04
「あー、君って志内ちづ子?」
「あ、はい、そうですけど」
よく分からない知らないおじさんに話しかけられた。
いや違うっ、おじさんっぽいけど同じ高校の制服を着ているじゃないかっ。
「すみませんっ、おじさんだと思ってしまいましたっ」
「え? あ、はははっ、いいよ別に、言われ慣れているからね」
あ、なんか優しそう。
「たださあ、君」
「ご、ごご、ごめんなさい!」
「違うって、責めたいわけじゃなくて。君、眼鏡ない方がいいと思うよ」
1度考えたこともあるけどリスクもあるからと説明する。
そんなに眼鏡がない方がいいとか言われちゃうと自惚れちゃうから勘弁してもらいたい。
「あの、どうして名前を知っていたんですか?」
「え、彼女持ちの男を狙おうとする女として有名だから」
なんで……どこからそんな噂が。
狙おうとしてないよ、寧ろこちらから距離を置こうとしたよ。
話すことだって禁止にした、いまはもう普通に喋っちゃってるけど。
やはりまだまだ狙っている女の子が多くいるということか、魅力抑えようよ和くんっ。
「俺は別にいいと思うけどね、変なことをしなければ好きになってもいいでしょ」
「あの、私は別になにもしていないんですが……」
「そうなの? それならそうやってアピールしていくしかないね、もっとも」
大熊くんと同じぐらいの男の人は逆の方へと歩きながら言った。
「簡単に収まってくれるとは思わないけど、まあ頑張って」
そりゃそうだ、そういう話題は結構収束まで時間がかかる。
ましてやそういう話題は若い子が好きだったりするんだ、自分が関係ないから盛り上がれちゃうし。
広めるとしたら私のクラスメイトぐらいかな、あんまり好かれていなかったからそれしかない。
「なんてね、妹みたいなやつに聞いただけだよーん」
「い、妹みたいなやつ?」
「ほら、あそこにいるの」
「あ、阿坂さん!」
阿坂さんはその男の人のお腹を殴――叩いていた。
「痛いなあ」と言って笑っているところを見るに、怒っているわけではなさそう。
「なに志内に余計なことしてんの?」
「してないしてない、してないですよぉ」
「気持ち悪い、戻して」
「してないよ、ただちょっとからかってみただけ」
このおじさ――お、お兄さん系の人と阿坂さんはどういう繋がりなんだろうか。
「あ、こいつが私の彼氏」
「えぇ!?」
「見た目はアレだけどいい奴なんだよ」
「あ、それはいまので分かりましたよ!」
「うん、まあ中身もおじさんだけどね」
確かにお酒とか飲んで女の子のお尻とか触ってそうだ。
……かなり失礼な妄想をしたので内心で謝っておく。
「行こうか、俺のマイハニー」
「次に学校で言ったらぶん殴るから、じゃあね志内」
「あ、はい、気をつけてくださいね!」
9月でもまだまだ暑かった。
おでこに滲んだ汗を腕で拭って、ひとつ熱がこもった息を吐く。
「あ、ちづ子ー」
「加代ちゃん」
夏休みが終わってからも元気いっぱいな彼女。
ダークモードの時に最低なことを考えてしまったことを謝りたい。
あれからは連絡先だって交換したのにずっと謝れていないままだった。
「あ、和ならもう少ししたら来るよ」
「あのっ! すみませんでした!」
謝らなければならないと考えてから出てきた汗が地面にポタポタと散った。
「えと、なんの話?」
夏休みのことを説明する。
いや、それだけではなく和くんのことが好きだとも。
ここで否定してくれればどうにでもなるのだ、友達として専念することも頑張ればできるわけで。
「か、和のことが好きなんだ……って、知ってたけどね、え、バレてないと思った?」
「あ、あの……諦めようと努力するので意地悪したりは……」
「ふふ、どうしようかなー」
そんな!?
