083_永禄七年(1564年) 大詰め
「粟屋越中守勝久にござる」
「浅井備前守長政でござる」
「竹中半兵衛重治にございます」
国吉城の外、浅井が張った陣幕の中で三人は相対した。
陣幕の外には粟屋勝久の連れる手勢二十名ほどと、藤堂虎高の率いる蒼鷹の兵二十名ほどがそれぞれ控えている。
どちらかがいつもう片方に斬りかかってもおかしくない。お互い丸腰とは言え、辺りには緊張が走っていた。
そんな緊張の中、用意された床几に腰を下ろした粟屋勝久は、甲冑姿のまま「本題に入る前に一つ伺いたい」と声を上げた。
「何故浅井は、我らに助力なされるのか。先日お送り頂いた米や武具……これらのお蔭で籠城のための支度はすぐに整い、朝倉軍が到達する前に城に籠る事が出来申した。しかし、浅井の主家は朝倉でござろう。ならば我らは敵同士ではありませぬか」
実は政澄に交渉に向かわせた際、手土産とばかりに北近江で取れた米や鍛冶衆に打たせた武具の一部も譲渡していた。全てはこの交渉の席を設けるためだけに。
長政の行動をいぶかしむ様子の粟屋勝久。ヒゲや髪に白い毛が混ざる初老の彼は、しかし老いを感じさせない鋭い視線を長政に向けた。長政より小柄でありながら、その空気には戦国武将としての風格を感じさせる。
そんな勝久に対して、長政は一度目を伏せて口を開いた。
「粟屋殿は、朝倉を我ら浅井の主家と見られるか」
長政の言葉に、勝久は僅かに首を傾げる。越前国守護大名、朝倉家と、北近江浅井郡国衆、浅井家ではどちらが上かなど誰の目にも明らかだ。
確かにこのところの浅井の躍進は目覚ましいものがあるが、所詮は国衆上がり。名家の血筋には勝てるわけもない。
そんな常識を問われ、勝久は長政が何を言いたいのかさっぱりわからず、そしてそんな様子の勝久をみて長政は苦笑した。
「とは言え、今のところは致し方なし。朝倉は強く、そして浅井は未だ弱小だ。しかしいずれ、真に正しき道を歩む折、例え朝倉と袂を分つとも、浅井が独力で立たねばならぬ時が来る。その時のためにございます」
「……話が見えませぬな」
「浅井が強くなるためには西近江が必要で、西近江を手に入れるには若狭から三好を排除しなければならない。そのために、粟屋殿の力が必要だと言う話にござる。さすれば若狭は武田家の元で安泰となりましょう。……その武田が、誰の治める武田かまでは我らのあずかり知らぬところではありますが」
まるで、若狭武田家当主がその時には現在の当主である武田義統では無くなる事を示唆するようなその言葉に、尚更勝久は首を捻る。確かに義統に対して不満を抱き、武田家から独立した粟屋勝久からすれば、それは好都合な事この上ないのだが――
「……湖北の鷹は、天下を見通す鋭き瞳を持つと聞く。ならば伺いたい。浅井殿は、今の若狭をどう見ておられるのか」
そんな問いが口をついたのは、きっと浅井長政という男の異質さに耐えきれなかったからなのだろう。
乾く喉が全く気にならないまま、勝久は長政の言葉に耳を傾けた。
「このまま抗い続けたとて、遅かれ早かれ朝倉は若狭を手にしましょう。長慶亡き三好に、もはや天下を牛耳る力はない。いずれ若狭から三好が手を引いたとき……その時こそ、朝倉が本格的に進出する時でございましょう」
「ならば……我らは勝てぬと、そう見ておられる訳か」
一瞬の緊張。しかし勝久の問いに、長政は首を横に振った。
「何をもって勝ちにするか、の違いにござる。小事では勝てずとも、大事では勝てましょう。――その大事を捨てて意地を通すと申されるなら、止めはしませぬが」
粟屋勝久が反目する武田義統は、近々死ぬ。何故なら、その混乱に乗じて朝倉が若狭へ乗り込み、保護と称して義統の子、元明を人質に取り、若狭を手にするからだ。
それが原因で後に信長の朝倉侵攻の際、若狭の国衆は真っ先に織田に寝返り、朝倉攻めの先鋒を務める事になる。織田による朝倉攻めのその時まで、彼ら若狭国衆に安息の時が訪れる事は無い。
そんな史実を知る長政は、しかしそれを口にする必要もないためさもそれらしく、薄く笑って見せた。
長政の表情に何か感じる物があったのか、粟屋勝久はじっと長政を睨みつけたまま何か考え事を始める。
そうしてしばしの沈黙の後、「では本題と参りましょう」と再び長政は口を開いたのだった。
