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052_永禄六年(1563年) 鉄の雨

「まずは上出来、手筈通りだ」


 銃撃の利かない盾、そして突如現れた防壁に蒲生兵が動揺する中、その様子を本陣で眺めていた長政は満足げに頷いた。


 これらこそ、長政のこれからの戦いに必要となるだろう二つの戦術だ。


「続けて角鷹くまたか隊、前へ!」


 角鷹隊の指揮を執る野村直隆がそう叫べば、それにあわせて鉄砲を抱えた兵達が、藤堂高虎率いる蒼鷹隊と共に前進を始める。


 蒼鷹隊が正面に構えているのは何本もの竹を束ねた竹束。

 この竹束こそが、長政の用意した第一の戦術だった。


 この戦国時代における鉄砲は、最強の武器と言って差し支えない。


 何せこの時代の主力である弓や刀と違って、扱うための特殊な技術を必要とせずに、引き金を引くだけで女や子供、老人でも敵兵を討ち取る事ができる。


 どんなに武勇に優れた猛将も、どんなに鎧で身を固めた大将も、離れた場所から一方的に鉄砲で撃たれては成す術もない。


 しかし、そんな戦国最強の武器の鉄砲も、いかなる物をも貫く万能な神器などでは決してない。そのため攻略する手段はいくつもある。


 そのうちの一つが長政の用意したこの竹束なのだ。

 昨年の秋ごろから竹束を蓄えて準備をしていたのだが、全てはこの日のためだった。


 竹束が初めて鉄砲に対する盾として実戦に用いられたとされているのは、今より十年程前の話だ。


 甲斐武田家の家臣、米倉よねくら重継しげつぐという男が敵城から撃ちかけてくる鉄砲隊を攻略するために竹束を使ったのが始まりと言われている。


 竹は独特の曲線と剛性を兼ね備えているため、それを束にして厚みを持たせてやるだけで鉄砲の弾をはじく盾にする事ができるのである。


 たかが竹如きで、と言いたくなるところだが、現代においても竹やぶに発砲するのは跳弾した弾が返ってくるため危険とされている程だ。


 弾丸の形状や火薬の量、弾に回転を与えて貫通力を増す旋条せんじょうなど様々な技術が用いられている現代の銃器ですら弾かれるのだから、その銃器より幾分も貫通力が落ちるこの時代の火縄銃では簡単に貫通できないのはある意味当然と言えた。


 しかし、この竹束が鉄砲に対する盾になる事を知る者はあまり多くない。


 史実でも天正六年(1578年)に行われた播磨はりま神吉かんき城攻めの折に、織田軍がこの竹束を用いて戦ったと言われているが、この神吉かんき城を守る将兵は竹束の存在を知らず、瞬く間に攻め寄せられたと言われている。


 これは恐らく、最初に実戦に投入した甲斐武田家やその甲斐武田家と戦った関東の大名達にはすぐに広まったものの、情報の伝達が現代よりも何倍も遅く、大規模な鉄砲の運用も少なかった西日本においては竹束の需要も低く、周知が遅れたのだろう。


 現に今、この竹束を目撃した蒲生兵達は弾が貫通しないことに動揺を隠せないでいる。


 近江、或は近畿や西日本における竹束を使用した大規模な戦は、この戦いが初になるのかもしれない。


「全隊、停止!」


 そうこうしているうちに竹束を抱えた蒼鷹隊は、予定通り蒲生兵を狙い打てる距離まで歩みを進めると、その場で進軍を停止した。


 この時代の鉄砲の有効射程距離は四十四から五十五けん(約80~100m)と言われているが、竹束はその最大射程の半分、二十七けん(約50m)の辺りまで弾を防ぐことができるという。


 現在蒼鷹隊が停止している場所は日野城の城壁から堀を挟んで、目測で約四十四けんほどの場所。鉄砲の有効射程距離を考えるとギリギリの位置と言ったところだろう。


 本来ならばここで、竹束を盾にしながら蒲生兵へ射撃を始めるところなのだが……


 今回の目的はあらゆる攻城戦術の試験投入と実戦での検証、そして浅井軍と戦っても勝てないと敵に思わせるほどの圧倒的戦果を挙げる事だ。


 特に後者は、観音寺騒動で割れた六角家傘下の者達を浅井に寝返らせる事にも、不用意に浅井に戦を仕掛けようとする不届きものを咎める事にも繋がるため、後々を考えると絶対に成し遂げたい条件と言っていい。


