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060_永禄六年(1563年) 観音寺騒動事後処理

 ――カン! カン! カン!


 乾いた硬い木同士をぶつけるような、甲高く小気味よい音が冬の小谷山に鳴り響く。


 音の鳴る先を辿ると、小谷城の裏手にある深い森の一角で、長政が手ごろな原木を二本持ってぶつけ合わせていた。


 その傍には、近頃すっかり長政の側仕えのような立ち位置に収まりつつある小夜さや侍女じじょ八重やえの姿。


 六角家に仕える甲賀こうかの忍びの一人である彼女は、本来くのいちが存在しないはずの甲賀衆の中で唯一、女の身でありながら忍びとして認められている凄腕だ。


 しかしその代償として、彼女は幼い頃から男として扱われ武術や教養を仕込まれている。

 そのため浅井家に来てからは少々居場所が無くなりつつあった。


 そこで長政の提案により、これまで直経が兼任していた諜報と長政の護衛のうち、護衛の方を八重に割り当てたという訳だ。


 直経自身は未だ八重を信用していない事や突然の決定に色々と言いたげだったが、長政はこれを強行して八重を護衛としてつける事に成功した。


 その結果、何かと口うるさい直経から物静かな八重に護衛が交代した事で、長政は近頃伸び伸びと日々を過ごしていたのだった。


「気になるか? 私が何をしてるか」


 ある程度、手に持った原木をぶつけ合わせたところで満足したのか長政はその原木を壁に立てかけた。


 見ればそうやって同じように立てかけられた原木がいくつも置かれており、一見不気味な光景にも見える。


 そんな長政の姿を見て、八重は少々視線をさ迷わせながら「はぁ……まぁ……」と歯切れの悪い答えを返した。


 直経と違って八重は、長政が話を振らないと自分から話す事があまりない。


 色々と首や口をはさみたがる直経に比べると静かで良いが、あんまりじっと待たれても気になってしまうので近頃は長政はよく八重に話しかけるようにしていた。


「これはな……椎茸を作っておるのよ」


 ずらりと並んだ原木に視線を向けて、長政は笑う。


 この頃の椎茸と言えば天然で生えている物しか存在せず、養殖という技術はないため非常に高価。

 年越しなどの祝いの席で食べられるかどうか、と言うような希少品であった。


 そんな椎茸を、長政は作ろうとしているのだという。


「椎茸……? 作れるのですか……?」


 いつも無表情な彼女にしては珍しく、少々驚いた表情を浮かべた。

 もし椎茸が好きに作れるようになれば一体どれほどの資産になるかなど考えなくてもわかるという物。しかし長政は苦笑いして答えた。


「……わからん」


「……そうですか」


 いくら未来の知識を有する長政とは言え、現代の知識の一から十まで何もかも全てを知り尽くしているわけではない。


 椎茸に関しても、クヌギ等の原木に椎茸の菌が繁殖することで椎茸になるという事は知っていても、何をどうすればいいかまでは椎茸の販売業者でもない長政が知る訳がないのだ。


 そのため聞きかじりの知識から、鷹狩りのついでに散策して集めた椎茸の生えた原木を二・三本、そこから更にクヌギ等の原木を複数本集め、暇なときにぶつけてみたりしているのである。


 成果のほどは今のところ見えない。とはいえ始めたのは半年ほど前のため、まだまだ改善点が多いからだろうが。


「まぁ、政務漬けになるよりは気が晴れるというものだな」


 そっちが本音なのではないか、という八重の視線を背中にひしひしと感じながら長政は木をぶつける作業を続けるのだった。


 近頃、浅井領になったばかりの東近江各地から、これまで燻っていた問題の数々が、嘆願状と言う形で大量に届けられている。


 領地の広さだけでいえば単純にこれまでの倍だが、問題の数は何倍にも増えた。


 しかしそれも無理はない。


 これまでは敵同士として領地を接していた村々が、これからは味方として接する事になるのだから、やれ使う水の境界がどうの、やれ領土の境目がどうのという問題が次々噴出するのだ。


