047_永禄六年(1563年) 騒動の始まり
長政がいつものように自室で各地から届けられた嘆願状や書状に目を通していた時、チリンと聞き覚えのある鈴の音が鳴った。
見ればそこにはいつのまにか、長政の元婚約者、小夜の侍女であり、同時に六角家の忍びでもある八重の姿が。
いつものように町娘のような服装で、顔の半分を長い前髪で隠して長政の前に現れた。
こうも易々と侵入を許すと浅井の警備に問題がある気がしてくるが、それだけ八重の腕が一流だという事で納得しておく。
「ご報告。六角家家臣、後藤賢豊様並びにそのご嫡男を、六角家当主、六角義弼様が無礼討ち致しました。それを知った六角家重臣らが六角家に対して謀反を起こし、平井定武様より浅井様へ支援を願う書状をお預かりしています」
小夜とは似ても似つかない、豊かな胸元からすっと書状を取り出した八重は、その書状をそのまま長政へ手渡す。
その知らせを聞いた時、長政の胸中に野望の芽が覗いた。
長政が待ち続けたその時が、ついに訪れたのだ。
「左様か」
知らせを受けた長政は書状を開く。
そこには予想通り、今回の騒動の発端と六角義弼に対する怒り、そして場合によっては南近江の一部を割譲するため力を貸してほしいと記載があった。
今は六角家臣団が一斉に離反し、これから観音寺城を包囲しようとしている段階のようだ。
比較的早い段階でこの知らせを受け取ることができたのは僥倖。長政の振る舞い次第でどうにでもできるだろう。
後に観音寺騒動と呼ばれるこの事件は、六角家当主の座を継いだ六角義弼が重臣の後藤賢豊親子を観音寺城へ呼び出し、殺害した事に端を発する。
この無礼討ちの理由は諸説あるが、一番の目的は父、六角承禎の影響を排除するためだと言われている。
後藤賢豊は六角承禎の右腕的存在であり、浅井家でいう赤尾清綱のような立ち位置の家臣だ。
家臣団の取りまとめや物事の差配は全て彼が取り仕切っていた。
義弼からすれば、そんな彼が目障りだった事この上ないだろう。
「近頃六角の動きが大人しかったのも、後藤殿の差配によるところか」
「はい。浅井討伐を訴える義弼様を何度も諌めておいででした。……その結果がこれですが」
もしかすると、義弼は恐れていたのだろう。
京極家における浅井のように、いずれ無能な当主に代わって有能な家臣が国を乗っ取ることに。
義弼は昔から、自分には力があるのだと人に吹聴して回るところがあった。
それは裏を返せば自分に自信が無い証拠だ。わざわざ言葉にしなければならないほど、周りも、そして己さえも、六角義弼と言う男を評価する事ができなかったのだ。
そんな自分をいつ、後藤賢豊が裏切るかわからない。だったらその前に……と言ったところだろうか。
「相変わらず、浅慮なことだ」
長政は思わず鼻で笑った。
とにかく、六角義弼の浅慮から引き起こされたこの後藤賢豊の無礼討ちは、六角家を真っ二つに割る事になった。
何せ後藤賢豊は家臣団からの人望も厚く、六角家のため粉骨砕身で働き続けていた。六角義弼なんかよりよっぽど六角家に必要な人材だっただろう。
それを浅慮な当主が無礼討ちと称して暗殺したのだから、家臣団が怒るのも当然である。
これによって六角家家臣団の心は完全に離れ、彼らは怒りから兵を起こし、六角家の居城である観音寺城を包囲する事になったのだ。
この先に起こることは、史実がしっかりと記している。
史実では、これに驚いた六角承禎が事態を把握できないままに観音寺城から逃げ出している。
その際、義弼を連れて逃げたのが不味かった。
六角家家臣団からすれば、それは自分の子をかばうために逃げたようにしか映らなかっただろう。
結果、完全に六角家との手切れを考えた六角家重臣達は、六角親子が逃げ込んだ蒲生賢秀の居城、日野城へと出兵する事となるのだ。
そして史実の浅井家は彼ら家臣団の要請に応じ、あくまで手助けと言う形で兵を出している。