「我ら浅井の要求は一つだけ。国吉城を明け渡し、粟屋殿の一族郎党に至るまで、この地を立ち退く事にございます」
「……呑めるわけがありますまい」
「それは何故です?」
「何故? ふ、馬鹿にしておられるのか。我らの主家は武田のみ。若狭を狙う朝倉を、愚かにも引き入れる主家を諫めるため武器を取ったが、この忠節揺らぐこと無し。そして、我らがこの国吉を立ち退けば、必ず朝倉が若狭に入る。それだけは見過ごす訳には参らぬ」
彼の言葉に長政はほうと方眉を上げる。
てっきり、武田義統の事が気に入らず独立したものだと思っていたが、どうやらまだ武田家への忠節が多少なりとも残っているらしい。
――それはそれで好都合だ。
「つまるところ、粟屋殿は朝倉を若狭に入れる事なく武田家の元で安泰とさせたい。そのためにまずは朝倉に与する武田義統を当主の座から降ろし、その子、元明殿を当主と据えたい。そういう事ですな?」
「……」
長政の言葉に勝久は何も言わない。その沈黙こそが何よりも雄弁に長政の言葉を肯定していた。
「実は今、西近江に我が家臣の宮部継潤という男がおります」
突然、そんなことを口にし始めた長政に対して、勝久の脳裏に疑問符が浮かぶ。
「今は伊井城と言う城を守らせておりますが、三好が若狭から手を引けば、巡り巡って西近江が我ら浅井の物となり、宮部継潤は今津城という城に移す事になるでしょう」
「浅井殿は随分と迂遠な物言いをする。つまり何が仰りたいのだ」
話の趣旨が全く見えない事に苛立ちを見せた勝久がその先を促すと、長政は再び薄く笑い、答えた。
「いえ、その際に元々その者が守っていた伊井城が空くわけですが……この城をそっくりそのまま、粟屋殿へ差し上げても良い、という話です」
「は……?」
「どの道、このまま国吉城を守り続けても未来が無い事は薄々察しておられましょう。遅かれ早かれ朝倉によって落とされる。しかし、必ずその時は来ます。その時に戦うため、力を蓄える必要がありましょう。彼の地は丹波と西近江の国境にありますから丹波内藤とも通じやすく、必要ならばそこから支援を受ければよろしい。そしてその時が来たら――」
「ま、待たれよ。何を言っているのか、わかっておられるのか? もしそれが事実なら、私はすぐさま三好と通じ、西近江へ攻め込みますぞ」
「出来るものなら、その時はこの湖北の鷹がお相手致しましょう。今度は本気で」
粟屋勝久は混乱を隠す事が出来なかった。
しかし無理もない。長政の言い分はつまり、朝倉の攻撃に晒されず、尚且つ三好とも通じやすい西近江に城を用意してやるから移動しろと言うものだ。
引っ越し、と呼ぶには苦労が多いものの、西近江の城が手に入ればそこから若狭を臨むこともできる。
余りにも都合がよすぎる話だ。裏があると疑うのが当然だろう。
「……一体、何を企んでおられるのだ」
長政の腹の内が全く読めず、生唾を飲み込む粟屋勝久。しかし長政は相変わらず、薄い笑みを浮かべたまま白々しく応える。
「まぁ強いて言えば……燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや、と言ったところですな」
長政の言葉に首をひねる勝久。どうやら彼には言葉の意味が通じないようで、後ろに控えていた半兵衛は馬鹿にしたように「フン」と鼻を鳴らした。
「とにかく、今粟屋殿の選べる道は二つに一つ。我らの要求を呑むか、それとも蹴るか」
「……蹴ると、どうなります」
「その場合は我らのやり方で国吉城を接収するまで。これまで朝倉がこの城を攻め落とさなかったのは、刈田を行い米を奪うためである事はわかっておりましょう。そして、我ら浅井は朝倉ほど甘くはない。国吉城を攻める大義名分を得た今、浅井はいつでもこの城に兵を寄せられる。さて――」
そこで初めて、今まで長政の顔に張り付いていた薄い笑みが、戦国大名のそれに変わる。
「――日野城は半日持ったが、果たして国吉はどれだけ持ちましょうな」
国吉城開城、粟屋勝久は浅井に降伏。
その知らせが若狭、近江、越前、そして丹波へ伝わるのにそう時間はかからなかった。
三好が若狭から、そして西近江から手を引いたのは、そのすぐ後の事であった。
◆――
