表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/84

007_永禄三年(1560年) 野村直隆と言う男

 ――ダァーン!


 耳をつんざくけたたましい轟音と共に全身へ衝撃が走り、驚きのあまり目を閉じてしまう。


 直後にバカン! と木の砕ける音が鳴り響き、離れた場所に置かれていた木の的が粉々に砕け、「お見事!」と後ろから声がかけられた。


「いやはや初めてとは思えぬお手前。野良田での快勝と言い、殿の武勇はとどまるところを知りませぬな!」


 長政にそんな言葉をかける男が小谷の浅井屋敷を訪ねてきたのは、その日の午後のことだった。


 機嫌よくおだてるその男に苦笑しながら手に持った鉄の筒……鉄砲を手渡した長政は口を開く。


「いや、六角に勝てたのは他ならぬみなのお蔭。私は何もしておらんよ」


 謙遜ではなく偽らざる本心だったのだが、鉄砲を受け取ったその男は長政の言葉を聞くなり途端に目を血走らせてまくし立てた。


「何を申されるか! 初陣で六角めに、それも三倍の兵力差を覆しての快勝! これを殿の手柄と言わずして何と申されるのか!」


「いや、それは――」


「それだけには非ず、御自おんみずか戦場いくさばに立たれ、六角兵を次々討ち取ったとか! この藤左衛門とうざえもん、殿の雄姿をこの目に刻むこと叶わずどれだけ悔しい思いをしたことか……!」


 地面に膝を付けたままドンと地面を殴りつけ、心底悔しそうに顔を歪めるその男。


 少々引き気味に、表情引きつる長政を他所に声を上げるその男の名を、野村のむら直隆なおたかと言った。


 長政より一回り年上の、それでもまだ若々しく青臭さのある顔立ちをしたこの男は、言動からもわかる通り激情家のようだった。


 もしこれが演技ならばもはや芸術だと言いたくなるほど、それはそれは悔しそうに彼は歯を食いしばっている。


 それだけ野良田の戦いに参戦できなかったことが悔しかったらしい。


「もし我が国友くにともがもう少し南にあったなら……いやせめて! せめてもう少し、兵を出せるだけの余力があったならば、必ずや殿のもとへせ参じたと言うのに……!」


 恨めしそうに悔やむ言葉通り、野村のむら直隆なおたかが守るのは国友村という村にある、国友城という城だ。


 国友城は北近江の中では南寄りの位置にあるが、それでも野良田の地からは遠く、今回の戦では浅井の本拠地である小谷を守るために備えとして残されていたのだが……どうやらそれが心底不服だったようだ。


 上司の長政にそれを愚痴るのもどうかという話ではあるが、実はこの時代は長政が思っていたほど主人と家臣の間に厳しい上下関係がある訳ではない。


 ましてや元は、京極家に仕える家臣或いは国衆と言う立場で同僚のような間柄だったのだから、今の野村家にとって浅井家は多少強いご近所さんという程度の認識だろう。


 そう考えると完全な上下の序列体制を築き上げ、絶対的な支配権を有し、有無を言わさず家臣らを従わせた織田信長という男の異質さが浮き彫りになっていく。


 現代にいたころにはわからなかった織田信長という男の異才さが、この時代に来てからというもの更に際立っていくのだ。


 とはいえ野村直隆をこの場に招いたのは、彼の愚痴を聞くためでも信長という男の恐ろしさを再確認するためでもないため、早速長政は本題を切り出すことにした。


「そう、その国友について……鉄砲について話をしたくて今日はそなたを呼んだのだ」


「鉄砲について……にございますか?」


 長政の言葉をオウム返ししながら、彼は不思議そうに首を傾げた。


 浅井家が滅亡した後、織田信長が躍進する日本ひのもとにおいて、凶悪無比なまでに猛威を振るった武器がある。

 それこそ野村直隆が手土産に長政に献上し、そして先ほど長政が試し打ちした鉄砲である。


 現代兵器の代表ともいうべき鉄砲、その先駆けとなった火縄銃は戦国時代に日本へ伝来するなり瞬く間に各地へと広まった。


 かつては信長が長篠ながしのの戦で運用したのが日本で初めて鉄砲が使われた瞬間だと言われていたが、今ではそれが誤りであり、実際は鉄砲が伝来してからすぐに各地で使用されていたということが通説になっている。