その後、浅井の介入を恐れたのかはわからないが、六角承禎は手早く家臣団との和睦を測り、六角義弼を出家させる事で事実上の追放。そして善治の弟の義定を当主にする事で和睦している。
その際、浅井家に対してはこれ以上の介入をさせないためか、観音寺城の東を流れる愛知川から東側の領有権を認め、これまで浅井と六角の勢力が入り乱れていた東近江の領地を全て浅井へ引き渡す事を承諾した。
愛知川と言えば、長政の初陣を飾った野良田からすぐ西を流れる川だ。
つまり、野良田の辺りまで全てが正式に浅井家の領土となる。
これにより朝妻や、昨年磯野員昌が同士討ちの末に攻略に失敗した太尾城も抵抗をやめて開城、浅井家は三十万石を越える戦国大名に成長するのである。
また観音寺騒動はその後の六角家運営にも大きく影を落とす。
六角家と家臣団の間の溝は最後まで埋まる事がないまま、織田の上洛戦時の重臣達の寝返りに繋がり、六角家は滅亡する事になる。
つまり史実通りに歩めば、長政は一切懐を痛める事なく悩みの種となっている東近江の国衆を味方につけ、さらには六角家を滅ぼす事まで出来る訳だ。
浅井家にとって都合の良い事しか起きないこの観音寺騒動。しかし長政は、史実通りに終わらせるつもりは毛頭なかった。
「相分かった。平井殿に兵を出すと返答しよう。我が精鋭兵二千を含めた、七千の兵と共に観音寺城へ参るとな」
「驚かれないのですか、謀反の事」
八重が不思議そうに問うが、長政からすればとっくに知っていた事。とは言えそれをそのまま伝える訳にもいかないため言葉を濁した。
「あぁ。近頃、南近江がきな臭くなっている事には気付いていたからな。あの六角義弼の事、いずれ何かしらを起こすとは思っていた。まさか、ここまで大ごとになるとは予想していなかったが」
「なるほど……確かにそうかもしれません」
長政の言葉に、八重がふっと力を抜いたように見えた。
幼い頃から長政と共に、義弼と言う人間をそばで見続けていた八重からすれば、長政の言葉がすんなり納得できるくらいに義弼は普段から浅慮な振る舞いが多かったためである。
「承知いたしました、平井様にはそのようにお伝え致します。……それから、姫様にも」
そうして、チリンと鈴の音だけを残して八重は消え失せた。
彼女のその身のこなしは実に見事で、まるで初めから誰も居なかったかのような錯覚を覚えるほどだ。
こう言った身のこなしからも、彼女の忍びとしての才覚を感じ取ることができる。
「誰かある!」
その後、すぐさま長政は人を呼び、国衆や家臣達に評定の間に集まるよう伝言を頼んだ。
そして一人残った部屋で、長政は決意を新たにする。
かつて六角との決別の際に六角家へ送り返された長政の妻、小夜姫。彼女を取り戻すという野望の火は、決して消える事なく長政の胸に灯り続けていたのだ。
自身を兄様と呼び慕う小夜姫を取り戻すことは、長政にとっては領地を得る事や六角が弱体化する事より遥かに重要だった。
必ず取り戻す。かつて彼女に誓ったその想いに揺らぎはなく、長政は静かに立ち上がるのだった。
◆――
三日後、すぐさま軍備を整えた長政は、同じく軍備を整えた蒼鷹隊、白鷹隊、そして新たに編成した角鷹隊と共に早々に小谷を発った。
その余りの速さに他の家臣や国衆は対応が間に合わず、藤堂虎高、野村直隆、浅井政澄、遠藤直経の四名と約三千の兵での出陣となった。
その中には先日召し抱えたばかりの田中久兵衛の姿もある。
今は元服し、田中吉政と名を改めていた。
こうして図らずも精鋭が揃った浅井軍の行軍は素早く、翌日には愛知川を渡河、瞬く間に愛知川の先にある和田山城へと到達した。
この和田山城は愛知川を越えてすぐの小高い山に築かれた城で、観音寺城までの道のりを守る最後の城でもある。
六角義弼が対浅井のために築城させた城だが、史実では結局ろくに使われないまま廃城になっている。
