059_永禄六年(1563年) 鷹狩り
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ご注意下さい。
寒さに震えながら屋敷を後にした浅井長政の姿は、今は淡海に浮かぶ竹生島にあった。
理由はもちろん、家臣達と共に鷹狩りを行うためだ。
鷹狩りとはこの頃戦国大名の間で流行っていた道楽の一つ。
山の中を供の者と練り歩き、野兎や野鳥といった鷹の獲物になる野生動物を見つけて鷹匠が訓練した鷹を放ち、鷹に狩りをさせるという娯楽である。
「支度はできているな?」
長政が声をかけると、鷹匠が今日の供となる鷹を見せた。
実に立派な大鷹である。
餌掛けと呼ばれる、手首まで覆うような手袋を付けて、長政は鷹匠から大鷹を受け取る。
この頑丈な手袋がなければ鷹の爪が腕にめり込み、ズタズタになっていた事だろう。
「うむ、調子も良さそうだな」
バサバサとご機嫌に翼を羽ばたかせる大鷹の姿に、うむうむと長政は頷いた。
この鷹狩り、織田信長や徳川家康が特に好んだと知られているのだが、戦国大名にとっては道楽以外にも利点がある。
山の中を動き回るため運動としての利点、自身の治める領地を直接歩いて回るため自領の査察としての利点。
そして幕府や朝廷など政の中心に居る者達は鷹狩りを好む者が多いため、政治としての利点。
更には、供の者をあちこちへ配するため、大将として人を動かす戦の練習としての利点などがあげられる。
長政の元服前に浅井家の家臣達が長政に期待を寄せたのも、この鷹狩りが上手かったことが理由だと言う。
言ってみればこの時代の鷹狩りは、現代でいうところのゴルフのようなものだろうか。
「実に立派な鷹にござる。この“狩弾正”に勝る鷹は近江にも早々おりますまい」
大鷹の姿を見て長政が満足していると、そう誉める声が聞こえてきた。
声の主は、供として連れている浅井政澄。
長政に鷹狩りを教えた彼は、長政が飼っている大鷹、“狩弾正”を見ながらうむうむと頷いている。
「だろう。今日の鷹狩りも楽しめそうだ」
「……名前はちと、あれですが……」
誇らしげにする長政とは正反対に、その名前に遠藤直経を始めとした腹心達は苦笑いを浮かべた。
弾正とは、朝廷から貰う官位の事だ。
元は京の警邏役へ与えられる名誉職のような物だったのだが、今では形骸化し、戦国大名達が伯付けのために勝手に弾正を名乗っていたりする。
そんな者達の中に、槍弾正、逃げ弾正、攻め弾正と呼ばれる者達がいる。
甲斐の武田に仕えるこの三名は、槍捌き、撤退戦、城攻めにそれぞれ秀でているためそう呼ばれているのだが、長政はそれにあやかり、狩りに秀でた弾正と言う事で狩弾正と名付けたのだ。
――が、家臣たちからは余り良い評価はされていなかった。
朝廷から賜る官位を、あろうことか鷹の名前に使うなど恐れ多いと言うのが彼らの言い分だ。
しかし、中央の政に理解も興味もない長政には何が悪いのか全くピンと来ていない。
将軍家や朝廷が力を持たない世界を知る長政は、先の観音寺騒動の際に痛烈に批判したように、天下を平らかに治めるべき将軍や守護が乱を起こす側になっている現状を良しとしていない。
それどころかもはや、将軍家及び朝廷に政治的価値は無いとさえ思っている節があちこちに見受けられる。
鷹の名前も、そんな長政の考えが出ているのかもしれなかった。
長政らがそうこうしていると、遠くから駆けてくる男の姿が目に入った。
腕に藍染めの布を巻くその男は、長政と供に竹生島へやってきた国衆の一人だ。
恐らく、彼の手の者が獲物を見つけたのだろう。
「浅井様。ここから少し離れたところで野兎を見つけたと知らせが入り申した」
生真面目そうな顔をした、齢二十ほどに見えるその男。彼の名は確か――
「おお、では早速そちらへ向かうとしよう、新庄殿」
長政がそう告げると、男は「ははっ!」と返事をする。長政は勘で出した名前が当たった事に胸を撫で下ろしたのだった。
男の名は新庄直頼。
他ならぬ今回の観音寺騒動、その割譲によって正式に浅井領となった朝妻を治める朝妻城の城主であり、長政を長年悩ませていた東近江の混沌とした情勢を生み出した張本人である。