 だからこそ、長政は第二の戦術を用意した。

 それが先ほどの、蒲生兵が石垣と勘違いした土嚢どのうによる築壁だ。


 一つ一つをレンガのように叩き固めることで、まるで石垣のように築き上げられた土嚢どのうの壁。


 そして壁から覗くのは、角鷹くまたか隊の構える鉄砲の銃口。


 その光景はまさに今、蒲生兵がそうしているように。城壁から銃口を敵に向ける、籠城時の鉄砲運用法そのものだった。


 野村直隆率いる角鷹くまたか隊は、蒼鷹、大鷹に次ぐ長政直轄の部隊で、主に鉄砲隊としての運用を想定された狙撃手集団だ。


 特に鉄砲の扱いに秀でたもの達を選抜して訓練したこの部隊は、鉄砲の扱いにかけては右に出る者がいない。


 そんな角鷹隊を守るのが蒼鷹隊であり、竹束であり、築かれた土嚢の城壁だ。


 鉄砲は城壁を盾にして守りに使う事で最大の効果を発揮する。ならばその城壁を城攻めの際に生み出してしまえば良い。


 長政が考えたのは土嚢で再現した城壁、いわば土垣を平地に築き上げるという力業に近い戦術だった。


 その力技を可能にしたのは無論、近江鋤ことシャベルの存在だ。


 白鷹隊が近江中の道を整備する中、蒼鷹隊はただひたすらにこの土嚢築壁技術を磨き、今では僅かな時間で簡単な砦を築けるようになった。


 その効力たるや、強力な鉄砲隊を擁す蒲生兵の反撃に未だ蒼鷹隊は死者を出していない事が物語っている。


 負傷者こそ居るがそのいずれもが軽傷。敵から放たれる鉄砲は全て土垣が受け止めている。


 更に土垣が生んだ成果はこれだけに非ず。


 秀吉が美濃攻略の際に築いたと言われる墨俣すのまた一夜城いちやじょう、或は小田原征伐の際に石垣山いしがきやまに築いた石垣山一夜城がそうだったように、僅かな時間で築き上げられた砦はそれを見た敵の士気を一気に挫く力もある。


 鉄砲の弾を一切寄せ付けず、着々と準備を進める浅井軍の砦を目の当たりにした蒲生兵は、浅井の兵に鉄砲が効かない事を悟る。


 結果、敵兵が動揺したのか鉄砲による攻撃がこれまでに比べて散発的で緩やかなものになっていた。反撃するならば今しかない。


「全隊、射撃準備! 目標は敵城壁!」


 長政がそう叫べば、瞬く間に竹笛が鳴り響く。


 それが前線で指揮を執る野村直隆へ伝わり、直隆が激を飛ばすと鉄砲隊は一斉に銃口を敵に向けた。


 そして。


「放て!」


 直後鳴り響く轟音。その後はまるで土砂降りの日の雨音のように、何度も何度も銃声が鳴り響く。


 一切の反撃を許さない無数の銃弾は、射程に捉えた日野城の城壁に次々襲い掛かった。


 この時代の城壁はそのどれもが土を固めた土壁だ。

 頑丈とは言え、それはあくまでも弓矢や火での攻撃を想定してのもの。


 その城壁に対して、鉄の鎧をも砕ききる鉛弾が無数に襲い掛かれば、どうなるかなど想像に難くない。


 始めこそびくともしなかった城壁は、やがて亀裂があちこちに目立つようになり、そして間もなくぼろぼろと崩れ落ち始める。


 それでも浅井の銃撃はやむ事が無く、容赦ない乱射が日野城の城壁に襲い掛かった。


 それもそのはず。何せこの戦いで長政が持ち込んだ鉄砲の数は、約三百丁にも上るのだから。


 たかが三百、と思いがちだが、無数の銃撃によって生まれた硝煙しょうえんが戦場を覆い隠したと言われる長篠の戦いですら、配備された鉄砲は一千から三千丁だと言われている。


 つまり今回の浅井軍は、その三分の一から十分の一に匹敵する数の鉄砲を、この日野城西門の戦線だけで全て投入している事になる。


 その銃撃の激しさたるや、長篠の戦いにも劣らない事だろう。


 この圧倒的火力の投入を可能にしたのは、長政が築き上げてきた北近江の経済基盤と鉄砲の大量生産を可能にした国友衆の技術改革に違いない。


 恐らく、この時点では戦国最大規模ともいうべき量の鉄砲と火薬、そして鉛玉がこの一瞬に注ぎ込まれている。


 下手をすればこの火薬の値段だけで、ちょっとした砦を築ける程に。


 史実を知る長政は、この観音寺騒動が終わった後はしばらく大規模な戦いが起きない事を知っている。


 そういった予備知識も、後先考えない乾坤一擲けんこんいってきと言える無謀な火力投入を可能にしていた。


 無数の銃撃に晒された日野城の城壁は瞬く間に崩れ落ち、立ち込める硝煙と土煙がその姿を覆い隠していく。


 そうして煙の中に日野城の城門と城壁が消えてなお、浅井軍の銃撃は留まる事を知らない。


 鉄砲の達人集団と言われる雑賀さいか衆は、射撃手一人に対して数人の補助が付く事で彼らに弾込めを行わせ、異様な速さでの鉄砲の連射を可能にしたという。


 長政はその射撃方法をも試験的に投入し、鉄砲隊は三人一組、一人を撃ち手として一人は鉄砲の交換役、一人を弾込め役とする事で連射を可能にした。


 この連射法も相まって瞬く間に大量の弾薬が敵方へと撃ち込まれていく。


 まるで流れ作業のように鉄砲に込められた弾は次々打ち込まれ、煙の向こうで何かを砕く音が鳴り続ける。


 ここまで来ると、もはや何を攻撃しているのかわからないほどだ。


 そうして、絶える事のない無数の銃声が硝煙と土埃の中で鳴き続け、慟哭どうこくのような耳鳴りが限界まで達した時だった。


「撃ち方やめ!」


 ついにその轟音は鳴り止んだのだった。

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