彼女の笑顔が怖い、たったそれだけで背中がびちょびちょになった。
「加代、ちづ子、待たせてごめん」
「本当だよな、和がのんびりしているからだ」
「しょうがないでしょ、僕は委員会の仕事があったんだから」
気持ち悪い、冷や汗がだらだらで早く帰りたい。
「ねえ聞いてー、ちづ子がさあ」
「わーわー!」
「ちづ子――」
「だ、だめだってぇ!」
私がいない時にいつでも爆弾が落とされるようになってしまった。
つまり時期を誤ったことになる、私はこれからびくびくと怯えて生きていかなければならないのか。
せめて好意のことは伝えなければ――いや、その場合は別れてほしいとかって願う必要もないし……。
「おい加代、俺にだけ教えろ」
「いいよー、あのねー」
こちらは和くんの手を引いて距離を作っておくことにする。
「ごめんね、手を握っちゃって」
「それはいいけど、ちづ子がどうしたの?」
「さっき阿坂さんの彼氏さんに会ったんだ」
「そうなんだ」
頼りがいがある感じなのは確か。
あと、細かく知らないだけでいっぱいいいところがあるんだと思う。
なによりあの人がいてくれれば狙ってこないかもしれない。
うーん、和くんももっとごつくなるくべきだ!
「ふっ、そういうことかよ志内」
「あー……」
「なるほどな、『気持ちが分かると思いますけど』ってこれに繋がるのか」
加代ちゃんが意地悪な顔で笑っている。
そりゃそうだ、だって恋人を狙う悪女だもんね。
でもね、こっちだってね、頑張って抑えているんですよ!
「加代、大剛、僕にも教えてよ」
「いやあ、それは流石にな」
「なんで?」
「悪い、流石に言えないわ」
もう、そういうところで吐いてしまわないから優しいと思っちゃうじゃん。
留まっていても仕方がないということで帰ることにした。
「ちづ子、後で僕にも教えて」
「いや……」
「なんで? もしかして意地悪してるの?」
あなたのことが好きですなんて言えるわけがないでしょうが!
「ごめん……これを言ったら迷惑をかけるから」
あと単純に、やっぱり振られたくない。
だったら例え痛くても好きなままでいたかった。
仮に告白して振られても好きなままでいるんだろうけど。
「ふぅん、ちづ子がそのつもりなら僕にも考えがあるけど」
「そ、そんなこと言っても吐かないからね?」
「ねえちづ子、教えて?」
「ちょ、お、教えないからっ」
私の体と彼の体が近づく。
やばいやばいっ、そういう物理的手段に出たら浮気行為に該当してしまう。
「加代ちゃん!」
「んー?」
「加代ちゃんはここに来て、大剛くんは和くんの隣!」
「はーい」
「はいはい」
私にとっては最強な壁だった。
問題なのはまだ諦めてくれていなかったこと。
私の家に乗り込んでしつこく聞いてくるやはり意地悪な人。
「言って」
「……なにも言わないということなら言う」
「どういうこと?」
「それについて触れなければ言ってもいいよ」
「ふむ、うん、じゃあ約束するよ、破ったら友達やめる」
なにも言えずに終わるよりはよっぽどいいかな。
「……和くんが加代ちゃんの彼氏になってから好きって自覚したの。で、その好きな気持ちがどんどん増えてて、話しかけないでって言ったのは一緒にいると辛いからで。でも、やっぱり好きなの、側にいてくれると落ち着くの。加代ちゃんにさっき謝ったんだけど、それは夏休み中に別れてほしいなんて最低なことを考えちゃったから」
いちいちだから好かれる資格がないのは分かっている、なんて言わなかった。
というか冷静に考えてみると誰かの彼女になってから好きだと自覚するっておかしいよなと。
結局そういう風になんでも理由を作って側にいてほしかっただけなんだ。
いや、いまならこの気持ちが本物だと言えるけど、手に入らないからこそ燃えているのもあると思う。
「約束通り、なにも言わないでね」
友達をやめたかったらここでこのことについて触れるだろうけど。
けれど彼は特に気にした様子もなく「今日の夜ご飯ってなに?」と聞いてきた。
「炊き込みご飯かな、和くんの家は?」
「僕の家はハンバーグかな」
「おぉ、炊き込みご飯にハンバーグだったら最強だね」
ちょっと重いかもしれないけど幸せが詰まっている。
いつかお金に余裕ができたらそんな自由もしてみたいなあ。
まあ、恐らくその頃のは歳を重ねていて胃の容量が少ないだろうけども。
「久しぶりに泊まってもいい?」
「え、ハンバーグ食べられなくなっちゃうよ?」
「そこはほら、貰ってくるよ」
「い、いや、だめだって、ほら、付き合っているのに他の女の家に泊まるなんてさ……」
彼といられて嬉しいのは確か。
でもそれは、やましいことがない場合ではということだ。
これは良くないことだと思う、そもそもこうしてふたりきりも不味いぐらい。
「ちなみに、加代は大剛の家に泊まるらしいよ」
「あの……もしかしてもう別れてる?」
「んー、内緒っ」
なんでやねん!