今回の割譲により朝妻が正式に浅井領として認められる事になり、朝妻を経由してもたらされていた六角からの支援が全て打ち止めになった。
その結果、東近江に居を構える国衆は次々と長政に頭を下げることになり、その中に彼の姿があったと言うわけだ。
他にもかつて、磯野員昌と今は亡き今井貞清が攻め落とせなかった太尾城の城主の姿も有り、長政を悩ませていた東近江の情勢はひとまずの決着を見たのである。
一方でそうなれば困るのは、これまで六角に従っていた新庄直頼を始めとした者たちである。
これまでの事から浅井に恨まれて、いつ兵を差し向けられてもおかしくないからだ。
そのためこのひと月の間、何人もの国衆が釈明のための目通りを望んで小谷へやってきた。
しかし長政とて暇ではない。内政に軍事に今後の浅井家の目標決め、その段取りに家中の取りまとめとやる事は山ほどある。
そのため彼らの目通りをまとめて行うために企画されたのが今回の鷹狩りであった。
浅井家の重臣や浅井に仕える国衆の顔が多数見える今回の鷹狩りは、政治的側面が色濃く出ている。
言ってみれば、新社長への挨拶を兼ねた接待ゴルフと言ったところだろうか。
なし崩しに浅井に味方する事になった東近江の者達にとって、この鷹狩りでどれだけ長政の心象を良くできるかが今後の領国運営に深く関わってくる。
そのため、内心では必死なのだろう。
「殿、何度も申し上げますが、今回味方になった者達を下手に厚遇するような真似はなさりませんよう」
遠藤直経は周りに聞こえるか聞こえないか程度の声量でそう告げる。
「……わかっている」
しかし難しい判断を迫られているのは長政とて同じ話だった。
長政個人の考えとしてはこれまで浅井に仕えてくれていた譜代だの、後から入った外様だのというくくりにこだわるつもりはない。
しかし、かといって外様の国衆を重用すれば、これまで浅井に忠義を尽くしていた者達に不満が溜まる。
溜まった不満が噴出すれば、彼らが長政の弟やその他縁者を担ぎ上げて家督争いなんかに繋がりお家騒動となることも珍しくないため、この辺りの采配も浅井家当主たる長政には求められるのだ。
ただでさえ長政は藤堂虎高を筆頭に新参と言える者達を重用している。
そのため既に、家中では長政に不満を抱いている者も居る様子。
直経の手勢を使ってそれらの探りを入れているが、特に浅見家や阿閉家と言った者達の不満が高まっているとの知らせを受けている。
先の観音寺騒動の折に手柄を立てられなかった事や、その結果、藤堂虎高や野村直隆を始めとした新参組が恩賞を受けたのに対して彼らは恩賞が殆どなかった事が原因だろう。
長政からすれば、彼らの出兵が遅れて和田山城まで出張ってくる頃には全てが決着していたのだから当たり前だと言いたいところだが……
彼らからすれば、予め準備している常備兵ならまだしも、国元に戻って準備する自分たちがついて行けるわけが無いと言う主張だ。
この辺りに長政を始めとした新時代の者達と、未だ旧時代のやり方にこだわる者達の差が生まれつつある。
しかしその対立がまだ水面下での話で収まっているのは、当然、長政の戦の強さと政治手腕あっての事。
現状の北近江は長政の武勇と政治によって六角にも斎藤にも連戦連勝を記録し、比叡山延暦寺とも良好な関係を築き、長政の勇名によって近年まれにみる平穏な日々が訪れていた。
また白鷹隊による警邏のおかげで治安も改善され、民からの評判も良い。
そのため長政に対して反旗を翻そうものなら、余程の大義がない限り民からの支持が得られず、満足な戦力すら揃えられないだろう事が容易に想像できる。
その上、もし兵を揃えられたとしても、相手は長政の常勝無敗を支える精鋭部隊、蒼鷹隊だ。
そんな茨の道を歩むくらいならば、と多少の不満を我慢してでも長政に仕えているのが現状だ。
これ以上彼らの神経を逆撫ですれば、最悪は寝返りに繋がる。今後は彼らの不満を煽るような真似は控えたほうが良いだろう。
「あちらにございます」
そうしてしばらく歩いた先で、新庄直頼が足を止めた。
