011_永禄三年(1560年) 四木合戦1
「新十郎様。この辺りで引きあげましょう」
遠藤直経がそう言い出したのは、砦の詳細を詰めた長政が建設に加わろうとした時の事だった。
「喜右衛門……しかしだな」
「新十郎様が危険を冒してこの村に留まる理由などありますまい。そもそもこの村を訪ねたのも、元は朝妻の様子を探るため。かような戦にむやみに加わる必要はありませぬ」
直経の言い分に長政は口を噤む。
確かに直経の言う通りで、ましてや長政は浅井家の当主だ。もし万が一、この戦いで命を落とす――まで行かずとも、深手を負えば、長政だけでなく浅井家の明日にも関わる。
「だが百姓を守るのが我ら武家の務めだろう?」
「なればこそにございましょう。ここで万が一の事があってお家の今後に関われば、この地はおろか北近江全体の明日に関わるのですぞ」
ぐうの音も出ないほどに直経の言い分は正しく、反論は出来ない。
それでも、と抗おうとする長政に声をかけたのはこの話を黙って聞いていた十兵衛だった。
「新十郎殿、喜右衛門殿の言う通りだ。これ以上、新十郎殿がこの件に関わる必要はない」
「十兵衛殿。しかし……」
「見たところ、新十郎殿は武家の嫡男なのでござろう? であればお家のために働くのが務めと言うもの。かような場所で無闇に命を散らすべきではないこと、わかるであろう?」
真剣な口調でそう告げる十兵衛。その視線はまっすぐ長政を見据え、長政が何を言おうと認めないしっかりとした意思を感じさせる。
「左様だ新十郎殿。先ほどの策、実に見事であった。あの策があれば我らに負けはない。そうだろう? ならば後は我らに任せてくれ」
先程の会話を聞いていたのだろう島勝猛が、直経や十兵衛同様にそう長政を諭す。
一人でも多く戦える者が欲しいだろうに、どうやらこの場には長政の参戦を歓迎する者は誰一人としていないようだった。
この戦いに参加して村を共に守りたいという思いと、浅井の家を守らなければならないという使命の間で揺れ動く。
もしこの世界が史実通り進むのであれば、浅井長政はこんなところで死ぬ事はない。しかしそうでないのであれば――
「ならば、ならばせめて、私が援軍を呼んでくる」
――そうでないのであれば、せめて少しでも、この村を守るために貢献したいのだ。
「新十郎様!」
厳しい表情で直経が声を荒げるが、しかし長政は怯まない。
「この辺りの領主に声をかければ、誰かしかが力添えをしてくれるはずだ。その援軍を私が連れてこよう。直接戦う訳ではない、それならば問題なかろう!」
「しかし……」
「このまま、目の前の者達を見捨てて歩むことなど私にはできん! ここで彼らを見捨てれば、私はこの先何十年もの間、後悔しながら生き続けることになる。それは戦のさなか、隙を見せる事にもなるやもしれぬ。それでもし戦に負けたとして、仕方なしと言えるのか喜右衛門!」
詭弁のような言い分だが、しかしそれを言い負かす事ができないのは、それがあり得ないと言い切れないためだ。
直経から見た浅井長政という人物は、迅速果断で勇猛果敢。その上頭も切れるため、まさに戦国大名にふさわしい器を持つ男だ。……しかし、その一方で他者や弱者を見捨てられない甘さがあり、その甘さがいずれ長政を追い詰めると考えていた。
そしていざと言うその時は、自分が長政の代わりに非情にならねばならないとも。
「……承知しました。その程度であれば、もはや何も言いますまい」
とは言えその甘さを切り捨てろと言えないあたり、己も甘いのだろうなと自嘲する直経であった。
「ならば、新十郎殿に頼みがある」
そんな彼らの会話を黙って聞いていた島勝猛が不意に口を開く。
