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013_永禄三年(1560年) 今に蘇る伏したる龍

 冬になり深雪降り積もる浅井家の居城、小谷城。

 白く染まる城の南には、東山道とうさんどうと呼ばれる幹線道が通っている。


 この東山道は京から東北までを、甲斐かい方面へ繋ぐ一本道で、この頃の日本においては数少ない大道の一つであった。


 そんな東山道とうさんどうを東に辿り、伊吹山いぶきやまのふもと、関ヶ原を越えた先にあるのが近江の隣国、美濃国(みののくに)である。


 東山道を抱える美濃は西日本と東日本を繋ぐ交通の要であり、また五十万石にも及ぶ肥沃な土地を抱えていることもあって、かつては美濃の守護職を任された土岐(とき)氏によって治められた豊かな地であった。


 しかし、美濃の(まむし)と呼ばれた男、斎藤さいとう道三どうさんの下剋上によって、土岐とき氏が美濃から追放されてからは様相が変わる。


 下克上によって成り上がった道三に対する美濃国衆の風当たりは強く、道三は彼らを粛正するために幾度も出兵を繰り返した。


 また美濃を狙う信長の父、織田信秀のぶひでとの戦いも重なって、豊かだった美濃は瞬く間に疲弊し荒れていった。


 それを見兼ねた斎藤道三の嫡男ちゃくなん、斎藤義龍よしたつは、不仲であった父を討つために美濃勢と結託して反旗を翻した。


 手始めに道三の息がかかっていた弟二人を暗殺すると、続けて道三を長良川(ながらがわ)の戦いで討ち取り、名実共に美濃を治める斎藤家の当主となったのだった。


 しかし道三は討たれる直前、新たに同盟相手となった信長に美濃の統治権を譲ると言った旨の国譲り状を渡していた事で話がこじれて行く。


 この国譲り状を大義名分に兵を挙げた信長は、美濃へ侵攻を開始。一方の義龍も当然これを許さず対抗。

 美濃を巡る戦いは、泥沼の様相を呈してきていた。


 そして、そんな美濃の様相に巻き込まれる形で、長政の頭を悩ませる出来事がまた一つ。


「また竹中か……」


 届けられた報告書に目を落としながらため息をつく。内容は斎藤家の家臣である竹中たけなか重元しげちかによって、伊吹山いぶきやまでの築城を妨害されているとの旨だった。


 現在、浅井家は東の守りを固めるために、伊吹山に城を築こうとしているのだが、それを竹中家に何度も邪魔されている。


 しかもその妨害の要請はどうやら六角からの依頼らしく、竹中は斎藤家の家臣でありながらなぜか六角家と通じているようなのだ。


「竹中は今、斎藤家の中で孤立しておるようです。何でも、先の長良川の戦いで斎藤道三に味方したとか。それ故、斎藤義龍よしたつからいつ攻められるともわからぬ現状、六角が後ろ盾になってくれるのであれば願ったり叶ったりと言う算段なのでしょうな」


 とは、参謀代わりの浅井(あざい)政澄(まさずみ)の言葉であった。


 確かに、それならば六角の要請に竹中が応えた筋が通るが、恐るべくはその算段を瞬く間に仕上げる六角承禎じょうていの外交能力だろう。


「……他国の情勢を瞬時に見抜き、あろう事かそれを浅井攻めに利用するとは。敵ながら見事」


 赤尾清綱きよつなが忌々しそうにそう告げた。


「その上この、竹中なにがしと言う者も中々の戦上手のようで。少数である点を巧みに活かし、作業を遅らせる事だけを目的に出兵してきているため、我らの対応も後手に回っております」


