05
「志内」
「あ、大熊くん」
最初のはなんだったのかというぐらい大人しくなった大熊くん。
加代ちゃんのことになるとつい抑えられなくなってしまうというところだろうか。
前に妹さんに優しくしているところを目撃したことがあるため、もう疑ってはいないけれど。
「阿坂さん、ちょっと行ってもいいかな?」
「つかあんたに来てほしいなんて言ってないけど」
「またまたー」
「は?」
「ひぃ、い、行ってきますっ」
阿坂さんはちょっと素直じゃない。
こんなこと言っているのにどこかに行くとちょっと寂しそうな表情を浮かべる。
褒めたりした後は髪を掻いて中途半端な表情を浮かべることも知っている。
だから可愛いっ、そういうのもあるから何度も行きたくなるのだ。
まあ、単純にこの教室では大熊くんと彼女ぐらいしか友達がいないからというのもあるんだけど。
「今週の土曜日って暇か?」
「うん、特に用事はないよ」
「それなら買い物に付き合ってくれ、日曜日が加代の誕生日なんだ」
「そうなんだ!?」
もー、加代ちゃんも言ってくれたら良かったのに。
それとも絶対に彼か和くんから情報が入ると考えてのことなのかな?
あ、それかもしくは恥ずかしいというのもあるかもしれない、それだったら私も言えなさそうだし。
「で、もう1度告白しようと思う」
「えっ、でも……」
加代ちゃんと和くんにとっては違うと和くんがあの夜言った。
相手を利用しているってなんでそんなことをしたんだろうってずっと考え続けている。
だって彼のことが好きだったのなら受け入れてあげれば良かったのだ。
そうすれば私もここまでモヤモヤしたりせずに済んだわけで、や、別に私のことはいいけどさ。
「分かってる、多分上手くいかないだろうな。しかも、自分のことしか考えていないことだ。それでも一緒にいる時間が前より増えてさ、こいつのことが好きなんだって気持ちばっかりしか出てこないんだよ。だから俺はこれを最後にするつもりだ、自分勝手でも言っておかないと後悔するだろ。それこそお前も分かるだろ、俺の気持ちは」
けど、私は彼と違って距離を置こうとした。
なのに彼や加代ちゃんや和くんのせいで――おかげで、またこうして一緒にいることになってしまった。
つまり私は己を守るために逃げようとしたわけだ、彼と同じようだとは思えない。
「私は大熊くんと違って強くないから」
「じゃあ諦めるのか?」
「好きだって気持ちは強くなるばっかりだよ、面白いよね、特別なことはなにもないのにいいなあって思っちゃうんだからさ。でも、私は別れてほしいなんて考えてしまった最低な女だから」
「はっ、そんなこと言ったら俺はもっと最低だな。付き合い出したと聞いてから毎日そう願ってたし、なんならあいつを殴ろうとしてしまったんだからな。……お前には悪いが、庇ってくれてありがたいと思ってるぜ。なかなかできることじゃねえよ、あの瞬間に間に入ってくるなんてな」
それは私が原因だったからだ。
もしそうでなければ見捨ててた、誰が好き好んで痛い目にあいたいというのか。
周りの子だって同じようにした、そりゃ関係ないんだから巻き込まれたくないよねという話。
「お、珍しくふたりでいるじゃん」
「加代、お前なにか欲しい物ってあるか?」
「んー、そう聞かれると特にこれだって出てこないなあ」
「今週お前の誕生日だろ、なにか言ってくれよ」
「おいおい、そういうのはサプライズでやっておくれよー」
本当に分からない。
好きだって自覚していたなら私でも告白していたと思う。
他の魅力的な女の子に取られたくないと行動するはずなんだ、あんまり魅力がないから。
なのに彼女はそれをしなかった、既に過去形とかだったのならおかしくはないけど……。
「ちづ子はなにをくれるのかな?」
「なにか欲しい物ってある?」
「じゃあ君をちょうだい、今日の放課後、君の時間をもらおうかな」
「それぐらいならいいよ、というか別にそういうのなくてもいいよ」
「そういうわけにはいかないんだ、大切なことだから」
あ、「和は私のこと好きじゃないよ」と漏らした時の表情を浮かべている。
もう3人で話し合ったのかな? というか、11月までって言った理由は?
