038_永禄五年(1562年) 白き鷹の隊
焼金法の導入によって莫大な財を得た長政は、すぐさまその大量の銭を使って次なる内政、軍備の拡張に乗り出した。
この戦国時代、まずは軍備を揃えておかなければ隙を見せた途端周辺の国々に攻め込まれる。一にも二にも力を備えることが先決だ。
まずは春に行った南宮山の戦いによって、圧倒的戦果を挙げた蒼鷹隊、その増員に踏み切ることとした。
これまでは各農村から溢れた人手を集めて鍛錬する事で精鋭を揃えていたが、今回は今浜を始めとした大きな街々に募兵所を設置。
仕事を求めて北近江にやって来た者達を銭で雇うことにした。
これは織田信長が行った募兵制度を模倣したもので、仕事にあぶれて腹を空かせる者達を足軽として雇い入れる事で人手を増やす事を目的としている
しかし、このままでは史実で織田信長が頭を悩ませたように、彼らは弱兵の集まりとなってしまうだろう。
ましてや先日の南宮山の戦いによって、浅井家の精鋭として名を知られ始めた蒼鷹隊が一瞬で潰走しようものなら、浅井家が侮られる事に繋がる。
そんな長政の悩みを聞いた長政の腹心の浅井政澄は、「ならば、兵を二つに分けましょう」と提案した。
「一つはこれまで通り、藤堂殿の率いる精鋭揃いの蒼鷹隊。殿の直轄部隊として戦ってもらい、戦のない平時には、近頃設置した貸付屋などの施設の警護を任せましょう」
「ならばもう一つは?」
「一方、此度の募兵で集まった者達は、別に新たな隊として編成致します。名は、そうですな……白鷹、とでも仮に呼びましょうか」
「白鷹?」
長政が聞き返すと、政澄は「はい」と頷いた。
「蒼鷹隊と区別し、働きが目覚ましいものは蒼鷹隊へ異動とすれば、蒼鷹隊を増やしつつ、兵の質も維持できるかと」
「なるほど、まずは白鷹で経験を積ませ、やがては蒼鷹へ編入させる訳か。それならば確かに、蒼鷹の名を貶めることなく増員できる……良い案だ」
長政がうむと頷けば、政澄は「ならば」と言葉を続ける。
「ならばその白鷹隊、わたくしにお預け頂きたい」
「叔父上に?」
「はい。実は近頃、北近江各地で何かと人手が足りておらず、特に崩れた道の舗装や建屋の改築に回せる人手が欲しかったところで」
「……始めからそのつもりだったな?」
長政が片眉を上げて見せれば、政澄は僅かに口元を歪めたのだった。
とは言え確かに、内政にも通じているため政澄であれば、平時の白鷹隊を最も効率よく扱う方法も熟知しているだろう。
それに、面倒な詮索――特性上、白鷹隊はどうしても蒼鷹隊より格下の位置づけになってしまうため、蒼鷹を率いる外様の藤堂虎高より、白鷹を率いる者の方が立場が下だと誤認される事を防ぐ事ができる。
浅井政澄は一門衆の一人であり、誰もが筆頭家臣格だと認識している。そんな彼が白鷹を率いたとしても、誰も侮りはしないだろう。
そう考えれば彼以上に白鷹隊を任せる適任は居ないと言うのもまた事実だった。
この時代、武士たちは意地や誇り、見栄と言ったものに酷く固執する。
もし政澄以外の誰かに白鷹を任せたなら、今まで下に見ていた虎高より格下として扱われたと誤認し、それが謀反の原因になる事も考えられるのである。
この辺りの体裁に関するあれこれは面倒な事この上ない。
信長はこの辺りの機微が理解できなかったため、史実で何度も家臣に裏切られる事になる訳だが。
「ならばこの白鷹隊、叔父上にお任せ致す」
「ははっ」
さて、この思惑が上手く行ったのかはわからないが、募兵を始めた白鷹隊の人員は瞬く間に増えた。
最終的には蒼鷹隊が未だに五百人程であるにも関わらず、白鷹隊はすぐさま一千人を超える大部隊となったほどだ。
彼らを銭で雇い、多少なりとも見れる軍にするための訓練が始まる。方法は蒼鷹隊同様、とにかく統率に主眼を置いた訓練だ。
そうして訓練をこなした者達は、北近江の各地へ配属される事になる。
