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040_永禄五年(1562年) 黒き魔の手

 永禄五年(1562年)も終わりに近づき、秋の色濃く肌寒くなってきたこの時期。ついにその使者がやってきた。


「お初にお目にかかります、それがしは尾張の織田家家臣、丹羽にわ長秀ながひでと申しまする」


 丹羽にわ長秀ながひでと名乗る、武士にしてはやけに涼しげで生真面目そうな顔立ちの男が、そう言って長政に差し出したのは織田家の家紋である木瓜もっこう紋をあしらった信長直筆の書状。


 中には予想通りとでもいうべきか、春に行った斎藤攻めの際に一報を入れた事への感謝と、今後は織田と浅井で同盟を組みたいという旨の打診が記されていた。


 ――ついに来たか。


 長政の胸中にそんな思いが宿る。


 丹羽にわ長秀ながひで。少し歴史をかじったものなら誰もが知る、信長の旗揚げ当時から付き従う織田家重臣中の重臣。後の世では織田四天王などとも呼ばれる重臣格である。


 その 丹羽にわ長秀ながひでがじきじきに浅井家に訪問してきたのだから、どれだけ信長がこの同盟に本気なのか嫌でも伺えた。


 史実でも織田と浅井の同盟が成立した際に信長は大喜びしたと言われており、同盟の証として長政の元へ嫁がせたお市の方の婚姻費用を、本来は浅井が負担すべき分までまとめて工面したという逸話が残っている程。


 織田信長が浅井家との同盟にどれほど本気だったかなど、考えるまでもない。


「我が主は浅井様のご配慮に痛く感謝しており、斎藤、六角の同盟に対して浅井、織田で是非とも手を結び、事に当たりたいと考えておりまする」


 丹羽にわ長秀ながひでは真剣な表情でそう告げた。

 確かに、斎藤と六角が同盟を組んでいる現状に対して何かしらの手を打たなければならないのは、織田だけでなく浅井にとっても同じ話。


 この両者が連携して動けば厄介な事は、長政は身をもってよく知っている。


 それに、今までは六角の目が京へ向けられていたため大きな動きこそなかったが、その三好との戦いも終わりを告げた。

 こうなると、またいつ六角の北近江侵攻が始まってもおかしくない。


 そう考えればこの織田との同盟、織田と浅井の両者にとって得になる良縁に違いない。


 ただし、これはあくまでも、これから先に起こる未来を知らなければ、という大前提が付き纏う。


 史実での浅井家はこの同盟を快諾し、六角と対峙。後に信長が足利あしかが義昭よしあきを擁立して上洛を目指した際にはそれに付き従い、隆盛の時を迎えている。


 しかし、その隆盛も長くは続かず、同盟相手の朝倉家を織田が攻めた事により仲互いし、互いの肉親・家臣を殺し合う戦いの歴史を刻み始める事となった。


 果たしてここで、安易に同盟に手を出していいものか――


「……浅井様?」


 そんな思考に没頭しすぎるあまり、丹羽長秀の事をすっかり失念していた長政は、名前を呼ばれてはっとする。


「いや……まさか、あの桶狭間の奇跡を起こした織田様から、同盟の打診を頂くとは思っていなかった次第にて……それも、重臣の丹羽殿が直接お越しになられるとは。正直困惑している次第」


 これを世辞と受け取ったのか、丹羽長秀は薄く笑った。


「お褒め頂き光栄の極み。しかし我らもたった五百の兵で一万の斎藤軍を討ち取った、湖北の鷹の勇名は聞き及んでおります」


 『こめ五郎左ごろうざ』の呼び名通り、織田家にとっては米のように必要不可欠な存在と称される丹羽長秀。

 彼は武勇だけでなく政治手腕にも優れると伝え聞くが、そんな彼の事だ。浅井家の内情は知り尽くしていてもおかしくない。


「織田殿は、我ら浅井が朝倉家と古くから盟約を結んでいる事はご存じだろうか」


 試しにそう長政が問うと、「無論、承知致しております」とすぐさま返答がくる。

 その辺りの調べも抜かりないようだ。


 ふむ、と頷いた長政は言葉を続ける。


「ならば今更申すことでもないとは存じますが……織田家と朝倉家の仲違いは、今に始まった事ではありますまい。もしもの時、我ら浅井は板挟みになる事でしょう」


 織田家と朝倉家。越前と尾張をそれぞれ治める者同士、一見縁がないように見えて実はこの両家、一朝一夕程度では済まない程の確執が既にある。


 元はどちらも、斯波しば氏と言う名家の家臣に当たる家系だったのだが、その斯波しば氏に仕える者達の中で織田は尾張の、朝倉は越前の守護代をそれぞれ任せられた、いわば同僚のような関係だったのだ。