そんな和田山城に長政が到達した頃には、既に六角家重臣の一人であり、長政に援軍を要請した張本人の平井定武が城を制圧していたようだった。
「お早い到着、ご足労痛み入る」
山のふもとに兵を整列させる長政の元へ、少数の供を連れて現れたのはかつての義理の父、平井定武。
白髪混じりの好々爺、と言った様子で相変わらずのように見える姿にどこかほっとする。
しかし、今ここにいるのは六角家重臣の平井家当主と、その敵である浅井家当主だ。
一時的に手を組んでいるとは言え、これからの展開次第ではまた敵となりえるため気を引き締めて応えた。
「乱世の倣いで手切れになったとは言え、かつては義父と仰いだ平井殿からの救援要請となれば、取るものも取らず駆け付けるのが道理と言う物。数こそ少ないですが、彼らは五百の兵で斎藤軍一万を破った精鋭なれば、数以上の働きをお見せ致しましょう」
「おぉ、これがかの湖北の鷹率いる精鋭か。敵であるうちは恐ろしい限りだったが、味方になるとなんと心強き事か」
昨日の敵は今日の友。そんな事が日常茶飯事のこの戦国に生きるだけあって、この辺りの転身の早さは流石とでもいうべきか。心から嬉しそうにそう告げる平井定武に敵意は感じ取れない。
父の久政より一回り年上の平井定武は柔和な笑みを浮かべてしわを深くする。
その穏やかそうな表情に見える腹の下で、一体何を考えているのかまではわかったものではないが。
「して、状況は?」
「若様が昨夜のうちに城を捨てて蒲生殿の守る日野城に逃げ込んだとか。大殿は箕作城に籠っているようですが、永田殿、三上殿の軍勢が包囲しておりますな」
仮にも当主であるにも関わらず、若様などと呼ばれている義弼の人徳のなさに苦笑する。
義弼を若と呼ぶその口で承禎を大殿と呼ぶのだから、誰が六角家を牛耳っているのかは明白だ。
史実通りならば、今日か明日にも承禎は義弼同様に城を捨てて、蒲生賢秀の守る日野城へ落ち延びるはず。
日野は国友同様に鉄砲生産が盛んな町だ。
史実通りに進むならば反六角の勢力は、日野城を落とそうと包囲するも大量の鉄砲による抵抗で攻撃に失敗する。
その後膠着状態となり、蒲生の仲介で六角家と家臣らの和睦が成立。騒動は一旦の収まりを見せるわけだが。
「我ら浅井も観音寺城の包囲に加わったほうが良いだろうか」
長政が問うと、平井定武はううむと唸った。
「浅井殿に加勢頂きたいのは山々なのだが、下手に浅井軍が観音寺城に攻め寄せれば、観音寺城を包囲している者達が動揺する事も考えられる。それ故この和田山城の防衛をお願いしたく」
平井定武の言葉になるほど、と頷く。
確かに一時的に手を結んでいるとは言え、結局は一時的なもので、彼らの中には浅井によって身内を討たれた者もいるだろう。
そんな状態で長政が七千もの勢力で攻め寄せれば、動揺した国衆が長政に刃を向ける事もありうるかもしれない。
だとすれば和田山城に浅井兵を抑えとして残し、いざと言う時に出兵できる状態にしておく方が都合がいいという事だろう。
とは言えそれを素直に受け入れてしまっては、後は長政は史実通りに進む観音寺騒動の顛末を黙って眺めるだけになってしまう。
それだけは回避しなければならない。
「ならばこうしましょう。今ここにいる手勢のうち二千と、これから後詰としてやってくる四千の兵を和田山の抑えとして残し、残った一千で私も包囲に加わるのです。一千の兵ならば国衆を下手に刺激する事もないでしょう。それに……小夜の顔も見ておきたい」
長政が小夜の名前を出すと、平井定武も複雑そうな表情を浮かべた。小夜との離縁は長政の本心ではない事を平井定武もわかっているのだろう。
そうしてしばしの沈黙の後、静かに「……承知した」と頷いたのだった。
◆田中吉政について
本来長政の家臣が浅井家の通り字である政を使う事はあり得ませんが、都合上吉政とします。