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067_永禄七年(1564年) 無名の勇

 翌日。当初の予定通り休息を終えた浅井軍は再び進軍を開始、西近江の地を進んだ。


 休息を挟んだおかげか兵の足取りは軽く、ここからしばらくは味方である田屋明政の領地と言うこともあってか進軍は思いの外順調だ。


 これまでの鈍重さが嘘のように、浅井軍は昼前には田屋城へ到着。そこから長政の率いる本隊と、政元の率いる別働隊に部隊を再編して出撃し、長政は今津城を目指して南下した。


 そうして長政が今津城までたどり着いたのは、その日の夕暮れ前の事だった。


 石田川と呼ばれる川を挟んだ南に見える今津城は、淡海のそばに築かれた平城だった。


 戦うための城と言うよりは港としての機能面が強く、守って援軍を待つような造りの城だ。


「向こうは何と?」


「家中の者らと相談するため、一日欲しいと」


 今津城を守る山中秀国へ、降伏を促す使者を先行させていた長政は、その使者の答えを聞いて唸った。


「どう見る、継潤」


「我らが来ることはとうに分かっていたはず。となれば時間稼ぎでしょう。問題は、何を狙っているかですが……私にはなんとも」


「左様か」


 短い受け答えで長政は継潤と考えが一致している事を確認して再び唸る。恐らく敵方の山中秀国は、何かしら隠し手を用意しているようだ。


「敵はどう出ると見るか」


「降伏して開城、と言う線はなさそうですな。将軍家の威光を傘に着て、佐々木家の直系である事を誇りに思っているような者らですから、名に傷を付けるのは好みますまい」


「ならば逃げると言う線も消えるか。打って出てくる可能性は?」


「例え名誉のためでも死ぬ事まではしないかと。やはりここは籠城でしょうな」


「……時間稼ぎか。我らの兵糧切れを狙っているのか? 淡海を伝って船を使える限り、北近江からの輸送は止まらぬ事くらいわかりそうなものだが」


「あと考えられるのは……援軍くらいでしょうな」


「……六角はどうしている?」


 傍で控える八重に視線を向けると、八重は静かに首を横に振る。六角には動きがない、と言う事なのだろう。


 となれば六角からの援軍を待っている線も消える。そうなってくると援軍と共に反撃するという勝ち筋も消えるため、いよいよ籠城したところで勝ち目があるとは思えない。


 そんな、到底勝ち目のない戦いでわざわざ籠城を選ぶ理由とは何か。


「本当に家中の意見を聞いているだけ、とも取れますな」


 辺りの警戒を行うために蒼鷹隊ともども本陣から離れている藤堂虎高に代わって、長政のいる本陣を守る野村直隆がそう言う。


「……政元の方はいつ頃に伊井城へ着くと言っていたか」


「あちらは山城、速くても夕刻過ぎと田屋殿は仰っておりましたな。別動隊が伊井城を攻めている事を知らぬゆえ、伊井城からの援軍を待って籠城しているとも取れますが」


 別働隊が向かう西の方角に視線を向ける。丁度夕日が落ちていくところで、山々の影がくっきりと見えた。


「伊井城が囲まれている事がわかれば降伏してくるか……とりあえず、明日まで待つ。政元の方と足並みをそろえて、それでも城を開けぬようであれば城攻めを始める。陣を布いて敵に備えろ。但し川は越えるな、いざという時に退けなくなるからな」


 長政の言葉に各々返事をして去っていく。


 動きが見えない今津城城主、山中秀国の真意がわかったのは、その日の夜の事だった――


◆――


 誰もが寝静まる深夜。浅井の陣で突然爆発音が鳴り響いた。

 甲冑姿で座ったまま、本陣で寝入っていた長政はその衝撃に叩き起こされた。


「何事だ!?」


「わかりません、敵の奇襲やもしれませんお下がり下さい」


 ずっと寝ずの番をしていたのだろう八重が、すぐさま長政をかばうように立つ。そうして彼女が辺りの警戒を始めてすぐに、バタバタと複数人の足音が聞こえ、長政の陣へと駆け込んでくる者達が居た。


