかったんだ」
「殿下……」
私を抱きしめる殿下の身体が震えている。
(……そんなに?)
「医務室に駆けつけた時のリュシエンヌは目を覚ます前だった。何度呼び掛けても反応が無くて……」
苦しそうにそう語るステファン殿下。
私の胸がキュッとなる。
(ずるい……そんな風に心配されて心が動かないはずがないじゃないの)
私は何だか言葉に出来ない気持ちが湧き上がって来てしまい、そのままギュッと殿下を抱きしめ返した。
「リュシエンヌ……?」
「心配かけてごめんなさい、そして、ありがとうございます」
「……」
私が微笑んでお礼を言うと殿下は無言で私をもう一度きつく抱きしめて来た。
───と、ここまでは、あぁ、殿下も心配してくれたのね。ありがとう!
という気持ちが強かったのだけど……
チュッ……
頬への突然の柔らかな感触に私は小さな悲鳴を上げる。
「ひゃっ! で、殿下! 何を……するのです、か!」
「……リュシエンヌが可愛いのがいけない」
「は?」
何故か分からないけれど、突然、殿下が私の頬にキスをした。
「僕の前で可愛い笑顔を見せた」
「可愛? 笑顔? 何を言って……!?」
チュッ……
殿下はそのまま何度も私の頬にキスを落としてくる。
(な、何でーー!?)
動揺する私の頬にどんどん熱が集まって来る。
こんな顔を見られるのも恥ずかしい!
「……顔が赤くなった、な。もう、本当に本当に…………お……か……リュシ……」
「……?」
あまりの恥ずかしさに顔を覆ったせいで、殿下の言葉がうまく聞き取れない。
でも、今はそんな事より本当にどうしてこうなったのかが分からない。
漫画の通りの出会いや展開ではなかったとは言え、殿下の最愛となるはずのヒドイン、アンネ……
(漫画では“真実の愛”だなんて鼻で笑いたくなる使い回されたセリフをこれでもかとアンネに言っていたじゃないの!)
なのに、今の殿下はアンネを見てあの塩対応……
「……アンネ……さん」
私がヒドインの名前を呟くと、殿下の身体がピクリと反応した。
そして、ものすごく嫌そうな表情を浮かべる。
「不快な女の名前を呼ばないでくれ」
「ふ、不快な女……」
「あんなの不快以外の何者でもないだろう? 名前を覚える価値すら感じない」
「!」
(アンネがアンネが……と漫画では執拗いくらいに連呼していた人が!!)
むしろ、リュシエンヌへの貴様やお前率の高さといったら……
「あれで特待生らしいが、あんなのの入学を認めた学園に物申したいところだ」
やっぱり権力という権力を使って退学にでも……
そう呟く殿下の目はどこか据わってるし、もう別人にしか思えない。
「……あの嘘泣きを思うと、階段から落下したことさえ事故だったのかどうかも怪しい」
「え?」
「リュシエンヌを巻き込んだ事は本当に偶然……だったのかもしれないが、あの落下そのものはわざとだったのでは、と疑っている」
(えーーーー?)
「そんな! 自ら危険な目に?」
「嘘泣きしながら、チラチラとこちらに視線を送り付けて来るような女だぞ? それくらいやるさ」
「……何の為、にですか?」
私にはアンネの行動の意味がよく分からない。
漫画ではリュシエンヌを嵌める為だったけど、知り合ってなかった今にそれは無いはず。
「簡単な事だよ。注目を集めたかった、それだけだ」
「なっ!」
「一応、アレはあんな頭の中身でも特待生なんだろう?」
(……言葉の節々にトゲがある……)
「ちょっと軽く階段から落下して怪我でもすれば、それなりに注目を集める。心配もされるだろう」
「え……まさか」
「そういう同情を集めるのを目的としたんだと僕は思っている」
「えー……」
私は絶句した。
だって、それ、はもうただの構ってちゃんにしか聞こえない!
「そして、故意か偶然か。王子である僕のか…………いい婚約者のリュシエンヌを巻き込んだ事で、王子である僕とも対面する事になった。内心浮かれていたんだろうな」
(か…………いい婚約者って何かしら? いい婚約者?)
「そこで“可哀相な私”を演じることで、僕の気を引きたかったのだろうけど」
そう口にした殿下の表情は明らかにヒドインを嫌悪している。
これは天地でもひっくり返らない限り、アンネを侍らせながら、リュシエンヌを散々バカにしたあの漫画の断罪シーンはやって来ない気がした。
(う、嘘でしょう……これから先どうすればいい?)
「リュシエンヌ……そんな顔をしないでくれ」
「?」
そんな顔と言われても自分ではよく分からない。
殿下はじっと私の顔を見つめて言った。
「リュシエンヌがそんな不安そうな顔をするなんて」
「不安そうな顔?」
「……よし! あの失礼な女は今後リュシエンヌには近付くことが無いようにと学園には伝えておこう」
「え!」
今後の展開について不安だっただけなのに、何やら勝手に誤解した殿下が、うんうん頷きながら嬉しそうにアンネを排除する計画を語り始めた。
(待って! 何でそんなに嬉しそうなの? こんなの止められない!!)
───あぁ、またしてもフラグがバッキリと折れた気がする。
そろそろ認めざるを得ない。
もう私の知っている漫画のシナリオは完全に狂ってしまったのだ、と。