079_永禄七年(1564年) 契り
「はい。実は義景様もご存知の通り、我ら浅井は今、西近江の接収を目論んでおります」
「聞いておる。浅井殿が西近江を取れば我ら朝倉の抑える敦賀も安泰となる。是非に切り取ってもらいたいものだ」
「はっ。そこでやはりご存知の通り、三好が出張ってきておりまして。現在三好の邪魔が入り、西近江の切り取りがうまく行っておりませぬ」
「あの者ら、畿内を己が国だと勘違いしておる故な。あちこちに首を出し、若狭にも手を伸ばしておる。四国の田舎侍どもめ。三好長慶が逝ったと聞いた時、どれほど胸がすく思いだったか」
一を話せば三は自分の話を始める、朝倉義景に対する第一印象はそんなところだ。
この男、とにかくよく喋る。少しでも気を抜けば本題から全く別の方へ舵を取られそうだ。
「は。そのため三好を西近江から退かせる必要があり――」
「それよ。それが何故国吉攻めに繋がる。一見関係ないように思えるが?」
だから今それを説明しようとしているのだが……
逐一口を挟まれ、思わず一言言いたくなるのをぐっと堪えて「つまりですな……」と気を取り直す。
これはある意味、商人よりも厄介かも知れない。
「奴らが西近江を抑えたいのは、結局のところ朝倉様が国吉城を抜くことが恐ろしい故にございます。ならば――」
「そうか、読めたぞ浅井殿。ならばいっそのこと国吉城そのものを落としてしまえば、三好が西近江に手を出す理由が無くなると、そう言う事だな?」
「――左様にございます」
なるほど、と朝倉義景は長政の考えを言い当てた事で満足げだ。
長政は逆に心底辟易としてしまったが。
「なるほど、しかし良いのか? 西近江に我らは援軍を出せぬぞ? 国吉を落とせば、若狭の平定を行わねばならぬ故な」
「無論、承知しております。三好さえ手を引けば、西近江の接収などすぐにでも終わりましょう。後はどうとでもなりまする」
「ほほ、心強い言葉だの。流石は湖北の鷹殿か。しかし……ふうむ、いかにすべきかのう」
ぱし、ぱしと閉じた扇で肩を叩きながら何かしらを思案し始める朝倉義景。
朝倉にとって損はないはずのこの取引、一体何を悩んでいると言うのか。
しかし先ほどまでの饒舌はどこへやら、全く喋らなくなった義景にしびれを切らして、長政が「……何か、懸念でもございましょうか」と口を挟むと。
「いや実はな。近々加賀への遠征を考えておるのよ。加賀の一向宗のこと、聞いたか? 奴ら、近頃動きが怪しくてな。ここらで一度叩いておこうかと思うておるのだ」
長政が相槌を挟む間もなく、ぺらぺらと義景が畳み掛けてくる。
そういえば大文字屋も同じような事を言っていたな、と思い、「確かに城下でもそんな噂がございました」と答えておく。
「その折り、景鏡や景隆と共に、景垙も参陣させようと思うておる。誰を大将にするかはまだ決めかねておるが……参陣させねばうるさいでの」
最後の言葉はやや小声に、外に聞こえないようにひそひそ声で義景は言った。
実は朝倉家は一族衆が中々面倒な事で有名だ。
朝倉家は名家なだけあって、一族の数がとにかく多い。
今名前に上がった景鏡、景隆、景垙も皆、血縁ある朝倉一族の者達だ。
宗家である朝倉義景の血筋とは別に、義景の従兄弟に当たる朝倉
景鏡、親戚に当たる景隆や景垙、と言った具合だ。
そして何より問題なのは、その誰もが朝倉家の重要な役職を務めているにも関わらず、その誰もが不仲である事なのだ。
名家の定めとでも言うべきか、朝倉義景が亡くなれば次に誰が宗家を継ぐかで争うような間柄だ。
そんな状態が続けば不仲になるのも仕方ない。
朝倉景鏡は朝倉家臣団の一門衆筆頭であり、義景の名代として総大将を度々務める重役。
朝倉景隆は朝倉家の軍事を司り、朝倉家の中では珍しく武勇に優れた名将。
そして朝倉景垙は日本海と淡海を繋ぐ水運の要衝、敦賀を抑える敦賀郡司職に就く西の要、と言った具合だ。
因みに朝倉景垙は浅井家が恩義ある名将、朝倉宗滴の家系であり、義理の孫にあたる人物である。
そのため浅井が恩を返さなくてはならないとしたら、朝倉宗家と言うよりも朝倉景垙の家系だろう。
どちらも大して変わりないが。
ともかく、そんな彼らであるから、家中の序列には非常に神経質だ。
もし加賀侵攻などと言う重要な戦で参陣の招集がかからない者が居れば、呼ばれなかった者が不満に思い義景に抗議する事も考えられる。
一族衆が強いとは、裏を返せば当主の力が弱いと言うことでもある。
彼らが不満を抱けばそのまま家中の不和に繋がり、やがてはそこから崩壊する。
