071_永禄七年(1564年) 夜の鷹
「やはり、目下の課題は三好だな……」
屋根を叩く激しい雨音が、今日も喧騒となって屋敷を賑わせる。
湿気に満ちた鈍重な空気は、陰鬱な空間を生み出していた。
そんな中長政は、一人部屋にこもっていた。
西近江征伐の際に現れた新たな敵、三好。
正確には丹波の内藤なのだが、実質は三好と見て良いだろう。
西近江を手に入れるには、三好と事を構える必要がある。
近畿と四国を手にし、今や京と六角家すらも傘下に置く三好と、だ。
浅井が強くなったとはいえ、今の三好と真っ向から殴り合えばただでは済まない事は明白。
だからこそ、悩ましいのだ。
現状、浅井に打てる手立ては三つ。
三好に構わず西近江を喰らい、三好と真っ向から事を構えるか。
三好が西近江から手をひくまで、黙って様子を伺うか。
或いはいっそ、西近江を諦めるか、だ。
とは言え。
「諦めるには痛すぎるよな……」
史実ではまだ、浅井の西近江攻略は始まっていないはずだ。
そのためこのまま黙っていても、いずれは西近江を手に入れられるはず。
ならばこのまま黙って見ているのも手だが、それではわざわざ大掛かりな仕込みまでして、西近江を切り取るための策を用意した事が無駄になってしまう。
観音寺騒動の際に用意した、叡山の書状。あれだってタダではない。
あの紙切れ一枚に一体いくらの金と時間をかけた事か。
それを全て仕方ない、の一言で片付けるには余りに痛すぎた。
それに、未だに三好が出張ってきた理由もはっきりとはわからない。
こちらは直経の情報待ちにはなるが、事と次第によっては何とかできるかもしれない。
諦めるにしても、せめてできる事をやり切ってからにしたいのだ。
「お呼びに預かり参上致しました」
そこへ、豪雨の喧騒と共に長政の元へ現れたのは、元甲賀の忍びである八重だった。
本来くのいちは居ないはずの甲賀で、唯一女の身でありながら忍びとして認められる凄腕の彼女は、今は長政の元で護衛を勤めている。
先日の西近江征伐では彼女の忍びとしての才能が幾度も長政を危機から救い、護衛としての存在感をしっかりと示した。
そんな彼女を呼び立てたのは他でもない。
西近江征伐を終えてから、ずっと考えていた事があるからだ。
「実はな、八重。新たに鷹の隊を組織したいと考えている」
「新たに、ですか」
蒼鷹、白鷹、熊鷹に続く第四の鷹の隊。
今回の西近江征伐で見えた幾つもの問題を解決する方法を、長政は常々考えていたのだ。
「その第四の鷹の兵、お前に任せたい」
その瞬間、普段はピクリとも動かない八重の鉄面皮が、露骨に困惑の色に染まった。
「折角のご厚意ですが……」
「まあ待て、話を聞け。聞けば何故、八重に頼みたいのかがわかるはずだ」
長政の話を即断ろうとした八重だったが、それを長政が止める。
そうして、首を傾げる八重を見やりながら続けた。
「第四の隊、名を夜鷹。これは女だけの隊にしようと考えている」
「女だけの……?」
「左様。理由は三つ。一つ、浅井お抱えの女衆が欲しい事。二つ、近江で女手が余りつつある事。三つ、直経とは別に諜報集団を抱えたい事。この三つだ」
指を一本ずつ立ててそう告げるが、いまいちピンとこないのか、八重が首を傾げて問うてくる。
「浅井家お抱えの女衆と言うのは、女中とは違うのですか?」
その問いに「ああ」と頷き、言葉を続ける。
「私が言っているのは、戦場に出る女衆の話だ」
「女を、戦場に?」
「とは言え、何も戦わせるつもりはない。先の西近江征伐、崩れた原因は敵の間者が紛れ込んだ事だ。そしてどこから紛れ込んだかと言えばーー」
「御陣女郎、ですか。だから浅井お抱えの女郎衆を組織し、外から女を連れてこなくても良いようにしたいと。二つ目もこれに連なる話、と言う訳ですか」
流石は八重だ、理解が早い。
長政は「その通りだ」と頷いた。