「この村から東、坂田を越えた辺りに飯村と言う名の村がある。その村を治める者であれば、これを見せれば力を貸してくれるはずだ」
そう言って取り出したのは短い刀、脇差。どういう事かはわからないが、もしかすると村の長と知り合いなのかもしれない。
「承知した。この脇差、必ずや届けてみせまする」
そうしてその日の昼下がり、長政は出立の支度を整えて直経と共に東を目指すために村を出る。
「お侍様、お待ちくだせえ」
その際に現れたのは四木村で長政達を泊めてくれた家の者だった。
「これを」
手には大きな葉に包まれた包み。恐らく、中身は握り飯だろう。
「……私にはこれを食う資格がない。そなた達が食べてくれ」
援軍を呼びに行くとは言え、長政は戦う事をせずに逃げようとしている。せっかくの食料を減らすわけにはいかない。
長政がそうやって首を横に振ると、百姓もまた首を横に振った。
「お侍様はわしらのために戦おうとしてくれた、それだけで充分でさぁ。だから食ってくだせえ」
悔しさに目頭が熱くなる。
明日をも知れぬ日々を過ごしているにも関わらず、彼らは長政に感謝していると言うのだ。
その日々を作り出したのは、他ならぬ長政自身だと言うのに。
「……この米、粗末には食わぬ」
きっと、中身は稗や粟で水増しされた、米のほとんど入っていない握り飯だ。それでも長政にとっては、何より旨い握り飯になるに違いない。
握り飯と荷物を手早くまとめた長政は、直経と共に小走りで四木村を後にする。
目指すは東、坂田の飯村。長政がどれだけ早く援軍を連れてこられるかで四木村の未来が決まると言っても過言ではない。
彼らの運命はある意味、長政の手に握られていた。
◆――
長政と直経が四木村を去ってから数日。ついにその時が来る。
「数は?」
「二十五……いや、六!」
朝靄の向こうに見える人影を数えて、勝猛は声を上げる。
それを聞いた十兵衛はうむと一度頷くと、合図の旗を二度三度と振った。
ついに六角兵が四木村を襲うため、川を越えてきたのである。
十兵衛が旗を振ると、長政が発案し、そして三人の力を合わせて完成させた砦の中で百姓達が槍を振り返す。
つい昨日完成したばかりだが、米や金などを囲い込むための時間は充分にあった。
「結局、新十郎殿は間に合わなかったか……」
十兵衛が呟くと、勝猛が首を横に振る。
「きっと、何か事情があるのでござろう。それにすぐそこまでもう来ているやもしれぬ。それまでこの村を守り切らねば」
二人はけして、長政が逃げたとは言わなかった。
「そうだな。……とは言え、こちらの手勢は四十余り。数でこそ勝ってはいるものの……」
「まともに武具を備えているのは十人ばかし、残りは竹槍を持たせただけの寄せ集め。どこまでやれるか……」
目を凝らして六角兵の様子を伺う二人は、厳しい表情を浮かべる。
戦国時代では百姓が国衆や大名に徴兵されてその都度戦うわけだが、百姓の誰もがまともな武具を持っているわけではない。
何故なら村単位で規定の人数の出兵を求められるため、屈強な男達ばかりが鉄の武具と共に戦場へ赴くからだ。
その他の者達は畑仕事を行うため武具は必要なく、またこの時代では鉄も貴重なため誰もが武器を持つと言うわけにはいかないのである。
そのため、何とか近くの竹林から切り出した竹で即席の槍を作ったが、これがどこまで通用するかはわかったものではない。
「お侍様、皆集まりました」
声をかけられた十兵衛が振り返ればそこには武具を纏った男たちと、申し訳程度に竹やりを持った者達が並ぶ。
竹やりを構えているのは男だけでなく、女や老人に至るまで、戦える者達全てだ。