 しかし応仁の乱に端を発する混乱に紛れ、朝倉家は越前を乗っ取り、斯波しば氏を越前から追い出し、あろう事かちゃっかり幕府に越前の守護として認められてしまったのだ。


 織田からすれば突然主人だった斯波しば氏を裏切っただけでなく、あろう事か面倒事を全て自分達に押し付けて出世した朝倉家を許せる訳がない。


 一方の朝倉家もそんな織田を見下しており、更には信長の父、信秀の代にはかの名将朝倉宗滴と、美濃を巡る戦いを繰り広げて干戈を交えた事もあると言うのだからこの確執の深さが伺える。


 そんな事は当然知っている丹羽も、「それは確かに、そうかも知れませぬな」などと言っているが、長政からすればこの確執こそが一番の問題なのだ。


 朝倉家からすれば織田家は格下。そんな織田家が将軍を擁立して上洛したところで、何故お前の指示に従って自分達まで上洛しなければならないのだと意固地になった事が浅井家滅亡に至る全ての始まりだ。


 この両者の間に浅井が割って入ったところで、朝倉家が格下の浅井家の指示に従う訳もなく、また信長に至っては浅井との約定を違えてでも攻め込む事だろう。


「しかし、我が主は朝倉を攻めないと断言する事は出来ないが、もし戦う際には必ず浅井に一報を入れると、そう申しております」


 嘘である。

 いや、今の時点では本気なのかもしれないが、史実ではそうはならなかった。


 浅井に一切連絡を入れずに朝倉攻めに至った信長に対して浅井家は――或いは、史実の長政は不信感を抱いた。だからこそ織田を裏切り、朝倉についたのだ。

 そんな未来を知る長政は、易々と頷く事などできはしなかった。


「織田殿は……」


 そんな中、絞り出すようにして長政は声を発した。


「織田殿は、美濃を手に入れた後は一体どうなさるおつもりなのか。聞けば、三河みかわ松平まつだいら殿とも手を結ばれたとか。それはつまり、東を松平殿に任せて西に勢力を伸ばすと言う事でありましょう」


 松平とは後の徳川家の事である。この頃はまだ、家康は松平元康と名乗っていた。

 長政のそんな問いに、長秀はほうと片眉をあげる。


「確かに、浅井様がおっしゃる通り、我が主人、信長は、三河の松平家と手を結び、西進するつもりにございます。我が主人の狙いは恐らく、さかいを傘下に置くことかと」


 長秀の言葉に、長政は「やはり……」と呟いた。


 信長がこの時代最大の商業都市である堺を欲していた事は後の世ではあまりに有名だ。恐らく今回も、史実通りに堺を目指して勢力を拡大していく事になるのだろう。


 しかし、それで困るのは他ならぬ浅井なのだ。


 浅井もまた、南近江の六角を討つ事を目的としている。

 一見、対六角と言う点で手を組めそうな気もするが、問題はその後――南近江を一体誰が領有するか。


 史実では、南近江は織田が治め、そこに安土城を築き上げた。


 しかし、史実通りに織田が南近江を治めれば、浅井は朝倉と織田に挟まれて、これ以上の勢力拡大が困難になってしまう。

 かといって浅井が南近江を治めると、今度は織田の西進が困難になる。


 一応、尾張から西進を目指す場合は近江を通る道の他に、近江の南にある伊勢いせを通って西進する方法も存在する。


 しかし、そちらは敵対勢力が多い事、一向宗の集まる長島がある事などから、信長としてはあまり通りたくない道だろう。


 その上交通の便もあまりよくないとなれば、尾張と美濃、そして伊勢や近畿を手にした信長が、やがてその力を振りかざし、浅井と敵対して南近江を取りに来ることも考えられる。

 そうなったとき、長政は近江一国で東西から迫りくる織田軍に対抗しなければならないのだ。


 とは言え南近江を織田家に譲る訳には当然いかない。仮に南近江を織田に引き渡したところで、信長が史実同様に朝倉攻めを無断で決行すれば、南近江を引き渡した事と合わせて家中の不満が爆発し、長政の腹心達すらも織田との戦いを望むかもしれないからだ。


