063_永禄七年(1564年) 西近江征伐1
近江を得るものは天下を制す。
近江の地は古来より、要所としてあらゆる騒乱の中心にあった。
それは現代からでも、千三百に及ぶ城郭の数々と天下の行く末を決めた大きな戦いの跡地が、いずれも近江近辺にある事からもうかがえる。
その理由の一つに、戦国期に人々が利用した大道、五畿七道と呼ばれる道が関係する。
その名の通り、畿内五国と日本中に伸びる七つの道を指す言葉であるが、この七つの道は戦国期には数少ない整備された大道で、近江にはそのうちの三つが連なっているのだ。
一つは近江から美濃へ抜ける東山道。
これはかつて長政が美濃へ出兵する際に利用した道で、斉藤との戦いの舞台となった事は記憶に新しい。
美濃と近江を繋ぐ重要な幹線道である。
一つは南近江から近江の南にある伊勢、そして尾張へと抜けて駿河、関東へと至る東海道。
今川義元を称える『海道一の弓取り』とは、この東海道の事。
この道に連なる領地の中で一番の武士と言う意味だ。
この事からも、今川義元がけして公家崩れの平和ボケした大名ではなかった事が窺える。
そして最後が、近江から北、日本海沿いに越前へと抜ける北陸道である。
越前、加賀、越中に越後と日本海側に連なる雪国へ向かう際、この北陸道は雪道の中を唯一まともに通れる幹線道だ。
陸路で日本の東西を跨ぐ際、このいずれかの道を必ず通ることになる。
そのためそれら全てににらみを利かせる近江の地が、いかに地理的に重要な土地であるかは言うまでもない。
陸路・水路共に戦術的価値を有し、更には石高も高い肥沃な土地、それがこの近江なのである。
そんな近江の半分、北近江を治める長政は、春を迎えると田植えもろくに待たず、すぐに小谷から出陣した。
率いるは藤堂虎高を筆頭とする蒼鷹隊一千と、野村直隆を筆頭とする角鷹隊五百。
更には長政が直接、白鷹隊一千を率いる陣容だ。
総勢二千五百。田植え前に動かせる兵の数としては異様とも言える数だった。
それだけの兵を率いて目指すのは西近江、今津の地。
今津城の引き渡しを未だ拒否し続ける山中氏の討伐を行う目的だ。
彼らと共に上坂氏や宮部継潤らを始めとした、各国人勢力総勢二千も次々に合流する手筈となっている。
どの国衆も田植えができない事を懸念していたが、近頃の北近江の田植え模様は以前と比べると様相が変わってきている。
この一千五百の兵もまた、長政の農業改革によって動かせるようになった農兵なのであった。
因みに今回長政は、自身が不在の間に小谷を守れるように腹心を多数小谷に残してきている。
白鷹隊を率いる立場である浅井政澄が不在なのはそれが理由だ。
そのため長政にあまり近くない家臣や国衆の多い、見慣れぬ者ばかりの陣触れとなった。
そんな中、鎧姿の似合わない若い将が馬に揺られながら、本陣の護衛達の中に居た。
「新八郎、気分はどうだ? 緊張しているか」
長政がその少年に、かっぽかっぽと馬に揺られながら声をかけると、新八郎こと長政の実弟、浅井政元は青白い顔をして言う。
「す、少し、緊張しています……」
まだ朝は肌寒く雪も残る初春だと言うのに、額から汗を流しているのは恐らく暑さが理由ではないだろう。
普段の歳不相応にやけに大人びた印象がある政元も、そうしていると年頃の少年らしく見える。
「しょうがねえよ、若は初陣なんだからさ。ま、俺に任せーーいってえ!!」
「言葉遣いを改めなさいと、あれほど言ったでしょう」
「だからって師匠、殴らなくても!」
「手を出さないとわからないでしょう、あなたは」
続けて聞こえたのは、二人の馬を引く田中吉政と八重の声だった。
田中吉政は今回が初陣となる政元の護衛として。八重は長政の護衛として。それぞれ傍に仕える形となる。
