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026_永禄四年(1561年) 豊作

「お、お侍様! 畑が!」


 夏の残暑が続く中、日暮れには肌寒さも感じるようになってきた初秋。


 百姓たちのそんな声にせかされて、浅元新十郎こと浅井長政は自身直轄の村を足早に歩いていた。


 近頃は藤堂虎高に任せる予定の直轄部隊を編制するため、何かとそちらにかかりきりだった。


 そのため村にはしばらく顔を出せていなかったが、彼らの様子を見るに何かしらの一大事が起きているらしい。


 一体何が起きたのだろうかと長政が彼らについていくと、かつて未来の技術で手掛けた畑に広がる光景が長政の目に飛び込んできた


「米が……!」


「とんでもねえ豊作でごぜえます! 他の畑はいつもと同じだと言うのに、お侍様の畑だけ豊作でごぜえますだあ!」


 彼らの言う通り、長政の手掛けた畑は一面黄金の稲穂に埋め尽くされており、素人の長政にも一目で豊作とわかるような出来だった。


「見事なものだな」


 自身の持ち込んだ知識が生み出した上々の結果に満足していると、困惑した表情を浮かべた弥七やしちが、人一倍興奮気味に声を荒げて叫ぶ。


「見事どころではごぜえません! あっしはこれまで何十年もこの村の畑を見てやしたが、ここまで見事な豊作は見たことがない! お侍様のいう事は間違っていなかっただあ!」


 弥七は遠藤直経より二回りほど年上に見えるが、それだけ長い間この村にいた彼が見たことないと言うのだから、もしかしたらこの村ではこれまでで最高の出来なのかもしれない。


「しかし……まさかここまで上手くいくとはな。私のやり方がうまく行ったのも、その間畑を見てくれていたそなた達のお蔭だろう。礼を言う」


「とんでもねえ! あっしらはいつもと同じように田畑を見てただけでごぜえます! いや、それどころか、お侍様の畑は稲穂がきれいに並んでいるお蔭で虫も雑草も取りやすかった! 夏の間も畑作業がすぐに終わって皆楽だって、なあ!?」


 弥七が周りに集まっていた百姓たちに声をかければ、皆「んだんだ!」「お侍様の畑はとんでもねえ畑だ!」と興奮気味に声を上げた。


「お侍様はわしらの仏様じゃ。ありがたやありがたや」


 中には長政に向けてそんな風に手を合わせて、まるで仏を拝むようなしぐさを始める者まで現れるほど。


 それに続いて皆が「ありがたやありがたや」と手を合わせ始めるのだから長政としては居たたまれなくなってしまう。


「浅元様をわしらの元へお仕いくだすった浅井の殿様にも感謝をせねば」


「ありがたやありがたや」


 どころか今度は小谷城の方に向かって誰もが手を合わせ始めたため、長政も苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべつつそれにならう。


 自分で自分に祈るとは余りに滑稽で、長政の正体を知る遠藤直経なんかは複雑な表情を浮かべている。


 そうしてひとしきり祈り切ったところで満足したのか、百姓たちが長政に向き合うなり「それで、畑の米はもう刈り取りますか?」と聞いてきたため、それに頷いて承諾するとすぐさま彼らは畑仕事にとりかかった。


「ひゃーこいつは骨が折れるど。畑二つ分の米はあるべ。豊作も豊作、大豊作じゃ!」


 口では困った困ったと言いながらもこぼれる笑みを隠せない様子で彼らは次々田んぼへ入っていく。

 長政の農業改革、まずは上出来と言ったところだろうか。


「なぁ、私もやってもいいか?」


 彼らの様子につい嬉しくなり長政もそう声をかけるが、遠藤直経なおつねに「殿!」と諫められてしまう。


「良いではないか、これも経験だ。喜右衛門きえもん、お主だってこの米を食って生きておるのだろう?」


「それとこれとは話が別にございまする」


「どう別なのだ。この者達が米を育て、その育てた米を税として我ら武家に収めてくれるからこそ、我らは米を食えるのだ。だと言うのに、畑仕事を馬鹿にするとはどういう了見だ」


