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022_永禄四年(1561年) 斎藤再侵攻

 美濃国みののくに斎藤さいとう義龍よしたつ挙兵。

 その知らせは瞬く間に近江の長政の元へ届けられた。


 昨年戦った竹中たけなか半兵衛はんべえ。その主家に当たる斎藤家が、ついに本格的に動き出したのである。


 近畿で三好と事を構える六角としては、全戦力を対三好に差し向けたい。

 しかし、背後を浅井に脅かされる訳にはいかない。そこでお鉢が回って来たのが美濃みのの斎藤と言う訳だ。


 その兵数約一万。


 織田への牽制を考えると、現状で対浅井のために投入できる兵を全て動員して進軍してきたというところだろう。


 一体、織田は何をしているんだ。長政の心中でそんな愚痴が漏れる。


 この頃の織田はと言えば斎藤義龍に手も足も出ず、美濃侵攻が完全に停滞していた。そのため軍事的な圧力をかけられていないのが実情で、斎藤義龍が動けたのもそのせいだろう。


 また長政からすれば勘弁してほしい話だったが、信長はこの頃、力押しの愚を悟って美濃みのへの軍事攻撃を控えている。


 美濃の国衆くにしゅうを調略して造反を狙い、内部から弱体化させようという訳だ。そしてその標的になっていたのが美濃の西に住まう国衆たちであった。


 斎藤義龍からすれば、そんな西美濃衆の造反を抑える意味でも今回の出兵を決行したのだろう。


 武士と言うのは因果な生き物で、先ほどまでどちらにつくか様子見を決め込んでいた者達も、目の前に肥沃な土地が広がっていて、その土地を切り取れるかもしれないと言うだけで恩賞の土地欲しさに結束してしまうのだ。