「とにかく、俺が色々教えてやーー教えて、さしあげます!」
スッと構えられた手刀に、田中吉政は青い顔をしてすぐさま言葉を改めた。
あれの痛さは長政もよく知っている。観音寺城にいた頃、あれに何度も痛めつけられながら体術を学んだものだ。
観音寺城での一件以来、田中吉政は八重に武術を教わっていた。
八重に二度負けた事で偏見が無くなったのか、八重の武術を瞬く間に吸収して成長しているのだとか。
元々気さくな性格をしているお蔭か、八重だけでなく他の者達にも様々な事を教えてもらっているらしい。
政元同様、将来が楽しみな家臣である。
「吉政、新八郎のことくれぐれもよろしく頼むぞ」
「承知! 殿の期待に応えるため、この吉政、粉骨砕身で働く所存!」
一体どこで覚えてきたのか吉政は調子良くそんなことを言うが、今はその調子の良さが心強い。
歳の近い政元も、彼になら何かと相談できるのではないだろうか。
「新八郎、くれぐれも無理はするなよ。初陣で張り切りすぎて討死したもの達の話もよく聞く。まずは生きて帰ること、それが先決だ」
政元はその言葉に「肝に銘じます」としっかりと答えたのだった。
「しかし、良かったですね若。殿が若の初陣を忘れてるんじゃないかってずっと不安そうでしたからね」
顔を引き締める政元の緊張をほぐすためか、そんな事を吉政が言う。
どうやら政元は初陣を迎えられないでいることを気にしていたようだった。
「弟の初陣を私が忘れるわけがないだろう。丁度いい戦が無く、間伸びしてしまっただけだ」
当然嘘である。
元服後はすぐに初陣を迎えるのが慣わしのこの時代に長政はすっかり政元の初陣を忘れ、今日の今日まで先延ばしにされていただけである。
「母上も心配されていたようですが、これで安心させられます」
政元がそう言うが、長政の背中には嫌な汗が流れる。
その母に、つい先日「新八郎の初陣についてですが……」と直談判され、「あ」と間抜けな声を上げたのは二人の内緒だ。
憧れの兄に初陣を忘れられていた、そんなことがわかれば政元が傷つくだろうと言う、母の優しくも残酷な配慮からだった。
「武家の男子にとって、初陣はとても重要です。ゲン担ぎのために必ず勝利でなければなりませんし、手柄も挙げられれば御の字。ですからこたびの遠征をお選びになったのでしょう」
八重が滑らかにそう答えて政元と吉政の二人は成程と頷いているが、なんてことはない。たまたま都合よく手頃な戦があっただけの事だ。
この事は墓まで持っていこうと胸に誓う長政なのであった。
そうして小谷から北上すると、浅井家の領地である浅井郡の先、伊香郡と呼ばれる土地に出た。
ここで一旦、浅井軍は進軍を止める。とある人物の合流を待つためだ。
その人物とは、伊香の地を治める浅井家家臣の一人、阿閉貞征である。
「阿閉淡路守貞征、只今参陣致しました」
四百ほどの兵と共に参陣したその男の顔には、深い皺が刻まれていた。
齢四、五十ほどに見えるが、この時代の人々は生活習慣や過労のせいか、実年齢から十年分ほど老けて見えるため実際は三十ほどだろう。
言葉とは裏腹に睨むような視線を長政に向ける彼は、これまで長政と同じ戦場に立つ事がなかったため、若造にしか見えない長政を値踏みしているのかもしれない。
彼は浅井家家臣団の中では数少ない、長政の父、浅井久政を支持する者の一人だ。
彼の治める伊香郡は朝倉家の治める越前と、六角の支配が及ぶ西近江、そして浅井家の治める浅井郡のちょうど境にある。
そのためこの三者の間で戦いが起きれば、真っ先に巻き込まれる土地だ。
現に今回の西近江征伐でも、真っ先に出兵の白羽の矢が立っている事がそれを証明している。
そんな事情もあり、六角と事を構えずに穏健策をとった久政を支持し、六角と事を構えた長政を疎んじているのだろう。
