019_永禄四年(1561年) 藤堂虎高という男
そうして宴もたけなわ、新年祝いを名目に誰もが酒を飲み、料理を楽しむ宴が終わりを告げた頃。
「失礼致しまする」
約束通り、藤堂虎高が長政の元へと現れた。
「すまぬな虎高殿。手間をかける」
宴の片づけが終わっていないため、別の客間に藤堂虎高を通してやると、落ち着かない様子の虎高は恐る恐ると言った風に客間へ足を踏み入れた。
「これは……」
そんな虎高は、客間に入るなり息を呑む。
それもそのはずだ。何せ赤尾清綱、海北亮親、雨森清貞と言った浅井家の重臣を始め、浅井政澄や遠藤直経、更には磯野員昌と言った長政の腹心が一堂に会していたのだから。
先ほどまで愉快に騒いでいた者達が神妙な面持ちで一堂に会していれば、思わずおののいてしまうのも仕方ないだろう。
その虎高の様子にしてやったりと言わんばかりに笑いながら、長政は彼に座るよう促す。そして彼が腰かけて一息ついたころ、ようやく本題を口にした。
「まずは感状。藤堂殿には命を救われた故、遅くなるとは言え私が直接感状をお渡ししたかった。清綱から聞いた。私と別れた後は殿として最後まで斎藤軍と戦ってくれたのだと。そのあまりの勇猛ぶりに清綱もよく覚えておったそうだ」
長政の言葉に赤尾清綱は「うむ」と顎を引く。しかし恐れ多いとでもいうように、虎高は頭を下げた。
「そしてこれは褒美の刀だ。銘のある刀ではないが、下坂の者達に打たせた業物よ。お主のような剛の者にふさわしい切れ味だと私が保証しよう」
長政が続けて取り出したのは、丁寧に装飾された鞘に納められる刀。
鯉口を切り、刀身を僅かに見せると、光を反射した刀の刃文が浮かび上がる。
波のように穏やかに、それでいて面妖な曲線を描く刃文は、いつ切られるのかと見る者を不安にさせる出来だ。
「か、かような物を私めに……!?」
「殿の命を救った事はそれだけの価値がある。受け取られよ」
驚きの声を上げた虎高に、今度は磯野員昌がそう告げた。
虎高の住む村は員昌の領地にあるため、言ってみれば員昌は虎高のいくつも上の上司に当たる。
そのため員昌の言葉にいよいよかしこまってしまった虎高は、恐る恐ると言った様子でその刀を受け取った。
そうして刀を脇に、それはそれは丁寧に、まるで国宝でも扱うかのように傍に置いた虎高を見て、長政は更に続ける。
「それでだ……折り入った話と言うのは他でもない。私に仕えてはくれぬか、藤堂殿」
「それがしが……浅井様にでございますか?」
ここからが、長政にとっての本題だ。
虎高の言葉に、長政はうなずく。
「左様。我が浅井はご存知の通り、昨年の夏に私が当主となったばかりで盤石とは言い難い。更には南に六角、東に斎藤と敵を抱えて人手が足らぬ。一人でも私に忠実で、尚且つ優秀な将が欲しいというのが本音よ。その点、藤堂殿であれば申し分ないと見た」
感状の話は表向き。本題は藤堂虎高の士官の話であった。
浅井家としては元より、史実から脱却するために少しでも浅井長政としての力が欲しい長政からすれば、浅井家ではなく自身に忠義を誓ってくれる者が必要なのだ。
その白羽の矢が藤堂虎高に立ったという訳である。
体格は長政に負けず劣らずで長政の危機には命を張って駆け付ける忠義者。その上、撤退の折には自らが殿として敵と戦う胆力まであるとなれば、欲しいと思うのは当然と言えた。
しかし、どこの馬の骨ともわからない者を迎え入れたいと言って、誰もがわかりましたと納得するほど浅井家の家臣や国衆は聞き分けが良くない。
この場に重臣たちが居るのは、虎高を士官させたいという長政の話を聞き、どんな男か見極めたいとしたためだ。
そんな長政の期待を知ってかしらずか、藤堂虎高は難しい顔をしながら静かに答えた。
「しかし……それがしは今では一介の百姓に過ぎませぬ。いささか過分なお言葉にございますれば……」
「頼む藤堂殿。まずは私の直轄領から五十石。これで召し抱えさせてほしい。足りなければ銭で支払おう。当然、働き次第で加増も考える。如何か?」
五十石と言えば、金額に直せば年二十貫(約300万円)ほどでの登用になる。
将を召し抱えると考えれば破格と言う程の額ではないが、百姓相手となれば話は別。長政は虎高を、武家の家臣と同等に召し抱えようとしていた。
これは同額の金を払う事よりこの時代では重い意味を持つ。
北近江一帯を治める浅井家の当主に、土地を渡すとまで言われて断れる者はそう居ない。虎高もとうとう折れたようで、静かに一度頷いた。
「そこまで言われて、お断りするのは無礼と言うものでしょうな」
「誠か藤堂殿!」
「しかし」
喜んだのもつかの間。すぐさま虎高は真剣な表情でそう告げた。
「……しかし、浅井様にはお伝えせねばならぬ事がございます」