だからこそ義景はその辺りの采配に気をつけねばならないのだ。
悩むのも頷ける。
長政の勇名によって、少なくとも一族衆に限って言えば一つにまとまっている浅井家とはまるで逆。
朝倉家でいつ何が起きてもおかしくないだろう。
「それは……確かに、大変そうですな」
「左様。加賀の一向宗をさっさと抑えたいのだが、誰を向かわせるかでもう、頭を悩ませる始末よ。悩ましい事この上ない」
どこの家も同じだな、と長政は少し笑う。
浅井家では一族衆の代わりに国人衆がうるさく、長政が重用する者達ばかりに武功を上げさせてはすぐに腹を立ててしまう。
この時代に生きる戦国大名とは、皆こんな悩みばかりを抱えているのかもしれない。
「まぁとにかくそう言うわけで、加賀攻めが終わるまでは国吉攻めをやめようかと思うておる。浅井殿には悪いが――」
「であれば、こうされてはいかがでしょうか」
義景の言葉を遮るようにして、今度は長政が声を上げる。
「皆を横並びで参陣させたいが、顔を合わせれば不仲になる、と言うのであれば、朝倉景垙殿は今回、参陣させなければよろしいかと」
「いや、だから申しておろうに。そんな事をすれば後が面倒だ。特に景垙と景鏡は不仲、どちらか片方を優遇すれば、もう片方がそれはもう腹を立てるのだ」
「ですから加賀攻めは義景様が総大将を務めるのです」
長政の言葉に、義景は豆鉄砲でも食らったかのような顔で動きを止めた。
「……私が?」
「はい。先ほどのお言葉から、恐らく今回の加賀攻め、いつも通り義景様の代理として一門のお歴々のどなたかが総大将をお勤めになられるのでありましょう」
「うむ、そのつもりだが……」
「しかし、総大将は名誉職。そんな物を誰かに任せれば、任せられなかった者は腹を立てるのではありませんか?」
長政の言葉に、「確かに……そうやもしれぬな」と義景は悩み始めた。
「ですから義景様ご自身が総大将を務め、景鏡様、景隆様と共に加賀を攻めればよろしいかと」
「しかし、景垙はいかにするのだ」
「国吉城を攻めさせるのですよ、我々浅井と共に」
長政が笑って見せれば、なるほどと義景は頷いた。
国吉城の攻略は敦賀を任された朝倉景垙が一任している。
そのため、彼が国吉城を攻めることに問題はない。
「義景様達が北で加賀を攻める間、我らは西で若狭を攻めます。我らが合力すれば、国吉城など一晩で落ちましょう。さすれば景垙様は城を落とした武勲を得ることができ――」
「加賀攻めに参陣できなかったとしても、国吉城攻略の件で帳消しと言うわけか。考えたな浅井殿」
「――恐れ入りまする」
ふむ、と義景は頷く。
国吉城攻めに上手く駆り出せば、不仲な彼らが顔を突き合わせることもない。
加賀攻めに呼ばれなかった事は不服だろうが、若狭を取った功績があればその分と帳消し。
そして何より、義景自身がその面倒な采配に悩まなくて済む。
義景の心は決まったようだった。
「よし、しばし待たれよ」
そう言っておもむろに立ち上がると、棚から紙と筆を取り出した義景。その場でさらさらと、何やら書き始めた。
「景垙への書状を認めておこう。加賀攻めは来月行うつもりだ、その辺りで上手いことやってくれ」
早い話が後はよしなに、という事だろう。
下手に義景が口を挟んできて面倒になるよりは良い。
少々手間だが、長政は「承知いたしました」と頭を下げた。
「若狭方面のことは全て景垙に任せている故、細かいことはそちらに聞いてくれ。他になければ失礼するぞ。私も忙しい身でな」
「はっ。お忙しい中、有難うございまする」
「うむ、では越前を楽しんで行かれよ。それではな」
そうして来た時と同じように騒がしく、朝倉義景は部屋を後にする。
あれでは公家のような貫禄が出るのはまだ先の話だろう。
「如何でしたか、越前五十万石を治める大名は」
朝倉義景の背中を見送り、彼が居なくなったことを確認したところで半兵衛がそんな事を聞いてきた。
半兵衛がどう思ったかは定かでないが、彼なりに思うところがあったのだろう。
「そうだな……思っていたより小さい」
少しばかり考えたが、長政はその問いに思った通りのことを答えたのだった。
◆――
屋敷を出ると、そこで光秀が待っていた。
「十兵衛殿」
「お恥ずかしいところを見せてしまったな。……朝倉家に士官したといえど、こんなものだ。義景様には……顔すら覚えられていない」
自虐的に笑ってはいるが、その表情には影が差す。悲しさからか、それとも悔しさからか。
