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014_永禄三年(1560年) 出陣の儀

 永禄三年(1560年)の冬、ついに浅井が兵を起こす。


 斎藤に対して竹中に攻撃をやめさせ、謝罪させるように要請した浅井ではあったが、帰って来たのは斎藤は竹中に関しては関知しないという旨の書状。


 始めからこうなる事がわかっていた浅井家は形ばかりのやり取りをこなした後、竹中攻めへと踏み切った。


 赤尾清綱きよつな海北かいほう綱親つなちか雨森あめのもり清貞きよさだ譜代ふだい三名の他に、浅井政澄まさずみ、遠藤直経なおつね、更には野良田で見事先鋒を務めた磯野いその員昌かずまさら腹心数名を伴い、総計三千の兵での出陣となる。


 また、磯野員昌同様に野良田で先陣を務めた百々(どど)盛実(もりざね)は、六角への抑えとして一千の軍勢と共に佐和山さわやま城の守りを固め、浅井軍本隊の背後を守る形だ。


 盤石と言っていい布陣だが、しかしこれらに長政の意見は一切反映されていない。


 赤尾清綱を筆頭とした家臣らの談義にて決まったこの布陣に、未だお飾りの大将である長政自身は、それを承認する程度の仕事しかないのだ。


 特に陣触じんぶれの、その中でもほまれとされる先鋒に至っては揉めに揉め、最後はくじ引きで決めるような有様だった。


 とは言えこの時代では比較的よくある事らしく、くじの結果に文句をいう者が誰も居なかったのが印象的だった。


 そうして戦略が決まったら兵を集めてすぐに出陣――とはならないのがこの時代だ。


 何をするにしても必ず作法やしきたり、ゲン担ぎが重要になってくるため、ここから先は縁起・・との戦いになってくる。


 まずは出陣の日取り。縁起の良しあしを占い師に占わせ、日取りの吉凶を判断する。


 この時代の軍師に陰陽師が多いのは、彼らが天候を読む事に長けている事、占いや仏教が信じられている時代のため、それらにこじつけて自身の意見を進言しやすい事などが理由だ。


 この時代の占いにはそれだけ人を動かす力があったわけだが、占いの結果から出立の日取りが決まってもまだ出陣には至らない。


 次は肝心の兵を集めなくてはならない。


 出兵の日取りが決まると浅井軍を支える諸将は自身の領地に戻り、それぞれの領地の石高こくだかに応じた兵数を集めることになる。


 各村へ知らせを走らせ、知らせを受け取った村々は規定の人数を兵士として集めて、侍大将と呼ばれる大将が彼らを率いるのである。


 その際、それぞれ二日前後分の食料と、戦うための装備を持って大名の元へ集まるのだが、現代の人々が想像するようなしっかりした鎧や槍、刀を用意できるのは限られた者だけで、殆どは麻の服に竹槍や農具を持っているような有様だ。


