第12話
悪役令嬢の物語の中でよくあるイベントの中に“階段落ちイベント”というものがある。
よくあるのは悪役令嬢が嫉妬に駆られてヒロインを階段から突き落とす。
それが、ヒーローである婚約者に知られて激怒され……
そして悪役令嬢の断罪時に悪行の一つとして挙げられる。
そして、悪役令嬢である私が主人公となるこの漫画の世界にも“階段落ちイベント”は存在する。
だけど、これもあるあるだけど、実行犯はヒドインのアンネ本人。
それなのに、
「リュシエンヌ様に突き落とされました……」
そう言ってステファンに泣きつくアンネの虚偽の申告によって、悪役令嬢のリュシエンヌは濡れ衣を着せられ、殿下のリュシエンヌへに対しての怒りはますます拍車がかかる。
『リュシエンヌ! 貴様は人を階段から突き落として怪我をさせておいてその態度はなんだ!?』
『ち、違います! アンネさんは私の目の前で自分から階段下に落ちたのです』
ステファンは必死に冤罪を訴えるリュシエンヌに向かって小馬鹿にしたように笑った。
『アンネが嘘をついているだと!? 自ら階段を落ちる? いったい誰がそんな愚かなことするというんだ!』
『で、ですが、本当にアンネさんは……』
『うるさい! 黙れ!』
当然、ステファンはリュシエンヌの言葉には一切耳を貸さなかった。
もちろん、これは最後、逆ざまぁの時に全てアンネの虚偽だった!
という事実が明らかになり、二人はリュシエンヌに追い詰められることになるのだけど──
そんな階段落ちイベントはだいぶ中盤になってからの話であり、
悪役令嬢の目の前でヒドインは突き飛ばされたフリをして階段から落ちていく。
そう。
決して、降って来るものではない。
───大事なことなのでもう一度言う。
階段から“落ちる”ことはあっても“降って来る”ものではない!
「…………」
───ならば。
今のこの状況は何? 誰か説明してください。
入学してまだ数日。
私とも殿下とも面識の無いヒドイン──アンネが私の上に降って来る。
その理由を──────……
(これ、当たり所が悪かったら最悪死ぬのでは……?)
そう思った辺りで衝撃と共に私の意識はプッツリと途切れた。
─────……
「リュシー……!」
誰かが必死で私の名前を呼んでいる。
「リュシー、リュシー……!!」
(リュシーなんて、久しぶりに呼ばれた気がする……)
だって、リュシエンヌがリュシーと呼ぶことを許したのは一人だけ。
『あなたにだけよ! あなたにだけ特別にそう呼ぶことを許してあげるわ!!』
『本当に態度がでかいって……全く、リュシーはしょうがないな』
そう言って優しく私の頭を撫でた黒髪のあの人だけなのよ。
だから、おかしいの。
今、必死に私に向かって「リュシー!」と呼んで泣き叫んでる人は黒髪じゃない。
むしろ、綺麗な綺麗な眩しいくらいの金色の────……
「…………ステファン、殿下?」
「リュシエンヌ! 気が付いたのか!」
私が薄ら目を開けると真っ先に飛び込んで来たのは、ステファン殿下の顔。
(うっ……! 本当にこの人、顔は良い)
「こ、ここは……?」
「学園の医務室だ。覚えている? リュシエンヌ、君は階段で」
「……落ちまし、た」
正確には、ヒドイン……アンネが降って来た……
「そうなんだ。階段から落ちたんだよ」
殿下が心配そうな顔を私に向ける。
そこで私はあれ? と思った。
「…………殿下、帰っていた、はず」
「そうだけど! 報告を聞いて慌てて戻って来たんだ」
その言葉中びっくりした。
「私を……心配、してですか?」
「当たり前だろう!」
殿下がちょっと怒りの表情で怒鳴った。
(わざわざ、戻って来た……? 私を心配、して?)
ジワジワと胸の中に温かいものが広がっていく。
嬉しいなんて思ってしまう。
「ありがとう……ございます」
「うん……」
私が力なく微笑むと殿下も優しい笑顔で笑い返してくれた。
ほっこりしたその時、私はアンネのことを思い出した。
「殿下、あの……私と一緒に階段から落ちた人が──」
「うん? あぁ、その人ならその辺で手当を受けてるんじゃないかな」
(……ん?)
