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027_永禄四年(1561年) 軋轢

 色鮮やかに染まっていた木々が少しずつ冬景色へ移り行き、ちらちらと雪が舞い始めた晩秋の小谷山。


 冬ごもりの支度を始める北近江の静寂を破ったのは、小谷山のふもと、浅井屋敷から響いた怒声であった。


何故なにゆえ殿は六角を攻めぬのだ! よもや臆されたのではあるまいな!」


 ドン、と板張りの床を殴りつけ、怒りを露わにするのは浅井家家臣の一人、浅見あさみ道西どうせい


 かつて、長政の祖父である亮政と共に京極家に対して下克上を行った京極家家臣の一人、浅見貞則さだのりの子にあたる。


 浅見家は下克上によって一度は北近江を治める立場となったものの、浅見貞則さだのりの暴政が原因で亮政によって追い落とされ、没落した経緯がある。


 父を追い落とされた恨みがあるのか、はたまた別の不満があるのか。彼の言葉はやけに長政への敵意で満ちていた。


 しかし、そんな怒りを見せるのは彼だけではない。


「左様。美濃の斎藤は未だ当主交代の混乱から立ち直っておらず、六角は大軍を将軍地蔵山に詰めたまま三好と対峙を続けておる。攻めるならば今しかありますまいに」


 浅見道西どうせいの言葉を肯定し、静かながらも隠し切れない怒りの色を滲ませるのは長政の母の生家である井口家当主、井口経親つねちか


 彼は長政の叔父にあたる人物で、浅見道西ともども、浅井家では重臣格の家臣だ。


 見れば彼らだけでなく、古くから浅井に仕える家の者達の誰もが二人と意見を同じくして厳しい表情を浮かべている。


 彼らにとって六角家は因縁の相手。その六角家を攻める絶好の機会をみすみす見逃すのは溜まらないと言った様子だ。


「お二人とも落ち着かれよ。殿にはお考えが――」


「ならばその考えとやらをお聞かせ願いたい!」


 赤尾清綱が二人を諫めようとするも、浅見道西どうせいがそれを遮り長政へ視線を投げつける。


 無礼としか言いようのない物言いだが、それを他でもない長政の目の前でやってのけてしまうのは長政がまだ十六で若いこと、そして彼らにとって浅井家は主家ではなく、あくまで同盟相手程度の存在だからと言う事なのだろう。


 そんな彼らの無礼な態度に、しかし遠藤直経なおつねは声を荒げず静かに告げる。


「……前回の太尾城攻め失敗によって六角は太尾城への支援を厚くしている様子。今攻めたところで手間取るのは必定。そうなればじきに雪が積もって城を囲む事もままならなくなるだろう」


 その言葉に反論したのは浅見道西どうせいだ。


「ならばいかにするおつもりか? 今攻めなくては、六角は三好との戦いに決着を付け次第、再び北近江に攻め込んでくるはず!」


「左様。あわよくば六角が三好に敗北して力が削がれれば――等と悠長に構えていられるような相手でないのは……殿が一番わかっておられるのでは?」


 続けて井口経親つねちかがそう告げて長政に視線を向けると、同席する国衆は頷いて同意した。


「とは言え、今無理に攻めてもどうにもならぬことは井口殿もおわかりでありましょう。今は冬に備えて力を蓄えるより他ありますまい」


 反論するのは浅井政澄。すると我慢ならぬとばかりに、浅見道西どうせいが再び床を殴りつけた。


「そもそも夏の太尾城攻めも失敗したのは今井殿の失態だと聞き及んでいる! あの者、六角と浅井との間をふらふらした挙句、野良田の頃まで隠遁いんとんしておったではないか! なぜあのような者に六角との重要な初戦を任された!」