 斎藤の目論見通り、西美濃衆は途端に結束して近江侵攻の先陣を切る事になった。


 六角からすれば背後の浅井を抑える事ができ、斎藤からすれば造反しそうな者達を使い潰しながら、六角に恩が売れる。どちらにも得のある出兵と言えるだろう。


 六角家と斎藤家の内情をよく知るものが画策したとしか思えない今回の出兵、裏で糸を引くのはやはり竹中たけなか半兵衛はんべえだろうか。


 一体どこまでが半兵衛の手の内なのかもわからぬ不安を抱きつつ、家臣達を小谷へ集めた長政は評定を開く。


 議題は無論、斎藤の侵攻についてである。


「なぜ今の時期に一万も動かせる! 奴ら、畑を捨てたのか!?」


「……国力の差、にござろう。我らにとっての一万の兵は、国の総力を挙げたもの。しかし奴らにとっての一万は、春に出しても痛手のない兵と言う事に他ならぬ」


「しかし如何する。我らの備えは無いに等しく、敵は備えも万全な一万の兵だ!」


 家臣や主立った国衆が声を荒げながら議論を進める。

 この時期の出兵は、誰にとっても想定外だったのである。


「兵はどれだけ集められる?」


 長政が問うと、彼らは一瞬顔を見合わせ、そしてそのうちの一人が恐る恐るといった様子で口を開いた。


「かき集めれば一万ほどはなんとか。しかし、六角への備えを考えると四千……いやせめて、三千は残さねばなりませぬ」


「七千か。集めるのにどれだけかかる?」


「雪が溶け残っているところも多く、せめて五日は頂きたく……」


「直経。五日で斎藤はどこまで進むと考えるか」


「はっ。東山道は雪で未だ覆われておりますれば、万の軍勢である事を鑑みても近江までは七日はかかるかと」


 直経がそう答えるや否や、横から別の国衆が「お待ち下され」と口を挟む。


「今の時期に七千も兵を集めては、畑の働き手が足らなくなりましょう。それでは、今は良くとも今年の米が穫れず、次の冬は飢え死にする者達で溢れかえりまする!」


「……左様か……」


 農兵である以上、本業は誰もが畑を耕す事である。

 逆を言えば、彼らを大量に徴兵することは畑作業を止めることに等しい。


 種まきの時期である今、畑を耕し、種を蒔き、鳥に食われないよう見張る者達が必要になる。


 それが全て居なくなれば、次の米の収穫がどうなるかなど誰の目にも明らかだ。


 誰も口にこそしなかったが、絶望的な状況である事は間違いなかった。


「……朝倉に、援軍を求めては?」


 そのうちに誰が言ったのか、そんな声が聞こえた。


「確かに朝倉ならば、多少の兵は出してくれるやもしれぬ」


「そうじゃ、朝倉にとっても斎藤は敵。きっと兵を出してくれよう!」


「そうじゃ!」


 やがて彼らが朝倉の援軍を求める方向で希望を見出した時、たった一人だけいつもと変わらぬ調子で口を開いた。


刈安尾かりやすお城はどうなっている?」


 浅井長政である。

 始めから朝倉の援軍と言う選択肢を考えていない長政にとって、朝倉がどう出るかなど微塵の興味も在りはしない。


 そこへすかさず、軍奉行の海北かいほう綱親つなちかが答えた。


「はっ。未だ完成までは至りませぬが、冬の間も作業を進め、最低限の守りはできるよう仕上げております。一千ほどであれば何とか詰められるかと」


「左様か」


 続けて雨森あめのもり清貞きよさだが声を挙げる。


「ではそれがしが兵を率いてまずは刈安尾城へ詰めましょう。昨年の戦でも比較的被害が少なく済んでおる故、三百程度の兵であればすぐにでも揃えられまする」


 昨年の戦ではあまり武勲をあげられなかった事を気にしているのか迷いない名乗りだったが、それが今は都合よかった。


 確かに、刈安尾城は重要な防衛拠点だ。そこを新参の国衆に任せて、裏切られても敵わない。


 長政としても信用のおける重臣、更にいうなれば先代や先々代の頃から仕えている譜代ふだいの家臣に任せたいというのが本音でもあった。


 朝倉に援軍を求める、と言う案でまとまりかけていた者達は、まるで朝倉のことなど知ったことではないと言いたげな長政の姿に呆然とする。


 しかし長政はさして気にした風もなく話を続けた。


「直経、斎藤軍の様子は如何か」


 長政が問うと、直経はすぐさま返事した。


「はっ、手の者によれば、斎藤軍は入念に軍備を整えているようで士気も高く、斎藤義龍本人も出陣しているとか」


「義龍がか」


「はい。どうやら籠にて出陣している様子。また先鋒には昨年戦った竹中の旗があったとの知らせも受けております」


 竹中の名に、家臣らがわずかに動揺する。昨年の戦いの記憶が鮮明に刻まれているため、またしても何か仕掛けてきているのではないかと不安にかられているのだ。


 たった一戦で浅井軍にとって竹中の名は、畏怖すべき象徴となってしまっていた。


 それでも浅井軍の戦意が挫けていないのは、長政がその竹中の策を看破し、渡り合った実績あっての事だろう。


 長政の存在は、浅井家にとって着実に大きくなっていた。


「斎藤義龍が……?」


 しかし、長政が気になったのは竹中の名ではなく、斎藤義龍の動きであった。


 当主自らの出陣。この理由はわかる。

 造反の動きがある西美濃衆を真っ先に使い潰すためだ。


 斎藤家が六角家から要請を受けたにもかかわらず総大将不在では、わざわざ自分たちが戦う理由もないと西美濃の国衆が言い出しかねないため、当主自らが出陣して本気である事を示す必要があるのだ。


 そのため長政が気になったのは、もう一つの知らせの方だった。


 ――何故、わざわざ籠で出陣する?


 戦国大名が籠で出陣する事には二つの意味がある。


 一つは権威付けだ。

 籠に乗り込み足軽に運ばせる移動方法では、馬に乗った場合に比べて咄嗟の対応ができなくなる。


 逆に言えば、そんな対応すら必要ないほどの軍勢を擁している――そういったある種の余裕を見せつけるために、籠を使用するのだ。


 現に名門今川家の当主であった今川義元も、桶狭間の戦いの折には自身は籠に乗り込み、大軍を擁しての出陣であった。


 しかしそう考えると、また別の疑問が浮かぶ。

 なぜならば美濃から関ヶ原、そして北近江へ至る東山道は山道であるからだ。


 山道になれば当然見通しが悪くなり、奇襲や伏兵を受けやすくなる。ましてや敵地への侵攻となればなおさらだ。


 そうなった場合に籠で移動していては、咄嗟の対応に遅れて大将首が取られる事にも繋がりかねない。


 事実、今川義元は敵地である尾張に籠で進軍した結果、織田の奇襲を受けて逃げる事もままならずにそのまま討ち取られている。


 これは義元が馬に乗れなかったため、長距離の出陣の際には籠を使用せざるを得なかった背景もあるが、その事情をよく知っているであろう斎藤義龍が態々籠を出す理由が見当たらない。


 ならばそれほど危険をおかしてまで、権威付けに走らなければならないくらい斎藤家が追い込まれているかと言われると、そういう訳でもない。


 近頃では頻繁に献金を行っているようで、将軍家からの評価も高く、織田との戦いでも快勝続き。


 昨年の浅井との戦いでも、華々しい戦果があった訳ではないが負けた訳でもなく、追い詰められてるとは到底言い難い。


 そう考えた時、もう一つの理由が長政の脳裏を過ぎる。


「……まさか」


 即ち、斎藤義龍の体調が芳しくないのではないか、と言う事だ。


 籠を選んだのではなく、籠でなければ出陣できない理由があったと考えれば辻褄が合う。


 馬に乗れない程に斎藤義龍の体調が芳しくなく、無理に出陣したために籠を使用せざるを得なかったのではないか?


