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048_永禄六年(1563年) 八重という女

 翌日、部隊を編成しなおした長政は、浅井政澄に和田山城と兵三千を預け、残りの一千の兵を率いて観音寺城へ進軍した。


 朝に届いた早馬で、六角承禎が箕作みつくり城から逃亡したという知らせが入ったため、一度観音寺城で状況を整理するのだという。


 それから数刻後には観音寺城へ到着。人質として過ごして以来、久々に見る観音寺城にどこか懐かしさを覚える長政だったが、呑気に観音寺城を眺めていられる程の余裕もない。


「浅井殿、中へ」


 平井定武に呼ばれ、遠藤直経、田中吉政、そして僅かな供を連れた長政が観音寺城へ足を踏み入れる。


 直経が罠を警戒していたが、ここで罠を警戒するようなら始めからこの件に介入等していないとばかりに長政がズカズカ進んでいくため、直経と吉政は慌てて長政の周りを警戒し始めた。


 案内されるまま評定の間に足を踏み入れると、今回の騒動に加担した六角家重臣のお歴々が集まっているようだった。


「浅井殿をお連れした、今は和田山城の抑えをお願いしておる」


 言いながら腰を下ろす平井定武にならって、長政も下座に腰を下ろす。


 すると一斉に六角家重臣らの視線が長政に向けられ、まさに針のむしろと言った気分である。


「浅井殿、お力添え感謝致す」


 そう頭を下げたのは六角家重臣の一人、永田ながた賢弘かたひろ


 西近江を治める高島たかしま七頭しちがしらの一家、永田家の当主であり、六角承禎から偏諱へんきを受けている譜代家臣の一人だ。


 今回無礼討ちされた後藤賢豊かたとよとは親しい仲だったと記憶している。


「浅井の精鋭が味方ならばこれ以上に心強い物も無い!」


 そう声をあげたのは同じく六角家重臣の一人、馬淵まぶち建綱たてつな


 昨年の三好氏との戦いでも戦功をあげている程、承禎の腹心中の腹心だ。そんな彼までもが今回六角家に対して反旗を翻している事が事態の重大さを物語っている。


 それどころか、見渡せばその誰もが六角家で知らぬ者が居ない程の重臣ばかり。後藤賢豊の人望の厚さと、六角義弼よしすけに対する家中の失望が伺い知れる面々だ。


「して、この後は如何する?」


 長政が集まった者達の顔を見渡していると、平井定武がそう切り出した。


「やはり日野城へ追撃をかけるべきだろう。このままなし崩しで和睦しては、また同じ事が起こらぬとも限らん」


「しかし、仮にも六角は我らの主人だぞ? かような方法で攻めれば、不義理ではなかろうか」


「そもそも六角に忠義立てする必要もなかろう。昨年の三好攻めの恩賞すら、我らは碌に受け取っておらぬ。そんな中でこの騒動、先に不義理を働いたのは六角の方ではないか」


「そうじゃ!」


 どうやら、彼らの中にもまだ六角を攻めるべきが否か迷っている者も居るようだ。


 とは言え無理もない。何せ六角家と言えば鎌倉時代から代々続く由緒正しい南近江の守護だ。


 その名家を裏切ろうというのだから、現代人の感覚からすると、天皇家を裏切る事と同じような感覚なのかもしれない。


 とは言えその繋がりも利が無ければ簡単に切れてしまうのがこの戦国だ。


 今の六角に付くのは利が無いと思われれば、国衆はあっさりと鞍替えしてしまう事だろう。


「どの道、もはや六角家と手を結ぶつもり無し。私は六角義弼よしすけめに腹を切らせねば気が済まぬ。父と兄上を討った報い、必ず受けさせる」


高治たかはる殿、気持ちはわかるが早まるでないぞ」


 高治、と呼ばれたその男は、声色に憎悪をたぎらせて怒りの表情を浮かべている。どうやら彼は無礼討ちされた後藤賢豊かたとよの子のようだった。


 そういえば、後藤賢豊の次男が高治だったかとぼんやり思い出した。


「とにかく、まずは六角親子の向かった日野城を攻めねば始まらん。これで手切れになるにせよ和睦するにせよ、こちらの要求を呑ませるには、向こうから交渉の席を持たせなければ足元を見られる」