まあいいか、とりあえずいまは放課後のことを意識しておけばいい。
「ちづ子、行こっか」
「うん」
場所は私の家だった。
意外にも大胆にソファに寝転んで寛ぐ彼女を前に私は突っ立ったままで。
「大剛さ、私の誕生日になったら告白してくるんでしょ?」
「もう……盗み聞きなんてだめだよ」
「いや、分かるんだ、あれは絶対にしようとしている顔だったから」
彼女は伸びをしてからソファに座り直す。
いちいち挙動を目で追ってしまうのはなんでだろうか。
「さてと、そろそろ和と別れようかな」
「ね、ねえ、なんでそんな変なことをしちゃったの? 和くんから聞いたけど、加代ちゃんは大熊くんのことが好きだって……」
「うん、ずっとね」
「じゃあなんでっ?」
それほど虚しいことってないだろうに。
その子は好きな人ではない、本当に好きな人は近くにいた。
だったらその人と上手くいけないことに辛くなることばかりだ。
しかも昔からずっとだと口にした、私とはレベルの違う感情が襲ってきたことだろう。
なんでそんなことをしなければならなかったのか、怖いけど勇気を出して聞かなければならない。
「だから謝ったでしょ? 和を取っちゃってごめんって。でも安心して、恋人らしいことはなにもしていないからさ……色々あるんだよこっちにも」
「教えては……くれないの?」
だって、和くんはその気だったのかもしれないじゃん。
一緒にいれば好きという気持ちが出てきてもおかしくはない。
それか私と一緒で、大熊くんと付き合いだしてから好きという気持ちを自覚するかもしれない。
恋ってそういうものだろう、演技でも恋人をしていたら本気になっちゃうかもしれないんだ。
「これだけは言っておくけど、私は和を利用したし、和も私を利用したんだよ」
「なんで和くんが加代ちゃんを利用する必要があるの?」
「それは本人から教えてもらいなよ、話はそれだけ! 本当にこれだけだよ、なにもないよ」
彼女は「さっさと言っておけば良かったね」と呟き笑っていた。
すっきりしたような笑みを浮かべているが、私は逆にモヤモヤしただけだった。
そして、その日の内に彼女から『別れたよ』と短いメッセージが送られてきた。
「珍しいね、ちづ子がこんな時間に起きてるの」
「うん……寝られなくて」
和くんが辛い思いをしているかもしれないし。
だから午前2時頃にこうして彼と会っていた。
「別れたの……?」
「加代から聞いたでしょ?」
「……いいの?」
「嘘だって言われそうだけどさ、ずっとやめなければいけないって思ってたんだ。だから加代に言わせたのは情けないけど、ありがたいとも思っているかな」
彼女が家を出ていく前に言った言葉。
「あの時、ちづ子じゃなくて私が殴られておくべきだったんだ」
そういうことを聞いていたからというのもあった。
多分、そういう風にすることで大熊くんをその気にさせたかったんだと予想している。
私だって手に入らないと思ったら燃えたし、そういう感じになるようにしたんだろうな。
悪いとは思っていてもより確実なものにしたいから、進んで振られたいと考える人間はいないから。
「そうだ、腕は良くなった?」
「え? あ、うん」
恐らく大熊くんもやばいと思って加減してくれたんだと思う。
そりゃそうだよね、あれだけ大きな体なのにあの威力はおかしいから。
ぶっ飛んだのは確かだけどそこまでではなかった、泣かなかったのがその証拠だ。
「今度からは気をつけないとね」
「うん」
相手が学生でなければもっと酷い目に遭っていたかもしれない。
ついぽろっと言葉を零してしまう癖を直しておかないといけないな。
「……和くんも寝られなかったの?」
「うん? ああ、僕は明日の小テストのための勉強をしていただけだよ、低い点数を取ると後が面倒くさくなっちゃうからね」
「あっ、私もあるのに全く勉強してなかったっ」
「いまから教えようか?」
「あ、じゃあお願いしようかな」
意識することはどんどんと更新されていく。
よく分からないドロドロとしたことより、いまは小テストの方が大事だった。
「昔もこんな時間にリビングで勉強したことあったよね」
「あ、小学生の夏休みのことでしょ? あったねー」
