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046_永禄六年(1563年) 浅井小屋4

 そうして嘆願状を出すことや、返書が来るまでは弓削家が(と言う体裁で浅井家が)子供達の食事の面倒を見ること等を簡単にその場で取りまとめ、弓削家澄は共の者達を連れて去っていった。


 その際、野次馬達に「何を見ておる、さっさと散らんか!」と八つ当たり気味に怒鳴っていたので、何かと普段から気苦労の多い御仁なのかもしれない。


「案外お優しい方なのかもしれませんね」


 なんだかんだと言いつつ、最後は面倒ごとを全て引き受けていった弓削家澄。

 その背中を見送って、新七郎がそんな事を呟いた。


「まぁ、戦国では苦労するだろうな。もう少し厚遇してやるか」


 幸か不幸か、本人の意図しないところで厚遇が決定した弓削家澄なのだった。


「にいちゃん! その、ありがとうな。色々と……」


 警邏が立ち去った広場で、残された子供達と一緒に久兵衛が声をかけてきた。


 表情がどこか明るいのは、捨て子達の将来に多少なりとも希望が見えたからだろうか。


「まぁ、全てはこれからだがな。お前たちが、弓削様や浅井様に恥をかかせるような事をすれば、当然この話は無かった事になる」


「弓削様や浅井様に、この御恩に報いて見せます」


 今度は与助が、慣れない敬語で辿々しく、それでも引き締まった表情でそう言う。


 どうやら当面の間は大丈夫そうだ。


「それにこの件、一番手柄は私では無く新七郎だ。新七郎の言葉が無くては、こうも上手く決まらなかったからな」


 長政が新七郎に水を向けると、彼は「いや、俺は……」と俯いていた。


「……その、ありがとな。俺、武家の奴らってみんな戦ばかりで、俺たちの事なんかどうでもいいと思ってる奴らばかりだと思ってた」


 そう言って右手を差し出す久兵衛。新七郎はその差し出された手を、気恥ずかしそうに、しかししっかりと握り返す。


「さてと、ではお前たちに早速仕事を頼みたい。これから私は、この事を辺りの子供達に知らせるために街を巡る。お前たちにはその警護をしてもらいたいのだ」


 二人の握手を見届けた長政は、パチンと手を鳴らしてそう言った。


「警護?」


「左様。私も武家の端くれ、もし万が一の事があると困る。だからお前たちには私の護衛を頼みたい。もちろん報酬もある。握り飯を腹一杯に食わせてやる。どうだ、やるか?」


 長政の言葉に、子供達はすぐさま返事をしたのだった。



◆ーー



 それから一月ほど経った頃。

 かつてボロ小屋のあった空き地には、新たに建てられた小屋の姿があった。


 水道管や電気等が存在しない分、この時代の家の建築は現代に比べてずっと早く、その上それを手掛けたのが建築に秀でた白鷹隊となれば桁違いの速度で建築が進むのも納得と言うもの。