おかしいでしょそんなのっ、なにがどうなればそうなるんだ!
それを笑いながら言う彼もおかしい、普通だったら「怪しくない?」と聞く側だろう。
「分かった、じゃあ泊まりはなしでいいから夜遅くまで一緒にいたい」
「……20時までならいいよ」
「うん、夜ご飯を一緒に食べた後に外でゆっくり話そうか」
私が会っていなかった高校1年生から2年生までの間になにがあったのか。
逆になにもなさすぎたのか、だからいまもこうして別行動をしている?
別れを告げられるかもしれないから私のところに来ている可能性もある。
やはりいつだって重要で、そして分からないのは加代ちゃんの気持ちだ。
今日のあの様子だけで判断すればあくまで怒っていないようにも見えた。
それでも遠慮なくバラそうとしたことから、表面上だけの笑顔にも思えてしまって。
――そんなことをごちゃごちゃ考えていたらあっという間に20時に。
「さっきから上の空だね」
「……加代ちゃんがどういう風に思っているのか気になって」
「特になにも思ってないでしょ、僕もこれが悪いとは思ってないよ」
恋人同士なのに? 敢えて他の女と仲良くさせるような趣味はないだろうし……。
実は付き合っていないということはないだろうし、別れたということもないだろうし。
さすがに別れていたりしたら表情とかに出るはずなんだ、なのにあくまでふたりは仲良くしている。
大熊くんといる方が多いけど、未だに3人でいることには変わらないから。
「そこに座って」
「うん」
玄関先に座って話すなんていつぶりだろう。
泊まりをする程でもない日はよくこうして学校でのことなんかを話していたりもした。
前にも言ったと思うが、彼は文句を言わずに聞いてくれる人だったからぺらぺら喋ったっけ。
あの頃はなにも考えてなかったから楽しかったなあ、基本的にポジティブだったというのもある。
それかもしくは彼がいてくれることで謎の自信が芽生えていたのかもしれない。
無敵感が凄かった、彼さえいてくれればそれでいいと本気で思っていた。
だから友達だってろくに作っていなかったし、少し挨拶をできる程度の仲の人しかいなかった。
「美味しかったね、どっちも」
「うん、あれ手作りでしょ? すごいなあ、手間がかかってるなあ」
大袈裟でもなんでもなくお店で出してくれるハンバーグより美味しかったと思う。
恥ずかしく痛い感じになるけど、きっと和くんや和くんのお父さんのためを思って丁寧に作ったものだからだと考えていた。所謂、愛情が込められているというやつだ、そういうのは案外馬鹿にできない。
「母さんは基本的に凝るタイプだからね、手伝ってあげないと負担が大きそうだ」
「お互いに親孝行しないとね」
「だね、本当に両親には感謝しかないよ」
炊き込みご飯を準備させてもらったのは私だ。
つまり遠回しであっても評価してもらえたのと同じこと、めっちゃ嬉しいっ。
「さっきのありがとね」
「え……触れないでって」
「ただそれだけだから、僕はちづ子の友達でいたいから言わないよ」
「別にそこも遠回しに言わなくてもいいの……あ……」
余計なこと言うな私っ。
遠回しにでももう断られたんだからこれ以上ダメージを受ける必要はない。
なんで零してしまうんだろう、少しは学んでおくれよ、私の脳よ。
「あ、加代だ、もしもし? え? うん、分かった――ほらちづ子、君と話したいって」
「あ、うん」
というかこれですぐに代われたらこちらが怪しいじゃん?