 しかし、戦国時代の日本は諸外国と比べても有数の鉄砲大国だったことはあまり知られていない。


 日本をそんな鉄砲の国に押し上げた立役者こそ、他ならぬ国友村なのである。


「これからの時代、この鉄砲こそが戦を変えると私は考えている。そして国友こそが、その鉄砲生産の要、ひいては浅井家の力となるとな」


「我が国友が浅井の?」


「左様。我らが近江から、天下に羽ばたくためには必ず必要になる物だ。ならば今から鉄砲の生産に力を入れたいのだ」


 鉄砲の伝来と共に将軍家から鉄砲作成の依頼を受けたこともある国友村は、史実では浅井家の滅亡と共にこの地を手に入れた織田信長によって、経済支援を受けて発展していった歴史がある。


 この時代最大の鉄砲市場と言えばさかいと言う商人たちの街だが、その堺と並んで鉄砲生産のかなめになった地こそ、他ならぬ国友村なのだ。


 後の江戸時代末期まで国友村では鉄砲の生産が行われていたというのだから、主力が鉄砲に移りつつある戦国時代において、この国友という地がどれほど重要かは言うまでもない。


「無論、タダとは言わぬ。鉄砲生産に必要なだけの金を浅井が用意し、国友の発展を手助けする。それ故どうか、国友を治める野村殿には是非ともこの長政に力をお貸し頂きたいのだ」


 これからの時代における鉄砲の重要性、それが浅井にとってどれだけの力になるのか、そしてそれらを手にする野村直隆という存在が長政にとってどれだけ重要なのかをとうとうと語り、その上で包み隠さず本心をさらけ出す。


 長政にとって、彼の協力を得ることはこれから生き残るために必要なことなのである。


 そんな長政の言葉を、野村直隆は静かに聞いていた。

 そして少しの間をあけて、何かを決心したように一度大きく頷いたのだった。


「殿のおっしゃりたい事はよくわかり申した」


「そうか、ならば――!」


「しかし……いえ、だからこそ。それがしはその申し出をお受けする訳には参りませぬ」


 野村直隆のはっきりとした拒絶の言葉。長政は思わず、声を荒げてしまう。


「何故だ直隆!」


 しかし野村直隆は、先ほどまでの激情家な一面からは想像できないほど静かに、しっかりとした口調で答える。


「確かに殿の申されるように鉄砲は強力な武器で御座います。しかし、鉄砲を揃えるには余りに金がかかりまする。鉄砲一丁を揃える金で、槍や刀が四十は買えましょう。その上、鉄砲は火薬や弾薬も必要にござる。それらを買い揃える金があれば鎧や馬を買えましょう」


 野村直隆の言う通り、この時代の鉄砲は非常に高価だ。長篠の戦いで鉄砲を大量運用した信長が注目されたのは、それだけ大量の鉄砲を一度に投入できた大名が他に居なかった事が理由に挙げられる。


 そんな鉄砲を百丁揃える金で、一体どれだけの軍備が整うと言うのか。


「どんな名刀も、一本だけでは戦には勝てませぬ。例え竹やりでも、一万本もあれば戦に勝てまする。ならばそれがしは、例えこの先のためだとしても、それは今成すべきではないとお諫めするが務めにござる」