「御無事でござるか!」


 他でもない藤堂虎高と蒼鷹隊だ。敵の刺客かと力が入っていた八重の力がふっと抜ける。


「無事だ。それより何が起きた?」


 長政は問うが、虎高は首を横に振るばかり。

 無理もない、爆発が起きてからさっきの今で長政の元へ駆けつけたのだ。今はむしろその素早さを褒めたたえるべきだろう。


「わかった。八重、頼めるか?」


「はい。すぐに戻ります」


 短い言葉で誤解無く長政の意図を察した八重は、瞬く間に闇夜の中へ溶けて消える。


 虎高が現れたお蔭で長政の護衛を任せられるようになった八重を、周囲の偵察のために放ったのである。


 それから、長いような短いような時間が流れる。爆発した場所が炎上しているのか、遠くの空は赤く燃えてあちこちで雑兵達の怒声が響く。


 深夜とは思えないほどにバタバタと騒がしく、遠く聞こえる彼らの声は戦っているようにも、怯えているようにも、怒っているようにも聞こえる。


 こうしている間にも敵が攻めてきているのではないか。味方は長政の安否が不明なせいで統率が崩壊しているのではないか。そんな不安ばかりがよぎっていく。


 下手に動くわけにもいかず、そうしてじりじりと、虎高が連れていた蒼鷹隊の数名に周囲の警護をさせながら長政はただただ沈黙を続けた。


 そして、その時が訪れた。


「報告致します。明日の城攻めのために備えていた火薬から火の手が上がったと、野村隊から知らせが。敵の奇襲やもしれません」


 音もなく現れたのは八重。彼女曰く、先ほどの爆発音は保管していた火薬が発火したとの事らしい。


 ――事故か?


 そんな考えが一瞬よぎるが、ありえないと首を振る。


 火薬を管理していたのは浅井軍の中でも最も鉄砲に精通する国友城城主、野村直隆だ。彼がそんなずさんな管理をするとは到底思えない。


 となれば、敵の間者が忍び込んで火を放ったと考えるべきだろう。


「万が一の事が考えられます、殿は一度、田屋城までお退きください」


 知らせを聞いた藤堂虎高がそう告げる。


 確かに、敵地で危機に陥ったなら撤退するのが鉄則だ。


 地の利が敵にある状態で下手に留まれば、それこそ桶狭間の戦いでの今川家がそうだったように、大将首だけでなく家臣重臣のことごとくが討ち取られ、お家の再興すらままならなくなってしまう。


