第10話
───間違えた!
私がそう思ったのは“その発表”を見て少し経ってから。
「リュシエンヌ凄いね、1番だって。さすがだなぁ」
入学してすぐ、この学園はすぐに“実力テスト”なるものを行う。
先日、そのテストが行われて本日はその結果がはり出された。
私はその結果を見に来て、そこで自分が1位を取った事を知った。
そんな結果を私の隣で同じように掲示板を見上げていたステファン殿下が嬉しそうな声で褒めてくれた。
「ありがとうございます! 入学して最初のテストですから、私、張り切って──」
そこまで言いかけてふと思い出す。
(あれ? 確か漫画ではこの時の実力テストの1番って……)
「凄いよ。特待生だっているのにその人達を抑えての1番なんだからね」
「特待生……」
私はハッとする。
(そうよ! ここで1番を取るはずだったのは特待生の一人アンネだったわ!!)
テスト……と聞いて謎のやる気が満ち溢れて来てしまい、連日猛勉強してしまった。
そしてこの結果。
(やってしまったーー!)
私は、自分でステファン殿下が“特待生の平民アンネ”の存在を知る機会を奪ってしまったことに気付いた。
漫画の中でのバカ王子ことステファンが、ヒドインのアンネの事を意識するきっかけは、入学式で迷子になっていたとか、可愛い容姿が目に付いたとか、その辺の廊下で体当たりされた……とかではない。
最初のきっかけはこのテストの結果───……
1番がアンネ。そして、2番が……ステファン殿下となるからだった。
バカ王子のくせに成績は良いという謎の設定により、
“俺より成績の良い奴がいる───しかも、平民”
それが、漫画のステファン殿下がアンネを意識するきっかけだった。
(それを、私は……たった今、奪ってしまった)
「そ、そういえば! 殿下は何位でしたか?」
「ん? 2位だよ。リュシエンヌの次。首位狙ってたんだけどな……残念」
そう言われて、掲示板に視線を戻すと確かに私の隣──2位の欄にはステファン殿下の名前がある。
「悔しいけど、リュシエンヌに負けるなら仕方ないかな? でも、次は負けないよ」
「望むところです!!」
(……ではなくて!! 何、乗ってしまってるのよ、私! そうじゃないでしょ!)
そこで、またまたハッと思い出す。
関心のアンネは? アンネは何位なの?
私が狂わせてしまったのだとしても、せめて3位とか!
それなら、殿下の中にも少なからず印象に残るかもしれない!
そう思って私は彼女の名を探す。
……しかし、その期待はすぐに裏切られる。
なんと、3位には別の人の名前があった。
(ちょっと! どこの誰よ!?)
いえ、それでもアンネは特待生!
きっと、それなりの位置にいるはずよ!
そう信じてようやく見つけた彼女の順位は……
(あ……れ? どうしてそんな所に?)
───6位だった。
もちろん、10位以内だから充分凄い話ではある。
だから、アンネは特待生として問題はなにも無い。
無いのだけど……
(何だか、ちゅ、中途半端……)
申し訳ないけれど、そう思ってしまった。
せめて、5位以内とかでないと……
これでは殿下の目に留まるはずがない。
「さぁ、結果も見たことだし教室に戻ろうか? リュシエンヌ」
「え、えぇ」
(ほらね、やっぱり話題の“わ”の字も出ないじゃないの)
そう内心でガックリ肩を落として教室に戻ろうとした。
その時だった。
ギュッ
(えっ!?)
何故か、殿下に手を取られてギュッと握り込まれる。
思わず、何で!? と、叫びそうになった所を懸命に耐えながら落ち着いたトーンで殿下に訊ねる。
「で、で、殿下……なぜ私の手を握るのですか?」
「危ないからだね」
「危ない……?」
私は首を傾げた。
ここは学園よ? こんな場所にいったいどんな危険がはらんでいるというの?
