私のお姫様
一度目は衝撃だった
二度目は動揺だった
三度目は……絶望だった
思い出した記憶は大きな感情と共に溢れ出した
どうやって消し去ったのか、思い出せないほど大きな心の叫び
私は今日も偽りの姫になる
記憶の中の"お姫様"を忘れないように
今まで出会ったどの生き物よりも美しく優しい、小さな私の宝石
震える手で私を助けてくれた、あの温かい手の温もりは今でも鮮明に思い出せる
連れて行ってと言う貴女の今にも涙が零れそうな瞳を見て、何度連れ去ろうと思ったか
幸せそうに笑う貴女の横に立つ男を、何度落とそうと思ったか自分でも分からない
それでも私は耐えた
姫様の幸せを思って耐えたんだ
花畑に行けばこんな自分でも、姫様は笑顔で迎えてくれる
耐えろ
耐えろ
耐えろ
私はツバメ
飛ぶことしか芸のないただの鳥
貴女を縛る腕も
貴女を想って奏でる声も
貴女と共に駆ける足も
何もかもが違っているんだから
もしいつか、人間になれるとしたら
貴女を抱きかかえて走りたい
それも叶わないなら……
どうか神様
今度こそ"私の姫様"を連れ去らせて
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夕方の6時にもなると、昼間の温暖な雰囲気とは一変する
白くはないが震える吐息を漏らしつつ、家路を急ぐ
最近買ったばかりの赤のコートは、バラ色のネイルとお揃いで気に入っているものだ
裾を正し冷気をシャットダウンすると、ふいに二つ先の横断歩道が目に入った
信号のない横断歩道で首を左右に振る少女
戸惑った様子で辺りを見回す彼女の姿に、何故か心を奪われた
曲がる予定だった十字路を突っ切り、横断歩道に近づく
薄暗さで分からなかったが、どうやら明るい髪色をしているらしい
この辺りは駅も近い為、海外の旅行客も多い
もしかしたら迷子かもしれないと、出来る限り明るい声で話しかける
「What's wrong?Did you get lost?(どうしたの?迷っちゃった?)」
私の声に驚いたようにこちらを向く少女の瞳を見て、私は目を見開いた
雷が全身を貫いたような、そのくらいの衝撃が走った
「……Thank you, it's okay.(ありがとう、平気です)」
少女は自分が知る色の中で、最も鮮やかな青を持っていた
その色はまさに自分が焦がれて焦がれて、終ぞ手に入らなかった"青空"
手を伸ばしても届かないと諦めた晴れやかな青
夕日に照らされても美しく輝くような鮮烈な青は、私の心臓を撃ち抜いた
「…ああ、かみさま」
ありがとうございます
私はやっぱり
この青に惹かれてしまうんですね
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彼女はアンと名乗った
日本人ではないらしく、使う日本語も幼稚園児レベルの拙いものだった
最近この街に来たらしく、家までの道が分からなくなってしまったらしい
その日は自己紹介をし、家の近くまで送り届けたまでの記憶しかない
どんな会話をして彼女がどんな表情だったか、ぼんやりと思い出せる程度でしかない
簡単に言うと頭が処理不足だった
よく道案内出来たなと思えるくらい、オーバーヒート寸前だったのだ
ずっと探していた
この特殊な記憶が自分だけではないと知った日から、もしかしたらと思っていた
記憶という曖昧なものが頼りなくて、遂には自分自身の性格まで同期させた
偽りの王冠は、自分と叶わぬ心の唯一の接点だと信じていた
そんな心の中心が突然実体として現れたのだ
二度と話せない、そう覚悟していた憧れが手の中に転がり込んできた
考える事は少なくない
まずは……並んで歩く距離を鞄一つ分、小さくする方法から考えようか
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「舞亜ちゃん!オハヨウ!」
キラキラと朝露が煌めく道路を、少女が大きく腕を振って走っていた
雲一つない青空を駆ける少女は、まるでおとぎ話の主人公のように輝いていた
引っ越してきた半年前では嗅ぎなれなかったアスファルトの匂い
聞きなれない挨拶も、毎日聞いたら話せるようになった
私の声に反応するかのように、前方の濡れ羽色の髪がふわりと揺れた
「アンちゃん、おはよう」
彼女は〈まいあ〉
漢字はまだ難しくて書けないが、英語のような発音はすんなりと覚えられた
駅近くで迷っていた私に声をかけてくれた、優しい彼女
美しく優しい彼女が、私は大好きだった
「今日は学校?いつもより遅いわね」
優しく微笑む彼女は聖母のように柔らかく、視線で私を包むように訊ねてくる
「今からはオツカイです」
まだ日本語が難しい私は、短い言葉でしか返せない
そんな私のそっけないような言葉でも、彼女は心底嬉しそうに聞いてくれる
私はそんな顔をする彼女が大好きだ
でも…
「舞亜ちゃん今日もカワイイ!オヒメサマみたい!」
いつもの私の決まり文句
この言葉を言うと彼女は少しだけ、表情を変えてしまう
「……アンちゃんだって、お姫様よ?」
少しだけ、遠くなる目