実は現在、賊を白鷹隊に編入する事で治安が改善した近江には、新たな問題が発生しつつあった。
それが、女の働き口が不足している問題だ。
この時代、女の働き口なんて物は畑仕事か女中仕事か、後は夜の仕事くらいしかないのだが、畑仕事は長政の農業改革によって人手が今までより不要になりつつある。
女中なんて物は大名家くらいでしか雇われないため元々働き口は多くなく、そうなると行き場を無くした女たちは身体を売るしかなくなるのだ。
しかしこの人余りの時代、そんな女はいくらでもいる。
夫を失った女、他国から売り飛ばされてきた女、家を焼かれた女、身内を亡くした女。
そんな行き場を無くした女たちが今浜や朝妻に集まり、夜の街を作り始めているのだが……これが問題なのだ。
「身請け先がないのをいい事に、阿漕な稼ぎ方をしている商人が多いらしくてな。その分の金が、女たちに流れているならまだしもーー」
「……実際は、搾取されて良いように使い捨てられている、と言う事ですね」
「そう言う事だ」
弱い者はむしり取られるのがこの時代だ。彼女たちを救うために仕事を与える、なんて良心だけで生きている者たちばかりではない。
中には女たちを使い捨てるようにして金だけ掻っ攫っていくような下衆も多く、そんな奴らに使い捨てられた女たちの最期は目も当てられないほど悲惨な物になる。
元はと言えば千歯こきや近江鍬の開発によって畑仕事の負担を減らし、働き口を潰してしまった長政の責任でもある。
だからこそ他でもない長政が、彼女たちを救うためにしっかりとした働き口を用意する必要があったのだ。
「そのための働き口が、結局女郎と言うのも皮肉な物ですね」
八重が伏し目がちに呟くが、長政は首を横に振る。
「中には今までそうやって生きてきて、それしかわからぬ者もいる。それに夜に働く女達が居なければ立ち行かなくなるのも事実。そこは否定すまい。しかし、それだけで済ませるつもりは毛頭ない」
「他にも何か?」
「左様。夜鷹隊は今のところ、三つの役割を与えようと思っている」
言いながら長政は、そばに置いていた書状を開いた。
「これは私が考えた夜鷹隊の草案だ。読んでみてくれ」
差し出された書状を開き、八重は中に目を通す。そこに記載されていたのは、夜鷹隊をさらに三つの隊に分けると言う案だった。
一つは夜鷹女郎隊。
先程長政が言ったように、男達の夜の相手をする隊だ。
普段は夜の街を営みつつ、有事の際には御陣女郎として戦地に出向く。
そのため最低限の統率が必要であり、遠征の際にはそれに従軍できる程度の能力や最低限の教養を求められる事になる。
一つは夜鷹巫女隊。
直経とは別の諜報集団というのがこの隊の事だ。
先の西近江征伐によってわかった弱点の一つに、諜報組織の脆弱さが挙げられる。
まともな諜報組織を遠藤直経しか持っていないため、彼が動けない場合に途端に情報収集が困難になるのだ。
そこでこれを解決するために隊を一つ組織する事にした。
薬を売り歩きながら各国の諜報活動を担う甲賀の忍びのように、各国を渡り歩いて情報を仕入れてもらおうと言う算段である。
この時代には歩き巫女と呼ばれる者達が居る。
祈祷や口寄せと言ったこの時代ならではの眉唾な儀式を、各国を渡り歩きながら行う者達のことだ。
彼女達は各国を渡り歩く免罪符を与えられているため、どの国でも自由に行き来できる。
甲斐の武田が組織したと言われる歩き巫女もこの特性を利用したもので、これを浅井でも組織しようと考えたのである。
これが上手く行けば、先日の内藤宗勝のように長政の知識には無い者や出来事でも情報を手に入れられるようになるはずだ。
そして最後が夜鷹鉄砲隊である。
「鉄砲隊……?」
最後の項を読んだ八重が、顔を上げる。
その八重に、長政は頷いてみせた。
「鉄砲の強みは武家でなくとも使えること。ならば女にも持たせて、戦えるようにしてやろうではないか」
