024_永禄四年(1561年) 太尾城の戦い
「何!? 太尾城攻めに失敗した!?」
転げるように飛び込んできた伝令の報告を受け、思わず長政は声を荒げた。
「太尾城攻めを行っていた今井定清隊、磯野員昌隊が共に壊滅! 今井定清殿は……討死なされた由にございます!」
その報告に愕然とする。
長政の調べによれば、太尾城を守るのは碌に名も知らぬような将で、本隊の六角も不在。
城には千にも満たぬ兵がいる程度で失敗する要素はなかったはず。
だからこそ、今回の戦いは今井定清と磯野員昌の両名に任せたのだが――
「一体、何が起こったと言うのだ……」
そんな長政の言葉に、知らせをもたらした足軽が言いにくそうに口を開いた。
「それが……どうやら、同士討ちを行ったようで……」
「……はあ?」
予期しない答えに思わず声が出る。
しかしそれ以上の詳細を知らないらしく、しびれを切らした長政はすぐさま磯野員昌を小谷城に召喚した。
そうして小谷へすごすごと現れた磯野員昌と言えば、普段の勢いだけで生きているような生気溢れた激しさはどこへやら、一回りも二回りも小さく見えるほど委縮していた。
「員昌。太尾城攻めの件、一体何があった」
「はっ……それが……」
普段からは考えられない程に歯切れの悪い物言いで、磯野員昌は何が起きたのかをぽつぽつと語り始めた。
長政の指示で太尾城攻めのための軍を起こした今井定清と磯野員昌の両名は、太尾城を攻略するための策を考案した。
伊賀の忍びを雇って太尾城に侵入させて、城内に火を放って混乱したところで今井定清と磯野員昌の両名が兵を率いて突入するという策だ。
これを実行するため、伊賀の忍びを太尾城へ侵入させるところまでは上手くいったのだという。
しかし、日が落ちた深夜、予定の時刻になっても一向に城から火の手が上がる事はなく、今井定清は策が失敗したと思い兵を引き上げ始めた。
その時だ。突然城から火の手が上がったのは。
これを合図だと考えた今井定清は、すぐさま軍を太尾城に向けて転進。未だ布陣していた磯野員昌隊の間を突っ切って進軍したのだが――それがまずかった。
同じく太尾城の炎上を確認し、突撃を始めようとしていた磯野員昌隊は、突然暗闇の中から現れたこの今井定清隊を敵と誤認して迎撃してしまったのだ。
更に不運は重なるもので、この最初の迎撃で先頭を走っていた今井定清が討ち取られてしまい、状況を把握できていない磯野員昌しかその場を治められる者が居なくなってしまった。
結果、将不在の今井定清隊と、混乱する磯野員昌隊はお互いがお互いを味方だと認識する事が出来ないまま激しい戦いを繰り広げ、夜が明けて気づいた頃には辺りが死屍累々というありさまだった……という訳らしかった。
開いた口が塞がらない、とはまさにこのことだろう。
誰が悪いのか、と聞かれれば当然今井定清だ。突然背後から得体の知れない兵が現れれば、誰も味方だとは思うまい。
「何故夜が明けるまでわからなかったのだ……」
なんとか気を取り直した長政は、磯野員昌へ問う。
「はっ、それが……我が隊は奇襲を受けたような形となり、報告が錯綜して状況が把握できず……ひとえに練度不足にございます、申し訳ございませぬ……」
額を床にこすりつけるようにして磯野員昌が頭を下げた。
……練度不足。確かにそうなのだろう。
この時代、現代のように同じ制服、同じ装備で見た目を揃えられるほどの経済的余裕はない。
農兵が身にまとうのは各々が調達した武具であるし、刀を持てるのはごく一部の者み。
殆どは槍や農具で戦っているのだから見た目だけで敵か味方かを判断するのは困難だ。
だからこそ軍団旗を使ったり同じ目印を身に纏ったりして敵味方を判別するのだが、暗闇に紛れてしまえばそれすらも機能しない。