 これまでは力で問題解決を図っていた物が、これからは交渉や裁判で白黒つけなくてはならなくなる。


 となればそれらの問題の行き先は当然各地の国衆であり、彼らでさばき切れない問題が長政の元へと届けられるため、必然的に長政の元には面倒な問題ばかりが集まってくると言う訳だ。


 今の浅井家には明確な内政機関という物がなく、叔父の浅井政澄や弟の浅井政元らが中心となって何とかさばいている状態だ。


 彼らには何度も内政担当を増やす事と何らかの対策を打つことを嘆願されているが、長政としても浅井家の人手不足が顕著になり始めたためどうしようも無いというのが本音だ。


 内政関係は浅井家の急所を晒す事に等しい。信頼できる家臣にならまだしも、昨日今日採用したような者に任せるわけにもいかないのである。


 その上、今の浅井家は西近江征伐の支度にも人手が割かれている。


 遠征を行うにあたって兵糧の備えや兵装の配備、更には南近江の六角家や美濃の斎藤家への備えと仕事は山ほどある。


 政元なんかは西近江征伐を延期して内政に注力すべきだと主張しているが、未来を知る長政はそれを聞き入れるわけにはいかない。


 モタモタしている間にかの魔王が美濃を平げ、その魔手を近江に伸ばしてくるかもしれないのだから。


 長政は急ぎで、日野城攻めで活躍した竹束や土嚢戦術に磨きをかけた。


 更には鉄砲の生産量も更に増やしたが現状では火薬が足りておらず、火薬の調達をどうするかも目下の課題だ。


 同盟相手の朝倉家は若狭への侵入を阻む国吉城城主の粟屋あわや勝久かつひさとしのぎを削っており、とても助力を頼める状況でもないため独力での戦いとなる事は必須。


 とにかく人手だ。今の浅井家には全く人手が足りていない。


 何もかもに頭を抱えなければならない現状を鑑みると、守護大名たちがこぞって守護代などと言う役職を設け、領国経営を丸投げしたくなる気持ちもよくわかるというもの。


 とは言えそれで裏切られていては世話ないのだが。


「そういえば聞いたか、三河のこと」


 そんな悩みを払うように、長政がカンカンと木を鳴らしながら話を振ると、八重は「一揆の件ですか。多少は」と短く返した。


 この年の九月頃から、徳川家康が治める三河みかわにて一向いっこう一揆いっきが勃発していた。


 この一連の騒動は史実で三河みかわ一向いっこう一揆いっきと呼ばれ、徳川家康がその生涯で命の危機にさらされた戦い、三大危機の一つとして有名な戦いだ。


 一向一揆とは簡単に言えば、寺社にとって都合の悪い事を行う大名や国を仏敵と称して宣戦布告し、その宗派に属する信徒たちに敵対行動を取らせる事である。


 三河の場合、三河の統一を目論む家康が寺社勢力の解体を目指した事で彼らと対立し、仏敵とされた事が一連の戦いの発端と言われている。


 この一向一揆が普通の戦いと根本的に違う点は、一向一揆衆が信心によって集っている事だ。


 彼らは現代人と違って心から仏教を信じている。

 末法の時代とも呼ばれるこの戦国時代において、弱者にとっての救いは宗教しかない。


 そのため仏教徒は仏教に傾倒し、死後に極楽へ行くために修行と称してその宗派に属する坊主の手足となっているのが現状だ。


 そのため戦って死ねば極楽に行けると言われれば、彼らは迷わず死を選ぶ死兵となる。

 死を覚悟した死兵は一人でも多くを道連れにしようと決死の突撃を行うのだが、これが一向一揆の恐ろしいところである。


 普通の兵であれば死にたくないと思うのが当然だ。

 そのため不利になれば途端に逃げ出し、優勢が決まった時点で勝利となる。


 しかし彼ら死兵は最後の一人まで戦い続ける。そのため、一千人が敵に回ればその一千人全てを討ち取らなくては戦いが終わらず、甚大な被害を被ることになるのだ。


 その上、信仰と言うものはある意味忠誠より重い。


 この三河一向一揆では、犬ほど忠実と皮肉られた三河武士が一斉に家康に反旗を翻し、中には家康に着くか一揆に着くかで家を割ったところもあるとか。