何だかとっても冷たい反応が返って来た。
「その辺って……」
「当たり前だろう? どこの誰かも知らないし、これが事故か故意なのかも知らないが、僕の可愛いリュシエンヌを巻き添えにしたんだぞ!?」
「は、はぁ……」
(僕の可愛いリュシエンヌって何だろう……)
「打ちどころが悪かったら死んでた可能性もあるんだ!」
「それは……」
それはその通りなので反論は無いけれど、どこの誰かも知らないってことは、殿下はアンネとは話をしていない?
「なので、僕としては如何なる理由があろうとも、その人がどんな身分であろうとも今すぐ牢屋にぶち込んで、何故リュシエンヌの上に落ちたのかと拷問したいくらい怒っている」
「え!」
何だか物騒な言葉が飛び出した!
「そんな怒りのオーラを隠せなかったせいで、僕がその人に何かすると思われたのか、とにかくリュシエンヌの側に付いててあげて下さいって先生に引き離された」
「はい?」
まさかの引き離し!
「だから、相手の事はよく分からないんだ」
「……」
「ねぇ、リュシエンヌ。王子の権力という権力を全て使ってその人を牢屋にぶち込んでもいい?」
そう口にするステファン殿下の目が本気だ!
これはまずい! そう思った私は必死に殿下を宥める。
「い、いえ! そんな事に権力を使うのはやめましょう、ね?」
「…………リュシエンヌがそう言うのなら」
殿下は渋々だけど抑えてくれた。
私はホッと胸を撫で下ろす。
(何故かしら、殿下によるヒドイン抹殺の未来が見えてしまったわ)
……私が思い描いている未来はそうじゃないはずなのに!
「ステファン殿下? ルベーグ伯爵令嬢の声が聞こえたのですが?」
ノックの音と共に部屋に入って来たのは医務室の先生だった。
「あぁ、やはり目が覚めていたようで良かったです。少し診察しましょうか。殿下、心配なのは分かりますが失礼しますよ」
「む……」
そう言って少し不貞腐れた様子の殿下を押し退けて先生の診察が始まった。
「……とりあえず、怪我はあるものの目立った大きな外傷は無いようですね、良かったです」
「ありがとうございます」
「あっちの彼女にもキツく叱っておきましたよ。打ちどころが悪かったら二人共死んでたかもしれないのだ、とね」
(そうよ、アンネの様子……!)
「あの、彼女は無事なのですか?」
「そうですね。ルベーグ伯爵令嬢……あなたを下敷きにした分、彼女の方が軽傷と……はっ!」
先生がそこでしまった! という顔をする。
最初はその意味が分からなかったのだけど、黙って会話を聞いていた殿下の地を這う様な低い声を聞いて理解した。
「……僕のリュシエンヌを下敷きに……ね? それで向こうの方が軽傷? へぇー、ははは……」
(お、怒ってる……!)
笑いながら怒っているせいか、オーラがどす黒い!
「で、殿下、落ち着いて下さい! い、今、その彼女を連れて来て謝罪させますから、その怒りをお鎮めください!!」
「……」
宥める先生の必死さが凄い。
そんな先生は殿下に聞こえないくらいの小声で私に向かって言った。
「……ルベーグ伯爵令嬢、彼女を呼んで来る間、殿下を抑えておいてください」
「は、はぁ……」
「出来ればご機嫌にしておいて貰えると助かります」
「はい?」
「なーに、大丈夫です。殿下の事ですから、あなたから甘いキスの一つや二つすれば直ぐにご機嫌になりますよ! では」
「!?」
(先生ーー!? 何を言っているの!? 出来るわけないでしょう!!)
とんでもない発言を残して先生はアンネを呼びに行ってしまった。
「リュシエンヌ? どうかした?」
「い、いえ……何でもありません!」
呆然とする私の顔を心配そうに覗き込むステファン殿下。
(キスなんて出来るはずがない! 先生、私には無理です!!)
結局何も出来ずにいたらようやく先生が戻って来た。
その傍らに居るのは───
やはり、間違いない。
アンネ・クンツァ、本人。
(ついにこの時が、き、来たわ……!)
漫画の中の話とは大きくかけ離れてしまっているけれど、
ついに、ステファン殿下とアンネが対面する時がやって来た───