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017_永禄三年(1560年) 伊吹山の戦い3

 長政の腹に敵の刀が突き刺さるまさにその瞬間。


「はあッ!」


 何者かが横から割って入り、斎藤兵を押し倒した。

 そしてややあって、斎藤兵の首をかき切ったその男は、すぐに長政へ向かって口を開く。


「お怪我は!?」


「あ、あぁ……助かった」


「お早くお逃げくだされ! 後ろは、それがしがお守り致す!」


 立ち上がったその男は鎧で分かりづらいものの、なんと長政と同じかそれ以上の身長をしていた。


 この時代では発育が良く、大人顔負けの体つきをしている長政であったが、その長政以上の体つきをしている男に思わず驚く。


 誰かを見上げた事など、いつ以来だろう。


 顔を見るに初老くらいだろうか。服装からして浅井兵のようだが、ただの農兵にしてはやけに体つきが良く、どちらかと言えば武将のようにも見える。


 もしかすると家臣のそのまた家臣、つまり長政の陪臣ばいしんに当たる人物かもしれない。


「はあっ!」


 長政を守るようにして、威風堂々と言った様子で男は次々斎藤兵を切り捨てていく。やがて長政とその男が戦っている事に気付いたのか、浅井兵達も続々と集まって守りを固めていく。


 長政の窮地はこの大男によって救われたのだった。


 そうして長政達が戦っていると、そこへ撤退途中だった海北綱親の軍が駆け寄って来た。


「殿! ご無事か!」


 斎藤の伏兵の横腹を突くように海北綱親の兵が突き刺さり、綱親自身も「ぬん!」と声をあげて槍を振り回す。


 既に齢四十を超えて年寄りと呼ばれる側になるはずだが、老いを全く感じさせない槍さばきで群がる斎藤兵を次々とのしていくと、長政の元へと駆けよってきた。


「お怪我は!」


「私は無事だ、戦況は!?」


「赤尾隊が上手く敵本隊を引き付けております。さぁ早くお退き下され! 殿が残っていては我らが退却できませぬ、家臣を思うのであれば一刻も早く退かれよ!」


 綱親の言葉にハッとする。言葉通り、長政がいつまでもここで戦っていては周りは退却する事ができない。

「わかった」と頷いた長政は、一度だけ振り返る。


「名前は!」


 先ほど長政の窮地を助けた大男。この戦いの後、生き残る事ができればせめて感状くらいは出してやりたいと思い名を問う。


 すると返って来たのは、思いがけない名前だった。


藤堂とうどう虎高とらたかと申します! 生きてまたお会い致しましょう! さらば!」


 合流した海北隊と共に敵陣へ駆けて行く大男、藤堂虎高。一方で長政が馬に跨ったのを確認すると綱親がムチを入れ、長政を戦場から逃がした。


 揺れる馬上で長政の脳裏には、先ほどの大男の名前が巡る。


 ――藤堂……虎高?