 そんな体調不良を押しての出陣となれば、異様に整えられた軍備の理由もよくわかる。もし自身に万が一の事があったとしても最低限戦えるように備えているのだろう。


 それに、そう考えれば史実的にも辻褄が合うのだ。


 これから数年のうちに信長は美濃を取るわけだが、そのきっかけは竹中半兵衛が隠遁して脅威が消えた事による。


 隠遁の理由は世に名高い稲葉山城の乗っ取り。

 この乗っ取りの後、城を明け渡す代わりに半兵衛は隠遁して自領にこもってしまうのである。


 この乗っ取りの理由は、義龍の子であり新たな当主となった斎藤龍興たつおきの素行不良を咎めるためだと言われている。


 と言うことは少なくとも、数年のうちに斎藤家は当主が代わる。


 政治的にも軍事的にも能力があり、更には将軍家からの覚えもめでたい義龍が、未だ三十代半ばと言う若さで、何故か龍興に家督を譲っているのだ。


 もしそれが、当主交代を余儀なくされるような何かが起きたせいだと考えれば……?


 ――なるほど、そういう事か?


 長政の口元が僅かに弧を描く。


 長政には本来、この時代では誰も持ち合わせないはずの知識が無数にあるため、僅かな情報からでも様々な考察を導く事ができる。


 斎藤義龍の体調不良を看破できるのも、この知識があるお蔭だ。


「直経。少し調べてほしい事がある。斎藤義龍の様子を手の者に探らせろ」


 しばらく黙り込んでいたかと思えば、唐突に口を開いた長政が発したのはそんな命令で、遠藤直経は少しばかり混乱する。


「斎藤義龍の様子……に御座いますか? は、承知は致しましたが、一体何故……?」


「もしかしたら義龍は病を押しての出陣かもしれぬ。もしそうであれば長くは布陣できまい。清貞、刈安尾城での籠城はとにかく時間を稼げ。もしかするとこの戦、碌に戦わずに敵は退くかもしれん」


 長政の突拍子のないそんな発言に呆気にとられながらも、雨森清貞は「は、ははっ!」とそれを承諾する。


「まずは清貞の三百を。次に後詰めとして、私自ら五百を刈安尾かりやすお城に詰めて守りを固める。他は要らん、それで充分だ」


「し、しかし」


「これが不満ならば、直経の手の者の知らせが戻り次第、追って思案しよう。まずは義龍の様子を探る事を第一とする。本日の評定は以上だ」


 有無を言わさずそう言い切った長政は、早々に部屋を後にしてしまう。

 残された物達は顔を見合わせ、しかし仕方がないとばかりにお開きとなってしまった。


「殿……誠に義龍めは病なのでしょうか」


 長政の後を追ってきた浅井あざい政澄まさずみが、疑うような声音で長政に問う。


「わからん。あまり都合よく考えるべきではないと思ってはいるが、もし本当に斎藤がすぐに兵を退くのであれば都合がいい。少しばかり待ってみようではないか」


「……では私は、軍備を整えておくことにします」


「頼む。さて、鬼が出るか蛇が出るか。楽しみに待つとしようではないか」



◆――



 ――斎藤義龍、重病の可能性有り。


 長政の元にその知らせが届けられたのは評定から二日後の事であった。


「日中は籠からあまり出ず、こまめに兵を休めながらの進軍……時折医者のような者が義龍の籠を訪ねている……まさか、殿の仰る通りとは」


 手の者から受けとった知らせを読みながら、直経が驚愕する。


 無理もない、籠で出陣という情報だけで斎藤義龍の重病を見抜く事が出来たのは、ほぼほぼ未来の知識のお蔭なのだから。


「清貞は不満だろうが、恐らくこの戦はすぐにでも終わろう。精々一当てして勝ったとでも触れ回ってそれで終わりよ。兵を詰める支度だけは進めておけ」


 長政の言葉通りそれから数日の後に刈安尾城へ攻めてきた斎藤軍だったが、挨拶とばかりにひとしきり城を攻めた後、長政が援軍を送る間もなくそのまま撤退していった。


 結局損害らしい損害を受ける事もなく、刈安尾城の雨森清貞は戦に勝利したのだった。


 そして斎藤義龍の病死が長政の元へ伝えられたのは、そんな撤退劇から十日ほど後の事であった。

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