文字通り、総力戦である。
「今一度だけ聞く。皆、誠に良いのだな?」
集まった百姓達に十兵衛がそう問えば、彼らは力強く頷いた。
「今ある米を奪われれば、おらたちは食うもんが無くて飢えるしかねえ。どの道死ぬなら戦って死ぬ!」
「待っていても誰も助けてくれねえなら、自分たちで戦うしかねえ!」
口々に力強く声を上げた。今更、迷う者はいないようだった。
「相分かった。……ではこれより、我らの戦を始めるぞ。例えここで死ぬるとも、我らの意地を押し通す」
『応っ!』
この時代には幾度も起きた、歴史に残る事のない名もなき戦いの火蓋が、今まさに切り落とされたのだった。
◆――
六角兵達は始めこそ突然現れた村の砦に慄いたようだったが、慣れているのかすぐに気を取り直すと砦に向かって進軍を始めてきた。
「とにかく敵を砦へ近づけるな! 柵の間から槍を突き出し、距離を取らせろ!」
総大将である十兵衛が木の棒を振り、声を上げて指示を飛ばす。
「構え! 刺せ!」
その指示を実行に移すため、百姓たちの指揮を執るのは島勝猛。自身も槍を、そして刀を携えて最前線で声を張る。
砦の前に並べられた柵を壁にして、時間稼ぎをするため守りを固める構えだ。
勝猛の声に合わせて一斉に柵の間から突き出された槍は、近づいてくる六角兵目掛けて唸りを上げる。
届きこそしないが六角兵を驚かせるには充分だ。相手が驚いて距離を取ったところで、続けて次の者達が槍を突き出すために構えを直す。
例え竹やりであっても刺されば怪我はするし、当たり所が悪ければ致命傷にもなる。
時間稼ぎするには充分な武器だった。
「弓は無い、か。よし」
砦の上に立ち敵の様子を伺う十兵衛は、敵の武装に弓が無い事を確認して一度頷く。
この時代の弓矢は当然人手によって作られており、特に矢を作るのに手間がかかるためこんな小競り合いで使えるほど安い代物ではない。
わかってはいたが敵に弓が無い事を確認したことで、十兵衛は次の手を使う事が出来る。
「投石隊構え!」
続けて十兵衛がそう叫べば、予め集めておいたこぶし大の石を持って、続々と老人や女たちが並ぶ。
即席の投石部隊である。
「放て!」
そうして十兵衛が木の棒を振り下ろせば、彼らが一斉に石を投げつけた。
腕力が無くとも敵の頭上に投げつけさえできれば、後は石の自重で敵に傷を負わせる事ができる。これもこの時代には充分な武器だ。
そうして槍で敵をけん制し、石を投げつけて負傷を狙う。
これこそ今彼らにできる、全力の戦いだった。
数でも盤面でも有利。――しかし、それで勝てる程甘くはない。
敵はしっかりと鉄の鎧を着込み、鉄の槍を構えている。
正面で撃ち合えば当然敵の方が強く、島勝猛率いる槍兵達は少しずつ負傷者が増えて押されていった。
「退け! 砦の中へ退け!」
やがて形成不利と見た十兵衛が叫ぶと、勝猛やその周りの屈強な男たちを残して他の者達は砦の中へ駆け込み、続くようにして勝猛らも砦の中へ駆け込んだ。
「戦況は!」
「やはり少々苦しいな。一人か二人は負傷させたが、退かせるにはまだ――槍、構え!」
勝猛が十兵衛へ問いかけるも、話をする余裕もなく続けざまに叫ぶ。
もう目の前まで六角兵が迫っていたのだ。
「押せ! 押せー!」
勝猛が叫び、槍を振るい、石を投げて抵抗するも、少しずつ砦の木材がはがされていき、守りが崩されていく。
ついには足止めのための柵が槍で突き崩され、空いた穴を目掛けて六角兵が殺到する。まさに万事休す。
「ここまでか……」
腰の刀を引き抜く十兵衛の頬には汗が伝い、思わず弱音がこぼれた。
後はもはや、一人でも多くの敵を道連れにするより手は残されていなかった。