 手の者に探らせたのか、まるで見てきたかのように遠藤直経が状況を分析する。


 竹中重元しげちかは後に今孔明と呼ばれる男、竹中半兵衛はんべえ重治しげはるの父に当たる人物だが、どうやら子だけでなく父も戦上手らしい。


 この伊吹山の城は対斎藤は元より、後に織田と決別する事になった場合も考えての築城だったのだが――


「ままならんな……」


 斎藤の妨害が相次いでいる事も理由の一つだが、何より技術者の不足が作業の遅れる原因だった。


 この頃の作業者は大抵が農民だ。冬になって畑仕事が無くなった者たちが出稼ぎのために従事するのだが、彼らの技術だけでは進みが悪い。


 そこに竹中の妨害が入るのだから尚更だ。長政としては野良田の敗北で六角の動きが鈍った今のうちに一刻も早く築城を完了させ、東の斎藤に備えたいのだが……


「……一度、叩いておくべきかもしれませぬ」


 月に数度有る評定の場で、唸る長政を見兼ねたのか、赤尾あかお清綱きよつながぽつりと溢す。


「こうも度々攻め寄せられては、六角が動き出した際に背後を脅かされる事となりましょう。であれば早いうちに叩いておくべきかと」


「左様、か……」


 赤尾あかお清綱きよつなの言う事は最もだ。今は野良田の敗北から立ち直るため、そして他ならぬ六角承禎の目が京の情勢に向けられているため、六角自身は動かず、北近江は比較的平和になった。


 しかしそれは六角の気まぐれ次第であり、明日にでもまた攻められないとも限らない。もしそうなった場合、背後から竹中に襲われては勝てる戦も勝てなくなってしまう。


 ならば今のうちに竹中を叩き潰し、六角との戦いに集中しなければならない。


 そこまでわかっていてもなお長政が開戦に踏み切れないでいたのは、単純にこの戦いに関する知識がないためだ。


 余りに規模の小さな戦いは、後の歴史でも余程詳しいものでなければ知る由もない。

 ましてや史実で起きたのかさえ定かでないこの戦いは、どんな結末に転ぶのかがわからないのだ。


 そんな長政の迷いを察したのか、遠藤直経なおつねが代わりに声を上げた。


「しかし、下手に挙兵して斎藤を刺激し、斎藤義龍自ら兵を率いて来る事も考えられます。ここは慎重に事を判断すべきでは?」


 直経なおつねの言い分も最も。下手に刺激した結果斎藤家の本隊がやってくれば、浅井と斎藤はそのまま決戦に踏み切る事になる。


 ただでさえ美濃五十万石と北近江二十五万石の戦いで勝ち目は薄いのに、その上後ろからは六角が攻めてくるともなれば、浅井に勝ち目はない。


「いや、ここは兵を挙げるべきであろう」


 しかし、そこへ更に声が上がった。

 声の主は熟練の将、海北(かいほう)綱親(つなちか)であった。


 赤尾清綱きよつな同様に祖父、亮政(すけまさ)の代から仕える譜代ふだいの重臣で、『小谷三将』と名高い海北かいほう澄親すみちかの子に当たる人物だ。


 齢四十ほどになろうかと言う彼は、卓越した戦術手腕と豊かな経験を持ち、浅井家の軍奉行を務める身でもある。


 そんな海北かいほう綱親つなちかは身体ごと長政に向き直ると、言葉を続けた。


「斎藤は今、織田との戦も抱えておりますれば、義龍本人は尾張に釘付けのため動くとは考えにくく。その上、わざわざ竹中を支援するために兵を挙げるとも思えませなんだ。であれば今のうちに叩き、後顧の憂いを断っておくべきと存じまする」


 後の羽柴秀吉に「我が兵法の師である」とさえ言わしめた彼の言葉には、重臣の発言以上の重みがあった。

 彼のいう事には確かに筋が通っており、長政も成る程と顎を引く。


 結局それからややあって、集まった者達の半数以上が海北かいほう綱親つなちかの進言に賛同。家臣らの意見は竹中攻めで纏まりそうだった。


 当然長政とて、竹中を叩く必要性は理解している。挟み撃ちになった現状、どちらかに力を集中させて打開する必要がある。その場合どちらが倒しやすいかと言えば当然竹中なのだ。