 長政の脳裏に浮かび上がるのは藤堂の名で有名な一人の男。

 名を藤堂とうどう高虎たかとら


 それはこの戦国時代で主を転々と変え、徳川家康のもとで大名となった猛将の名だ。


 家康の信頼厚く、藤堂の名を徳川四天王の一人、井伊直政の井伊家と並んで『徳川の先鋒、譜代は井伊、外様は藤堂』と呼ばれる程に挙げた勇士である。


 徳川家康が関ヶ原で勝利し、後に江戸幕府を開くにあたり大名となった家臣は数いるが、外様でありながら譜代家臣と同等の扱いを受けた者は藤堂高虎ただ一人。


 一瞬、その藤堂高虎かと考えたが、聞き間違いでなければあの男は高虎ではなく虎高と名乗った。


 偶然にしては随分と似た名だ。


 この時代、通字とおりじを使う都合上、親戚は似たような名前の者達ばかりになるため、もしかすると藤堂高虎の親兄弟か、親戚に当たる人物なのかもしれない。


 そして何よりあの武勇。


 長政に劣らない気迫と、長政の危機に迷わず駆け付け、命を張ることができる忠誠心は目を見張るものがある。


 例え藤堂高虎とは縁がない赤の他人だとしても、手元に置きたいと思わせる光るものがあった。


「その名、覚えたぞ。藤堂虎高」


 駆ける馬上で一人呟く。自身の命が脅かされた手痛い敗北だったが、それに見合うだけの成果は得る事が出来た。


 そして長政は必ず生き延びてみせるという決意を胸に、近江へ急ぐ。佐和山城へ攻め寄せてきているはずの六角軍を退けるために。



◆――



 東山道とうさんどうを駆ける長政は、山を越えて淡海の東にある米原まいばらの地が見えた辺りで一度足を止めると、撤退途中の味方と合流した。


 始めに雨森清貞や遠藤直経、浅井政澄ら本陣に居た者達が。続けて海北綱親や磯野員昌など本陣の後に退いた部隊が長政の元へ集う。


「清綱は?」


「遅くなるでしょうな。先に佐和山城の救援に向かうべきかと」


 生きていれば、という言葉を言外に潜ませてそう告げた雨森清貞。

 その言葉に僅かに顔をしかめ、長政は頷く。


「わかった、編成を整えて佐和山城へ向かおう」


 この時、元々三千居た浅井軍は、既に一千五百まで減っていた。

 清綱が五百を連れている事や、未だ合流できていない兵が居る事を考えてもかなりの損害だ。


 これは全てが斎藤軍との戦いに討ち取られたわけではなく、殆どが戦いの中で逃げ出した者達である。


 実は兵の損耗は、戦いによる死傷者よりも逃走して行方をくらませる兵の方が圧倒的に多いのだ。


 だからこそ兵の士気や将の武名は、戦国時代においては何よりも重視される。

 戦上手と言うだけで誰もが称え、味方が付いてくるため評価も上がる。


 合流した兵を新たに編成しなおした長政ら浅井軍は、佐和山城に向けて再び進軍を開始した。


 行きのような勢いは既になく、気分はさながら敗残兵だ。それでも兵が長政に従い行軍しているだけまだマシというものであった。


「惨敗だな」


 思わずこぼす。


「負けてはおりませぬとも」


 そんな長政を励ますように、海北綱親が口を開いた。


「確かに勝てはしませなんだが、負けたわけでもありませぬ。殿の指示が無ければそれこそ本隊は壊滅し、佐和山城を抜いた六角に背後から追い打たれていたやもしれませぬ」


「左様。戦にて重要なのは勝つ事ではなく負けない事。我ら浅井は六角の卑劣な攻撃によって撤退を余儀なくされただけ。事実、兵こそ失いましたがまだ潰走はしておりませぬ」


 綱親の言葉を継ぐようにして雨森清貞が続けた。


「……左様か」


 重要なのは勝つ事ではなく負けない事。清貞の言ったその言葉がやけに胸に残った。


 戦の勝敗は将兵の数に非ず。


 それはかの三国志の時代からこの戦国時代に至るまで幾度も証明され続けてきた戦の常だ。


 かの武田信玄も『寡兵を大軍に見せることができるよう、兵を動かすことこそ大事である』という言葉を残したという逸話もある。


 まるで一個の生物のように、縦横無尽に動いていた竹中兵。それに翻弄されるばかりだった浅井兵。この差こそ、信玄の言った大軍に見せるような兵の動かし方という事だろう。


「まだまだ未熟か……」


 悔やむ長政をよそに浅井軍が佐和山城へたどり着いた頃、最悪の知らせが入る。


「報告! 佐和山城は既に陥落し、城主の百々どど盛実もりざね様、討死との知らせ!」


「何という事だ……」


 浅井家臣団の古参衆の一人であり、野良田では磯野員昌に並んで先鋒を務め上げた猛将の討死。

 その衝撃は少なくない。


 佐和山城は北近江と、六角家の治める南近江との境を守る城。ここを抜かれたとなれば浅井家の本拠である小谷城はまでは丸裸で、瞬く間に攻め落とされてしまうだろう。


 その事がわかっているからこそ、百々盛実は最後まで戦い抜き、城を枕に討死したのだ。


「忠誠、見事である。百々盛実の無念、我らで晴らす!」


 言葉を失う長政に代わり、海北綱親が声をあげれば、浅井兵は『オオーッ!』とその声に応えた。


 しかし、敵は六千を超える大軍だ。真正面から当たればまず勝ち目はない。


「奴らの背後を突くか?」


 長政が問うが、綱親は首を横に振る。


「背後を突いても数が違いすぎまする。ここは敵の補給路と退路を断つように動き、更にその情報を敵に流すのでござる。こちらの動きを警戒して六角が退くならばそれでよし、退かぬなら予定通り補給路を断ってやれば敵は身動き取れなくなりましょう」