そもそもなんで当然のように一緒にいると分かったのか。
疑問は尽きないけどとりあえずは返事をしないと。
「もしもし?」
「あ、ちづ子? 私だよ、加代だよー」
そ、それは分かってる、だってディスプレイに森瀬加代って表示してあったもん。
「とりあえずそこから和をどこかにやってくれない?」
頼んだら「家に入ってるね」と従ってくれた。
電話越しとはいえ1対1を望む、これは本当に大事な話なんだとすぐに分かった。
「ちづ子はさ、和のことが好きなんだよね?」
「うん……でも、諦めるから!」
「それなんだけどさ、まだ抱えたままでもいられる? 具体的に言えば、11月ぐらいまで」
「え、そりゃ……簡単には捨てられないから多分、だけど」
「じゃあよろしく! じゃあねっ」
「え、ちょ――切られちゃった」
ぼうっとしていた私だったが彼のスマホなんだと思いだして家の中に戻る。
「おかえり」
「た、ただいま……? あ、そうじゃなくてこれ」
「加代はなんて?」
この不思議な笑みを前に本当のことを話すべきだろうか。
仮にはぐらかしても先程みたいになって終わるだけかと全て吐いた。
「元々そういう話をしていたんだ」
「え」
「加代はね、本当は大剛のことが好きだったんだよ」
「えぇ!?」
もうごちゃごちゃしすぎて分からないよ!
じゃあなんで大剛くんと付き合ってあげなかったの!
だって告白してきたんだよね? それを振って和くんを選ぶ意味が分からない。
「僕も加代も相手を利用している形になるのかな」
「え、でも、付き合っているん……だよね?」
「一般的に見ればね、でも、僕らの間では違うんだ」
なんじゃそれ……だったら大熊くんの気持ちに応えてあげてほしいと思うのはおかしいだろうか?
「な、ならさ、要はふたりは両思いってことでしょ?」
「まあ、僕らなにもしてないからそろそろいいかもね」
「え、て、手を繋いだりとかは?」
「ないよ、抱きしめたこともないよ」
「う、嘘だぁ……」
「本当だよ」
えっと、それなら付き合うみたいなことしなくても良かった気が。
大熊くんだって辛かっただろうし、その好きな人を敢えて苦しめたってことになっちゃうから。
「今度3人で話し合うよ」
「あ、うん、それはそうした方がいいよ」
「さてと、そろそろ家に帰ろうかな」
「おやすみ」
仮に付き合っていなかったら私のこの気持ちはどうなっていたんだろうか。
いまでものうのうと彼に甘えて自堕落な毎日を過ごしていただろうか。
ちなみにこのことについて特に喜べはしなかった。
「ちづ子」
「うん?」
「今度また4人で遊ぼうね」
「うん、待ってるね」
じゃあ、彼は誰も好きではないということかな。
加代ちゃんが好きで付き合っているわけではないのなら……。
「あ、もしかしたら……」
大熊くんが好きな加代ちゃんを見て諦めてしまっているのかも。
もっと積極的にいけばいいのになあ、それだけは私も人のこと言えないけれど。
「和くんまた明日ね!」
「うんっ、また明日!」
情報収集は忘れないようにしようと決めたのだった。