 敵も味方もそんな有様のため、戦場では誰が敵で誰が味方かわからなくなる事も日常茶飯事。


 そのためそれぞれの勢力の旗を用意するわけだが、これが後の旗本はたもとと言う言葉の語源になっていたりする。


 そんなこんなでようやく出陣の日を迎えても、次に待つのは長政自身が行うゲン担ぎの儀式だ。


 折敷おしきに乗せられたアワビ、栗、昆布。これらを出陣の支度を整えた長政が食べる、『三献さんこんの儀』の始まりである。


 これはそれぞれ、打ちアワビ、勝ち栗、昆布と言い、順に食べていく事で『敵に打ち勝って喜ぶ』とゲンを担ぐのである。


 正直、本当にゲン担ぎ以外の何物でもない儀式なのだが、そういった儀式に対する信仰が深いこの時代では、これをやるかやらないかで兵の士気が変わる。


 そのため信じる信じないに関わらずやらざるを得ない、と言うのが正直なところ。


 馬鹿馬鹿しいと思いながら、アワビを噛み締めて栗をかじり、そして昆布をもぐもぐと咀嚼そしゃくする長政。


 一つ一つは美味であるものの、それをまとめて食わされれば口の中は滅茶苦茶な味が広がるばかり。


 それらを盃に注がれた酒で流し込み、そのまま盃を地面にたたきつけて長政は叫ぶ。


「築城を阻害し、我らの領地を侵す竹中を討ち払う! 全軍出撃!」


 長政の声に合わせて家臣や兵らはときの声をあげ、法螺貝ほらがいが鳴り響く。そうしてようやく進軍が始まるのだ。


 目指すは近江の東、美濃みのの地。伊吹山のふもとに広がる関ヶ原である。


「……毎度毎度、面倒なしきたりだな」


 進軍を始めた兵達を横目に、馬に跨った長政はため息を付いた。

 そこへ赤尾清綱きよつなが傍に寄る。


「そのしきたりを侮って死ぬくらいならば、多少面倒でもなさるに越した事はありますまい」


 それはその通りだが……

 本当に迷信程度の力しかない事を知っている長政は、何と言うべきか言葉に澱む。


 そんな長政を他所に、清綱きよつなは続けた。


「……ところで殿。今しがた、右から馬に跨られませなんだか」


「ん? それがどうした」


 首を傾げる長政に清綱きよつなは更に続ける。


「右馬は馬が転ぶと言われ、縁起が悪うござる。さ、今一度、此度こたびは左から跨り直し下され」


「……」


 実に真剣な面持ちでそんな事を言い出す清綱きよつな


 この面倒なしきたりを一通り覚えるには、まだまだ時間がかかりそうだった。



◆――



 この時代は寒冷な気候で雪も深く、近江とて雪が降り積もっている。

 そんな雪の中、三千の兵を率いる浅井軍は粛々しゅくしゅくと進軍を続ける。


 進軍中に敵に襲われる可能性も考えれば各々が好き勝手に進むわけにはいかず、ある程度の規律と秩序を持って軍を進めなければならないのだが……これがまた大変だった。


 義務教育によって最低限の知識や教養を誰もが持っている現代と違い、戦国時代では読み書きはおろか言葉も碌に知らないような者達が兵として駆り出されてくる。


 彼らを取りまとめるのは侍大将さむらいだいしょうを始めとした各指揮官であるが、軍隊のようなハキハキとした動きができる訳もなく、一つの動作を行うのにどうしても時間がかかってしまうのだ。


「……なかなか進まんな」


 出陣から丸一日。今だ目的地に到達できないことに多少の苛立ちを覚えつつ、長政がそう愚痴る。


「仕方ありませぬ、大軍での進軍とはそういうものにございますれば」


 なだめる清綱を横目に、長政は続けた。


「直経の手の者であれば、多少の余裕を見ても二日あれば近江と美濃を往復できるぞ」


「大軍になればなるほど兵の進みは遅くなるもの。前軍ぜんぐんが雪をかいて道を開き、敵の伏兵がおらぬか偵察してからの進軍になるのですから仕方ありますまい。越前などはこの比ではありませぬぞ」


「……そういうものか……」


 長政の視線の先で、叫び声があがる。また・・事故が起きたらしい。


 道も碌に舗装されていないこの時代だ。雪道を歩いていたら突然道が途切れて畑に転がり落ちるような事が珍しくなく、こうして怪我人が続出しているのだ。


 また兵糧や物資の運搬を担当する後軍こうぐんでは、荷車が何度も壊れて運搬が遅々として進んでいないらしい。


 とは言えそれも無理はない。道がろくに舗装されていないため、木製の荷車ではガタガタと揺れる道に耐えきれず、破損が頻発してしまうのだ。


 道を舗装しなければ進軍はおろか物資の輸送もままならない。とは言え道を舗装すれば敵が攻めやすくなるため不用意に道を舗装する事もできない。


 文明の発展を一から十まで戦が足を引っ張っていく。それがこの戦国という時代だった。


 ――そうして東山道を進む事さらに数日。苦労の末に浅井軍はようやく開けた場所へと出た。


 この場所こそ、四十年後に天下分け目の決戦が行われることになる、かの有名な関ヶ原の地である。


「ここが関ヶ原か……」


 思いのほか何もない、ただの田舎と言う印象だ。


 ただただだだっぴろい、開けた平原。あちこちに山が見えるくらいで他に見るべき物も特になく、決戦の地と言うにはいまいち物足りなく感じる。


 しかし――いや、だからこそ。万を越える大軍同士がぶつかり合う事ができたのだろう。


 自分がその関ヶ原に立つ日が来ることに、なんとも言えない思いを抱く。


 その時、長政のもとへ伝令が現れた。


「報告! 前方に敵影あり! 家紋は九枚笹、竹中のものです!」


 先に関ヶ原へと着陣していた前軍の伝令が竹中の接近を告げる。その報告に慌てる事なく、海北かいほう綱親つなちかが口を開く。


「敵の数は」


「およそ二百!」


 浅井軍三千に対して十分の一以下の兵数だが、竹中家の石高を考えれば妥当と言える。

 むしろ、かなり無理して出兵しているのではないだろうか。


「……陣を布け。後軍到着までに支度を整え、竹中の動きを見る」


 慌てる必要もないと思ったのか、綱親は冷静にそう指示を飛ばして陣を布かせた。


 これからこの関ヶ原の地で、浅井は戦を始めるのだ。


 ……四十年後、天下分け目の関ヶ原。史実ならば浅井長政はとっくに自刃している未来だが、そこまで自分は生き延びる事ができるのだろうか。


 もし生き延びたなら、自分は東軍と西軍のどちらに味方する事になるのか。それとも歴史が変わり、関ヶ原の戦い自体が無くなってしまうのか。


 遠い過去に訪れた、そして遠い未来に訪れるはずのその日まで、自分は生き残ることができているのだろうか。


 そんな思いを抱えたまま、その日は結局浅井も竹中も大きな動きを見せる事なく日が暮れた。

 関ヶ原にてにらみ合った両者は、そのまま翌日を迎えるのであった。

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