 そうして新たに建てられた小屋には、“浅井小屋“の文字と、たくさんの子ども達の姿があった。


「こら、小屋を傷つけるんじゃない。浅井様や弓削様に申し訳が立たぬでしょう」


 元気が有り余ると言った様子の子供達が屋内を駆け回る音と共に、そんな声が小屋から聞こえてくる。

 声の主は、どうやらお坊のようだった。


「今日は浅井様がいらっしゃる日なのですから、ちゃんと出迎える支度をせねば」


「おじい、こっちは準備できた!」


 おじい、と呼ばれたそのお坊は、白い髭を撫でながら「はいよぉ」と返事する。


「おじい、気の抜けた返事するのやめてくれよ……鷹隊はハッ! て返事すんだよ」


「ワシは鷹隊ではないわ。それより久兵衛、そして与助。お主ら、その格好で浅井様の前に出るつもりか?」


 そう言われた二人の顔には今は泥が付き、手足も汚れていた。


「まずい、さっき小僧どもを追いかけた時だ」


「久兵衛、急ごう! 浅井様が見えちゃうよ!」


 そうしてドタドタと走り去る二人の背中を、お坊は「これ、走るでない!」と叱りつけたのだった。


 その直後、辺りが俄かに騒がしくなり始める。

 見れば遠くの方では、町人たちが慌てて道を開け、地面に土下座を始めていた。


「いかん、参られた。みな、急ぐのだ」


 お坊の言葉に子供達は庭へ並び始める。

 その際に丁度、騒ぎの向こうから大きな大きな声が響いた。


「浅井備前守様のおなーりー!」


 蒼鎧を纏った蒼鷹隊が次々道に整列し、道の中央を開けていく。

 そうして彼らが作った道の先にあるのは、もちろん浅井小屋。


「さ、失礼のないようにな。浅井様はお優しい方だが、失礼があってはならぬ。肝に銘じよ」


 お坊が柔和な顔を、なんとか厳しい顔に見せながら言い含めると、子供達は子供達なりにことの重大さを理解しているのか「はい!」と答えた。


 そうしてたっぷりの時間をかけて、馬に跨ったままかっぽかっぽと揺られて来た男こそ、北近江を治める戦国大名、浅井長政その人であった。


 烏帽子を被り、ひとえを帯で巻き、袴を履いた狩衣かりぎぬ姿でありながら、どこか厳かな雰囲気を纏っている。


「お坊、久しいな。大事はないか」


 そんな長政が馬の上から声をかけると、お坊は頭を下げて「よくして頂いております」と丁寧に答えた。


 彼の周りを固めるのは、蒼鎧を纏った蒼鷹達。この蒼鎧は、浅井の中でも最も強い精兵である証だ。


 恐らく今、蒼鷹隊が固めるこの場所より安全な場所は、この近江には存在しないだろう。


「急に済まないな。余り大事にはしたくなかったのだが……」


「なにを申されるか。浅井家の当主とその先代が、揃って街に降りられるとなればしっかり護衛で固めねばなりますまい」


 長政の愚痴に答えたのは遠藤直経。彼も今回護衛の一人として駆り出されていたようだが、それを聞いていた藤堂虎高や弓削家澄なんかもうんうんと頷いている。


「本当はいつも(・・・)のようにお忍びで来るつもりだったのだが、彼らに見つかりこのザマだ」


「五日ほど前に浅井様が参られるとの知らせを受けた際、そんな事だろうなとは察しておりましたよ」


 お坊は愉快そうに「ほっほっ」と笑うが、長政はうんざりした様子だ。

 こうなる事がわかっていたからこそ、本当はいつものように、浅元新十郎として顔を見せるつもりだったのだが……


「今日来たのは小屋の様子見と、前から言っていた算術を教える師。それが見つかったので顔見せに、と思うてな」


 長政の言葉に、お坊の表情は喜びに変わる。


「おお、誠に御座いますか。いやはやお恥ずかしい話、わたくしは簡単な算術なら教えられますが、難しい事になると些か……」


「気にするな。お坊は子供達の世話をしてくれているだけで十分だ。継潤の伝手で来たのがそなたで良かった。他に困り事があればすぐに私に言うのだぞ」


「はい、頼りにさせて頂きます」


「それで師だがーー」


「いつまでワシを待たせるつもりだ新九郎」


 そこへ現れたのは、長政と同じように馬に跨った姿の浅井久政だった。


 彼も今日は長政同様に狩衣姿で、先代当主らしい風格を纏っている。

 普段の偏屈な年寄り姿からは想像できないほど、逞しく見える。


「父上、お待たせ致しました。お坊、算術の師と言うのは他でもない、私の父であるこの浅井久政だ」


