054_永禄六年(1563年) 毒入り饅頭
「それではまず、造反を起こした国人衆側の言い分から伺いまする」
仲裁を行う蒲生がそう話を振ると、平井定武は静かに頷いて口を開いた。
「そもそも、事の起こりはご当主の六角義弼様が、後藤賢豊殿とそのご嫡男を無礼討ちした事に端を発しまする。義弼様は後藤殿に謀反の気配があったとおっしゃいますが証拠も無く、荒唐無稽の言いがかりである事は明白。それどころか後藤殿は――」
「荒唐無稽だと!? 現に後藤の次男坊がそこにおるではないか! それが謀反の何よりの証拠であろうが!」
平井定武の言葉を遮るようにして、ダン! と音を立てて立ち上がったその男。
彼こそ六角家当主にしてこの騒動の発端人である六角義弼である。
彼の態度に国人衆側だけでなく、六角側の者達からもうんざりとした様子が見て取れる。
面影こそ承禎に似ているがどこか幼い顔立ちをしており、長政と同い年だと言うのに兄弟ほど歳の差があるのではないかと錯覚してしまう。
これは長政が歳の割に大人びている事や体格が既に大人のそれを上回っているせいもあるが、それを差し引いても義弼は大名の嫡男にしてはやけに幼い顔つきなのだ。
そんな幼い顔立ち相応に考え方も稚拙なようで、義弼の言い分は支離滅裂。
義弼の理不尽極まりない行為がこの造反を招いたというのに、その造反行為こそが謀反を企んでいた証左だと言ってはばからない。
めちゃくちゃな言い分の義弼に我慢ならないと言った様子で、後藤高治が食って掛かろうとしたその時。
「控えろ四郎。加賀守がまだ喋っておろうが」
低く唸るような承禎の声がその場に響いた。
「しかし父上!」
「くどい。二度言わせるな」
落ち着いた口調とは裏腹に、承禎はまるですぐにでも刀を抜いてやろうかと言うような殺気を纏って、鋭い眼差しを義弼に向ける。
その威圧感は義弼どころか、その視線を向けられた訳ではない後藤高治や平井定武らにさえも有無を言わさない程の迫力があり、言葉を失った義弼はそのまま静かに腰を下ろした。
この圧倒的存在感はなるほど、戦国を生きた大名と言うだけある。常人にはない大きな何かを長政に感じさせた。
「無礼をした。続けてくれ」
そうして承禎の言葉でシンと静まり返った評定の間に再び平井定武の声が響く。
先の言葉に続けるようにして、離れかけていた六角家臣の心をつなぎ留めていたのが他ならぬ後藤賢豊である事、その後藤賢豊が居なければ今頃国人衆は離反していた可能性がある事、その後藤賢豊を討った事がどれだけ愚かな事なのかをつらつらと語った。
そして最後にこの騒動の発端である六角義弼に対しては腹を切って詫びさせ、後藤賢豊の子、後藤高治に後藤家の後を継がせる事、この騒動における造反行為については罪に問わない事などが条件として提示されて締めくくられた。
ある意味お約束通りの言葉が並べられたため、義弼を除いた者達からすればここまでは既定路線と言った様子で黙りこくっているが、肝心の義弼は寝耳に水とばかりに顔を白黒させていた。
まずはふっかけるだけふっかけて、どこまで相手から譲歩を引き出せるか様子を見るのは交渉の常套手段だ。
義弼の切腹を要求する事で、それを拒むようならば代わりの条件を相手から引き出したいという下心が透けて見えるが、六角が下手な手をうてばそこから切り崩していく嫌らしい一手だ。
とは言えそんな手に易々と乗ってくれるなら誰も苦労はしないのだが。
「確かに落ち度は全て義弼にある。腹を切れと申すのであればそうせざるを得まい」
「父上!?」
「しかし。このような愚か者とて、儂の子なのだ。みすみす見殺しにするには余りに惜しい。それ故――」
悲鳴のような声をあげる義弼に目もくれず、そこまで一息に言いきった承禎はふうと一呼吸おいて続けた。
「それ故、義弼は当主の座からおろし、出家させる。代わりに弟の義定を六角に戻し、当主の座を継がせる。また後藤家についても高治殿を当主と認め、これまで同様重臣格の待遇を行うよう言いつけておく。無論、こたびの造反騒動は全て不問とした上でだ。これで如何か」
落としどころとしては妥当と言ったところだろう。
史実通り、これで義弼は当主の座から降ろされて弟の義定が六角家当主となる。
そうなれば現在、大原家に養子入りして大原義定を名乗っている義弼の弟は、突然六角家へ呼び戻される事になる。
そうなれば政治基盤も無く、六角に仕える国人衆にとっては義定に取り入って力を増す機会が増える事になる。
彼らがうまく立ち回れば、今以上の力を六角家中で振るう事ができるだろう。
一方で父兄を殺された後藤高治としても、後藤家当主の座を正式に引き継ぐ事ができ、これによって領地や地位、待遇も全てそのまま移譲されるためいきなり六角家重臣扱いだ。
始めこそ義弼の首を望んでいた高治としても、後藤家の先が安泰となればそこまで意固地に義弼の首を求める必要も無い。
まさに丁度いい落としどころ、と言った条件だった。
それからしばらく、細かい調整や方針などを六角・蒲生・平井の三者で話し合い、時には蒲生が折衷案を提案しながら粛々(しゅくしゅく)と話し合いが進んでいく。