目が合っているのに合っていないような、そんな目をしてしまう
その彼女の顔を見ると、私は少しだけ寂しくなってしまう
「お使い気をつけてね?裏は通らず─」
「大きいドウロをゆっくりと!」
誘拐されやすいという私の身の上を聞いた彼女が考えてくれた合言葉
おばあちゃんも心配性だが、彼女は知り合った時から何故か私の心配をしている
日本は安全な国だとおばあちゃんには教わっているし、現にこの半年被害もない
「はい、お利口さん」
そう言って掌に青い飴玉を一つ
別れの挨拶に寂しくなるが、彼女もこれから大学という学校に行くんだろう
わがままを言って引き留めるわけにもいかない
「Thank you、舞亜ちゃん」
出来るだけ名残惜しさが残らないように手を握る
また明日同じ時間にここに来れば会えるんだから
笑顔で手を振る彼女に向けて、出来る限りの笑顔を
留まろうとする足を動かし、角を曲がる
彼女と話すと何故か離れ難くなってしまうが、理由は未だに分からない
なんだか懐かしくて……何かが思い出せるような気がするんだ……
そんな事を考えていると、ふいに横道から伸びてきた腕に捕まれた
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角に消えた少女見て、無意識に止めていた息を吐く
ほぼ毎日見ているにも関わらず、あの青い瞳を見ると固まってしまう
お人形のようでいて、キラキラと生きて光る宝石
見続けると溶けてしまうのではないかと、馬鹿な考えが過るほどだ
思考を切り替えないと考えが続いてしまう
少し頭を振り、前を向く
瞬間、小さく甲高い声が聞こえた気がした
反射的に先ほど少女が曲がった角を見た
嫌な予感がして、早歩きで向かう
辿り着いた角の先を見ると、少女がいない
頭に血が上り、背中が痛む
私の愛しのお姫様
前世からただ一人の私の唯一
連れ去られ続け、恐ろしい思いをしても、恨み一つ零さない強い少女
しかしこの世界の彼女はただの女の子だった
動物と話せるという力を持った平和を愛する少女
そんな少女がこの世界でも連れ去られていた事を知った時、怒りで頭が沸騰するかと思った
なぜ自分はそこに向かわなかったのかと
なぜ自分は不安な少女の傍にいなかったのだと
後悔と怒りの思想に囚われそうになった私に彼女は言った
「でも、舞亜ちゃんに会えて良かった」と
恐ろしい体験など経過に過ぎないと言わんばかりの明るさに私の考えは変わった
もう二度と、この少女を失う訳にはいかないと
あつい
アツい
背中が 身体が 心が
普段なら社会に溶け込む為、こんな本能に任せた行動はしない
しかし、今は違う
彼女を 探さなければ
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ふと、意識が浮上する感覚があった
抱えられて走っている移動しているようだ
ああ、自分はまた……攫われたのだ
慣れてしまったこの感覚
意識が落ちていたのは数秒だったらしく、身体の感覚にズレは無さそうだ
すぅっと……心に冷たい風が通るようだった
自分はどこに連れて行かれるんだろう
違う都市か、はたまた違う国か
ここまで続くと冷静になって考えてしまう
「見つけたわよ!!!」
突然、足元にひと際大きな影が落ちる
自分を抱えていた男は驚いたように、私の身体を落としてしまった
落ちた衝撃で肘と膝を擦りむいたが、その程度で済んで良かった
「ひっ…!!化け物!!」
男は影の本体に恐怖しているようだ
自分を救ってくれた存在を一目見ようと、顔を上げる
「……Goddess?(女神様?)」
そこには翼を大きく広げた女神がいた
男を睨むその顔は勇ましく、凄まじく美しかった
「その子から離れなさい!!さもなくば……」
「ひ、ひいぃ!!!!」
さっきまで自分を抱えていた男は、そのあまりの気迫に私の事なんか忘れたかのように走り去っていった
男の背中が見えなくなると、その女神は地上に降りてきた
女神は自分を見つめると、崩れたかのように自分を抱きしめた
「怪我はない!?何かされたり嫌な事言われたりしてない?」
ペタペタと私の身体を調べる女神は、女神というより……いつもの彼女だった
そんな様子を見て私は、彼女に安心して貰おうと口を開いた
「うん、ヘイキだよっ……」
ポロっと
不意に右目から雫が零れた
怖かった
もう会えないかと思ったから
初めて、ちゃんと助けて貰えたから
私を……見つけてくれたから
「ありがとう……×××…」
無意識だった
何かを思い出したとか、そういう事ではない
ただ、自然と言葉が出たのだ
前もこうやって……助けて貰った気がする
その時もこうやってお礼を言った気がする
そんな朧げな記憶と言うには頼りない思い出を不思議に思っていると、目の前の彼女は固まった
そして今朝も見たあの……遠い目をした
でもあの時とは違う、目線が合った等身大の彼女の視線
膝をついて手を差し伸べるその姿はまるで
「私なら飛んでいけるわ
貴方を連れて」
絵本で見た王子様のようだ
─私の"お姫様"
今度こそ、あなたを連れて行くわ─
end