そんな状況下で、相手が誰で今どういう状況なのかすら把握できないまま各々が無我夢中で戦い続ければ、確かにこのような同士うちに至ってもおかしくないと言える。
不幸中の幸いと言えるのは、これが六角攻めの前哨戦たる太尾城攻略で起きた事だったため浅井の命運自体には直結しないことと、磯野員昌だけは無事に戻った事だろうか。
とは言え同士討ちの末に将が一人死んでいるのだから、良かった良かったでは済まされないのだが。
それにこの練度の低さも六角攻めに本格的に舵を切る前に、早急に解決する必要がありそうだった。
「……相分かった。とにかく、お主だけでも無事で良かった」
員昌を責めても仕方がない。気を取り直してそう言った長政に対し、員昌は頭を床に擦り付けながら叫ぶ。
「誠に申し訳ございませぬ! かくなる上はこの員昌、腹を切って詫びる所存……!」
ある意味お決まりとも言えるこの時代の謝罪文。
しかし長政は、その言葉についカッとなり立ち上がる。
「たわけが! なぜお主たちはいつもそう、すぐに腹を切るだの何だのと言い出すのだ! 死んで詫びるより、生きて汚名を濯ごうとは思わんのか!」
百々盛実が討死した時、長政が言いかけて言えなかった言葉。
――それでも私は、家臣には死んで欲しくない。
その時の想いを踏み躙るような員昌の言葉に、怒りが抑えきれなくなってしまったのだ。
「良いか、私はお主と今井殿に太尾城攻めを任せたのだ。任せたと言う事は如何なる結果が出ようと文句を言わぬと言う事だろうが!」
「しかし……!」
「それに此度の戦で今井殿を死なせたことが許されぬ罪だと言うのならば、お主や今井殿のような忠臣をむざむざ死なせた私も腹を切らねば道理が通らぬ! お主が腹を切って全て許されるつもりなら、私も腹を切って詫びてやろう! 誰ぞ刀を持て!」
長政の怒声に員昌は慌てて長政を諫める。
「お、お待ち下され殿! 此度の責めは全てそれがしにございますれば、殿が責めを負われることなどございませぬ!」
「そうやってお主一人に全てを負わせて死なせたところで、どの道私は城攻めに失敗した上に忠臣を二人も失う事になるだけ。お主が死ぬことは私にとって痛恨になると、何故それがわからんか!」
余りの気迫に、怖いもの知らずだった員昌ですら久方ぶりの恐怖を覚える。
たかが十六の小僧に叱られているだけだと言うのにおかしな話であった。
「朝倉宗滴公曰く、主人には家臣の罰が、家臣には主人の罰があたるとある。家臣が過ちを犯したなら、それは主人が怠惰であった罰と言うことだ。その罰が今下っただけの事。責められるべきは私の怠惰であって、お主の過ちではない」
長政の言葉に、員昌は言葉を詰まらせる。
一方の長政もようやく落ち着いてきたのか、いつもの調子に戻りつつ言葉を続けた。
「とにかく、肩を落とすのも責の取り方もひとまずは捨ておけ。今は何より、今井家への対応だ。起請文を書け員昌。私も共に謝りに参ろう」
本来はこんな時、長政には他にもかかるべき無数の仕事があるのだが――今はそれどころではないと判断し、そちらは浅井政澄と弟の政元に任せる事にした。
兵の練度不足。
伊吹山で竹中半兵衛に負けた際にはわかっていたはずのその問題を、忙しさにかまけてずっと放置し続けたのは間違いなく長政の過ちだ。その責任は取らなくてはならない。
そんな思いから声をかけてやると、員昌は小さく言葉を漏らした。
「ぐっ……申し訳、申し訳ありませぬ……」
鼻声になっている事から恐らく泣いているのだろう。
悔しさからか、それとも別の理由からか。どんな苦難にあっても歯を食いしばり続けた男の、初めての涙を見た瞬間だった。