そうして一刻ほど過ぎた頃、ようやく話がまとまったのかパチンと六角承禎が手を鳴らして文字通り手打ちとなったようだった。
「では以下の通り書状にしたため、連署と致しまする。双方、合意頂ければ署名を」
最後に蒲生賢秀がそうまとめ、紙に話し合いで決まった内容を綴って署名した。
その綴られた文字をまずは承禎が、続けて平井定武が目を通し、両者ともに頷き合って署名すると、同席した者達もそれに続いた。
この一連の動きに、長政を始めとした浅井家の者に口出しする権利はない。
あくまでも浅井は平井定武を始めとした者達の助力のために兵を挙げた、という大義名分があるため、その彼らが和睦しようとしている現状は表向きは歓迎すべきだからだ。
そうして長政が黙りこくっていると、和解のための連署が作成されて観音寺騒動と呼ばれる一連の騒動はひとまずの決着を迎えたようだった。
しかし、まだ終わりではない。
「では続けて、浅井殿との講和を執り行いまする」
むしろ、長政にとってはこれからが本番なのだ。
蒲生に声をかけられるも、返事することなく長政はあぐらをかいて腕を組み、口を真一文字に引き締めてじっと動かない。
これはあくまでも交渉を行うのは長政自身ではなく、交渉役の宮部継潤であると言う意思表示だが、同時に不用意な事を口走って相手に足元を見られないようにするための措置でもある。
くれぐれもボロを出さないようにと宮部継潤には再三忠告されているため、直接言葉を交わすわけではない長政とて緊張の色が浮かぶ。
そんな中、始めに言葉を発したのは宮部継潤だった。
「講和とは言え、我々浅井はあくまでも平井様の要請に従ったまでのこと。六角様との間で和議が結ばれるのであれば、浅井としてはそれでよし。このまま兵を退くのもやぶさかではありませぬ」
「おおっ!」
宮部継潤の余りにも甘すぎる対応に、思わず声をあげたのは六角義弼。もしこの交渉に当たっているのが彼だったならば、すぐにでもこの提案を承諾していた事だろう。
しかし。
「いや、そうはいくまい。わざわざ我が南近江の国人衆のため兵を挙げ、戦果も挙げた浅井殿をただで返せば名折れと言う物」
そこに頑として口を挟んだのは六角承禎だった。
六角義弼はこの承禎の言葉に眉を潜めているが、裏を知る長政からすれば流石は承禎と言った気持ちだった。
『まずはこちらが兵を退くように提案を致します。それに相手が乗ってくれば上出来、と言ったところでしょうか』
交渉の席に着く前、宮部継潤が言っていた事を思い出す。
タダより高い物はない。継潤が差し出したのは一見うまそうな饅頭に見えるが、その実、猛毒入りの毒饅頭だったのだ。
もしここで浅井が兵をそのまま退けば、六角家に仕える家臣や国人衆は浅井に大きな借りを作る事になる。
この借りを作る、と言うだけでもこの後どうなるか明白だが、中には浅井が朝倉に恩義に感じたように、六角家の中にも浅井に恩を感じる者が現れる事だろう。
その上彼らは日野城攻めの折、長政率いる浅井軍が最も戦果を挙げ、精強である事も知っている。
もしそんな精強な兵が、何の見返りも求めずに自分達を助けに来てくれるとわかれば、今後また六角家に不満を抱いた際には、彼らは同じように浅井を頼る事だろう。
浅井にとってはそれは南近江に介入する絶好の好機だ。
彼らの救援を大義名分に兵を起こし、南近江へ兵を差し向ける事ができるようになる。
それも南近江の国人衆を味方につけて、だ。
そうなれば彼らは次にこう思うはずだ。『浅井が自分達を守ってくれるのならば、六角家はもう必要ないのではないか?』と。
この饅頭は、一度喰らえば六角家を内部から破壊する猛毒入り。それに安易に手を出すようなら楽だったものの、流石の承禎はこの饅頭を回避した。
ここで挙兵に対する相応の見返りを浅井に支払っておくことで、安易に浅井に助力を求めるとどうなるかを国人衆に対して見せしめられるのである。
この辺りの匙加減は流石と言ったところか。
しかし、真に恐るべきはそんな毒入り饅頭を、柔和な顔でにこにこと、さもこちらの親切心で提案していますよと言わんばかりに差し出した宮部継潤と言う男だ。
この男は、余りにも頭がキレすぎる。
史実で浅井を裏切り、織田に――羽柴秀吉に付き、後に八万石の国持ちとなるだけはある。
毒入り饅頭とはまさにこの男の事。使い方を間違えなければ敵を上手く排除できる切り札になるが、扱いを誤れば自身を苦しめる事になる猛毒。
切れすぎる刀は手放すのが良い。かつて父の言った言葉の意味を、長政は本当の意味で今ようやく理解した。
本能寺の変で信長が斃れた際、狼狽する自身に対して「御運が開けました」と告げた黒田官兵衛を見た時、秀吉も今の長政と同じような心境だったのだろうか。
いつその狡猾な牙が自身に向けられるかわからない。その恐怖に打ち勝ち、上手く扱いきれるかどうかが、ある意味当主の器を測る一番の指標となるのだろう。
そして六角義弼はこの恐怖に負けた。
長政が六角義弼のように、或は歴史に愚者として名を遺す者達のように、いつの日か疑心暗鬼にかられる日が来るのかもしれない。
そうならないためにも心を強く持ち続けなければならないと、隣で笑う宮部継潤を見て誓ったのだった。