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036_永禄五年(1562年) 浅井五カ条2

 しかし、そんな指摘をされる事など長政にとっては織り込み済みの事であった。


「既に叡山えいざんに対しては手を打っている。すぐに坊主もこれを快く受け入れよう。それでも私を信じられないと言うならば関の廃止に力を貸し、そして収入が減った者達へは浅井から補填として銭を出そう」


 その後に「期間はまず三年。この三年で成果が出なければ関を復活させればよい。これで如何か?」と長政は畳み掛ける。


 どう転がるかわからない関の廃止という政策。結局反対する彼らが一番気にしているのは、自分達の収入が減る事だ。


 その収入を浅井が補填し、更に三年の期限付き。長政の話を聞いていた者達の心が僅かに揺れ始めた。


 しかし決断に至るにはまだ一押し足りない。

 そこへ長政の追い打ちともいうべき一言が添えられた。


「……それから、今この場でこの浅井五カ条への協力を表明してくれた者には金を出すが、結果を見てから関所を撤廃するような者に金を出すつもりはない。有利不利が決まってから寝返るような者は、浅井には不要よ」


 長政の言葉に、更に家臣や国衆の焦りは募った。もしこれが他の大名の言葉であれば間違いなく無視し、お諫め・・・したところだろう。


 しかし長政は、このところの六角や斎藤との戦いで幾度も戦果を挙げている。


 もし自分達の領地が襲われた時、この関所撤廃に力を貸さなかったことを理由に助力を渋られでもしたらひとたまりもない。


 今、北近江は長政の力で守られていると言っても過言ではない状況になりつつあるのだから。


 更に最近では、内政でも頭角を見せつつある。その長政が問題ないというのだから、この関所撤廃は結果的に上手くいくのではないか。そんな考えがちらほらと浮かび始めていた。


 後は、誰かがそれを言い出せば――


「承知いたしました。それがしは、殿にご助力致します」


 静まり返った評定の間に突然声が響く。


「そうか員昌かずまさ! よう決断してくれた!」


 声の主は磯野いその員昌かずまさ。佐和山城を守る浅井の重臣の一人だ。


「それがしは、殿が六角を打ち倒すためであれば助力を惜しむつもりはございませぬ。当然、銭も要りませぬ。六角を討ち、浅井が近江を統一するのに必要な事であればこの員昌、例え米が無くなり草を食うはめになったとしても構うものか!!」


 員昌の言葉に、長政は身を乗り出して彼の手を握った。


「よう言うてくれた、よう言うてくれた員昌! そなたこそ、真の浅井の忠臣よ! そなたの期待を裏切るようなことは絶対にしない事をここに誓う! 私はこの命に代えてでも必ずや六角を討ち果たして見せよう!」


 北近江にある重要拠点の一つ、佐和山城を任されている浅井家重臣の磯野員昌が力強くそこまで言うと、もはや後はなし崩し。


 次々に自分も、自分もと声を挙げる者達が現れ、最後には赤尾清綱までもがこれを承諾し、浅井五カ条の発布が正式に決まった。


「皆……礼を言う。私はここに誓おう。必ずや六角を打ち倒し、皆の暮らしを豊かにすると。待っていてくれ、始めこそ苦しいだろうが私を信じてほしい。必ず、必ず成果を出してみせよう」


『ははっ!』


 どこか異様な熱気に包まれたまま評定が終わり、国衆は目をギラギラと輝かせたまま浅井屋敷を後にする。

 そうして長政が一人残された頃。評定の間に人影が現れた。


「まさか……本当にこうも上手くいくとは……」


 まず現れたのは他ならぬ磯野員昌。先ほどまで力強く叫んでいた様子からは想像がつかない程、困惑した様子で長政の前に腰を下ろした。


「でかしたぞ員昌、なかなかの名演技。役者にでもなれるのではないか?」


 長政の言葉通り、実は員昌や参加していた国衆の一部の者達には予めこの浅井五カ条の話を通し、協力を取り付けていたのである。


 そして彼らにまるで今聞かされましたと言うような芝居を打たせ、更に賛同させる事で勢いに任せて浅井五カ条の発布を押し切ったのだった。


「からかわないで下され。それに、打倒六角のためならば草を食うと言うのは嘘ではありませぬ。家臣の罪が主人の罪と申されるならば、主人の罪もまた家臣の罪。主人の行いが過ちであったなら、それを見抜けぬが我らの罪。それがしは、殿のこの行いが過ちとは思いませぬ。ただ、それだけの事にございまする」