遊ぶことばかりに意識を向けていたらあっという間に夏休み最終日になって慌てたっけ。
だけど彼がいてくれたことで落ち着けて、なんとか夜明け前までには終わらせることができた。
学校に行った瞬間に爆睡したけど、早くに学校が終わってからも寝てたぐらい。
――別れてくれて嬉しいとは思えないものの、一緒にいてくれることは安心感が凄かった。
「ふぅ……多分これで大丈夫かな」
そろそろ寝ないと勉強が無意味なものになってしまう。
3時まで起きたのなんてかなり久しぶりだ、この時間に男の子といるというのも変な感じ。
「そっか、お互いに頑張ろうね」
「うん、ありがとう」
ああ、そんな笑顔を向けないでくれ……。
いまあるのはモヤモヤじゃない、手を出したいという悪い気持ち。
カップルでなくなったのならって先程と矛盾している感情が出てきてしまっているのだ。
「ね、寝るねっ」
「そうだね、僕も帰って寝る――」
あっ、去ろうとする彼の腕を掴んでしまった。
「ちづ子?」と聞いてきたのでぱっと離す、それから慌ててなんでもないと説明。
「おやすみ、明日というか今日だけど、朝一緒に行こうか」
「うん、おやすみ」
なにをやっているんだか。
結局その後も寝ることはできずあっという間に朝になってしまった。
「今日は早いね」
「おがあざーん」
「わっ、どうしたの?」
「ううん……」
性悪女だ、最近は自分の嫌な部分ばかり直視することになっている。
顔を洗ってすっきりしようとしても意味があまりなかった。
「酷い顔……」
眼鏡をかけたままだとより病的に見えるから外していくことに。
一応見える、でも最低限にしか見えないから直視したりしなくていいのはいいことだろう。
母が作ってくれた美味しい朝食と摂って、のろのろと必要なことを済まして外に出る。
「うっ……日差しが私を蝕む……」
ギラギラしていて目が痛い。
光が私に確実なダメージを与えていく、やはり私は日陰の女なんだと分かった。
「おはよ」
「うん……おはよ」
「あれ、眼鏡は?」
「置いてきたんだ」
「そうなんだ。ま、とにかく行こうか」
眼鏡をしていなくても分かる柔らかい笑顔。
この様子だと寝られなかったとかそういうのはないんだろうな。
というか彼は基本的に緊張とかしないタイプだから最初から分かっていることかと内心で苦笑した。
「うぅ……」
「睡眠時間が足りなかった?」
「そうだね……」
やっぱり私は午後22時には寝ないとだめだ。
それで午前6時半までゆっくり寝てからでないと頭や体が保たない。
それが自分の行動によって徹夜となってしまった、彼があっさりスルーしてくれたのが助かったかな。
「そういえば昨日のことなんだけどさ」
「うん」
「……もしかしていてほしかった?」
「うん、だって寂しいもん……」
もう来てくれなくなるかなって感じがしたのもあった。
そもそも私は嫌いだと言われたことをきちんと考えておかなければならない。
実際に私が願った通りになって醜い私が出たんだと思う。
「はぁ……」
改めてそう考えてみなくても痛い女だった。
なんかこうして一緒にいるのが嫌だ、一緒にいたいという気持ちがあるのが嫌だ。
「先に行くね、ちょっと寝たくて」
「それなら僕も急ぐよ、眼鏡をかけてないし走ったりしたら危ないでしょ?」
「……まあ、それは好きにすればいいよ」
寝てないからダークモードになるんだ。
夏休みもそうだった、寝られない日は特にそうなって悪循環で。
恋は盲目って言うけど、私が正にそうだと思う。
第一、あの時点で別れることを望むということは彼の不幸を望むということだ。
それに全く気づかずずっと暗い思考をしていた、許されることではない。
「ちづ子っ」
「あ――」
危なかった、なんとか踏みとどまれた。
やっぱりいつまで経っても彼がいてくれなきゃだめだと分かった。
「和くん……」
「ちょっと寄り道しようか、時間も早いし間に合うだろうからさ」
ああでも、彼が側にいてくれないと嫌だとも分かった。
「お、珍しいなお前らがこっちに来るなんて」
「おはよ」
「和、なんでちづ子はそんなに暗いの?」
なんであなたはそんなに普通に話せるの?
