さすらいのホームレス「雪ん子」
さすらいのホームレス「雪ん子」
「ありがとう!」
ヒッチハイクで乗せてもらった町は、地方の港町だった。
かさ張らない荷物を数個下ろし、今日の寝床を探す。
目の前に公園が見えた。
ここにしよう。
潮風が当たるが、季節は夏だ。涼しいの越したことはない。
「こんにちは、しばらく、ここにやっかいになります」
公園の住人に挨拶をする。
「ああ、」
初老の男性が返事をした。
「よろしくお願いします」
この公園には、ホームレスは少ない。ざっと見て3人だ。都会とは違う。
テントを立てる。
ゴミステーションで拾ったテントだ。破けた穴を修理すれば十分使える。気分はキャンプ気分だ、設置も早い。
慣れた手つきで寝床を完成させる。来る途中でもらった期限切れの弁当をみんなに配る。
挨拶代わりのプレゼントだ。持ちつ持たれつ、これがホームレスの掟だ。
喜ぶホームレスたち。
その中に、全身布で覆われている怪しい女性がいた。
「雪ん子、」それが彼女の名前らしい。
一言も喋らない。深く帽子をかぶり、大きなマスク、布でグルグル巻きに覆われた顔や手、怪しい雰囲気満々だ。その手で弁当を受け取る。
何やら皮膚病で太陽光に当てられないらしい。(他のホームレス情報)正体不明、年齢不詳、不気味な風貌、そして雪ん子⋯
まあ、気にしない。それもホームレスの掟、余計な詮索はしない。
しかし、暑くないのか?
水道で髪を洗う。
最近、ナイフでヒゲや髪の毛を切ることを覚えた。見様見真似だが、だいぶ様になってきた。我ながら、うまいもんだ。
ホームレスと言うよりも、サバイバーに近くなって来た気がする。
「ワイルドだろう、」思わず独り言が出てしまった。ニヤリと笑う。
「誰も聞いていないか、ハハハ」
遠くで、雪ん子さんが見ていた。
深夜、
暑い、今日は寝苦しい熱帯夜だ。
私は、あまりの暑さに耐えきれず、テントから飛び出した。
月明かりが眩しい。波の音だけが聞こえる。
静かだ、皆んな、まだ寝ているのかな、
ふと水道の方を見る。
若い女性が体を拭いていた。
白い肌の水滴が、月明かりに照らされる。
「天女?」目を凝らす。
何故、こんな所に若い女性が、
「あっ、」女性は、慌てて衣服を掴み逃げて行った。
白い背中が目に焼き付く。
夢を見ているのか…
次の日、
暇つぶしにスケッチブックに絵を描いてみた。独学だが自分でも気に入っている。
「何描いているの?」
「えっ」
雪ん子さんが、話しかけてきた。
雪ん子さんが喋るのを初めて聞いた。きれいな声だ。
「ここへ来る時見た風景を、描いているんです」
「下手だね」雪ん子さんが言う。
「ずいぶんハッキリ、言いますね」
「ふふふ、」
「だって下手でしょう」
「そうかな、」お世辞でも上手いとは言えない絵だが、下手と言われると、ちょっとムカつく。
「ちょっと貸して、」
ページをめくり、雪ん子さんは、サラサラと目の前の風景を描いた。
上手い!
絵心のない私でもわかるくらい上手な絵だった。空と海、波、色が着いていなくても解る。素晴らしい絵だ。
「上手いですね、」
「ふふふ、」
「はい、」
スケッチブックを返される。
「これで、昨日の事は黙っていてね」
布に覆われている顔の中に、真っ直ぐな澄んだ瞳が見えた。
「……」
それからというもの、
私は、雪ん子さんが気になって仕方がなかった。何でホームレスになったのだろう。家出?