 太尾城攻め失敗の際に長政が口にした言葉を返すように、員昌はそんな事を告げる。思わず、その言葉に目頭が熱くなる事を感じた長政だった。


 そんな長政の元へ、更に来訪者が現れる。


「いやはや、まるで儂は悪者ですな。六角を討ち、浅井家が発展するためとは言え中々これは……」


 現れたのは赤尾清綱。実は先ほどまで長政に反対していた赤尾清綱までもが予め長政によって仕込まれていた役者だったのだ。


 長政の意見に賛同する者ばかりでは必ず国衆に不満が貯まる。そこで清綱に一芝居打ってもらい、まるで議論はし尽くしたかのような空気を作り出したのである。


 これは上手く嵌まり、半信半疑と言った様子ではあるが浅井五カ条の発布に合意させる事に成功した。


「どうやら上手く行ったようだな」


「父上。父上の助言のお蔭にございます」


 そして最後に現れたのは、この茶番の立役者である長政の父、浅井久政ひさまさ


 実はこの茶番を仕立てるに当たって、長政は久政に相談をしていたのである。


 最終的には隠居させられたとは言え、かつて六角への臣従の強行を成功させた実績がある久政であれば、何か妙案があるのではないかと考えたのだ。


 そんな久政は呆れながらも、予め家臣に話を通して茶番を演じる事で、なし崩しに呑ませる方法を長政に伝授した。


 これが見事に嵌まった形となったのだ。


「まぁ、儂の時はこうも上手く行かんかったが、お主ほどの武名があれば国衆も従わざるを得まい。やれやれ、戦上手に生まれたかったものだ」


 皮肉ともなんとも言えない言葉を残して立ち去って行く久政を、清綱や員昌は複雑な表情で見送る。


 何せ久政を隠居に追い込んだ張本人であるため、久政の言葉が痛烈な皮肉として突き刺さったのだ。


 とは言えいつまでもそうしている訳にもいかず、清綱は気を取り直して長政へ問いかけた。


「ところで叡山えいざんの件、誠に問題は無いのでしょうか。もし破談となれば、いくら一度まとまったとは言え話が流れますぞ」


 清綱が仕切りに気にする叡山の動向。これに関して長政はしっかりと頷いた。


「問題ない。先ほども申したように、既に手は打ってある。今頃、叡山でやり合っている頃だろうよ」


「叡山で……?」


 長政の言葉の真相が明らかになるのは、それから数日後の事であった。



◆――



「来たか、継潤けいじゅん


 数日後、長政の元に訪れたのは浅井家家臣の一人、宮部みやべ継潤けいじゅんという男であった。


叡山えいざんの説得、予定通り上手く行きました」


 懐からなにやら書状を取り出した宮部みやべ継潤けいじゅんは、それを長政へ差し出した。


 それを受け取り開けば、中に記載されていたのは叡山の高僧直筆の、浅井五カ条に対する賛同と協力のために関を撤廃するという旨。


 更にこれからも浅井家と良好な関係を続けていきたいという内容だった。


「でかした、お主に任せて正解だったようだな」


 長政の言葉に宮部継潤は頭を下げる。


 この宮部継潤と言う男、元は比叡山の坊主だったのだが、仏教よりも軍事を好んだために浅井家に仕えるようになった異色の経歴を持つ。


 軍事を好む、と言う通り武術はもちろん、戦略眼にも優れ、更には領地経営まで出来る中々の秀才で、今回の交渉も長政はその伝手に期待して任せた事であった。


 史実では織田と浅井が決裂し、織田の近江侵攻が行われた際に宮部継潤は秀吉の調略によって浅井を裏切っている。


 その後は秀吉の天下取りに助力し、中国大返しの際には明智光秀討伐に戻る秀吉の背後を守るため鳥取城に居残り、その後は鳥取の抑えとして領国を得ている。


 彼が将来浅井を裏切るのは、ひとえに浅井に未来を感じなくなったためだろう。ならば宮部みやべ継潤けいじゅんに裏切られない様に立ち回るのも長政の技量次第という訳だ。


