045_永禄六年(1563年) 浅井小屋3
現場に駆けつけると、数人の警邏と思わしき兵達が子供達と小競り合いをしている様子だった。
彼らは子供達相手でも容赦なく襲い掛かり、力ずく縄で縛り上げていく。
その扱いは子供に対するそれではなく、ただの犯罪者を扱う手つきだ。
「待て、相手は子供だぞ。そこまでする必要もないだろう」
「なんだ、まだいたのか。通りで最近、盗みが増えて来ているわけだ」
長政が思わず声をかけると、少し離れたところから鬱陶しそうに男の声が聞こえた。
そちらに視線をやると、そこに居たのは刀を携えた男の姿。どうやら武士らしい。
その男は実に面倒臭そうに、「なぜわざわざ私が……」などと愚痴りながらも警邏へ的確に指示を飛ばしている。
「俺たちの家だぞ!」
「馬鹿者、お前達のものではない。元々取り壊す予定だった空き小屋をお前達が勝手に使っているだけだろう。あ奴らも捕らえろ」
そうして周りの警邏達は、その男の指示に従うようにして瞬く間に久兵衛と与助を捕らえた。
「畜生、放しやがれ!」
「くそ、離せよ!」
身なりが良いお蔭なのか、幸い長政と新七郎はそれに巻き込まれる事なく、警邏達は二人にお構いなしだ。
しかし長政は、そんなことより気になる事があった。
うだつの上がらない、どこか嫌々な雰囲気のあるあの武士。嫌味な髭と、三十代前後と言った風体の顔つき。そして何より、あの目つき。
どこかで見覚えが。
「全く、面倒で敵わん。で、そっちにいるのが――」
「……まさか、家澄か?」
「無礼な、私の名を……ん?」
随分と馴れ馴れしく己の名を呼んだ事を咎めようとしたその武士は、しかし長政の顔を見て思考が止まった。
浅井家の重臣、弓削家澄。
元京極家の家臣にして、この今浜を治める領主でもある彼を、家澄などと気軽に呼ぶ男の顔。
その顔は、自分の名を気軽に呼べる、数少ない人物の顔とそっくり――いや、瓜二つ。
弓削家澄が主と仰ぐ人物の顔が、何故かそこにあったのだ。
直後、何かに気づいたように表情が固まる。そしてみるみるうちに驚きの色が満ちていく。
「と、と、と……!」
どうやら弓削家澄が長政に気づいたらしい事に、表情から察する。しかしこのままではまずい。
「との――」
「これはこれは、弓削様ではございませぬか!」
弓削家澄の言葉を遮るように、長政が大声を張る。ここで長政の正体がバレると困るため、彼に“殿”などと呼ばせる訳にはいかない。
しかし彼の言葉を遮るように大声を出したため、辺りの視線が二人に集ってしまう。
そこで長政は、大振りに振る舞いながら弓削家澄に歩み寄っていく。
「まさか私の顔を忘れたわけではありますまい! 弓削家家臣が一人、浅元新十郎にござる!」
「あ、浅元?」
そう困惑する様子の弓削家澄にすぐさま近寄り、軽く肘打ちを入れる。
「話を合わせろ!」
「な、何故こちらに!?」
「良いから!」
長政が辺りに視線を向けると、家澄はその視線を追う。
周りには二人の様子を伺う警邏や子供達と、それらを遠巻きに眺めている野次馬達の姿。
長政の正体がバレるとまずい事は、家澄にもすぐに理解できた。
「こ、これらこれは! 浅元殿ではござらぬか、いや奇遇にござるなこんなところで!」
「いや誠に、かような場所でお会いするとは!」
ハッハッハッとわざとらしく笑いながら、内心では冷や汗を大量に流す二人に、兵の一人が駆け寄り、そして家澄に耳打ちする。
「お知り合いで?」
耳打ち、と言いつつ長政にもわざと聞かせるようなその言い草に、家澄は慌てて声を上げた。
「ぶ、無礼な! こちらはーー」
「いや、良いのです。左様、我が浅元家は弓削家にお仕えする家臣の一族にござる。ですな、弓削様?」
「そ、その通りだ。浅元殿は、弓削家に仕えるーー」
