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081_永禄七年(1564年) 孫

 その日の夜、長政は辺りの警備を虎高らに任せると、総大将である朝倉景垙かげみつの元へ向かった。


「お呼びに預かり参上致しました」


 先に景垙と話をしていたらしい朝倉家の家臣らが既に揃っていたものの、長政が来たことに気づいた景垙が何やら彼らに声をかけると、彼らは一礼をして去っていった。


「お呼び立てしてすまないな、浅井殿」


「いえ、正直暇を持て余していたところでしたので」


 長政がそういうと、鎧兜を外した姿だった景垙は愉快そうに笑った。


「浅井の兵は精強だな、先ほどの者らも驚いていた。農兵らにどう動くか言い含めるのに苦労している横で浅井の兵は次々に仕事を終えていくと。頼もしさを通り越して恐ろしさを感じたようで、あの者ら、浅井殿を人質にした方が良いのではないかとさえ進言してきおったわ」


 景垙は楽し気にそんなことを漏らしたが、正直笑いごとではない。

 だと言うのにそんな話を笑い話として長政に聞かせてしまうあたり、あけすけな性格なのだろう。


 何と返すべきか少しばかり考えたが、正直な感想を述べる事にした。


「それは……夜もおちおち眠れませぬな」


「くくく。案ずるな、ちゃんと言い含めておいた。それに浅井は三代の間、朝倉との盟約を守り続けてくれている。今更その腹、疑う者もおらぬよ」


「だとよいのですが」


 困りながらそう返していると、景垙は何やらごそごそと荷物をあさり始めた。

 何をしているのかと見ていれば、取り出したのはとっくりと盃。


 一杯付き合えとばかりにその二つを掲げて、嬉しそうに笑う景垙。


 酒はまだ呑まない主義なのだが……そんな事を思いながらも満面の笑みを浮かべる景垙の姿に、断る訳にもいかずやれやれと長政は彼から盃を受け取った。


「一杯だけですぞ」


「まぁまぁ、良いではないか」


 言いながら長政の受け取った盃に並々と酒を注いでいく景垙。

 迷いなくそれだけの量を注ぐ当たり、存外景垙は酒豪なのかもしれない。


「景垙様もどうぞ」


「おお、かたじけない。湖北の鷹に酌をしてもらえるとは、今日は良き日だな」


「大げさな……」


 言いながら景垙の盃に酒を注ぐ。長政が注がれた量と同じくらいの量を注ぎ返してやると、満足気に頷いた景垙は「いざ」と盃を掲げ、そして一息に酒を飲み下した。


「やはり、戦場で飲む酒は格別だな」


 長政が酒を舐めるようにちょびちょびと呑む横で、景垙はそんなことを言いながら手酌で二杯目を注いでいく。


 おまけとばかりに肴代わりの梅干しまで出してきた辺り、長政の言った一杯だけ、という約束は守られそうにない。


「実はな浅井殿。私は少し、そなたを誤解していた」


「誤解……ですか?」


 長政がそうやって少しずつ酒を飲んでいると、雲に隠れた月を眺めるように空を見上げた景垙はそう言った。


「てっきり大野郡司――景鏡かげあきらのような男なのだと思っていた。戦は上手いが礼儀や道理というものを知らぬ、己さえ良ければそれで良いと言う輩だと。今思えば失礼な事だ。申し訳ない」


 そう言って長政の目を見据え、そして景垙は軽く頭を下げた。

 「お気になさらないでください」と顔を上げさせる長政だったが、同時になぜそう思ったのかがすこぶる気になって仕方がない。


「何故私が、景鏡かげあきら様のような人物だと?」


 長政が問うと、一瞬逡巡するように視線をさ迷わせた景垙だったが、やがて言葉を続けた。


「浅井殿はその……女子を陣中に連れて行くほどの女好きだと聞いた。それだけでなく、己に賛同する奸臣ばかりを重用し、それらの行いをたしめた父君を追い落とし、家督を簒奪さんだつ――」


「もう結構です、よくわかりましたので」


「――言い過ぎたか、すまない」


 どうやら長政の事を快く思わない者達は、長政が湖北の鷹と称えられる一方でそんな噂を流しているらしい。

 それらが全てでまかせでないだけに何とも否定しづらいのがもどかしい。


「いえ……まぁ確かに、事実もありますから……」


「いや、そんなことはない。きっと、ある事あらぬことを織り交ぜているだけなのだろう。朝倉宗滴そうてきの孫と言うだけで色々と私も言われたものだからな、覚えはある。女子を陣中に連れ込むなど、酷い言いがかりだ」


 一番否定できないところを擁護され、長政の心が痛む。


 そんな流れ弾を放ったとは露知らず、景垙は酒を煽りながら言葉を続けた。


「この世は乱世。戦の上手さばかりが讃えられ、生き残るためならば裏切りさえもが許される。しかし、かような世だからこそ道理や義理、人の道を外れてはならぬと私は常々思っている」