「泣いている場合ではないぞ、顔を上げろ員昌。そなたは浅井家の、そして私の一番槍だろう。ならば常に前を向くのが仕事であろうが」
「……ははあっ!」
そうして員昌と共に、今井定清の治めていた箕浦城へ向かうのだった。
◆――
長政と員昌は箕浦城へ向かうと、今井定清の正妻と対面した。
員昌は起請文を彼女に渡し、今回の一件がけして意図的に引き起こされたものではなく、ただの事故であった事を説明。
また長政も、己の不徳によって今回の件が引き起こされたことを説明し謝罪した。
そのお蔭か今井家側もそれ以上の追求は無く、この一件はこれにて手打ちとなるのだった。
その後、箕浦城を後にした長政は、磯野員昌の居城佐和山城へと戻って一息ついた。
「此度の一件、誠に申し訳ございませぬ……」
物事が一通り片付き、ようやく腰を下ろした頃に再び員昌が頭を下げた。
出された白湯をすすりながら、長政はゆっくりと口を開く。
「員昌。おぬしにとって、良将たる条件は何だ?」
「は……?」
突然の問いに困惑するような表情で顔を上げた員昌。しかし長政は続ける。
「良いから答えろ。お主にとっての良将とはなんだ」
「それは……い、戦に勝てる将……にございましょうか」
員昌の答えに「ふむ」と頷き、再び白湯を飲む。
「確かに、常に勝ち続けられる将が最も優れたる将である事は間違いないな。では聞き方を変えよう員昌。お主は良将か?」
「それ……は……」
長政の問いに言いよどむ。
たった今、過ちを犯したその謝罪を行ったばかりだと言うのに、自分が良将か? と問われてはいと応えられる者はそうそう居ないだろう。
困惑する員昌に、しかし長政は言う。
「朝倉宗滴公曰く、良将とは敗北を知る将の事なのだそうだ。負けを知り、己の実力を知り、なぜ負けたのかを考える。そんなことが出来る者こそ真の良将らしい」
そこまで口にすると員昌に向き直り、長政は彼の目を見て続けた。
「員昌。お主は此度の戦で、闇夜ではこのような同士討ちが起こりうる事を知った。策を弄したとしても、実際は物事がうまく進まない事を知った」
「……」
「おめおめ逃げ帰ったなどと申すが、それらを知って敗北を学んだお主は、その知見を生きて私の元へ持ち帰ったのだ。それが何故、最悪などと言えようか」
先ほどまで俯いていた員昌は、長政の言葉にはっとしたように顔を上げる。
「確かに、負けた事を責める者はいるだろう。しかしお主は、その者達が知らぬ事を知っている。その知見が、やがて我ら浅井を救う事になるやもしれん」
まるで年寄りのような事を齢十六の小僧が言っている様は滑稽と言わざるを得ないが、しかし員昌は不思議と納得させられるような空気を長政から感じ取る。
もしかすると、これが一国を治める当主たる者の器なのかもしれない。
「ならばこそ、責めを負って腹を切るより、生きてその知見を活かせ。お主しか知らぬ敗北の知見、ここでお主が死んで失われたなら、一体私にどんな得があると言うのだ」
長政の問いに員昌は口を噤む。
そんな員昌を見て、再び長政は口を開く。
「では員昌、今一度聞こう。お主が次に成すべきは何だ? 敗北の味を知ったお主が次に成すべきことは、そうやって頭を下げて腹を切り、負け犬のまま死ぬことか?」
員昌は答えず、ただぐっと拳を握りしめる。
長政にはそれだけで充分、彼の想いが伝わるようだった。
「此度の負けをただの負けとするのか、それとも次の勝利への布石とするのかは、負けを知ったお主のこれから次第。決してこれで終わりなどと、腑抜けた事を思わぬことだ」
今回は何とかなったが次はないかもしれない。
その事を胸に刻み込み、二度と同じ過ちが起きない様にと、員昌と共に自分を戒める長政であった。