 さて、そんな宮部継潤に任せたのは浅井五カ条のうちの一つ、関の廃止に関しての叡山との交渉であるが、ただ交渉しただけでは当然叡山の坊主が承諾する訳がない。


 そこで長政はある物を宮部継潤に持たせていた。


「例の物、叡山の坊主は何と?」


「はい。始めは疑っているようでしたが、叡山の作った綿花めんかと菜の花を全て浅井で買い取る事、その際の試算額を見せてやれば、渋々と言った様子で承諾致しました。まぁ、内心は銭勘定で忙しかったようですが」


 宮部継潤に渡したのは綿花めんかと菜の花であった。


 この頃の綿花と言えば、様々な使い道があるにも関わらず殆ど栽培されておらず、服も麻で作られた薄く肌触りの悪い物ばかり。布団などと言う文化も無い時代であった。


 過去、日本で栽培されていた歴史のある綿花がここまで衰退した理由は不明だが、長政はこれを戦火によるものだろうと考えていた。


 結局のところ、食える訳でもない綿花を育てられるだけの余裕が、この頃の日本には無かったのである。


 現に綿花の栽培が活性化するのは戦国時代末期にかけてで、食糧事情が改善されてきてからの事であった。


 また菜の花に関しても、あちこちに生えてはいるものの菜種油の生成方法が不明のこの時代、誰も見向きもしない雑草だ。


 菜種油が普及するのもまた、戦国末期から江戸時代にかけての話である。


 その二つの植物を長政は先取りして利用する事を思いついたのである。


 菜種油に関しては、昨年から続く内政改革の中で職人達と共に製油方法を見つけ出し、食用は無理でも火を灯す程度の事は出来るようになっていた。


 問題はこの二つの植物を大量生産する土地が無い事だが、そこで目を付けたのが叡山と言う訳だ。


 先の通り、叡山は借金のカタに徴収した大量の土地を持て余している。


 ここで米を育て、更に富を増やしているのが今の叡山なのだが、その畑を全て菜の花と綿花にしてはどうかという提案をしたのだ。


 綿花は服になって冬に凍える者達を減らし、油は明かりとなって夜に怯える者達を助ける事になる。


 それらが他ならぬ叡山の作ったものとなれば、信仰も高まるのではないかと宮部継潤が吹き込んだ訳である。


 これは上手く嵌まり、叡山は宮部継潤の提案を承諾。早速綿花と菜の花を育成する事を約束した。


「しかし、宜しいので? 左様な事をなされば、尚更叡山は金を貯め、力を持つ事になりましょう」


 宮部継潤が疑問を告げるが、長政は「いや」と否定する。


「むしろ逆だ。畑を全て綿花と菜の花にすれば、いざと言う時に兵糧不足となる。もし我らと敵対するようになるのであれば、米を断つだけで首を絞められる」


「それは……!」


「ああ。いくら金があっても腹は膨れぬだろう。強欲な王は触れた物を金に換える力を望んだが、その結果食い物までもが金になって空腹の中で死んだという。行き過ぎた強欲は身を滅ぼすと言うことよな」


 叡山と親密になる事で一向一揆を抑えるだけでなく、買い上げた綿花と菜の花を元に産業を起こし、今浜で利益につなげ、更には叡山の畑を綿花と菜の花で埋める事で戦うための力を削ぐ。


 それが長政の思い描く浅井五カ条のもう一つの目的であった。


 それを聞いた宮部継潤は頭を下げた。


「この宮部継潤、感服致しました。これからも叡山との交渉事、拙者にお任せくだされ」


「頼むぞ継潤。まだ何もかもが始まったばかり。この浅井五カ条の件、真相を知る者は私とお主しかおらぬ。くれぐれも口外せぬよう、気を付けてくれ」


「ははっ」


 こうして数日後には浅井五カ条の発布が行われ、浅井領内で関所の撤廃と今浜での楽市が行われていく事になり、長政の目論見通り、北近江に商人が集まり始める事となるのだった。

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