 再び盃を煽る景垙。彼の言葉に、「私もそう思います」と賛同すると、嬉しそうな笑みを浮かべた後に厳しい表情になる。


「だと言うのに景鏡かげあきらめは、戦と口の上手さだけで今の立場に在るようなもの。あやつの父は、朝倉家一門衆でありながら謀反を企てた極悪人。だと言うのに義景様は、何故かような輩を重用されるのか、それがわからぬ」


 どうやら長政が思っていた以上に景垙と景鏡の確執は深いらしい。


 酒の力もあってなのか、それとも景鏡と言う人物がそれだけ酷いのか、誠実そうな景垙が捲し立てるように景鏡の悪口を羅列していく。


「かような者を家中に置いては、いずれはそこから崩れていく。だからこそ気風や序列、道理を守る事が肝要だと言うのに、義景様は歌を詠まれるばかりで全く聞く耳をお持ちくださらぬ。あやつが土壇場で父同様に裏切りでもしたら、一体どうされるおつもりなのか」


 盃を空にした景光は再び手酌で酒を注いでいく。

 恐らく彼としては当てつけのような気持ちで言ったのだろうが、それが後に実現してしまう辺りがやるせない。


 ある意味景垙には、先見の明があるとも言えるが。


「智勇に優れていると自負するならば、尚のこと己の在り方を律せねばならぬだろうに、それができぬ時点で自ら愚か者だと名乗っているようなものではないか」


 そんな事を言いながら、また盃を一息に煽る景垙。

 どうやら相当鬱憤が溜まっているらしく、酒の進みが随分と早い。


 ようやく盃の半分ほどまで酒を飲んだ長政に対して「さぁ浅井殿も呑まれよ」ととっくりを掲げた景垙は、どばどばと再び酒を注ぐ。


 しかし殆ど酒が残っていなかったようで、すぐにとっくりの中は空になった。


「む……」


「呑み過ぎですよ景垙様。あまり呑まれると夜襲を受けた際の采配に遅れがでましょう」


「何、この程度水のようなもの。それに浅井殿の精兵が居るのだ、どうと言うことはない」


 わはは、と口を大きく開けて笑う景垙。元々こんな感じだった気もするが、だいぶ酒が回り始めているようだ。


 酒の肴に出された梅干しを長政は一口齧る。

 特有の酸っぱさに顔をしかめるが、直ぐに紫蘇の風味が追ってきて独特の旨味が舌の上に広がる。


 現代のものより塩が効いていて少し塩辛い気もするが、この時代の者たちからすればこのくらいが丁度良いのだろう。


 同じように梅干しを一つ掴み、そして顔をしかめている景垙に、長政は先ほど思った事を言葉にすることにした。


「景垙様は先ほど、父が謀反人である景鏡様を重用する理由がわからぬ、と申されましたが――」


「うん?」


「――きっと、父の悪名を背負わされ、景鏡様も苦労なさったのだと思われます。それこそ、己が振る舞いを取り繕う余裕もないほどに。咎めるな、とは申しませんが、少しばかりその胸中を慮って差し上げても宜しいのかもしれません」


 父の悪名を背負わされ、己の未来に危機を感じ、そして今をがむしゃらに生きる。

 長政にはどれも心当たりのある物事だった。


 この時代に生きて、史実とはかけ離れた印象の者達と幾度も出会った長政だからこそ、悪評ばかりが目立つ景鏡かげあきらに、それでもどこか同情的になれるのかもしれない。


 だからこそまだ会ったことのない景鏡の為人ひととなりを、他人の言葉だけで評価する気にはなれなかった。


 そんな思いからの言葉だったのだが、景垙は思うところがあったのか、「……そうやも、知れぬな」と呟き、そしてまた酒を仰いだ。


 そうして二人だけの宴会は、秋の色づく夜風に煽られ、静かに幕を下ろすのだった。



◆――



 翌朝。秋の色が見え始めているとはいえまだ夏だと言うのに、朝から冷え込んだ若狭の山々は深い霧を生み出して辺りを覆い尽くした。


 小高い丘にある芳春寺ほうしゅんじから辺りを見渡しても、辺り一帯は霧しか見えない。


 これではもし敵が攻めてきてもわからない事だろう。


「敵は攻めてきますかね」


 その光景を眺めていた長政の隣で、半兵衛が呟く。


「さて、どうだろうな。これだけの陣容を見せれば、籠城していても勝てないと踏んで一か八かに賭ける事は考えられるが……」


 そこへチリン、と鈴の音が鳴る。


「どうだ?」


「はい、敵方に動きはありません。このまま籠城を続けるものと思われます」


 今朝方放った夜鷹からは、八重を介してそんな報告がもたらされる。

 どうやら敵は様子見に徹するらしい。


「引き続き警戒を頼む。……風邪をひくなよ」


「はっ」


 相変わらずの薄着のまま、八重は霧の中に溶けるように消えて行った。


「便利なものですね、夜鷹は」


「食客の半兵衛に手の内を晒すのもどうかとは思ったがな……まぁ、この程度ならば問題ない」


「この程度で鷹の本領を知った気になるな、と言う事ですか」


 半兵衛が眉間に皺を寄せてそう問えば、長政は「さてな」と白々しく笑ったのだった。

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