 有名どころであれば後に家康の知恵袋として活躍する本多正信や、三方ヶ原の戦いで家康の身代わりとなって敵に突撃して討死した夏目吉信までもが一揆側に付いている。


 特に本多正信はこの一向一揆鎮圧後に、家康の元へ戻らず家族を三河に残したまま出奔しゅっぽんしている。

 結局家康の元へ戻るのはこれから十年近く後の話となる。


 一度起これば家が割れ、家臣が裏切り、百姓が全て敵に回る。それが一向一揆と言うものだった。


「近江は度重なる戦乱と叡山えいざんの力もあって仏教徒が多い。もし一向一揆が起これば、明日は我が身よ」


 浅井は今、比叡山延暦寺とある種の同盟関係にある。


 この頃の比叡山と言えば、いくつかある仏教徒の派閥でも特に力を持つ勢力で、近江の寺社の大半はこの比叡山の影響下にあるため比叡山を味方につけている限りは彼らが表立って浅井に反抗することはない。


 しかし、それもいつまで続くかはわからない。


 特にあの織田信長は、後に比叡山や本願寺と敵対してそのことごとくを滅ぼし尽くす事になる。

 もしそうなった時、浅井は一体どうするべきなのだろうか。


「頼むからお前は裏切ってくれるなよ、八重」


「……私は、信じる者しか救わない神など初めから信じておりません」


 仏教徒が聞けば怒り出すようなセリフを吐き捨てた八重に、長政は思わず吹き出した。


「くっくっくっ、確かにな。神を名乗るなら信徒もそれ以外も皆救ってみろって話だな」


 くつくつと笑う長政を見て、突然の砕けた口調が意外だったのか面食らったような表情をする八重。

 ひとしきり笑ったところでそんな彼女の顔を見て、長政はゆっくりと語る。


「どうにもならない苦難を、極楽に行くための修行だなんだと言って苦しめなきゃ人を救えないような奴らが仏の使いを名乗ってる時代だ。そりゃあ末法の時代にもなる。仏を名乗るなら今すぐみんな救って見せろ。結局みんな、あの世じゃなくてこの世で救われたいんだから」


 長政の言葉に、八重はぽつりとこぼした。


「たまに、新九郎様が酷く大人びて見える時があります。歳は私とあまり変わらないはずなのに、まるで何十年も生きてきたような」


 長政の心臓が跳ねた。

 八重の言う通り、長政は年相応の精神を持ち合わせていない。何故なら今世が二度目の人生だと言う自覚と、遥か未来の知識があるからだ。


 前世の人としての記憶はとうに失ったが、無数の知識と、自分が数十年生きた人間だと言う自覚がある。

 それが八重の言う、ひどく大人びて見える時の長政の正体なのだろう。


 なんとごまかそうか考えて、その上で全てを見透かすような八重の視線に射抜かれて。長政はゆっくりと口を開いた。


「……俺は時々考えるんだ。何故この世に生を受けたのか。何故俺は浅井長政なのか。考えたところで答えなんか出やしないが……もしかしたらと、近頃思うんだ」


「もしかしたら?」


「もしかしたら、この地獄のような戦国を少しでも変えるために生まれたのかもしれないとな。だから俺は……私は、浅井長政として少しでも、この世を良くせねばならんのだろう」


「……何の話ですか?」


「さてな。決意表明のようなものだ」


 八重の訝しむような視線を背に、長政は再びクヌギの木を鳴らす。

 今までぼんやりとしか見えていなかった己の目的が、ようやく見えた気がした。


 生き残る、だけじゃない。


 せっかく未来の知識を持っているのなら、少しでもこの世を良くする。

 例えそれが、歴史を壊す事になったとしてもだ。


 騒乱に疲弊した日本を、長政の知識で豊かにする。もしそれがうまく行けば、確かに長政がこの時代に生まれ落ちた意味も生まれるのだろう。


「人生というものは、何も成さぬには長すぎるが、何かを成すには短すぎると言うからな。生き急ぐくらいでちょうど良いのやもしれん」


「そう……ですか……?」


 困惑する八重の隣で、長政は大きな声で笑ったのだった。

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