「浅元殿などと他人行儀な。普段通り、新十郎とお呼び下され」
「しん!?」
自身の主人を、偽名とは言え呼び捨てできるはずもない。
今度は内心ではなく、目に見える形で冷や汗をかき始めた家澄の姿を、兵達は不思議そうに眺めていた。
「お、おい! 知り合いなら、何とかしてくれよ!」
そこへ、久兵衛の声が響いた事で、そう言えば捕まっていたのだったなと新九郎は思い出した。
「弓削様。この空き家はこの者達の最後の行き場なのです。なんとかなりませんか」
あくまでも弓削家家臣の体裁を崩さず、交渉を持ちかける。
いくら長政が浅井家当主とは言え、この今浜を治めているのは弓削家だ。
弓削家当主の弓削家澄を無視して、好き勝手できるわけもない。
一方の家澄も、主人である長政の願いを無碍にするわけにも行かないのだが……
「なんとか、と申されましても……こちらとしても盗人の被害に頭を悩ませている次第にて。商人達からは山ほど嘆願がきておりますれば……」
自然と敬語になってしまっているが、主家と家臣とは言え敬語で話すことも珍しくは無い。
問題は周りが見ている光景と実際の事実関係が異なっている事だが、その事に気付くものは誰一人として居なかった。
「ならばせめて、子供達に仕事を与えてやれませんか。そうすれば飯を食うだけの金が手に入る」
「子供に回せるような仕事は既に職のない大人達がやっておりますれば。誰しも戦えるわけではありませんからな……」
「しかし……」
「それに、この辺りの寺はどこも捨て子ばかり。他に引き取るあてもありますまい。哀れに思われるのは構いませぬが、心を鬼にせねば共に沈みますぞ」
流石は長政より長く生きているだけあって、どこを助けてどこを切るべきかをよくわかっている。
家澄が冷たいわけでは無い。そうしなければ、誰もが共に沈んでしまうのだ。
だからこそ領主として、切るべきところは切らなければならない。他の者達まで共倒れする前に。
「……いっそ、我らで寺でも建てるか?」
得意のトッピな発想を提案してみるも、家澄は静かに首を横に振る。
「建ててどうします。面倒事にしかなりませんぞ」
「それはそうだが……」
寺を建て、比叡山にでも援助を願おうかと思うが、そんな事をすれば比叡山信仰が長政の膝下の今浜で広がってしまう。
そうなればいざと言うとき、比叡山の僧が声を上げるだけで彼らはその従順な尖兵となってしまう。
面倒事に繋がるのはわかりきっていた。
どうしたものかと悩む長政と、何とかしてやりたいが……と言う表情を浮かべる家澄。
しかし良い案は出る事がなく、二人の沈黙を破ったのはもう一人の男だった。
「だったら子供達を預かる小屋を建てれば良いではありませんか」
それは長政の弟、新七郎。今年で八つになる彼から飛び出たのはそんな言葉だった。
「小屋……?」
その言葉に家澄は首を傾げるが、長政にはピンときた。孤児院を建てればいい、と言う話だろう。
しかし幼い彼のこと、きっと思いつきで言っているだけで現実が見えていない。
「簡単に言うがな新七。一度世話を始めたら独り立ちするまで面倒を見なければならぬのだぞ」
「面倒をみれば良いではありませんか」
「子供一人育てるのに一体銭がどれだけかかると思っている。米に服にそれ以外にとかかるのだぞ」
長政の言葉に、しかし新七郎は怯まず続ける。
「銭はあると、九郎兄上はよく申されているではありませんか。それに八郎兄上も、銭が多すぎて困ると申されていました」
「それはそうだが……」
当然この時代、銀行なんてものは無く、紙幣もないため貯金は大量の銭か米を蔵に溜め込む事になる。
しかしそれらは場所を取るため、必要以上に蓄える事は逆に損になる場合が多い。
そのためこの時代では、必要分以上は貯蓄するより何かに替えて、必要な時に改めて買い直す方が手っ取り早いのだ。