「私に? 一体なんだ」
「私は昔、甲斐武田に仕えておりました、元武田の将でございます」
その言葉に、誰もが驚愕した。
「甲斐の……武田だと?」
「はい。それがしの諱である虎高の虎の字は、武田家元当主、武田信虎様より頂いたものにございまする。故あって辞する事とはなりましたが、良くして頂き申した」
飛び出してきたとんでもない名前に一同がざわつく。武田信虎といえば、戦国最強の騎馬軍を率いていたと名高い武田信玄の父親だ。
主人から一字貰って名前を変えるというのはけして珍しい事ではないが、主人が直接与えるとなれば話は別。よほど期待されているか気に入りでもしない限り、滅多にないと言っていい。
「まさか……武田の間者か?」
虎高の言葉に、不意に声を漏らしたのは遠藤直経であった。
「直経、何を!」
「いえ、疑われるのは仕方なき事と存じます。しかし誓ってそれがしは武田の間者ではございません。それがしが近江に戻って来たのも、武田家を辞した故の事にございますれば」
「間者が自らこのような事を申すわけなかろうが、たわけ」
虎高が欲しい余り前のめりになりながら直経を批判するが、直経の言い分もわからないわけではない。
彼からすれば、怪しい者は全て疑うのが当然なのだから。
当然それを理解している虎高は、「それに」と言葉を続けた。
「それに、今の武田家当主である武田信玄……当時は晴信と名乗っておりましたが、奴めは信虎様を追放し、あろう事か家督を簒奪したのでございます。恨みこそあれ、武田の為に働く義理はございませぬ」
頭を下げたまま、しかしはっきりとした物言いでそう告げる。確かに虎高の言うように、既にこの頃の武田は武田信玄が家督を奪い、父の信虎は追放されている。
理由は諸説あり、信虎の行った度重なる侵攻戦に家臣らが疲れ切っていたとか、嫡男の信玄ではなく弟の信繁を寵愛していたためお家騒動の火種が生まれたからだとか言われているが、少なくとも信虎の代には領国経営が上手く行っていなかった事は事実だろう。
その結果、子の信玄や重臣達に裏切られる結果となってしまったのだ。
「私が近江へと戻ったのも、そんないざこざに巻き込まれた事や、外様であるにも関わらず信虎様より良くして頂いたため、武田家臣団に不満が溜まっていたためにございます」
「……なるほど、そういう訳か……」
どうやら、甲斐の武田も浅井同様に家臣らの力がとても強いようだ。言うなれば、甲斐同盟軍領主の武田家と言った立ち位置なのだろう。
甲斐の武田家は正当な甲斐の守護大名だが、そんな武田でさえ家臣や国衆には頭が上がらないらしい。
また長政の知らない話ではあるが、武田信玄が家督を継いだ際には重臣たちへ当てた手紙の中に、「もし自分に至らぬ点があれば遠慮なく教えてほしい」と言うような一文が添えられている。
こういったところからも、甲斐の武田は信虎だけでなくその子の信玄の代に至るまで、家臣達の顔色を窺いながらの支配体制が続いていた事が伺えた。
そしてそんな武田信虎の末路こそ、長政が家臣らを力づくで従わせ、無理矢理に史実を捻じ曲げようとした場合の行く末なのかもしれない。
――家臣達の顔色を窺わないといけないもどかしさを感じているのは、どこの大名も同じなのだな。
長政は顔も知らぬ甲斐の武田に、どこか同情するような思いと幾ばくかの親近感を抱いたのだった。
そうして虎高の話を聞いた後、赤尾清綱が言葉を発する。
「この者の言う事、確かに筋が通っておる。それに間者であったとしても、殿のお命を救った者であれば相応の扱いをするのが我ら浅井の流儀であろう」
その言葉に誰もが頷き、虎高への疑いは晴れたようだった。
そして、その話を聞いたうえで、改めて長政は告げた。
「やはり私に藤堂殿の力が欲しい。私は力を付けなければならない。それも、誰もが納得する程の圧倒的な力を。そのためには武田のように、戦国最強と謳われるほど、戦に勝ち続けなければならぬ。藤堂殿には、その露払いをお願いしたいのだ」
長政の真剣な視線に、虎高は逡巡する。
北近江を治める浅井家当主とは言え、長政は未だ齢十五。一方の虎高は四十を超えている。当時の平均寿命からして老い先短いと言っても過言ではない虎高に、長政がここまで拘る理由がいまいち理解できないのだ。
しかし、流石の虎高も「……そこまで申されてはお断りする訳にも参りませぬ」と諦めたように首を横に振り、ついに頭を下げたのであった。
「よし! よろしく頼むぞ、藤堂殿!」
「既にそれがしは殿の臣下。藤堂、或は虎高とお呼び下され」
「相分かった。虎高、よろしく頼む」
「ははっ!」
これが後に長政率いる戦国最強の浅井軍、その一角を務める藤堂家と主従関係を結んだ瞬間であった。