「……単身、交渉の席に着くとは余りに危険。今後は控えた方がよろしいのでは?」
粟屋勝久との交渉の後、そんなことを半兵衛が呟いた。
「……バレたらまた、小夜と政澄にまた怒られる。だからこそ、そなたがここに居るのだ半兵衛」
「……は?」
「この交渉は、お主が一人で行った。そうだな?」
「はあ?」
「筋書きは……そうだな、朝倉軍の背後を突かんと打って出た粟屋勝久を、今孔明竹中半兵衛の軍略によって打ち負かし、奇跡的勝利によって国吉城を落城させた――こんなところか」
「はあああ!?」
「そういう事で、後は頼んだぞ八重」
「承知いたしました」
「ふ、ふ、ふざけるなァァァッ!!」
――後にこの戦いは、椿峠の退き口として後世に記される。
盟友たる朝倉軍が撤退する中、湖北の鷹率いる浅井軍は盟約に従い彼らの背後を守るため、単身立ち塞がった。
その浅井軍目掛けて襲い来るは、朝倉の背後を突くため打って出てきた粟屋勝久。しかし、それを竹中半兵衛は見事な采配により打ち負かし、奇跡的な逆転をおさめたとされる。
粟屋勝久を取り逃がすも、難攻不落の国吉城を攻め落とした浅井長政、竹中半兵衛両名の名は歴史の一ページに刻まれる事となったのだった。
一方で若狭に侵攻していた丹波内藤は、国吉城の落城によって若狭への介入が困難になり、朝倉が本格的な介入を見せる前に早々に撤収を開始。
未だ内藤の脅威に晒され続けることにはなるものの、若狭武田家にはようやく平穏の日々が訪れようとしていた。
また、これにより西近江を抑える理由も無くなった内藤家は、若狭同様に西近江からも完全に手を引く。三好の後ろ盾を無くした今津城は、この頃にようやく開城したとされる。
そして長政を散々苦しめた山中秀国はそのままどこかへと遁走し、以降歴史書にその名が記述されることはなかった。
一説にはこの頃、宮部継潤が立ち退いた伊井城に粟屋勝久らしき人物が入城したと記されているが資料に乏しく、例え真実だとしても粟屋勝久を浅井長政が家臣にしたとは考えにくいため、俗説の域をでていない。
また実際には椿峠の戦いは起きていないとする説もあり、事実、この戦い前後で死傷者が出たと言う記録はなく、本当に起きた戦いなのかを疑問視する声もある。
ただ、これらの中で唯一確かなのは、国吉城攻めを取りやめて撤退し始めた朝倉軍の後ろを浅井軍が守り抜いた事、国吉城と今津城の両方を浅井軍が接収した事。
そして、浅井がここから大きく勢力を拡張していくことになった事であった。
◆――
国吉城接収の後、小谷に戻った長政は早速この辺りの地図を開いて腕組みした。
恐らくこの後、国吉城に関しては朝倉景垙か、或いは若狭武田家当主の武田義統に引き渡すことになるが、それでも今回手にした領地を合わせれば、浅井家の総石高は三十五万石。
ここにきて浅井家は、七十万石と言われる近江の石高のうち半分を支配した。
近江に限って言えば、ようやく南近江の覇者である六角家に並んだのだ。
「とは言え、広さで言えば近江の領土は浅井が半分以上占めていると言うのに、石高はようやく半分とは……南近江、恐るべしだな」
地図を眺めながら、長政はそんな事をこぼす。これだけで南近江の豊かさがよくわかるというものだ。
「まぁ、何はともあれ、まずは上出来と言ったところか」
パチンと今津城の辺りに白石を打ち込み、長政は笑う。ここから残る西近江の半分を併呑していけば、総石高四十万に手が届く。
これでようやく、浅井家も周りの大大名達に見劣りしないだけの石高を手にし、一端の戦国大名として――
「殿! 手のものより火急の知らせが!」
――そこへ駆け込んできたのは、今回殆ど出番のなかった遠藤直経。
浅井家の諜報を担当する彼は、しかし普段の荒々しい雰囲気はどこへやら、慌てた様子で駆け込んできた。
その手に握られているのは一枚の書状。
息も切れ切れで喋ることすらままならない様子の直経からその書状を受け取り、そして中身に目を通した長政は一言。
「……何でそうなる?」
呆れた様子でそう呟いた。
浅井家の――長政の苦労は、まだまだ終わる気配は無さそうだった。
◆第三部完◆
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