034_永禄五年(1562年) 二つの近江
◆注意◆
部の始まりはプロローグ的扱いで字数が少ないため、2ページ連続投稿となっております。
ご注意下さい。
京より東に、塩気の無い淡水を湛える雄大な海、淡海を抱えた国がある。
後に滋賀と呼ばれるその国は、今はまだ近江と呼ばれ、二つの国に別れていた。
一つは南近江。広大な耕作地と淡海からもたらされる膨大な水資源を抱え、京へと続く幹線道が通る豊かな土地だ。
そんな豊かな南近江を治めるは、守護大名たる六角家。
その総石高は百万石に至るとも言われ、南近江だけでなく、伊賀三群、伊勢の北や畿内の一部までもを擁する南近江の覇者である。
これに加えて昨年からは、天下人たる三好長慶との戦いを本格的に始めた六角家。その一連の戦いの中で、京をも勢力下に置いていた。
昨年の将軍地蔵山の戦いで総大将の細川晴之を討ち取られるも、続く久米田の戦いでは三好長慶の実弟であり、四国方面を管轄する次席、三好実休を討ち取る戦果をあげて情勢を優位に進めた。
このまま畿内から三好の勢力が排除されれば、次に天下人となるのは六角だろう。そんな空気がこの頃の天下には漂っていたのだった。
一方、その覇者に抗するは北近江を治める戦国大名、浅井家。
総石高二十五万石。北近江一帯と東近江、そして南近江の一部を擁する新興勢力だ。
家の歴史は浅く、六角家に見劣りする彼らは、しかしこのところ急成長を遂げていた。
一昨年前、野良田の戦いで六角家相手に奇跡の勝利を飾ってからと言うもの、六角家、そして美濃の斎藤家を相手取り快勝続き。
今年の春には斎藤軍一万の兵をたった五百の兵で打ち破る快進撃を見せ、天下にその名が知れ渡り始めていた。
その浅井家を率いるは、『湖北の鷹』と謳われる勇将、浅井長政。
若干十五にして家督を継いだ彼は、熟練の将すらも凌駕する武勇と智謀を見せ、数多の戦に勝利を重ねた。
驚くべきはその智謀をもって、桶狭間の奇跡や斎藤義龍の最期を見事言い当てた事だろう。
天下の隅々まで見通すような鷹の目を持つ彼には、既に次なる戦が見えているのだと言う。
そしてその目とその武勇をもってすれば、いずれは強大な六角家ですらも討ち滅ぼすのではないかと人々は噂していた。
誰もがその背中に、浅井家隆盛の基礎を築き上げた初代浅井家当主、浅井亮政の影を見ていたのだった。
◆ーー
「……これは一体誰のことだ」
「無論、殿の事にござりますれば。湖北の鷹と、はっきりそう記されておりましょう」
小谷山のふもと、浅井屋敷。今日も今日とて政務に励む湖北の鷹、浅井長政は、とある文を片手にうんざりと言った風に呟いた。
斎藤軍一万を退けた南宮山の戦いから向こう、このように長政を持ち上げる文が近江各地から届けられている。
中には長政を神格化しているものまであり、一体何事だと言いたくなるほど。
それが一通二通ならまだしも、近頃届く書状の類いは全てそんな調子のため、そろそろ食傷気味なのだった。
「今まで六角の下で冷や飯を食らっていた者達からすれば、殿はまさに仏のように思えるのでしょう。今や近江は、六角か浅井かで割れておりまする」
そう淡々と告げるのは長政同様に大量の書状をさばく浅井政澄。
長政の叔父にあたる彼は、何でも卒なくこなすその才をかわれて今は浅井家の内政を担当している。
そんな政澄もまた、新たな書状を開くたびに「こちらでは森羅万象を見通す目を持つ、と記載されておりますな」などと揶揄ってくる始末だ。
「森羅万象を、ね……」
当たらずとも遠からず。そんなことはありはしない、と否定できないのが辛いところでもある。
長政以外に誰一人として知らない事だが、長政には近江が滋賀と呼ばれるはるか未来の記憶がある。
その時代では浅井長政の名前は歴史に記されており、史実の浅井長政が何を成し、どう生きて死んだかが残されていた。
そのため今を生きる長政にとって、この時代の出来事は全て過去に起きた出来事の焼き直しでしかない。
言ってみれば、答えを見ながら問題を解くようなもの。
結果、遠くの地で起きている戦の顛末も、未来に記録が残っていればピシャリと言い当てる事が出来てしまうのである。
鷹の目、と称される長政の智謀の出所は、全てこの未来の知識なのだった。
「良いではありませぬか。当主たる殿がそれだけ周りから高く称されれば、そんな浅井家に手出ししようという輩も居なくなりましょう。さすれば北近江は安泰と言うもの」
「その代わり負ければ一気に手のひらを返され、最悪は腹を切る羽目になる訳だ。全く、勘弁してほしいものだな……」
「それも当主の務めかと。それに、そうならぬように次の手を打つのでございましょう」
「それはそうだが……ままならんな」
もう一度、大きな溜息をつく長政の手元には、『浅井五カ条』と記された一枚の紙。
湖北の鷹による新たな試みが、また始まろうとしていた。