 長政の言葉に、お坊の目は驚愕に染まる。


「お、お、お、お父君様が算術を!?」


「なんじゃ、不満か?」


「め、滅相もございませぬ! しかし、それでは余りに……」


 チラチラと弓削家澄や遠藤直経に視線を送るお坊だったが、彼らは諦めたように首を横に振るだけ。どうやらこのくだりは既にやったらしい。


「案ずるな、父上は私が知る限りで最も算術に優れている方だ。故あって政務に就けるわけには行かぬため、勿体無いと思っていたのだ。政元も元服したところだったしな」


「フン、まぁ多少は暇を持て余しておったのでな」


 浅井家の当主交代劇を知るお坊からすれば、故があり過ぎて何とも言えず、言葉を濁すしかない。


「父上は皮肉屋で口は悪いが、これで案外子供好きなのだ。まぁ、不満があれば私に言ってくれ」


「不満など滅相も!!」


「まぁ、暇な時に顔を見せる程度のつもりだがな。読み書き算術くらいは最低限できるようにしてやる。これも家のためだ」


 憎まれ口を叩く久政に、お坊は「ははぁ」と腰を折ったのだった。


「それからもう一つ、今日来た理由があるのだが……」


 そこへ今度はドタドタと、二人分の足音が響く。

 それを聞いたお坊は、まずいと言う顔をしてすぐさま釈明を始めた。


「あ、あの者達は小さい子供たちを支度させるため、身体が汚れてしまい! どうぞ寛大なご処置を!」


 何を言っているのかと思えば、直後に長政達の正面から現れたのは、久兵衛と与助の二人だった。


「あ、浅井様……!」


「久兵衛、頭を下げろ!」


 大名が通る道を横切っただけで斬り捨てられるような時代だ。こんな現れ方をすれば、斬られても文句を言えない。


 しかし長政は必死に頭を下げる二人を見て、フッと笑う。


「あの二人を召し抱えたいと思ってな。不都合はあるか?」


「い、いえ! しかしまだ躾も行き届いておりませぬ、浅井様のお気に召すかどうか……」


「いや、構わん」


 言いながら長政は馬を降り、頭を下げる二人の元へと歩み寄る。


「そう言う事だ。お前たちに不満がなければ、私の傍に仕えてはくれんか。近江の事に詳しい者が傍にいれば、私も助かる。さ、顔を上げてくれ」


「こ、光栄で御座います! しかし俺たちはーー」


 そこで二人は、よく知る男の顔を見た。


「……新十郎兄ちゃん?」


「なんで……」


「言っただろう、私はお前たちをこの北近江から追放できる立場にあると。私が新十郎である事は他の者たちには内緒だ。騒ぎになると買い食いができなくなるのでな」


 小声でヒソヒソと、仕掛けが決まったとばかりに長政は笑うが、二人は今何が起きているのか理解できずに口をぱくぱくさせる。


 きっとあの日の弓削家澄もこんな気持ちだったのだろうな、などと突拍子のないことを考えながら。


 そんな二人に長政は、もう一度問うた。


「して、私の元に来るのか、来ないのか」


 その言葉にハッとした様子で、二人は声を上げる。


「も、勿論お仕えさせて下さい!」


「私も! 浅井様の元でお仕えしとうございます!」


「よし、ならば重畳。目的は果たした、では皆帰るぞ。今日は私の奢りだ、今浜の店全ての食い物の代金を浅井が持つ! さあ皆、飲め! 食え!」


 長政得意の大声が辺りに響き渡り、今浜のあちこちからは歓声が聞こえた。


「殿、良いのですか?」


「構わん。どうせ貯めていても使わぬ金だ。ならば民の心を掴むために使った方が良かろう」


 直経にそう言い聞かせながら長政は再び馬に跨り、浅井小屋を後にして行った。

 最後に「私も焼き魚を食いたい。誰か買って来てくれ」などと言い残しながら。


「なんと豪胆なお方だ。ほれ、久兵衛、与助、さっさと行かぬか。浅井様をお待たせするな」


「は、はい!」


「すぐに行きます!」


 二人は慌ててその背中を追いかけて、町民たちの歓喜の声の中を走っていく。


 喜びに満ちた今浜に、未来への希望を抱きながら。


 ……後日これらの支払いについて、長政が弟の政元にこっぴどく叱られ、しばらくお忍び外出が禁止されたのはまた別の話である。

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