鉄砲は扱い方さえ理解していれば、特別な力は要らないため女でも扱うことができる。
だからこそ武家の者達は使うのを嫌がるわけだが、それを女たちに持たせようと言う算段らしかった。
「それに戦闘以外にも、普段は鉄砲の製造……特に、早合の製造に携わってもらうつもりだ。早合は数が要るが、作るのに手間がかかり過ぎるからな」
早合とは、この頃普及し始めていた鉄砲弾装填のための技術だ。
小さい竹の筒に必要量の火薬と鉛の弾を予め入れておくことで、火薬の量を測る手間を無くし、装填の際にはそれらを纏めて入れるだけで済むと言う優れ物だ。
一般には約一分ほどかかる鉄砲の装填も、この早合を使えば半分以下になると言われていた。
しかし問題点として、作る事に手間がかかりすぎることが挙げられる。
いくら便利でも数を揃えられなければ意味がない。
長政はその早合を量産するため、女たちを使おうと言うのである。
「なるほど、いくつかの働き口を用意し、それぞれの向き不向きに合わせて配する、と言う訳ですか」
「ああ。気に入らぬなら他にも方法を考えれば良いしな。ただ、浅井家の内情を知る事になる以上、生活は保障するが気軽に辞めさせるわけにはいかなくなる」
「……ちゃんと生きていけるだけの生活が保証されるなら、辞めたがる者は少ないでしょう。私はこれで良いと思います。後は実際にやってみなければわかりませんが」
八重の言葉に「相分かった」と返事する。
長政より余程百姓達の暮らしを知っているだろう八重が言うのだから、とりあえずは大丈夫そうだ。
「して、この夜鷹隊を八重に任せたいと言う話なのだが……」
「……ですが、私がそちらを持つ事になると、新九郎様の身の回りのお世話と護衛は一体誰が」
「そこなんだよなぁ……」
途端に口調が崩れて、大きなため息を一つついた。
結局は人手不足に帰結する。
これら夜鷹隊を八重が見る事になれば、彼女は長政の護衛を常に行うことができなくなってしまう。
それが致命的だった。
直経を護衛に戻しても良いが、既に直経には腹心としての別の仕事が増え始めているし、ゆくゆくは領地も任せたい。
そうなるとここで長政の護衛と言う仕事を増やすのは、少々負担が大きすぎるのだ。
もう一人、他に誰かいないものかと悩むが、思いつく相手も特にいない。
かと言ってこの夜鷹隊、結成を遅らせれば遅らせただけその皺寄せは市井の女たちに行く事になる。
なんとも悩ましいところだった。
「……では、こうしましょう」
そこへ、少しばかり何かを考えていた八重が口を開く。
「隊を三つではなく、四つに分けます。四つ目は夜鷹女中隊とでも呼びましょう。ここに特に手練れな者たちを置き、新九郎様や姫様の周りに奉仕させるのです」
八重の言葉に、なるほど、と頷く。
要は今、浅井家に出仕している女中たちを全て手練れの忍びと入れ替えてしてしまおうと言う魂胆だ。
それならば確かに、八重が常に長政の傍に仕える必要はない。
「人手が揃うまではこれまで通り、私が新九郎様のお傍に仕えますが、裏で人選びを進めておきます。そうしてある程度のところで護衛を任せる形にしようかと」
「なるほどな。それならば八重も他の隊を組織できるか。何なら、その女中隊から他三隊の頭を任せても良いだろうしな」
長政の言葉に八重は頷き返した。
「よし、それで行こう。まずは五、六人ほど人探しを頼まれてほしい。人選は任せる、使えそうな女ならどこからでも引き抜いてこい。俺の口が効く相手なら何とかしてやる」
「承知いたしました」
「次の西近江征伐、その時には夜鷹を使うつもりだ。それまでにある程度見れるように頼むぞ」
「はっ」
そうして八重は雨音と共に、長政の前から消え失せた。
第四の鷹の兵、夜鷹隊。
その効力がいかほどになるのか、今の長政には当然知る由もないのだった。