 年長の平井定武がそうまとめると、この場に集まった誰もが頷いた。どうやら話はまとまったらしい。


「ならば、我ら浅井も日野城攻めに助力致そう。少しでも兵は多い方が良かろう」


「ご助力感謝致す」


 とは言え連れてきている兵は高々千余り。彼らとて浅井の助力を本命にしている訳ではなく、あくまでも形だけと言うのは重々承知している事だろう。


 そうして細々とした陣立てや方針等を取り決めしたところで出陣は明朝に決まり、今日は兵を休めるために半日の休養を取る事になったのだった。


 長政は平井定武と共に布陣する事に決まり、明日の日野城攻めには観音寺城へ連れて来た蒼鷹隊と角鷹くまたか隊、合わせて約千名とともに出陣する。


 明日に備えて藤堂虎高、野村直隆の両名へ兵を休め、城攻めの準備をしておくように指示を出したところで、背後からチリンと鈴の音が鳴った。


「八重か」


 振り向けば、いつもの村娘のような姿ではなく、きちんとした侍女姿の、身なりを整えた八重の姿。

 相変わらず顔の右半分を長い前髪で隠して立っていた。


「姫様のもとへ行かれるのであればご案内致します」


 丁度小夜を訪ねようとしていたところだった長政の考えを読んだのか、あまりにも間が良い。

 もしかすると機会を伺っていたのかもしれない。


「わかった。直経、お前は平井殿に私が小夜に会いに行った事を伝えておいてくれ。急に居なくなると不安に思われるだろうからな」


「しかし……」


「護衛は八重が居る。八重の実力はお前もわかっているだろう?」


 長政がそう告げると、直経は渋々と言った様子で席を外した。


「吉政、お前も明日に備えて虎高のもとで休んでおけ」


 一方の新入りである田中吉政は、「その女、本当に強いんですか?」などと露骨に八重の実力を疑っているようだった。


 吉政からすれば、得体の知れない女を信用している長政の方が信じられないと言った気分なのかもしれない。


「試してみるか?」


 長政はそう問うと、その意味を測りかねて首を傾げる吉政を他所に、手頃な棒きれを二本拾って一本ずつ投げ渡した。


「まさか……この女と戦えと!?」


「なんだ、不満か?」


 長政の言葉に、吉政はカッとなったように捲し立てる。


「確かに俺は百姓上がりで皆ほど強くないけど、最近は剣術も覚えてきたし、何より女に負けるほど弱くはない!」


 怒る久兵衛を他所に、長政は「いいからやってみろ。八重、加減は要らんぞ」などとまるで八重の方が強いとでも言いたげな口ぶりだ。


 その上、八重も「承知しました」と無感情に答えたのが吉政の神経を逆撫でした。


 ただでさえ男と女という体格差があり、曲がりなりにも剣術を学んでいる吉政からすれば、八重の構えは素人のそれ。


 その上、丈の長い着物を羽織り侍女姿のまま構えているため、足を大きく動かせそうにもない。


 この程度の優劣さえわからないのか、と吉政は唖然とした。


 もしかしたら、長政は自分の実力を見誤っているのかもしれない。確かに最近、強くなった自分の姿を長政に見てもらう機会はなかった。


 だったらここで、少し本気を出して日頃の成果を――


「始め!」


 ――等と考えている間に、長政の掛け声と共に跳ぶようにして踏み込んできた八重の一振りで、吉政の木刀が宙に舞った。


 カランカラン、と乾いた音を立てて転がる木刀に視線を向ける事すら許されず、吉政は何が起きたのか理解する前に敗北した。


「私がもし本物の刺客ならば、貴方が負けた時点で新九郎様は殺されていますよ」


 スッと美しい所作で木刀を引いた八重は、呼吸一つ乱れた様子がない。


 それを眺めていた長政も、まるで当然とばかりに驚きの色一つ見せはしない。


「相手が女だからと油断したな。言っておくが、八重は甲賀の忍びの中でも凄腕だ。女だから厚遇こそされていないが、実力は一、二を争うと俺は踏んでいる」


 長政の言葉に「買いかぶりすぎです、新九郎様」と謙遜する八重を他所に、吉政は慌てて木刀を拾い上げて言った。


「も、もう一度手合わせをお願いします!」


 そこには先ほどまでの油断も侮りも無く、純粋に強敵に臨む一人の武士もののふとしての吉政の姿があった。


 長政の顔色を伺うようにしていた八重に長政が頷き返してやると、もう一度木刀を静かに構えた。そして。


「はじめ!」


 先ほどと同じように、長政の掛け声と同時に八重は踏み込んだ。


 先ほどは油断していたため一足で踏み込んできたように見えたが、よく見れば二歩三歩と素早く連続で踏み込む事で、歩幅は小さくとも瞬く間に距離を詰めてきている。


 しかし踏み込んでくるとわかっていれば受けるのも容易い。先ほどと同様に横薙ぎに振られた八重の一撃を木刀で受け――


「ぐっ!」


 ――止めた瞬間、その一撃の重さに思わず唸る。小柄なりに胴から振り抜く重い一撃だ。


 更にそこへ、吉政の持ち手目掛けて八重の二撃目。

 八重は左手を木刀から離してドンと弾き、それによって大きく胴が開いた吉政目掛けて容赦なく右手の木刀を振り抜いたのだった。


「ぐわっ!」


 無理な体勢からその一撃をかわそうとして仰け反った吉政だったが、そのまま体勢を崩して尻もちをついてしまった。


 そこへ静かに八重が木刀を下ろして勝負は決まる。


「相変わらず、見事な手前だ」


「この戦い方を教えて下さったのは新九郎様です」


「それをここまで昇華させたのは八重の努力だろう。誇って良いと思うぞ」


「……ありがとう、ございます」


 照れくさそうにそう言って腰を折る八重。その一方で吉政は、信じられないものを見たとばかりにまだ地面に座り込んでいた。


「まぁ、そういう訳だ吉政。八重が居れば護衛はそう何人も要らん。ましてや観音寺城は、人質時代に散々歩き回った俺のもう一つの庭だからな。万が一など起こりようはずがない」


「昔からそうやってすぐに油断される点は治っていませんね」


「……」


 八重の言葉に口をつぐんだ長政を茫然と眺めていた吉政だったが、立ち上がると威勢よく「もっと精進します!」と声をあげ、その足で藤堂虎高の元へと駆けていった。


 そんな吉政の背中に、八重は「良い子ですね」と呟いたのだった。

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[良い点] いつも楽しく読ませてもらっています。 [気になる点] >現代人の感覚からすると、天皇家を裏切る事と同じような感覚なのかもしれない。 本文のような例えの際に無闇に現代の天皇家の名前を出すべ…
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