 そしてもしそうなれば、いくら長政でも彼らを引き留める事は叶わないだろう。


 一体どうするのが正解なのか、今の長政には全くわからなかった。

 史実を知っていたとしても、こう言った場面の決断には何の役にも立たないものだなと自嘲する。


 そうして白湯を一口含んだ長政は、ふうと息を吐いて答えた。


「わかりました、まずは対斎藤と言う点で同盟致しましょう。しかし、織田様が美濃を手にした後の事は改めて相談させて頂きたい。家中の者たちと相談もせねばなりませぬし、万が一織田と朝倉が干戈かんかを交える事となれば、我らも出方を考える必要があります故」


 そうして結局、苦し紛れに先延ばしを提案する。歯切れ悪い長政の答えに、それでも長秀は不快な表情一つ見せずに「承知いたしました、その旨我が主人にお伝え致します」とあっさり承諾した。


 こうして、一時的とは言え史実通り、浅井と織田の同盟が結成される事となったのだった。



◆――



 浅井長政と丹羽長秀の会談が行われた日から十日後、丹羽長秀の姿は尾張にあった。


「ただいま戻りましてございます」


「して、如何であった」


 やけに甲高い声で急かすのは、丹羽長秀の主人にして後に魔王と呼ばれる男、織田信長その人である。


 如何、と言うのは同盟の話だけではないだろうな、と長秀は察する。


 信長は頭の巡りが早いが故に言動や行動に脈絡と言う物が無く、彼の真意を誤解する者も多い中、丹羽長秀は誤解無くその意味を理解した。


「湖北の鷹、その異名に偽りありませぬ。まるで鷹のように織田家の内情も、そして戦略も見通しているようでした」


 長秀の言葉に、信長は眉をひそめる。


「既に松平家との同盟の事、浅井様はご存知であられました。その上、我らが堺を目指している事をお伝えしても、やはりと頷いただけで驚いた様子はなく、こちらの出方を承知していたご様子。恐らくは殿が何を目指しておられるのかも既に……」


 実はこの先の未来を知る長政にとっては織田と徳川の同盟は常識中の常識だったが、この頃はまだ父の代からの因縁で犬猿の仲と言ってもいい関係だった。


 つい昨年も、今川家に与する松平家と西三河を攻略する織田家は干戈かんかを交えたばかりで、今年に入ってようやく成立の兆しを見せた両者の同盟は、家中にとっても衝撃的な知らせとなった。


 しかし、そんな同盟を長政は見事に言い当ててしまったのだ。


 更に長秀が驚いたのは、織田の戦略をまるで知っていたとばかりに長政が振舞っていた事だ。


 長秀としては長政がどこまで情報を掴んでいるか揺さぶるつもりで、わざと堺の事を漏らしたのだが……長政はその事も当然のように知っていた。


 一国を跨げばそこは別世界。情報の伝達が遅く、正確性にも欠けるこの時代では、隣国の情勢を調べ上げるのにも骨が折れる。


 だと言うのに、敵地の美濃を挟んだその更に先にある尾張の内情を、長政は徹底的に知り尽くしている様子だったのだ。


 その事に気付いた時、長秀は恐怖に呑まれそうな錯覚を覚えた。

 それでもボロを出さずにいられたのは、ひとえに丹羽長秀という男の才覚によるものだろう。


「また、今浜の発展も目覚ましく、あれほど活気溢れる街並みは他に見た事がございません。聞けばあの街並みも、浅井様の采配によるものとか。今は近江半国の領主ではございますが……一体どこまで大きくなるか、末恐ろしい限りにございます」


「で、あるか」


 何を考えているかわからない、遠い先を見通すような目で、信長は静かにそう呟く。


 一見、愛想良く人当りの良い長政と、いつもむすっとしている信長では似ても似つかない。


 しかしその奥深く、何もかもを見通す目と、何を考えているのかわからない不気味さだけは似た物を感じた。


 そういった意味では、案外この両者は似た者同士なのかもしれない。


 どちらにせよ、浅井長政の存在はこれからの織田にとって重要な意味を持つ事になるだろう。


 それが味方としてか、或いは敵としてか。

 そのどちらになるかなど、長秀には到底想像のつかない事なのであった。

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