078_永禄七年(1564年) 越前王朝倉左衛門督
「一乗谷城の門を出て少し行った先の茶屋……と言うと、この辺りだと思うのだが」
大文字屋との取引の後、長政たちは朝倉の使者と落ちあう予定の場所へやってきていた。
朝倉からの使者と落ち合い、朝倉義景に謁見する手筈なのだ。
しかしそれらしい人物の姿が見えない。仕方がないため長政らは茶屋で団子を頼み、茶を啜りながら少しばかり時を潰す。
「そう言えば、半兵衛は稲葉山を乗っ取る際に女の格好をしたらしいな」
「……それが?」
「いや、どんなものかと思ってな。一度見てみたいものだ」
「二度とやりません。二度と」
そんな雑談をしていると、遠くから一人、こちらを目指して駆けてくる人物の姿。
日除けのためか被り笠を目深に被っているが、腰には刀を差している。朝倉家の家紋が刻まれた笠を被っている辺り、どうやら彼が朝倉の使者らしい。
そうして傍まで駆け寄ってきた男が口を開く。
「すまない、待たせてしまった」
随分馴れ馴れしい口調だな。そう思いながら「いえ、先ほどついたばかりです」と答える長政。
「久しぶりだな浅井殿……いや、新十郎殿、かな?」
しかし次の瞬間、笠を外した男の顔を見て長政は驚愕した。
「その顔……まさか、十兵衛殿か?」
昔に比べると少し痩せたように見えるが、それでも相変わらず故綺麗で、ところどころ綻んだ服を着ているにも関わらずどこかの名家の家長のようにも見える彼の姿。
その男はかつて長政と共に近江の小村、四木村を守るため戦った男、十兵衛こと明智光秀だったのだ。
得意げに笑う彼の姿に、長政も思わず満面の笑みを漏らす。
「何故ここに!? いや、それより待たせたと……まさか、朝倉からの使者と言うのは」
「ああ、私だ。浅井殿や島殿と四木で別れた後、私は越前に赴いてな。そこで朝倉家に仕官し、今では朝倉家の末席に名を連ねさせてもらっている」
「そうだったのか……朝倉に仕えたのは、北の京を知るためか」
「左様。ここでなら様々な事を学ぶことができる。己を研鑽する事にも繋がる。そうして学を磨けば、この乱世を終わらせる手立ても見つかると、そう思ったのだ」
光秀の言葉に、長政はそういえば、と思い出す。
史実の明智光秀も、初めから織田信長に仕えていたわけでは無かったはずだ。
諸説あるが、織田の前は確か……朝倉に仕えていたとか。
そうか、あれは事実だったのか、と長政は一人納得する。
どうやら今、長政は歴史の一片を目撃しているらしい。
「いや、驚いたな。本当に驚いた。まさかこんなところでまた会えるとは。朝倉は越前五十万石の大大名、大出世ではないか」
「驚いたのは私の方だ。私が浅井殿の顔を知っているからと、突如朝倉義景様からお呼びがかかったのだ。会えるのが楽しみで、昨日はなかなか寝付けず……うっかり寝過ごしてしまった」
「ははは、遅れた理由とはそれか。――そうだ。八重、半兵衛、紹介する。こちらは――」
うっかり話に花が咲き、置いてけぼりを食らっている二人に紹介するため後ろを振り向いた長政。
しかし、その長政を無視するようにして半兵衛が口を開いた。
「……十兵衛殿。生きておられたのですね」
「そなたは……まさか半兵衛か!?」
「お久しぶりです。長良川以来、でしょうか」
二人は心底驚いた、と言う風に言葉を交わす。
驚きすぎて何から話せばいいのか分からないと言った風だ。
一説には明智光秀は美濃の出だと言う話がある。
斎藤道三と斎藤義龍が美濃の覇権を巡って戦った長良川の戦いでは、明智光秀の一族は斎藤道三に味方したとか。
結果、道三は討死し、明智家は一家離散。光秀はその煽りを受けて各地を放浪し、越前朝倉の元へ流れ着いたと言う説だ。
もしそれが事実なら、同じく斎藤道三に味方していた竹中家の竹中半兵衛と面識があってもおかしくない。
これまた意外な接点だ。
「光安殿は、ご立派な最期であったと聞いています」
半兵衛の言葉に光秀はただ一言、「そうか」とだけ呟き、どこか遠くの空を見上げた。
名前からして、光秀の父か、或いは親族なのだろう。
何があったのかはわからないが、少なくとも大切な人を亡くした事はわかる。
光秀の表情がどこか遠くの日々を思い出すように、哀しみの色が浮かんだからだ。
「済まない、気落ちさせてしまうな。稲葉山の一件は聞いている。隠遁したとの話だったが、半兵衛は浅井殿の元にいたのか。それならば安心だ」
「ただの食客です。仕えるつもりはありませんし、いずれ辞するつもりです」
「そうなのか……まぁ良い。積もる話は後にして、まずは朝倉様の元へお目通りするとしよう。待たせてしまって申し訳ない。さ、こちらへ」
そうして意外な人物、明智光秀との再会を果たした長政は、彼の先導によって一乗谷城、朝倉義景の元を訪ねる事になるのだった。
◆――
朝倉家本城、一乗谷城。
越前の山々と足羽川に囲われた天然の要害たるこの城は、日本海側を抜ける北陸道や美濃へ続く美濃街道を始めとした越前に連なる様々な道を一度に抑えられる要衝に築かれていた。