「やめぬか浅見殿! 既に亡くなられた者を悪く言うとは何たる無礼か!」


「無礼? わしはぬしも気に入らぬのだ野村肥後守ひごのかみ! 大した戦果を挙げた訳でもないくせに殿に取り入り、何やら近頃は兵も預かっているらしいな!」


「何を……!」


「お主のような男が重用され、これまで浅井家を支えてきた我らをないがしろにすることは無礼ではないと申すか!? 愚弄するのも大概にせよ!」


「なんだと貴様!」


「辞めぬか二人とも!」


 今にも立ち上がり、お互いの胸倉を掴もうとする野村直隆と浅見道西の二人。それを止めたのは、浅井家の軍奉行を任される海北綱親つなちかだった。


 普段静かな彼の放つ怒声は、二人の頭を冷やすには充分すぎた。


 居たたまれなくなった様子の二人が腰を下ろしたところで、冷めた視線を長政に向けた海北綱親つなちかが言葉を続ける。


「とは言え、近頃の殿の振舞いに思うところがあるのはこの者らだけではござらぬ」


 そういう綱親つなちか自身、思うところがあるのだろう。長政へ向けられる視線にはいくばくかの怒りも感じる。


「新参者や殿の気に入った者ばかりを重用し、先代、先々代の頃より仕える者らをないがしろにしては、家中の序列、風紀、そして伝統が乱れましょう。新しき者を重用するのは結構でござるが、お家が最も苦しい頃を支えた者達に示しが付きませぬ」


 結局、結論はそこらしい。


 六角を攻めない長政の態度に不満が募っていたと言うのも事実ではあるだろう。


 しかしその本質は、近頃の長政の振舞い――つまり、比較的新参の藤堂虎高や、特に武功の無い野村直隆らが重用されている事が気に入らないようだった。


 確かに長政は、井口家や浅見家と言った古くから浅井を支える重臣達から距離を取っている。

 しかしそれは彼らが気に入らないからではなく、むしろ浅井家の未来を考えてのことだった。


 これまでの浅井家は各地の有力な国衆や家臣が集まって、各々が合議のもと方針を決める合議制を採用していた。


 そのため誰かが極端に貶められるような事が無い代わりに、誰かの意見がすんなりと採用されるような事もなかった。


 平時ではそれでも問題ないのだが、問題は戦時だ。


 小田原おだわら評定ひょうじょうと言う言葉があるように、関東の小田原城を本拠とする北条氏はこの合議制を採用していたため、秀吉との戦いの中でいつまでも方針が決まらずに後手後手に回ってしまった。


 合議制は全体の意見を尊重するため、家臣の裏切りが少なくなる事や極端な間違いを犯しにくい事が特長だが、裏を返せば果断即決が困難になり、難しい選択を迫られた時ほど結論を出すのが遅れる事になる。