 すらすらとよくもまぁここまで策が出るものだと舌を巻く。確かに綱親の言う通り、退路を断つ方がまだ勝ち目がありそうだ。


「相分かった。ならば我らはこれより六角の退路を断ち、佐和山城を奪還する。行くぞ!」


 長政が鼓舞し、全軍で六角軍の退路を断つために進軍すると同時に、直経の手勢に噂をばらまかせた。


 一方、これに驚いたのは六角だ。

 長政率いる本隊は関ヶ原で斎藤軍に釘付けにされているとでも思っていたのか、この噂を聞きつけた途端、すぐさま浮足立った。


 更には長政達がそのまま観音寺城へ攻め入るのを危惧したのか、せっかく落城させた佐和山城まで早々に放棄して全軍で南近江へ取って返したのだ。


 これにより浅井軍は佐和山城を奪還し、北近江の防衛にも成功。


 百々盛実の討死は痛恨だったが、ガラ空きになった小谷城の落城という、最悪の展開を避けることが出来た。


 また浅井軍を追って北近江へ進出しようとした斎藤軍も雪に足止めされたうえ、本格的な冬が来て雪に閉じ込められてもかなわないと、そのまま美濃へ退いていったのだった。


 結果、今回の出兵は六角・斎藤連合軍と浅井軍の痛み分けと言う形で決着。


 長政率いる浅井軍が初めて敗北を喫したこの戦いは、未だ天下を仰ぐ若鷹に大きな成長をもたらす結果となった。


 そしてまた、この戦いによって成長するのは湖北の若鷹のみならず――



◆――



 ――美濃国みののくに、竹中屋敷。伊吹山での戦いを終えた後に六角軍の撤退と浅井軍の佐和山城奪還の知らせを受けた竹中半兵衛は、碁石の乗った地図を蹴り飛ばした。


「おのれ浅井備前守びぜんのかみ!」


 肩で息をしながらドスドスと家の中を歩き回る今の彼に、普段の冷静沈着な、皮肉屋の面影は一切見られない。

 わかりやすいほど怒りに身を焦がしていた。


 始まりは六角承禎じょうていからの打診。浅井に軍事的圧力をかけるため、竹中家の現状を知った六角が半兵衛らの元へ使者を遣わした事から全ては始まった。


 その時半兵衛は知略を巡らせ、ただ圧力をかけるだけでなく浅井長政を討ち取る算段までを仕上げて見せ、竹中と六角による浅井潰しの策が始動した。


 しかし竹中家の手勢だけでは浅井長政を討ち取る事は困難、斎藤家の合力も必要だった。


 織田信長に釘付けにされて出兵を渋る斎藤義龍よしたつを、六角との同盟を餌に何とか動かし、一千の兵を出させる事で盤面を仕上げた。


 その代わりとばかりに六角家当主の六角義弼よしすけに、斎藤義龍よしたつの娘を嫁がせるため手を回す羽目になってしまったが。


 その後、勝手に斎藤家と同盟を結んだ事に関して、六角義弼よしすけは父の六角承禎じょうていに叱責されたと言うが、これは半兵衛の知った事ではない。


 問題はそこまで手を回してようやく仕上げた盤面を、あろうことか浅井長政に崩されてしまった事にある。


「まさか、十面埋伏じゅうめんまいふくが看破されるとは……」


 竹中半兵衛の仕掛けた必殺の策、名を『十面埋伏じゅうめんまいふくの計』と言う。


 古くは楚漢そかん戦争時代、項羽こうう劉邦りゅうほうの戦いで。また三国志時代には官渡かんとの戦いを制した曹操そうそうが、宿敵の袁紹えんしょうと雌雄を決すべく倉亭そうていの戦いで用いた必殺の策である。


 左右に五隊ずつ、合計で十の部隊を伏せさせ、本隊が敵を誘引。そして誘引した敵に次々伏兵が襲い掛かって追撃すると言う策だ。


 決まれば文字通り必殺となりうるこの策は、しかし竹中半兵衛の知略をもってしても浅井を討つに至らなかった。


 それどころか、必殺のはずの策は看破され、更には鮮やかな転進まで決められ、挙句に浅井軍は北近江を攻める六角軍の背後を突き、佐和山城まで奪還して見せた。


 その上、不意を突いたとは言え少数である事に変わりない竹中隊を、あろう事か殿しんがりとなった赤尾清綱の部隊が猛攻。一時は本陣に敵が迫るほどだった。


 その後に赤尾清綱も近江へ撤退したとの知らせを受けているため、完全に取り逃した形となる。


 これまで軍略において失敗を知らなかった半兵衛にとって、これは事実上の敗北でしかなかった。


 そしてこの浅井軍の鮮やかな退却を統率したのは、紛れもなくあの浅井長政であろう。


 奇しくも長政は半兵衛の一つ年下でほぼ同い年。だからこそ、この苦渋がより染みる。


「……浅井備前。お前は……お前だけは、必ず私が、この手で叩き潰す」


 傲慢と慢心によって伏せていた伏龍ふくりゅうが、若鷹の羽ばたきによってついに目を覚ました。


 目覚めた伏龍はこの屈辱を糧に更に智謀を磨き、後に美濃侵攻を目論む織田軍を十面埋伏の計によって完封し、今孔明としての名を歴史に刻み始める事となる。


 長政と半兵衛。鷹と龍の出会いが、これからの歴史に大きく影響を与える事を、この時はまだ誰も知らないのだった。

◆投稿頻度変更のお知らせ◆

本作をここまでお読み頂きありがとうございます。

楽しんで下さっている方には残念なお知らせとなってしまい心苦しいのですが、これまでの7時/19時の1日2回の投稿から、19時投稿のみの1日1回の投稿へ投稿頻度を変更させて頂きます。


また、ある程度の投稿が完了した時点で、もう一度投稿頻度の変更を行う予定です。


詳細については二度目の変更時に記載させて頂く予定ですが、これは投稿前から計画していた変更であるため、執筆出来なくなった等の理由によるものではありません。


最後になりますが、今後とも本作『湖北の鷹 ―新生浅井伝―』をよろしくお願い致します。

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