まさか……
「……殿下、もしかして私が迷子になるとでも思っています?」
「え?」
「た、確かに王宮は広すぎて、私は訪ねる度に迷子になってはいますが、私は別に方向音痴なわけではありません!」
私はムキになって方向音痴であることを否定する。
だって王宮は広い。
なのでいつも必ずどこかで迷子になって迷惑をかけている自覚はある。
でも、さすがに学園内でまで迷子になんてならないわ。
「いや、リュシエンヌ? 何を言って……」
「……地理も覚えられないバカな女だと思っているんですよね?」
そんな言葉が自分の口から飛び出した。
『ははは! お前のような地理も覚えられないバカな女は、王宮でもすぐ迷子になるしな!』
(くっ!)
私の頭の中に断罪シーン時のバカ王子のセリフの一つが頭に浮かぶ。
この時のテスト結果、漫画のリュシエンヌは20位……
だからこそ、ステファン殿下に馬鹿にされ続けることになる。
漫画に関する記憶と現在が頭の中でごっちゃになって来たせいか、じんわりと目に涙が浮かぶ。
私のそんな様子を見たステファン殿下が見るからに慌て出した。
「えええ? リュシエンヌ! 違うよ! 違うから! 僕はそんなことは思っていない! 思ったこともないから!」
「っっ! ほ……本当、ですか?」
「うっっ! かっ……!」
顔を上げて涙目で聞き返すと、ステファン殿下の顔がどんどん真っ赤になっていく。
「か?」
「…………っ、な、何でもない! えっと、リュシエンヌ。そういうことじゃなくて……」
「そういうことじゃない?」
「あー、むしろ僕はリュシエンヌが、迷子になる度に……喜んでいる、と、言うか……その……」
「喜んでいる?」
なんと王宮で迷子になっている私の姿を見てこの王子は喜んでいるらしい。
人が困っているのに、喜ぶなんて趣味が悪すぎる!
(やっぱりこの人の性根は……)
漫画のバカ王子とは別人のように感じていたけれど私の思い違いだったみたい。
そんなムカムカした気持ちを抱いた。
だけど──……
「だってさ、迷子になる──その度にリュシエンヌは僕を頼ってくれる、だろ?」
「……え?」
意外な言葉が殿下の口から飛び出す。
私は目を瞬かせた。
「王宮に訪ねて来る度に、必ず最後『助けて下さい……』ってしゅんって落ち込んだ顔で助けを求めてくるリュシエンヌが、かわ……ケホン……えっと、僕は、頼られて嬉しいんだ!」
「なんですか……それ」
ちょっと私は不貞腐れる。
「と、とにかく! 僕は君が方向音痴であろうとなかろうと気にしていない! むしろ、大歓迎! だから、バカにもしない!」
「え……」
いや、バカにしないのは有難いけれど歓迎はしないでよ、と思う。
「それなら、この手は何ですか?」
文句は一旦置いておくことにする。
ならば何故手を繋ぐ必要が?
私は、今こうして繋がれている手に視線を向けながら殿下に訊ねた。
(繋がれている手が熱くて、気分が落ち着かなくて困るのよ……)
すると、殿下は首を捻りながら答えた。
「うーん、そうだな。一言で言うなら牽制」
「けんせい……?」
すぐに脳内変換が出来ないくらい意味が分からなかった。
そんな私に向かって殿下は優しく微笑む。
「ただでさえ、リュシエンヌは注目を集めている立場なのに、更に目立ってしまったからね」
「注目を集めている立場?」
「そう。君は僕のいと……ンンッ……婚約者だから」
ギュッと更に手を強く握られた。
「なっ!!」
私は恥ずかしさに顔が赤くなる。
目には涙も浮かんでいるから今、私の顔はだいぶぐちゃぐちゃな気がする。
「…………それにさ、もうさっきから君のその顔が……はぁ」
「え?」
「…………何でもないよ。これからの僕が大変だなと思っただけ」
「?」
「隠しておきたかったなぁ」
ステファン殿下はふぅ、とため息をついた。
(隠す? ああ、今の私のこの顔のことね?)
どうやら私は今、人から隠したくなるほど、見せられない相当酷い顔をしているらしい。
それならば、もう手を繋がれていようがいまいが、さっさとこの場から離れるに限る。
それに実はさっきから周囲からの視線が痛い。
「……教室に戻りたいです」
「うん、行こうか」
こうして私は、周りからのチクチクした視線を受けながら殿下と手を繋いだまま教室へと戻った。
「…………何あれ?」
その視線の中に、アンネの姿があった事も知らずに。