「実は浅井殿の使いの件も、朝倉様からの命ではなく自分から名乗ったのだ。何か変えられるかもしれないと思ってな……利用するような真似をして、申し訳なかった」
そう言って頭を下げた十兵衛は、哀愁を帯びていた。
かつて四木村で別れる時、彼は乱世の終わらせ方を知るためにまずは今の日本を知りたいと言っていた。
きっとそれは、己の力で乱世を終わらせたいという想いがあったはずだ。
だと言うのに、現実はその乱世から一番遠いところで安穏と暮らしながら、無為に過ごしていく日々。
それにあの扱いでは、ろくな扶持も与えられていない事だろう。
光秀が綻びの目立つ服装だった理由に合点がいった。
「生活は苦しいのか?」
長政が問えば、頭を上げながら十兵衛は答えた。
「そんなことは――いや、正直に話そう。日々を生き延びるので精一杯で、妻にも苦労をかけている。しかし今日は浅井殿を案内した事で扶持を頂いた、浅井殿のお蔭だ」
そう言って掲げてみせたのは布の袋。恐らくはあの中に米が入っているのだろう。
土地を持たない武士は日銭を稼ぐ事すらままならない。
長政の思うよりずっと苦しい暮らしをしているらしかった。
「十兵衛殿、それなら近江に来ないか?」
長政は気付けば、そんな事を口走っていた。
「私の元でなら、土地も城も用意できる。すぐには無理だが、十兵衛殿になら任せて良い。自慢じゃないが今の浅井は豊かだ。家臣が一人増えたところで、痛くも痒くもない。だから……どうだ?」
長政の言葉に逡巡して見せる十兵衛だったが、しかし首を横に振った。
「なぜだ十兵衛殿!」
「確かに魅力的な話だが……私は友として、浅井殿とは対等でありたいのだ。今その誘いに乗れば、私はずっと浅井殿に頭が上がらなくなる。志を同じくする友としてこれからも在りたい。だから、今は行けぬ」
「この……頑固者め!」
「武士たる者、最後に残るのは意地と誇りだけ。それを手放せば武士では無くなる。例え米すら食えず飢えようと、その二つだけは手放せんのだ」
「……だから武士は嫌いなんだ」
長政が苦々しく吐き捨てると、光秀は愉快そうに笑った。
その姿にすっかり毒気を抜かれた長政は、ならばと供の者から何やら受け取り、それを光秀に押しつける。
「これは……受け取れぬ、こんな物!」
それは、袋に詰められたずっしりと重い多額の銭。
近江で作られた良質な精銭が、優に二貫目はある。
光秀の身内を含めても、贅沢しなければ三月は食っていけるだけの額だ。
あまりの額に、光秀は驚きと怒りを露わにする。
「言っただろう、意地と誇りは通すと! このような施し、受け取るわけにはいかぬ!」
しかしそれを無視するように、長政は一人、語り始めた。
「実はな、つい先日、子が産まれたのだ。とにかく愛らしい、私の子が」
突拍子のない語り出しに疑問符を浮かべる光秀をよそに、長政は言葉を続ける。
「その子が生まれる時、妻が危篤になった。私はとにかく、仏に祈った。普段はみじんも信じておらぬが、今日だけは信じる。金も米もくれてやるから妻を救ってくれと」
「奥方はご無事だったのか?」
「何とかな。仏のおかげかはわからぬが、生き延びた。そして祈った以上、約束は守らねばならん。その銭はそのための銭よ」
「ならば尚のこと受け取れぬ!」
「だからこれは取引だ十兵衛殿。私は仏が好かん。この戦国を生み出しておきながら、信じる者しか救わぬ仏が嫌いだ。そんな者に折角の銭を渡すなど虫唾が走る」
真剣な眼差しでそう告げる長政は、光秀に構わず言葉を続ける。
「だから、私の代わりに十兵衛殿に祈って欲しいのだ。その銭を仏からの施しと思って、私の代わりに祈ってほしい。仏とて人を救うためならば文句を言うまいよ」
「浅井殿……」
「幸いこの辺りは寺社も多く、祈るには困らんだろう。私を救うためだと思って頼まれてはくれまいか。私も、意地を曲げたくは無いのだ」
茶目っ気ある言い方で笑う長政。
その顔を見て光秀は、受け取った銭を大事そうに抱きしめて「かたじけない……かたじけない……!」と肩を震わせた。
「あの日、誓っただろう。誰かが助けを求めたなら、必ず他の者が助けに行くと。もし島殿がここに居たなら同じことをしただろうよ」
「この恩は終生忘れぬ……必ず報いる。必ず……必ず……」
光秀はけして顔を上げることなく、その頬を涙で濡らす。
長政もそんな光秀の涙を見ないよう、西の空を見上げた。
西の空にはあの日、四木村で三人が乱世の終わりを誓った時のように。輝く赤い夕日が、山々の向こうから二人を照らしていたのだった。