彼らには手始めに、自分達の住う駐屯所の建設に従事させ、それが終われば街道や村の警備、道の整備といった土木業務にあたらせた。
防衛の観点から道の整備はすべきでないと主張する国衆も多く居たが、斎藤家を打ち負かした事と六角家の動きが三好に敗北したことで鈍った事から目先の利益を優先したのか彼らはすぐに静かになったため、長政は構わず道の拡張を行った。
この辺りの内政を任せるに当たり、北近江の事情も浅井家の事情も知り尽くした浅井政澄という人材は、とにかく適任だった。
結果、まともに歩く事も出来ないような荒れ果てた細い道があるばかりだった北近江は、瞬く間に商人達が馬に荷車を引かせて移動できるほどに主要な街道が拡張されて行くことになる。
また関を廃止したことで他国から流入して増え始めていた賊も、各街道に配備された白鷹隊の警邏兵によって減り始め、各地の治安が瞬く間に改善。
そして行き場を無くした賊は食うに困り、浅井家の募兵に集うと言う循環が生まれ、白鷹隊の増員へ貢献したのだった。
これによって数ヶ月後には、商人が身一つで夜道を歩けるほどに北近江の治安は改善される事になるのだが、これはまた別の話。
さて、続けて長政は、前回は課題の多さで頓挫した戸籍制度を本格的に導入し、各村から徴兵する兵の数も規定化する事にした。
これによってどれだけの兵を動かせるか、すぐにわかるようにする腹づもりだ。
戸籍制度を導入するにあたり、まず手始めに長政は北近江の各村々へ少額ではあるが銭のばらまきを行った。
これは先の焼金法と今浜で得た莫大な利益の一部で、名目は慰安金としている。
慰安金の受け取る条件は単純で、村に何人の人間が居るか、そして各人物の名前を代表に聞き上げる事だ。
中には多めに人数を申告しようとする不届きな者達も居たが、彼らにその分税が増える事を伝えるとすぐさま正確な人数を申告してきたため、どこにどれだけの百姓が居て、どの村からどれだけの税収を見込む事ができ、有事の際にはどれだけの兵を集められるかが正確に把握できるようになった。
このお蔭で白鷹隊の編成と兵の増員に成功した長政は、ついに軍備の拡張へと着手するのだった。
「ようやくここまで来たぞ、直隆。あの時の約束、覚えているか?」
浅井屋敷に国友城城主の野村直隆を呼びつけた長政は、開口一番にそう告げる。
「殿のやりようを見て、殿の目指す覇道を共に歩むか見定めよ、でしたか……まさか、あの時の言葉が誠になろうとは思いもしませなんだ」
かつて野村直隆に告げた、鉄砲による戦の変革、そして共に歩む覇道。
金も兵もついに揃い、その第一歩を歩む支度がとうとう整ったのだ。
「まずは百丁。兼ねてよりご用意させて頂いた鉄砲がございます。国友衆が腕によりをかけて作り申した。どうぞお納めくだされ」
庭に荷車で持ち込まれた大量の木箱には、綺麗に並べられた鉄砲が詰められており、その事が直隆の答えを物語っていた。
燦然と並ぶ鉄砲に満足げに頷く長政は、機嫌良く応える。
「まずは上出来、鉄砲の代金は多めに支払おう。その金で国友村を発展させ、更に鉄砲を納品せよ」
「祝着至極に存じまする」
そうして深々と頭を下げる直隆に対して、長政は続ける。
「そして、次はこの鉄砲を更に十倍、納品せよ」
瞬間、頭をすぐさま上げた直隆は狼狽えた様子で声を上げた。
「じゅっ……お待ちくだされ、それは余りにも無理なお話でございまする!」
その表情には焦りと困惑の色がまざまざと浮かんでおり、余程慌てたのか畳みかけるように続けた。
「鉄砲は刀と違い、造れる者が限られまする! 我が国友村の鍛治衆でも精々三十人ほど! その上複雑な造り故、一丁造るのに一人半年はかかりまする! 一千丁もの鉄砲、国友だけで造りきるには一体何年かかる事か!」
この頃の鉄砲は当然、全て手作業で作成されており、鉄砲一丁に使う部品全てを作れるような職人が育つのにも数年かかる。
