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055_永禄六年(1563年) 論戦

 長政がそんな事を考えていると、次に言葉を発したのは六角承禎だった。


「まず、浅井方についている高野瀬たかのせ秀隆ひでたかの治める肥田城、その西の愛知えち川までを浅井の領地として認めよう」


「なっ、父上!?」


 承禎の提案に義弼が思わず声を漏らしたが、表情に出していないだけでこの場にいる誰もが驚きを隠せていなかった。……史実を知る長政を除いて。


 戦国時代は因縁の連鎖によって争いが争いを呼んでいる。

 奪った土地には必ず因縁が付きまとい、奪うために戦った者達は守るために戦い、奪われた者達は奪い返すために戦う。


 そうして終わらない戦いの連鎖が因縁となって、さらに次なる戦いを呼ぶのだ。


 相手の領有権を認める、と言う事はその戦いの連鎖を終わらせ、その領地を正当に相手の所有物だと認めることに他ならない。


 目下、長政を悩ませている東近江の情勢、この原因は朝妻に起因する六角家の影響力の強さにあったわけだが、この問題も六角家が手を引く事で一気に解決する。


 朝妻はもちろん、かつて磯野員昌が攻略に乗り出して同士討ちの果てに敗走した太尾城も含め、それらの一切を全て手に入れられると言えば、この条件の破格っぷりがわかると言うものだった。


 史実の長政がこの破格の条件に飛びついたのも至極当然と言えよう。


「ただし、愛知川から南への出兵は今後一切無しとして貰おう。愛知川を境として六角と浅井で南北を治める。これでどうか」


 愛知川までの割譲を認めつつ、しっかり南への出兵に釘を刺す。この辺りがしっかりしているのが六角承禎という男だ。


 これを呑めば愛知川から北側の領地を全て浅井領とする事ができる代わりに、南近江へ出兵するための大義名分を失う事になる。


 これでどんな理由があれど、浅井が南近江へ兵を挙げれば六角家に攻める口実を与えることになってしまい、南近江を侵攻するどころか逆に六角が北近江へ侵攻する大義を与えてしまう。


 そうなればようやく内政が充実し始めて来た北近江を、再び騒乱の渦中に巻き込む事になってしまうだろう。


 史実の長政が観音寺騒動以来、南近江への積極的な出兵を取りやめて西近江の切り取りに舵を切ったのは、この辺りの事情も影響していそうだ。


 南近江へ出兵できなくなる痛手と天秤にかけて、史実の浅井家は六角家が勝手に崩壊していく事に期待して、愛知川から北の割譲を講和の条件として認めたのだ。


 東から、そんな悠長な判断を許さない、漆黒の炎が押し寄せてくるとも知らずに。


 しかし、未来を知る長政からしても破格な条件である事には変わりない。護衛の直経などは喜びの余りかむすっとしながら、それでも頬を紅潮させている。


「承知致しました。ではその条件で講和を――」


 宮部継潤も、この破格の条件ならば都合がいいと思ったのか話をまとめようとした――まさにその時。


「何をふざけたことを申されておるのか」


 まとまりかけた話をぶち壊す、そんな一言が落とされた。

 無論、放ったのは他でもない、浅井長政その人である。


「……ふざけた、だと?」


「何を申すか貴様は!」


 承禎の言葉に続いて、義弼が激高して再び立ち上がった。

 しかしそんな事には目もくれず、長政は静かに言葉を続ける。


「愛知川から北の領有権を認める? 認めて貰わずとも結構。既にかの地は浅井領ゆえ。それこそこたびの騒動が無ければ、すぐにでも精鋭を集めて北近江を荒らす者どもを征伐するつもりでおりました」


 六角側、反六角側双方から驚きの視線が長政へ向けられるが、知ったことかと言わんばかりに言葉を続ける。


「我が精鋭の力はお見せした通り。彼らを使えば年内には切り取りも終わりましょう。それを今更、六角殿が既に手放しているような土地と引き換えに、矛を治めろとは……片腹が痛い。故にふざけた、と申したまで」


「ふ、ざけるな! 元はと言えば貴様ら浅井が勝手に独立し、近江を荒らしまわっておるのではないか! 幕府より守護職を賜った我らと違って、浅井は所詮成り上がり。正統性もクソもなかろうが!」


 長政が言い切ると、その言い分に対して義弼が反論した。


 彼の言葉にしては珍しく筋が通っている方で少々驚きこそしたが、その程度で怯むような長政ではない。


「その幕府が、国を任されたお主ら守護職が! 腑抜けばかりであるから、世は乱れて乱世となっておるのだろうが! 職務を誇るのであればその職務を全うしてみたらどうだ! 成すべきを成さずに何が守護か!」


 長政の一括に、義弼は言葉を詰まらせた。

 その言葉はある意味、この戦国という時代を知った長政の本音でもある。


 名誉や家格ばかりを誇り、成すべきを放棄した者たちによって世の中は荒れている。

 ならば彼らは邪魔でしか無い。


「もうよい。ならば、お主の望みは何だと言うのだ」


 言葉を詰まらせた義弼を見やり、六角承禎がそう言葉を継いだ。

 すると長政は義弼から視線を外し、一呼吸整えてゆっくり言葉を紡ぐ。


「愛知川を越えた先にある和田山城。今、その城と周辺は我ら浅井の兵が抑えておりますれば、愛知川から北の領地に加えて、その城も割譲して頂きたい」


「はぁ!?」


 義弼が再び声をあげたが、六角承禎や蒲生賢秀らだけでなく、長政に味方する直経らまでもが長政のこの要求に目を見開いた。


「な、何をバカげた事を申しているのだ……!」


 和田山城の割譲。その要求は誰もが冗談かと思う程にバカげた内容だったのだ。


 そもそも愛知川を境とする破格の条件を六角承禎が提示したのは領地の境として川がわかりやすいというだけでなく、防衛戦略上、川があるかないかで話が天地ほど変わってくるためだ。