「馬鹿になどしてはおりませぬ。しかし、体裁と言う物がですな……」


「体裁が整わぬ、その言葉こそ馬鹿にしておる証ではないか。この程度で取り繕えなくなるような体裁など、はなから何の価値もない。もし我ら浅井を古くからお助け下さった朝倉宗滴そうてき公が畑仕事をなさっていたとしたら、お主は宗滴そうてき公を武家の恥知らずと笑うのか?」


「左様な事はありませぬ!」


「ならば良いではないか。なあ、皆!」


 いつの間にか長政の言い分に聞き入るように集まっていた者達へそう声をかけると、周りの者達は長政に合わせて「そうじゃ!」「お侍様のおっしゃる通りじゃ!」と各々に声を上げた。


 そうしてたじたじになっている直経をよそに収穫用の鎌を受け取ると、長政は百姓たちと一緒に田んぼの中へずんずん進んでいってしまう。


「こ、これは……なかなか……うおおおおっ!?」


 しかし慣れない田んぼの中、ぬかるみに足を取られた長政は態勢を崩し、そのまま田んぼの中に転げ落ちた。


 親しみやすいとは言え武家の侍。こんなところを笑われては怒りだすかもしれない。


 そんな緊張感が百姓たちの間に走るが、こらえきれなくなったのか百姓の子供たちがそんな長政を見て声を上げて笑ってしまう。


 そんな中、起き上がった長政は泥だらけの手を見ながら笑みをこぼした。


「いや、畑仕事とは実に難しい。顔が真っ黒じゃ」


 言いながら、自分で泥を顔に塗りたくってゲラゲラ笑う長政。

 あきれた顔をする直経をよそに、他の者達もついには吹き出して誰もが満面の笑みを浮かべて大笑いした。


 長政の目指す乱世の終わった後の日本、その一幕が、確かにそこにあったのだった。



◆――



「おおいみんなあ! お侍様がまた何か見せてくれるらしい! 集まれえ!」


 夕暮れ時、ひとしきり泥まみれになった長政はある程度したところで主立った者達を呼び集め、彼らの顔を見て一度頷いた。


「実はな、皆に見てほしいものがある。……頼む」


 長政がそう声をかけると、いつものように長政が連れてきていた数人の者達が、引っ張っていた荷車から荷物を下ろした。


 出てきたのは、まるで木の台に複数の鉄の刃を生やしたような何とも奇妙な物。それを見た百姓たちは一様に首をひねる。


「お侍様……これは……?」


「まぁ見ておれ」


 そういうなり、長政は近くの畑から日干しの終わった稲穂をひとふさほど手に取り、その台座の刃の部分へひっかける。そうして一度に引き抜くと――


「こ、米が!」


 まるで布から水を絞り取るように。稲穂から米だけがバラバラと零れ落ち、稲と米の分離作業が一瞬で終わってしまった。


「こいつは千刃こきと言うのよ。その名の通り、千にも見える無数の刃で稲穂をこいて米を取る、それ故に千刃こきだ。これがあれば脱穀がすぐに終わるぞ」


 長政が持ち込んだのは千刃こきという脱穀の道具である。

 千刃こきが発明されたのは江戸時代、これから百年ほど未来の話のため、この時代には本来存在しない道具である。


 元々脱穀は束ねた稲穂を地面や岩に叩いて米を落とし、更にそこから残りの米を一つ一つ手作業で落とす必要があった。


 そのため多数の人手と膨大な時間が必要で非常に手間のかかる作業だったのだが、それを解決してしまったのがこの千刃こきである。


 効果のほどは凄まじく、夫を失った未亡人の収入源だった脱穀作業を簡略化してしまったため後家倒しの異名が付いたほどと言われており、どれだけの作業改善に貢献したかは語るべくもない。