 民主主義に名君無し。今の浅井家の政治体制のままでは、いくら長政が未来の知識を用いて最適な選択をしたとしても、浅井家を存続させる事は難しい。


 そして最後は史実のように、家臣達に押し切られる形で織田と敵対し、滅亡の道を歩む事になってしまうだろう。


 だからこそ長政は浅井家による独裁体制を築くための一歩として、まずは戦力の拡充を行っている訳だが……


 その結果、これまで重用されていた重臣たちが今までに比べて冷遇され始める事となってしまったのだ。


 かと言ってここで折れて、彼らの言葉通り先代からの重臣たちを厚遇しては話にならない。

 長政は、難しいかじ取りをしなければならない時期に差し掛かっていた。


「つまり、お主達の言い分はこう言うことか」


 ひとしきり皆が言いたい事を言い切り、しばしの沈黙が流れたところでようやく長政は口を開く。


「六角を攻める事を本懐としつつ、古くから浅井に仕える者達を重用せよ。新しく浅井のために働く者達などどうでも良い、と」


「そうは申しておりますまい」


「だが、今の虎高や直隆の扱いが気に入らぬとは、つまりそう言う事だろう」


 そこへ助け舟を出すように、井口経親つねちかが口を挟んだ。


「せめて我々も同等に扱って頂かねば、示しが付かぬと言う事にござる」


 それを聞いた長政は、ふむと頷く。


「相分かった。ならば井口経親つねちか、そして浅見道西。お主らに鉄砲隊の指揮を任ずる。いずれ虎高や直隆に任せるつもりだったが、お主らがやると言うならそれで良い」


 その瞬間、二人の表情が一変した。


「お、お待ちくだされ殿! それは余りにも!」


「殿に従えぬならば恥をかけと、そう仰せか」


 浅見道西が、そして井口経親つねちかが、慌てたように捲し立てる。


 しかし長政は気にすることなく続けた。


「虎高や直隆のように扱えと申したのはお主らであろう。だからいずれ二人に任せるつもりだった鉄砲隊をお主らに任せる。何の不服があるのだ」


「そ、それは……」


 長政の言葉に、二人はとうとう言い淀んでしまった。


 実はこの時代、鉄砲を扱う事は武士にとって恥とされていた。


 武家が尊ばれるのは、武門に通じ、武芸を収めているからこそであり、将軍家に連なる武士の一族だからこそなのである。


 武家の者達にとって、刀や槍、弓と言った修練を必要とする武器を扱える事こそが誉れであり、それらの武器で戦って勝つ事こそが武勲とされていた。


 そのため誰にでも扱える鉄砲を使う事はむしろ恥であり、武家の者達はこの鉄砲を嫌厭けんえんしているのが実情なのだ。


 戦場に槍や刀を持って立つ武士が山ほどいる中で、鉄砲を持つ武士の話をほとんど聞かない理由の一つがこれである。


 どの時代にも新しい文化を受け入れずに馬鹿にするもの達は居る。


 特に外聞や体裁を気にするこの時代、鉄砲を扱えと言われて素直に従う武士は多くなく、中には鉄砲隊を任されただけで泣き出してしまうような者もいるとかいないとか。


「鉄砲が強力な武器である事は周知の事実。六角を討つためにも鉄砲こそが要となる。その鉄砲を任すと言っているのに何が不満なのだ」


「……恐れながら。武門に生まれた以上、武勲を重ねたいと願うのが必然。鉄砲で敵を討ち取っても、それは武勲にはなり得ませぬ。鉄砲に武芸は不要でありますれば」


「それが答えよ」


 パチンと、長政が手に持っていた扇子を鳴らす。


「虎高、直隆。先程申したように、いずれお主らには鉄砲隊を任せるつもりでいる。不服はあるか?」


「いえ、ございませぬ」


「むしろ我が国友の作りし鉄砲、そこまで評して頂けるとは光栄の極みにござる」


 長政が問えば、虎高と直隆の両名はすぐさまそう答えた。


「この者らは六角を倒すために必要ならば、例え鉄砲でも構わず使う。だがお主らはどうだ。鉄砲を任せると言っただけで狼狽えて嫌がる。頭では鉄砲が強力な武器である事を理解しておきながら、だ」


「そ、それは……」


「結局お主らは、お家のためだなんだと言いつつ、己の武名と家名が一番大切なのだろう。だから私は虎高や直隆に任せたのだ。まだ何か異存はあるか? あるならば鉄砲隊を任せてやる」


 長政の言葉に、異を唱えるものはもう居なかった。


 しかし、彼らの言い分にまた一理あるのも事実。

 そこで長政は付け加えるように口を開く。


「とは言え、武勲が無ければお主らとて新参者を認められない気持ちはわからんでもない。それ故、次の戦でこの者らに武勲を挙げさせよう。それも、お主達が納得するだけのな」


 時期は既に冬。この時期の挙兵は難しく、次と言うのは来年の春になる事だろう。

 つまり、春には何かしらの動きを見せ、そこで新参者と呼ばれる者達の力を見せると言っているのだ。


 そこまで言われてしまっては国衆も今更後に引くわけにいかない。


「……結果さえ出るのであれば、我らも……」


 ごにょごにょと言いよどむ浅見道西や視線を右往左往させるほかの者達を他所に、「相分かった」と自信満々に告げた長政はそのまま立ち上がると言葉を続けた。


「ならばまずは私のやり方を見ていてもらおう。何、案ずるな。お主らの求める戦果、必ずや見せてやる」


 長政の不敵な笑みに、国衆は一抹の不安を抱きながらも頭を下げる事しかできる事が残されていないのであった。 

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