近頃の豊作で蔵に米が溢れている浅井家では、政元がこの米を何かに変えたがっていたのだが、それを言っているのだろう。
「しかし善意で初めても続かぬぞ。我らへの見返りがなければ、いずれ破綻する」
「読み書き算術を教えれば良いではありませんか。常日頃から、兄上達はよく仰っております。内政を行う人手が足らぬと」
「それはそうだが……」
近頃の豊作のお蔭で、政元や政澄、そして今いる家臣達だけでは内政が回らなくなりつつある。
とは言えどこかから連れてきた正体のわからない者に、浅井家の全てがわかる内務を任せる訳にはいかず、人員の確保に苦労していた。
しかし、確かに捨て子であれば、自分達で育てることで信用できる存在となる。
いずれは内務に充てることもできるだろう。
悩む長政に、新七郎は更に続ける。
「子供たちに算術を教え、お家で働けるようにすれば良いではありませんか。算術ができぬものは、白鷹隊に入れれば良いではありませんか」
「しかし小屋を建てるにも人手がな」
「それこそ白鷹隊を使えば良いではありませんか」
「人手だけでなく場所も」
「この場所に小屋を立て直せば良いではありませんか」
長政の呟きに次々反論する新七郎。
そこまで言われると、確かにできそうな気がしてくる。
「……案外行けるか?」
「殿!?」
思わず家澄が叫ぶも、既にその叫びは長政には届いていない。
「いや、誰が面倒を見る? ……最悪、叡山の伝で坊主の一人や二人くらいは引き抜けるか。いや、継潤に頼めばいいな。あとは算術を誰が教えるかだが……」
ぶつぶつと独り言を呟き、そしてある程度したところでうむと一人頷いた長政。
すると突然、何かを思いついたように顔を上げると、大声を上げた。
「弓削様、どうかお願い致します! 浅井の殿様に、小屋を建てて頂けないかご嘆願願えませぬでしょうか!」
「わ、私が!?」
「私のような下賎なものでは御目通りすら叶わないでしょう。ですが弓削様であれば、嘆願も聞き届けていただけるものと!」
突然長政が弓削家の領地に小屋を建てるのは、たとえ親切心からだとしてもまずい事になる。
しかしそれが弓削家からの嘆願であれば話は別だ。
長政は暗に、「弓削家からの嘆願で浅井家が動いた」という体で小屋を建てさせてくれと言っているのだ。
しかし家澄は口籠る。
「いや、わたしにはとても……」
大名への嘆願となると、それが八百長であっても大事になりかねない。もしもの時、困るのは家澄なのだ。
すると長政は辺りを見渡しながら声を張り上げた。
「お前達も頭を下げろ! お前達の家が建つか建たないかなんだぞ!」
その言葉にハッとした様子で、子供達はすぐさま頭を下げた。
「お、お願いしますお武家さま!」
「お願いします! お願いします!」
自分達の命がかかっているだけあり、必死に頭を下げる子供達。
その姿に、そして何よりその浅井様本人に頭を下げられては、嫌と言うわけにもいかない。
更には野次馬達もヒソヒソと噂し始め、家澄はヤケクソ気味に叫んだ。
「わかった! わかった、浅井様へ嘆願する! それで良いのだろう! 頭を上げろ!」
その言葉に子供達は嬉しそうに顔を上げる。だが家澄は、「しかし」と声を挟んだ。
「しかし、浅井様とてお忙しい方だ。いつ嘆願の返書が来るかはわからぬ。それまで、盗みを働かずに待てるのか?」
「その間の食事くらいならば私が何とか致しましょう。何、二日もあれば返書もありましょう」
長政の言葉に、家澄は「なっ!」と驚きの声を上げた。
「わ、私が前に嘆願状を出した際には、七日はかかっていたのに……?」
「……お忙しい方ですから、その……ご都合とかあるのでしょう、きっと……」
家澄の悲壮感漂う表情が余りに可哀想で、次からは政務をサボらずちゃんと返書しようと誓った長政であった。