長政からすれば勝手に家臣に持ちあげられ、なし崩しで六角と戦う羽目になったため逆恨みも良いところ。
しかし世間から見ると長政は積極的に六角と対立しており、父の久政と不仲であるように見えるらしい。
情報の伝達が口頭か書状かでしか行われないこの時代だからこそ、近くに住まう者同士でも誤解が起こるのが日常茶飯事と言うわけだ。
かと言って逐一それを訂正する意味もないため、彼の反抗的な態度を特に指摘することなく、長政は「大儀である」とだけ口にした。
そんな長政に「はっ」と答えた阿閉貞征は、その後に視線を横に逸らして顔をしかめると、「ところで、無礼を承知で申し上げますが――」と言葉を続けた。
「陣中になぜ女子がおるのか存じませぬが、陣中に女子を入れるのはご法度であること、殿もご存じのはず。その上それが、元は六角の忍びとは。余り誉められた事ではありませぬな」
彼が言っているのは八重の事だろう。
今回の出兵では、甲賀の忍びである八重が遠藤直経の代わりに長政の護衛として傍に付く。
そのことが気に入らないと言いたげだ。
とは言え八重は、元々六角家に仕えていたのだから彼が苦い顔をするのも仕方ない。
そもそも今回の出陣に際し、八重を連れていく事を快く思わない者も多く、あの腹心の藤堂虎高ですら長政に苦言を呈したほどだ。
遠藤直経を南への備えとして残さざるを得ない以上、護衛として付けられるのが八重しかいなかったため誰もが渋々で彼女の動向を黙認しているものの、彼女が認められたわけではない。
そんな身の上であるため彼女を不信に思う者が居るのは当然だが、彼女が疎まれている理由はそれだけではない。
女子には穢れが宿るというのがこの時代での常識だ。
出陣の三日前には女人と接触することは禁じられるし、陣中に入れるなど御法度も良いところ。
実際、八重も出陣前はそのことを危惧していた。
穢れなどと言う迷信を信じていない長政は当然これを無視したが、八重からすれば内心穏やかではないだろう。
しかしそれに長政は堂々と答える。
「八重は男として育てられている。ならば陣中におっても問題なかろう。それに、もし穢れだなんだという物で我が蒼鷹隊が敗北すると言うのであれば、それまでの兵でしかなかったというだけの事だ」
それを聞いた阿閉貞征は、多少の不快感を顔に浮かべながらも「ご無礼仕った」と短く謝罪し、そのまま陣を後にした。
「……気にするなよ」
視線を合わせる事なく、言葉だけを八重に向ける。
元々女と言うだけで軽んじられるような時代だ。その上正々堂々と力押しする戦いこそ評価されるこの時代に、諜報や調略、暗殺を請け負う忍びという存在を疎んじる者も多い。
その両方を兼ね備えている八重の事を、快く思わない者は長政を支持する家臣の中にも多く居る。
面倒な時代ではあるが、それがこの時代の常識だ。
その常識を壊そうと言うのだから、多少の面倒は仕方ないだろう。
阿閉貞征を軍列に加えた浅井軍は再び進軍を開始する。
伊香郡から先は西進。北国街道から外れ、後に西近江路と呼ばれることになる道を進む事になる。
その名の通り西近江を南北に抜ける道であるが、今は北陸道の一部として見られている。
後に織田信長が朝倉討伐の兵を挙げた際に通った事や、逆に朝倉・浅井連合軍が三好を攻める織田軍の背後をつくために使用したことで知られることになる道でもある。
そんな西近江路に足を踏み入れれば、ついにここから先は西近江だ。
浅井に浅からぬ因縁のあるこの道を行く長政の胸中に、並々ならぬ思いが溢れる。
いずれまたこの道を通るとき、長政は一体どんな運命を歩んでいるのだろうか。
「……生き残るぞ、必ずな」
誰に言うでもなく、長政は一人静かに呟いたのだった。