 はっきりとそう言い切った野村直隆の姿に長政は思わず圧倒される。


 野村直隆の言う通り、戦いは数であり数を揃えるためには武器が必要だ。鉄砲を百丁揃えるより、その金で槍や刀を四千揃えた方が圧倒的な力になる。


 鉄砲がいくら強力とは言え、一丁で敵を何十人も倒せるような万能武器ではないのだから。


 鉄砲は、ただ揃えるだけでは全く意味がない。

 鉄砲をよく知る野村直隆だからこその忠言と言えるだろう。


「左様か。そなたのような忠臣が私に仕え、その上で忠言をしてくれる事を嬉しく思う」


「ならば」


「だからこそ、そなたには誤解無く承知してもらう必要があるな――鉄砲を貸してくれ」


「? はっ!」


 長政の言葉に、直隆は困惑しながらも既に弾込めを終えた鉄砲を手渡した。

 それを受け取り、うむと頷いて構えなおした長政は――あろうことか、その銃口を野村直隆へ向けたのだ。


「と、殿!?」


 動きが止まる直隆。そして次の瞬間――


「はっはっは! 戯れだ、許せ!」


 長政は大笑いしながら、その銃口を野村直隆から外した。

 その姿に、野村直隆は顔面蒼白、冷や汗を流しながら震える唇で言葉を発した。


「し、しんぞうが止まるかと……! てっきりそれがしは、無礼討ちされるものかと肝が冷えましたぞ!」


「はっはっは! すまぬ直隆。しかし、肝が冷える。まさにそれよ」


「は……?」


「鉄砲の恐ろしさを知る者は、これが向けられるという事が首元に刀を当てられる事と同じだと知っている。あの轟雷のような爆音が鳴れば、人が死ぬ事を知っている」


 再び鉄砲を、今度は遠くに掲げられた木の的に向かって構え直す。


「……一度その恐怖を知れば、人は銃口こやつを向けられただけで迷いが生まれる。その迷いが戦場では命取りよ。迷って足を止めた瞬間――」


 ――ダァーン!

 直後、再び鉄砲の引き金を引いた。


「――それに、鉄砲の強みは何よりこの手軽さよ。弓や刀と違って武芸に秀でておらぬ百姓でも扱える」


 銃口を正面に向けたまま告げる長政。


「弓の扱いは慣れるのに一年は必要だが、鉄砲は一日あれば撃てるようになる。昨日鉄砲を持ったばかりの百姓が、今日は敵の大将を殺す」


 そうしてゆっくりと鉄砲を下ろした長政は、直隆に向き直ると続けた。


「いや、男だけではない。女が、子供が、老人が敵を殺す。そんな鉄砲が、横一列に一千も並んでみろ。戦の在り様が変わるぞ、直隆」


 燦然さんぜんと並ぶ一千の鉄砲。

 降り注ぐ鉄の雨は鎧を打ち砕き、刀や槍が届く間も無く兵が次々とたおれて行く。


 さながらそれは、畏怖の象徴。誰もがそれを目撃した時、次の瞬間には戦うことを諦めるのだろう。


 刀や弓では到底成し得ない、圧倒的なまでの制圧火力。それがこの鉄砲の持つ力だというのだ。


 余りの壮大さに、野村直隆は言葉を失う。鉄砲を直接扱う直隆ですらそんなことは想像したことがなかったのだ。

 しかし、もしそれが実現すれば――


「殿は……時代を変えようとされておられるのか」


 生唾を飲み込んだ野村直隆は、乾いた唇でそう告げた。

 しかし、長政は静かに首を横に振る。


「否、私が時代を変えるのではない。時代が自ずから変わるのよ。私がやらずとも誰かが変える。その誰かが天下に覇を唱え、この乱世を終わらせる。――ならばその覇道、我ら浅井が歩みたいとは思わぬか?」


「……我らが、覇道を?」


「左様。その覇道を歩む様、そなたも刮目するがいい。金に関しては何とかしよう。これからの私のやり様を見て、それでもなお意見が変わらぬならば仕方あるまい。だがもし心が変わるときが来れば――」


 それ以上、長政は言葉を紡ぐことなく、静かに鉄砲を野村直隆へ手渡したのだった。

 しかし手ごたえはあった。何故ならその鉄砲を受け取った野村直隆の瞳には、ある種の決意の色が浮かんでいたのだから。


 ――余りに無名なため長政は知らない事だったが、この野村直隆、史実では浅井四翼と呼ばれた浅井家の猛将の一人である。


 織田との戦いで横山城を、そして国友城を守り抜き、国衆が、家臣が、そして身内までもが裏切った浅井軍の中で最後まで浅井のために戦い抜いた忠義の将だ。


 長政は図らずも、そんな野村直隆を口説き落とす事に成功した。

 それは未来を変えるために必要な、重要な一歩となるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