 川が物資の運搬や畑への水引などに役立つ事は周知だが、戦略上では防衛線ともなりえるのである。


 この時代、近代のような石造りの橋は殆ど無く、そのどれもが木製だ。


 しかも簡素な橋ばかりのため、川を渡るにはこの簡素な橋を使うか小舟で橋を渡るかが基本である。


 簡素な橋しかかけない理由はただ一つ。戦の時にそのほうが都合が良いからだ。


 もししっかりした橋をかけてしまうと、味方が渡りやすくなると同時に敵も渡りやすくなり、攻め入られた場合に敵の進軍を手助けする事になってしまう。


 戦国武将が道を舗装したがらないのと同じ理由だ。


 しかし簡素な橋であれば落とすのも容易。いざ戦となればその橋を落とすだけで、敵は川の中を突っ切る必要が出てくる。


 この時代の川は流れを緩やかにするための河川工事が行われていないため急流が多い。


 そんな中を徒歩で、それも敵の攻撃に晒されながら、重い鎧や荷物を背負って渡るとなればどれだけ大変な事かは言うまでもない。


 そのため川が一本あるだけで防衛時の守りやすさが天地程変わってくるのだが、和田山城はそんな河川の一つである愛知川を越えた先にある。


 つまり、和田山城を割譲する事はその重要な防衛拠点の一つである愛知川が機能しなくなる事を意味しているのだ。


 いや、それだけには留まらない。


 浅井方の対六角最前線基地は現在、野良田の先にある肥田城に当たる。


 とは言え最前線と言えど、六角家の本拠地に当たる観音寺城までは約一里半(約6km)ほどになる。


 これが和田山城になると、一気に半里(約2km)ほどの距離まで近づくことになるため、文字通り観音寺城の目と鼻の先に浅井軍最前線基地が生まれる事になるのだ。


 更にこれに加えて城攻めの際に必ず問題になってくる補給線の問題も、肥田城からでは川を越える必要があるため困難だとしても、和田山城からなら愛知川を使って物資を大量輸送する事ができるため一気に容易になってしまう。


 挙句、六角から攻められた場合でもこの愛知川を使って物資を補給すればいくらでも籠城できてしまうというのだから、六角からすればだいぶふざけた話である。


 ここまで理解していれば、和田山城の割譲は六角にとって首を絞めるどころか首元に刀を突きつけられるのと同じ状況になるというのは明白。


 そんな法外な要求を長政は提示してきたのだから、誰もが度肝を抜かれるのは当然と言えた。


 始めに無理難題をふっかけるのが定石とは言え、ここまで滅茶苦茶だと始めから交渉する気が無いと言っているような物。


 ここで決裂し、初めに提示された東近江の領有権譲渡すらも無しになる可能性がある危険な一手だ。


 そこまでして和田山城を望む時点で、浅井は六角を攻め滅ぼすつもりなのだと主張しているようなもので、こんな条件を六角が呑むはずがない。


「本音が出ましたぞ父上! こやつめは幕府や守護を腑抜けだなんだとほざいておきながら、結局は南近江の地が欲しいだけ! 私利私欲で戦を起こそうとしているのです!」


 長政の言葉を聞き終えるなり、嬉々として叫ぶ義弼。しかしその義弼を咎める者は誰も居ない。彼の言い分はまさにその通りだったからだ。


「浅井殿、それは少々無理が過ぎるのでは……」


 これまであくまで中立と言う立場を貫き、殆ど口を開く事の無かった蒲生賢秀も、長政の言い分には流石に口を挟んだ。


 余りに無茶苦茶すぎる要求に話がまとまらなくなる事を懸念したのだろう。


 しかしそれでも長政は譲らなかった。


「呑めぬというならばそれで良し。既に和田山城は我ら浅井の傘下にある。このまま力ずくで切り取るまでの事よ」


「バカげたことを! そんな横暴、誰が許すというのだ!」


「ほう、ならば逆に聞く。我らのその横暴とやらを、一体どこの誰が咎めるというのだ?」


「無論、南近江の国衆に決まっておろうが!」


 義弼の言葉を、長政は鼻で笑った。


「南近江の国衆、と言ったか。ではなぜ彼らが六角のために立つのだ? かの地は義弼殿が、我ら浅井との戦に備えて城を築いたばかりの地。国衆にとっては誰の土地でも無ければ、土着の国人もおらんだろうに」


 長政の言葉に反論しようとした義弼に被せるように、長政は続ける。


「その上、かの地を任されていた田中なにがしと言う男も騒動の折に城を捨てて逃げたというではないか。放棄された城を返せと言われて、大人しく返すのが南近江のやり方と言う事か?」


 そこまで一息に告げると、なるほど、とばかりに「観音寺城を早々に放棄したのもそれが理由か。後から返せと言えば返してもらえる、ならば早々に逃げた方が楽だものな。随分腑抜けた話よ」と露骨な挑発を返したのだった。

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[一言] 義弼がアホ過ぎて論戦になってないw
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