例え偽物でも昨日まで付き合ってて、昨日振った、振られた相手なのに。
「うーん、寝不足みたいなんだ、昨日小テストの勉強を忘れて必死にしたみたいでさ」
「「え、律儀……」」
「いや、ちづ子は昔からそういう子だからね。僕らはちょっと寄り道してから行くから、ふたりは先に行っててよ」
「分かった、遅刻はするなよ」
「ちづ子のことちゃんと連れてきてねー」
「うん、また後でね」
本当になにもないのかな。
でも、仮に別れているのだとしてもすぐに付き合うのはなんか違う気がする。
あのふたりがどういう選択をするのか、和くんがなんのためにそんなことをしたのか、分からないことばかりで落ち着かない。
「なんで普通に話せるの?」
「加代と? うーん、ちづ子が考えている恋人とは違うからだよ」
「だからって……要は振られたわけなんだから」
「振った側でもあるよ、お互いにだけど」
どちらにしてもメンタルが強くなければできないことだ。
相手を振るって大変だろう、一応言葉とかも考えなければならないし。
傷つけるかもしれないと考え始めたら止まらなくなって、とかありそうなのに。
これもあれかな、私は告白されたことがないんだから考えても無駄ってやつなのかな。
ましてや彼でもないし加代ちゃんでもないから。
でも、正直に言ってそれで片付けられてしまったらどうしようもない。
他人のそういう事情のことを考えなければいいのだと言われても、簡単には納得できないもん。
「まあ、そのことはもう気にしないでよ。僕らは恋人同士ではなくなった、ただそれだけなんだから」
「じゃあさ……なんで加代ちゃんを利用したの?」
「それは君から離れたかったからだよ」
「え……っと」
いやあ、このタイミングでそれは……自分で聞いたんだけど。
「……ならもう行くよ」
「あ、誤解しないで、あの時はどうしても離れなければならない理由があったんだよ」
「それって……?」
「悪いけどまだ言えないかな」
「学校行こ? 私ならもう大丈夫だから」
逆に眠気が吹っ飛んでくれた。
一発で落とせる強さがそこにある、相手をする人間にとっては絶望的な強さではあるが。
「だからって加代ちゃんを利用するのはだめだよっ」
「うん……反省しているよそれは」
「だってさっ、それで大熊くんは辛い気持ちを味わうことになったんだよ!?」
「分かってるよ、必ず謝るよ、殴られてもおかしくないことをしたし」
偉そうに言ってしまったことを謝罪して学校方面へと体を向ける。
「離れたいならちゃんと言ってよ、頑張って受け入れるからさ」
なにも言わずに中途半端なままで終わってしまうよりマシだ。
そりゃ暴れると思うし、寂しいし、悲しいし、怒りは……ないだろうけど。
一緒にいることが嫌だったのならそう言ってくれないと分からないから。
「ほ、ほらっ、この前も嫌いって言ってくれたでしょ? そういう風にさ……ふたりきりの時に言ってくれれば惨めさも減るかなって」
ああやって加代ちゃんとかが味方してくれたりするとより自分の酷さが目立つから。
もちろんありがたいけどね、あれのおかげで助かったところもあるんだからさ。
「まあ、私が色々と我慢させてきちゃったってことだよね、ごめんね、甘えてばっかりだったからさ」
こういう時は相手になにも言わせないように上に上にと重ねていくしかない。
それでもこちらに決定打はなく、向こうはいつでも切り札を切れる状態で。
「ちづ子」
「……いいよ別に」
「ちづ子!」
そんなに大声を出さなくても聞こえるよ。
だってもう正面にいるんだもん、こういうところは意地悪だと思う。
「今日の放課後にまたゆっくりに話をしよう」
「うん……」
歩きながらでもいま言えばいいのに。
せっかく教えてもらった内容がどこかにいかないかが不安だった。