 それはこの時代においても同じ話で、長政の真似をして次々千刃こきを使う百姓たちは驚愕と歓喜の声を上げた。


「とりあえず二台ある。しばらくはそれで試してみてくれ。使いにくいところがあればそこを作り直して数を揃えるつもりだから皆、意見をくれると助かる」


 そうして、「これはついでだ」と百姓に木の板も手渡す。


「これは一体……?」


「洗濯板……まぁ、服を洗う時に使う板よ。こいつを使えば服の洗濯も楽になる。千刃こきを作るときに出た端材はざいで作ったゆえ、多少は不格好だが……」


 取り出したのは洗濯板。いうまでもなく、服を洗濯する際にこすり付けて汚れを落とす道具だ。


 意外な事に洗濯板が日本で一般的に普及するのはこれから三百年以上ずっと先、大正時代からだ。


 基本的に一緒に使われている石鹸がまだこの時代では普及していないため板だけになってしまうが、それでも今のもみ洗いよりは多少なりともマシだろう。


 こちらは特有の波打った形状を作るのが難しく、量産の目途もたっていないためここにある一枚きりだが、もし好評であればもう少し改良して数を増やそうと考えていた。


「ははあ、ありがたやありがたや」


「ありがたやありがたや~」


 洗濯板を手渡し、二台目の千刃こきを下ろすと、再び村人たちが真剣な表情で長政を拝み始めた。


 更にはそれを真似した子供たちも長政を拝み始めたため苦笑しながら「やめてくれ」と告げる。


「私たち武家の者は、そなた達百姓が作る米のお蔭で生きているのだ。これらの道具も巡り巡って私のためになる、それだけの事。そなた達に感謝されるいわれはないぞ」


「いいや、そんな事をわしらに言ってくださるのはお侍様……浅元様だけじゃあ。わしら百姓は畑を耕し、その米をお侍様に収めておるが、お侍様はわしらが苦しんでいても助けて下さらねえ。起こすのは戦ばかりで苦しむのもわしらばかりじゃ」


「七度の飢饉より一度の戦の方があっしら百姓には堪える。田畑は荒らされ、村は焼かれ、若いもの達はみんな死ぬ。戦に勝っても死んだ奴らは戻ってこねえ。土地が増えても次から一体どうやって畑を耕せばええんじゃ……」


「ああ。浅井の殿様になってから連戦連勝で勝ち続き、戦も減って助かっとるがいつまた敵が攻めてくるかと思うと……」


「だけども、浅井の殿様なら一万の兵をたった五百の兵だけで追い返してくださる。畑の働き手を減らさずに敵を追い払ってくださる。ありがたい事じゃ」


 溢れるように彼らが思いの丈を吐露し始める。七度の飢饉より一度の戦、その言葉が百姓にとっては全てなのだろう。


 彼らの言葉に、長政の胸は痛む。


「……すまぬ。我らの力がないばかりに、そなたら百姓に苦労ばかりかけてしまう。これからも北近江が豊かになるよう心掛けるが、我ら浅井にこれからも力を貸してほしい」


 長政が沈痛な面持ちでそう告げると、百姓たちは慌てて笑ってみせた。


「浅元様や浅井のお殿様のお蔭でおらたちは今こうして生きております! 憎き六角めに土地を焼かれる事もなく、秋にはこうして米を刈り入れる事ができる!」


「んだ! わしらは浅井様や浅元様に感謝しておるんでさあ! だからこそ、浅井様、浅元様のためならいくらでも力になりまさ!」


「お侍様、どうか……どうかお命、お大事にしてくだせえ」


「んだ、もし浅元様が居なくなっちまったら、次に来るお侍様が浅元様みたいにおらたちと一緒に畑を耕してくれるとは限らねえ。どうかまた、ご無事な姿を拝ませてくだせえ」


 そうしてまたもや長政に向かって手を合わせ始めた百姓たちにたじたじになり、居たたまれなくなった長政は彼らに作業に戻るよう促した。


 そんな彼らが作業に戻っていく様を、夕日と共に長政はいつまでも眺め続けていたのだった。

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