 しかし、長政は首を横に振って立ち上がった。


「たわけ、私が退いたらそのまま総崩れだろうが。それに、この騒動の糸を引くのが田屋殿だったなら、それこそ私は袋のネズミ。退いたところで、そこにあるのは結局罠よ」


 長政の言葉に虎高が答えようと口を開いた瞬間、遠くからバタバタと複数人が、長政の元へ駆け込んでくる足音がした。


 八重と虎高はすぐさま武器を手に取り、長政も腰の刀を引き抜くと、次の瞬間には足音の主が顔を見せた。


「ご報告! 西方より何者かの部隊が接近! 宮部殿より救援の要請が届いております!」


 足軽がそう叫ぶ。西と言えば政元が攻めている伊井城の方角だ。まさか、伊井城の敵が攻めてきたというのだろうか。


「虎高、蒼鷹隊をすぐに集めろ。継潤の援軍に向かうぞ」


 いずれにせよ、今は宮部継潤の隊の援護をすることが先決だ。もし本当に敵が攻めてきたならばここで横腹を晒すのは余りに痛恨。


 野村隊は恐らく消火活動に駆られているし、浅見を始めとした北近江の国衆やその他西近江の者達は、この混乱で右往左往している事だろう。


 それを裏付けるかのように、先ほどから聞こえていた雑兵達の怒声がどんどん騒がしくなっている。


 政元の手には余ると思って国衆の多くをこちらの部隊に合流させたのが裏目に出た。


 顔もろくに知らない者達が大量に編入されたことで警備が薄くなり、不意打ちされただけでてんやわんやとなる脆い軍勢になってしまったと言うわけだ。


 その上、敵地での野営を何度も行った。潜入するにはこれほど楽な仕事も無かった事だろう。


 もしかしたらこの騒動の中で、間者が偽報ぎほうをばらまいて混乱を大きくしている可能性も考えられる。


「敵の罠やもしれませぬ。本隊を西に引き付けて、城から打って出て挟みうちにするという可能性も考えられます」


 長政の言葉にすぐさま八重が答えたが、長政は気にせず続ける。


「だとしてもだ。どの道私がここに居ては、蒼鷹隊も満足に戦えまい。野村隊へ伝令、引き続き消化活動を続けるよう伝えろ」


 長政の言葉に先ほど駆けてきた足軽が「ははっ!」と返事すると、再び陣を後にする。


 それを見送ってすぐに、長政は本隊を再編。

 蒼鷹隊を中心に百名余りの者達をかき集めて、とりあえずは見れる形を整えた。


 幸いなのは蒼鷹隊は専用の鎧で身を固めているため、混乱の中でも味方である保証がある事だ。


 この鎧を盗むには精強な蒼鷹の兵を暗殺でもして奪うしか無いが、それができるような手練れならば初めから長政の首を狙う事だろう。


 早速陣を出ると、そこは混沌とも言うべき混乱の渦中にあった。


「火が兵糧に回ってるぞ!」


「敵だ! 敵が来た!」


「総崩れだ! 逃げろ!」


 あちこちで雑兵達が騒ぎ立て、火の手が回る。一体何が起きているのかさっぱりわからないが、長政だけでなく誰もが状況を把握できていないのだろう。


 普通ならばこの混乱を治める手段はなく、不意打ちを受ける前に撤退するのが利口なのだろうが――


「虎高」


「はっ」


 ――浅井は、それほどヤワ・・ではない。


 長政が声をかければ、すぐさま虎高が手の者に指示を飛ばす。そしてすぐさま、聞きなれた甲高い竹笛の音が辺りに鳴り響いた。

 その瞬間、辺りにピリッとした空気が張り詰める。


「全隊ーッ! 整列!」


 虎高が叫ぶと、先ほどまで騒ぎ立てていた雑兵達の中から続々と、蒼染めの服装をした蒼鷹隊の者達が現れて次々に虎高の前へ整列していく。


 まるで先ほどまで混乱の中に居たとは思えないほどに鋭く、素早く隊列を組み終わった彼らの姿に、周りの雑兵らだけでなく長政までもが舌を巻いた。


 この辺りは流石は蒼鷹隊だ。

 精鋭である事はわかっていたが、こんな混乱の渦中でもそれが揺るがない。


 南宮山の戦い前から編成を始めた蒼鷹隊だったが、ついにここまでの練度に到達したかと目を見張る。


 騒ぎ立てていた雑兵達ですらも彼らのその光景に圧倒されて騒ぎが収まり、あっという間に虎高と長政の前には数百人ほどの蒼鷹隊の整列が完了した。


「聞け! これより我らは殿の指揮下にて西方の敵に当たる! 情けない戦いを見せるな、我ら蒼鷹の力を見せよ!」


『オオーッ!』


 蒼鷹隊に巻き込まれるような形で、先ほどまで右往左往していた雑兵達もわらわらと長政らの前に整列し始める。


 火薬の保管されていた北方で火の手が上がって夜空が赤く染まっているが、その事に慌てる者達の姿はもうこの場には無かった。


「八重、この騒ぎの仕掛け人を少し調べてくれ」


「はっ、承知しました」


 長政の安全が蒼鷹隊と虎高によって確保されたことで、再び八重の動きが自由になる。八重はすぐさまこの騒動について調べるために、再び闇の中へと消え去った。


 そのままあちこちで混乱する雑兵らをしり目に長政が蒼鷹隊を率いて西進していると、その姿を見た雑兵らも続々と長政の元へ集結して、すぐさま一千を超える部隊となった。


 その一千を率いて進めば、闇に紛れて小規模な戦闘の音が聞こえ始める。仄かな明かりを頼りに目を凝らせば、何者かと浅井の兵が戦闘しているようだ。


 おそらく片方は宮部隊だろう。


 このまま突っ込めば、いつぞやに磯野員昌がそうなったように同士討ちの恐れがある。かといって浅井の旗を掲げたところでこの暗がりでは見えないだろう。ならば、やることは一つだった。


 長政は大きく息を吸い込むなり、突然大声で叫んだ。


「やぁらいでかァァァァァァァッッッ!!!」


 長政の常人離れした大声に、戦っていた雑兵達の動きが止まる。しかし普段から聞きなれている蒼鷹隊だけが止まることなく進軍を続けた。


「えい、えい!」


『オオーッ!!』


「えい、えい!」


『オオーッ!』


 味方すら驚愕するときの声を上げて、蒼鷹隊はすぐさま戦闘の起きている区域へ介入、鉄の盾と槍を持って敵に当たる。


 流石ともいうべきか、宮部継潤はこの事態にすぐに理解が及んだのか、同士討ちを避けるために瞬く間に部隊を退げて道を開けた。


 そうして残された謎の部隊に対して、更に鬨の声を上げて進軍を続けると、相手は怯んだのか途端に浮き足立ち始めた。


「殿、どうやら敵は退くようです」


 蒼鷹隊の物見から知らせを受けた虎高がそう告げた。


「退いた? 一体どこに」


「南に向かったことは確かなようですが。追いますか?」


 その言葉に少しばかり思案するが、すぐに首を横に振る。


「いや、味方が浮き足立っている今、待ち伏せでもされては敵わん。口惜しいが、今は陣を整える事を優先せよ」


 長政がそう告げると、「ハッ!」と返事をして虎高はすぐさま指示を飛ばしたのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 熊鷹とは何でした?
[一言] 相変わらず常備兵とはいえ練度が高いな。 常に訓練でなく普通の活動もメインにこなしながらと考えると数年くらいで一般の農民出身が多い兵士をこのレベルに仕上げるのはチートならではなのかな。
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