史実では結局、築かれてから百年余りの間、ただの一度も戦に使われる事がないまま廃城となってしまったが、この地に城を築いた朝倉家祖先の判断自体に誤りはない。
まさか朝倉家の最期が、一乗谷城を捨てて逃げ出した先で、一族の裏切りによって滅亡する事になるとは、思ってもみなかっただろうからだ。
史実で織田によって一乗谷城が焼き払われ、朝倉家が滅亡すると、朝倉家のために織田を裏切った浅井はとうとう孤立してしまう。
そうして織田の苛烈な攻撃の前に小谷城は陥落し、浅井長政は小谷城と共に自刃する事になるのだった。
言ってみればこの城は、いわば長政と一蓮托生と言っても過言ではない。
そう思えばなかなかに感慨深いものがある。
一乗谷城のふもと、朝倉屋敷の庭園には、そんな長政達の最期を皮肉るように、見事な自然が美しい景色を作り出していた。
「見事なものでしょう。春や秋になれば、花々が咲き誇り実に美しい庭園となる。是非浅井殿にも見てもらいたいものだ」
客間の庭先に広がるその光景を庭園を眺めながら、光秀がそう言った。
「ああ……次に来る時には必ず」
その言葉に、もし次に訪れる事が出来たなら、と長政は心の中で付け加えたのだった。
それから少しの間、光秀、半兵衛、直経らと特に言葉を交わすでもなく客間で朝倉義景を待つ。
八重や他の供の者達は他の部屋で待たされている。
そしてついに、その人物が現れた。
「すまぬな浅井殿、遅くなった。阿君丸――我が嫡男が、どうもぐずついてな。申し訳ない」
やけに騒がしい雰囲気を纏って現れたのは、きりと引き締まった顔立ちでありながらどこか朗らかな雰囲気もまとう、齢三十ほどに見える男だった。
長政よりは一回り小柄できつね顔。いかにも文化人と言った風態だ。
公家のような格好をしているためか比較的若く見えるが、どうやら彼が朝倉義景その人らしい。
「いえ、こちらこそ突然の目通りをお許しいただき、有り難く。若君がお元気そうで何よりにございます」
「おお、そなたが湖北の鷹、浅井長政殿か。勇名はかねがね。遠路はるばる痛み入る。越前の街並み、如何であったか」
「はい。北の京、聞きしに勝る華やかさでございました。それも、義景様の名采配あっての事かと」
「ほほほ、あまり褒めるで無い。そう言えば近頃、浅井殿にも男児が産まれたと聞く。後で祝いの品を持たせよう。子は宝ゆえ、遠慮はなされるな」
公家のような笑い方をする朝倉義景は、どこから聞きつけたのか万福丸が生まれたことも知っているらしい。
これはただのお人好しか、それとも浅井家の事情をよく知っていると言う警告か。
どちらにせよここは、「有り難く頂きまする」と言うより他無い。
そうしてどかっと腰掛けた義景は、「我が庭園は如何かな? 一流の庭師に手入れさせておるのだ」とひとしきり庭園の自慢をしたところでようやく満足したのか、手に持った扇を長政の方へ突きつけて言った。
「ところでその……なんと申したか。そなた」
否、向けられているのは長政ではなく、光秀だ。
「明智十兵衛、光秀にございます……」
「ああそうだった。光秀、もう良いぞ」
「……良い、と申しますと?」
「もう下がって良い」
「あ……はっ!」
そうして視線だけで長政に挨拶すると、光秀はそそくさと部屋を後にした。
朝倉家の末席に仕えている、と言う光秀の言葉の割に随分な扱いだ。
「いやしかし、湖北の鷹の逸話は数知れず、近頃では三好の軍勢を前にたった一人で躍り出たとか。わたしにはとても真似できぬ。何せほれ、わたしはこちらばかりであるからな」
そんな光秀のことはもう忘れたかのように、義景は手に筆と紙を持つ仕草をして、空に文字を描いてみせる。
文化人というだけあって、戦より和歌の方が上手いと言いたいのだろう。
「恐れ入りまする」
……それとも、浅井を蛮人だと馬鹿にする、京都風の皮肉だろうか。
頭を下げた後でそんな事を思ったが、今更なので気にしない事にした。
「評判を聞くに、いかな老練の猛将が現れるかと思っておったが……思っていたより若い。その年で見事なものだ」
「は、有難うございまする」
「我が一族は皆が戦上手ゆえに、わたしは一族の者達に任せるばかりだ。特に景鏡などは――」
「朝倉様、申し訳ありませぬ。そろそろ本題の方に……」
いつまで経っても雑談が終わりそうに無いため長政がそう口を挟むと、少しばかり不機嫌そうにむすっとしたところで義景は再び笑みを貼り付けた。
「――あぁ、そうであったな。本題は……若狭の国吉城攻めに力添えしたい、との事だったか」
それは事前に長政が伝えていた、浅井側の要求。
国吉城攻めの助力についてだった。
「はい。近頃朝倉様の行っておられる若狭の粟屋勝久への仕置き、その陣列に我ら浅井も加えていただきたく」
「随分と殊勝な事だが……浅井にとって何の利がある?」
朝倉義景の視線が長政を射抜く。ここからが本番だった。