それだけの職人を、この飢餓と戦がはびこる戦国で、病一つなく健康なまま育て上げ、何年も活躍させ続けるには余りに時代が悪すぎる。
しかし長政は、パシンと膝を一度叩くと告げた。
「そう、それよ直隆。鉄砲を作るのには時間がかかる。一年で作れる鉄砲には限りがあり、その数少ない鉄砲で職人達の一年の食い扶持を稼ぐ必要がある。だからこそ鉄砲は高い――そうだな?」
「……左様に、ございます」
そもそもこの時代に一本ずつ手作業で鉄砲を作らないといけない理由は、部品規格と言う物が存在しない事が原因だ。
ねじ一つにしても人の手で作るため、当然部品の大小や長さの違い、品質の違いと言ったばらつきが産まれる。
そのばらつきを吸収し、噛み合う部品を作るために組み合わせる部品の調整が必要となり、その調整の結果次の部品も専用の調整が必要となり……と、鉄砲ひとつひとつに専用の部品が必要になる事が大量生産を困難にする一番の原因だ。
そんな部品の山を職人一人ひとりが一つずつ作っていれば、大量生産できるわけがない。
「ならば、一つの鉄砲をみなで作れるようにすればいい。これを」
そうして長政が取り出したのは、何かが書き込まれた紙の束。
訝しむように直隆がその紙束を開いてみると、そこには鉄砲に使う各部品の大きさや作り方が、事細かに記されていた。
「これは?」
「手の空いた者たちに数ヶ月かけて作らせた鉄砲作成の指南書よ。とは言え素人の書いた物ゆえ、細かなところは作りやすいように手直ししてくれ」
「これが鉄砲の数を揃えるのと一体どう関係するので……?」
「わからんか? そこに記された部品全てを、一人で作ろうとするから時間がかかるのだ。例えば私がそのうち半分、残りの半分をそなたが作れば、半分の時間で鉄砲が作れるだろう?」
「それは……そうでございましょうが……」
「その指南書通りの大きさで作れば、別の者が部品を作ってもかっちりと組めるはずだ。それに、その部品一つを指南書通りに作れるようになるだけなら、ひと月もあれば充分。部品一つ作るのに精々十日。ならばその部品それぞれを作る者が居れば――」
そこまで聞いて、ようやく理解したのか直隆の表情が変わった。
「まさか、鉄砲一丁を、十日で仕上げられる……!?」
期待通りの驚きを見せた直隆に、長政はにやりと笑う。
「左様。そう都合良くは行かぬだろうが、速さは段違いになる。さすれば鉄砲の値段を下げても食い扶持を稼げる。ならば安く大量の鉄砲を仕入れることができると言う算段よ」
長政の言葉に、直隆は唖然とする。
後に流れ作業やライン生産方式と呼ばれるこの手法は、当然だがこの時代にはない考え方だからだ。
「当然、このやり方を嫌がって反抗する者たちも居るだろうが、職人の育成に協力してくれた者達への報酬は弾む。これであれば一千丁の鉄砲、造れるな?」
この方法を導入すれば、人手の増員も容易となる。
今浜に集う、職にあぶれた者たちを鉄砲造りに従事させれば、更に鉄砲の大量生産が可能になるだろう。
「それから、国友の鉄砲鍛冶衆の一部を今浜に常駐させよ。鉄砲の買い付けを今浜で出来るようにする。同じ話を蒼鷹隊の装備を作った下坂衆にもして、近江鍬や千刃こきを作らせている。下坂と国友が今浜に店を構えれば、今浜は今以上に盛況になるぞ」
「は、ははぁっ!」
史実では徳川家康にその槍の品質の高さから信頼された下坂鍛冶衆の本拠も、この北近江にある。
この下坂鍛冶衆も国友鍛冶衆と同様に今浜へ進出させ、今浜での買い付けを行えるようにしようと言う算段だ。
長政としては今浜で武具の買い付けができるようになれば便利だから、くらいの考えだったのだが……後に、良質な武具を求める商人達までもが今浜に集まるようになり、相乗効果で商業が発展する事になる。
今浜は淡海に連なる利益の他に、新たな産業が加わった事で莫大な利益を生み出すようになり、浅井家は強力な軍事力と盤石な資金源を得ることになるのだった。