 しかし、現在は冬。既に深雪に覆われ始めた越前えちぜんの朝倉家は頼れない。

 長政には初めから頼る気こそ無いが、やらないのとできないのでは話が異なる。今回の戦は浅井の独力で戦わなければならないのだ。


 また近江おうみにも雪が積もり始めており、越前ほどではないものの兵の集まりが悪くなる事は想像に難くない。


 これでもし万が一の事があれば、取り返しがつかなくなる事もあり得る。

 そして相手は、後に今孔明とさえ謳われる天才軍師、竹中半兵衛の父。その万が一が起きかねない。


 警戒するに越したことはないだろう。


 とは言えその竹中半兵衛も今はまだ無名で家督も継いでおらず、そして竹中家は数ある弱小国衆の一つでしかない。


 もし長政がここで待ったをかけたとしても、弱小の竹中を恐れた臆病者として父のように国人衆から反感を買うだけ。


 そんな風に幾つも考えを巡らせて長い沈黙を保った後、ついに長政は口を開いた。


「わかった……竹中攻めを行おう」


 結局、家臣らの意見に押される形で長政はこの竹中攻めを承諾する事にしたのだった。


 評定の間を去って行く家臣達の背中を目で追いながら、漠然と思う。

 果たしてこれで良かったのだろうか、と。


 この竹中攻めがどう転ぶのか、今の長政には全く検討がつかないでいた。



◆――



 浅井が動く。その報告を屋敷で聞いた竹中重元しげちかは、向かいに座る息子に視線をやった。


「お前の言う通りになったな、半兵衛」


 色白で華奢、まるで女のような容姿でありながらどこか鋭い瞳をしたその者こそ、後に黒田官兵衛と共に『両兵衛』と称された稀代の策士、竹中半兵衛その人である。


 しかしこの時まだよわい十六、元服したばかりの彼はその華奢な見た目通り武勇には優れておらず、同じ斎藤家臣からも馬鹿にされる身であった。


 とは言えその知謀は既に健在で、かつて父が不在の折に斎藤義龍に城を攻められた際には、その知略によって追い返した事さえもあるほどだ。


 既に智謀の片鱗を見せ始めている実子に期待を寄せる重元しげちかは、そんな彼に次の戦の采配を取らせるつもりだった。


 一方の半兵衛は、そんな父の期待を知ってか知らずか、鼻を鳴らして自信満々に答えた。


「当然です。浅井長政自身、父を追い落としての当主交代ですから、家中をまとめ切る事もできていない。さしずめ家臣に押し切られる形で兵を挙げる事になったのでしょう。そしてそうなれば……こちらの思う壺」


 人を小馬鹿にするような、見下すような喋り方で自身の考えを父へ披露する。まるで自身の知略を見せつけるかのように。


「今の時期、深雪に覆われる越前朝倉の援軍を頼る事もできず、浅井は独力での戦いとなります。その上、西の六角に備える為に全力で攻める事もできない。兵は精々出せて二千から三千と言ったところ」


 パシン。扇を鳴らして更に朗々と続ける。


「その上、独自性の強い家臣達の事、誰が先鋒を務めるかで大いに揉める事でしょう。そんな彼らを取り纏めるには当主、浅井長政の出陣は必須。挙句、近くには築城途中の城しかないとなれば、浅井は関ヶ原での野戦を選ぶ事となります」


「……予定通り、誘い出せるという訳か」


「はい。後は私の用意した策に嵌まれば、浅井の命運は必ずや尽きることでしょう」


 瞳の奥に鋭い光が宿る。用意した策に不備は無いという絶対の自信で満ち溢れた半兵衛の表情。口元がつり上がり、すぐにでもその策を披露したげだ。


「ぬかるなよ、半兵衛」


「無論。湖北の鷹などと持ち上げられて、図に乗っている浅井長政を、我らはゆっくりと待ち構えるのみです」


 二人の眼下にある地図には、関ヶ原に黒い碁石が幾つか置かれ、その東にも同じようにして白い碁石が置かれていた。

 そして黒い碁石を挟むようにして、遠く西の位置にもまた無数の白い碁石が。


「さぁ、来るが良い浅井備前。我が必殺の布陣をもって、貴様の首を落としてみせよう」


 後に今孔明と呼ばれる軍略家、竹中半兵衛最初の牙が、浅井長政の喉元に突き立てられようとしていた。

◆補足:海北綱親について◆


 海北綱親の父として記載している海北澄親は本作の半オリジナル武将です。


 海北綱親には死亡したと考えられる時期が二つあり、一つは1535年に討ち取られたとする説、もう一つは1573年に小谷城攻めの際討死したとする説です。


 この二つに40年近く差があるのは、海北綱親とその父親の二人ともが海北善右衛門ぜんえもんを名乗っていたためで、後に両者が混同されたからだと言われています。


 そのため本作では1535年に討たれた方を海北綱親の父親でオリジナル武将の海北澄親としました。


 因みにこの時代では、当主になると通称名が父親と同じになる事も珍しくなく、後から資料を調べると誰が誰かわからないなんてことが良くあります。


 浅井家にしても亮政、久政、長政の三代全員が浅井備前守を名乗っている始末です。

 (久政は当主を交代した際に名前を変えたようですが)


 この辺りの名前に関するあれこれ、特に改名関係はわかりづらくなるため基本的には簡略化していきます。

 但し、演出上採用する場合もあるため実際は作者の匙加減です。

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