雪ん子さんは、いつもテントの中にいる。滅多に外に出てこない。何をしているのかは謎だ。
「悪い皮膚病だから、近づくなよ」みんなは言う。
私だけは知っている。雪ん子さんの秘密を…
ある日、
雪ん子さんが珍しく外に出ていった。急いでいる様子だった。
「どこに行くんだろう」
「そんなに雪ん子を見るなよ、」ホームレスの一人が言う。
「えっ、」
「先月、雪ん子に手を出そうとした男がいてな、ナイフで刺されたぞ。あいつは危ない」
「ええっ」
あの時の雪ん子さんの瞳は、何だったんだろう。あの澄んだ瞳は偽りではなかったはずだが…
今日は天気がいい、釣りでもするか。
私は釣竿も持っている。当然、拾ったものだ。(笑)
浜辺に行く。
あれ、
雪ん子さんが、一人、浜辺で絵を描いている。夢中な様子だ。
帽子を取り、布もはだけている。ホームレスの衣装がボロボロだ。
ちょっとあれじゃ、女子だとバレバレだぞ、大丈夫だろうか?
「あれー、ホームレスかと思ったら、女子じゃん、」
やっぱり、
いい加減そうな男たちがやって来た。
雪ん子さんは、夢中になってキャンバスに絵を描いている。
「シカト〜」
そんな、男たちの言葉も気にせず描き続ける雪ん子さん。
「彼女ー、遊ぼうよ〜」しつこく絡む男たち。
一人が、雪ん子さんの筆を奪おうとする。
「触るな、」
パシッ、男を頬を殴りつける雪ん子さん。
「何すんだよ、この女」
男の一人がナイフを出す。
睨みつける雪ん子さん。まったく怯まない。
私も慌てて駆けつける。ナイフはどこだったかな?ポケットかな、リュックかな、こういう時に見つからない。
「彼氏登場か〜」
雪ん子さん、構わず絵を描き続ける。
絵筆は止まらない。
「バカか!この女、こんな物ーー」
男がキャンバスにナイフを立ようとした、
「あった!」私はナイフを取り出す。
ガシッ、
私のナイフと男のナイフがぶつかった。
しかし、男の力の方が強い。凄い力だ、押される。
危ない、
ギギギッ、
男のナイフが私の首まで近づく、
ビュッ、突然、雪ん子さんが絵の具を男の顔にかけた。
「わわっ、」
一瞬、ナイフが滑り落ちる。
サクッ、
慌てた男の手が、ナイフに触れた。
シュパッ、
「痛てー」
勢いよく血が噴き出す男の手。
バッ、
キャンバスを身体で守る雪ん子さん。血しぶきが雪ん子さんの背中かかる。
よかった、
慌てて逃げる男たち、
再び絵を描き続ける雪ん子さん。
⋯⋯
⋯⋯
絵が描き終わった。
渾身の傑作だ。
太陽と海、そして、今にも動き出しそうな波、見事な絵だ。
「ありがとう、あなたのおかげです。やっと、求めていた絵が描けました」雪ん子さんが微笑んだ。
「素晴らしいよ」
雪ん子さんは、二十代の若者だった。
絵の修行も兼ねて、日本中を渡り歩いていたそうだ。自然の風景をキャンバスに描いていたらしい。
最初はキャンプをしていたが、防犯のために、ホームレスに変装をしていたそうだ。
若いのに大したものだ。私とは、信念が違う。
警察官がやってきた。
男が傷害事件として通報したらしい。雪ん子さんの家族もそこに居た。どうやら、捜索届けが出ていたらしい。
「やばい、」
私は、慌てて荷物をまとめた。
「さようなら、」
「また、いつか、」手を振る雪ん子さん。
「君、君、」警察官の声。
数ヶ月後、
どこかで、雪ん子さんの記事を見かけた。
有名な絵画の賞をとったらしい。
写真の姿は、グルグル巻きの布で覆われてた雪ん子さんではなく、しっかり前を見つめた立派な女性だった。しかし、瞳は、あの時のまま、真っ直ぐな澄んだ瞳だった。
あの瞳、
またいつか、
私の旅は続く、歩みは軽い…