確かにその視線の先には、草陰に潜むように姿を隠す男が一人。恐らく彼が野兎の見張り役なのだろう。
長政の視線の先で新庄直隆が手の者と二、三、言葉を交わした後、長政に視線で訴えかける。あちらにございます、と。
新庄直頼の視線の先には草陰に隠れるようにして野兎が居た。
長政は無言で右手を振って、供の者達を移動させる。的確に野兎を囲い込むために家臣達の位置取りを調整するのだ。
そして。
長政が右手をまっすぐ上げ、そして振り下ろしたのを合図に、まずは野兎の逃げ道を囲うようにして先回りしていた者達がガサガサと音を立て始める。
これに驚いた野兎はその反対、長政の居るほうへと駆けだした。
そこへ続けて第二、第三とその両隣を塞ぐように手の者が音を立て。
「行け!」
長政の左手から、“狩弾正”が放たれる。
その姿はまるで矢のように。
大きな翼をまっすぐ広げて野兎目掛けて滑空した狩弾正は、野兎に逃げる間も与えずに瞬く間に捉えた。
「お見事!」
すぐさま新庄直頼が声を上げれば、次々に供の者達が「お見事にござる!」と長政を誉めたてた。
野兎をとらえた狩弾正がどこか誇らしげに長政の元へと戻ってくると、その野兎を受け取った長政は供の者にそれらの処置を任せて狩弾正を腕に留まらせる。
「よしよし、良くやった」
兎の代わりに用意していた生肉を与えると、狩弾正はうまそうにその肉を啄んだ。
器用に脚で掴んで食べる姿が愛らしい。
「殿、お見事にござる。腕は衰えませんな」
「西近江への仕置きも、このくらい上手くいけば良いのだがな」
珍しく遠藤直経がほめて来たため苦笑しながら答えると、直経は「そうで、ございますな……」と気まずそうに視線を彷徨わせたのだった。
今回六角家から切り取った今津城、そこを治める城主の山中家が浅井への臣従を突っぱねる書状を送ってきたのはつい数日前の話だ。
とは言え無理もない。
山中家が代々守ってきた土地を、彼らに殆ど関係ない南近江のいざこざの仲裁のため、浅井へ引き渡せと突然主家から言い渡されたのだから。
ここではいわかりましたと素直に従う者達ばかりなら戦国時代なんてものは訪れていないし、こうなる事は長政も、そして恐らくは六角承禎も計算済みだ。
浅井が力を示して今津城までを切り取れば浅井の、それに失敗すれば六角の勝ちと言うだけの話。
ならば力を示すまで、と言う事で浅井家では山中氏の討伐を名目とした西近江征伐の機運が高まっていたのだ。
しかしこれまでの戦いと明確に違うのは、場合によっては浅井家の領地そのものが増える可能性があるという事。
表立って反抗したのは渦中の山中氏だけであるが、その内心、今回その今津城までの道のりに居を構える西近江の者達は多かれ少なかれ浅井家に敵愾心を抱いているだろう。
この山中氏の反発に便乗して戦いを挑んでくる者もいるかも知れない。
そうなれば、その者達を打ち倒し、彼らの治めていた土地を浅井家が併呑する事も出来、その土地を報酬として家臣に配る事が考えられる。
となれば浅井家に仕える者達にとっては立身出世のまたとない好機。
ここで手柄を上げれば一国は無理だとしても、一城の主くらいにならなれるかもしれないのだ。
先代当主の浅井久政に重用されなかった者でも、長政は関係なく重用する。つまり、成果さえ上げれば城を任せてもらえるという証左に他ならない。
そんな機運が高まった結果、浅井家に仕える者達は今、どこかピリピリとした空気を漂わせている。
士気が高い、と言えば聞こえはいいが、こういう士気の高さは非常にまずい。
手柄争いの結果、味方同士で足を引っ張りあい、そして敗北した戦いは歴史の中でいくつも記録されている。
今の浅井家はそんなくだらない足の引っ張り合いがいつ起きてもおかしくない状態に陥りつつあった。
東近江における騒乱とその悩みの種がようやく消えたと思えば、今度は家中の不和。戦国大名に安息の時間は訪れないのである。
「次に参るとしようか」
終始気を使いながら長政は再び山の中を歩きだす。誰にも聞こえないように、はぁとため息を一つついて。
目下の課題は、この空気の中でどうやって西近江征伐を成功させるかという点になるのだろう。