第1講-プロローグ②-
取り立てて才能の無いKであったが、数少ない幸運だったといえるのは人との縁に恵まれたことと、それなりに勉強ができたことであった。
Kの家族は現代にしては珍しく、Kのほかに3人の兄と姉がいた。
一番上の姉は3歳年上で、次に2歳上の兄、1歳上の姉がいた。
4人兄弟で年子というのは殊更珍しかったようで、物心つく前にはローカル局の取材もあったそうだ。
家族仲は喧嘩が絶えないということもなく、かといって秘密や趣味を共有するほど親しいわけでもなかったが、平均よりも大分稼ぎのいい父親と、忙しさをおくびにも出さない優しい母がいて、それなりに裕福で不自由しない家庭であった。
Kの地元は比較的新しく開発された住宅地で、Kと同世代の子どもも多くいた。幼稚園、小学校、中学校から現在に至るまで、ひと時も距離を置くことなく付き合いを保ち続けることのできた友人たちはかけがえの無いものであった。
高校に入り、多分に漏れず反抗期や思春期を迎えた。
一度、退学届を書いた。適当に決めた地元の高校。それなりに勉強だけはできたKにとって、周りが馬鹿だらけに見えた。
模試で校内1位を取れたら高校を辞めよう。
大した決意もなく、またそのための努力をしたわけでもなく、結局卒業まで過ごすこととなった。
大学でも良縁、奇縁に恵まれた。
勉強が楽しいと、心から思えたこともあった。
大学、アルバイトで得た知識、経験をもとに、Kはキャリア官僚を目指した。
結果、挫折。警察官や地方公務員という選択肢もあったが、元からの軽度な発語障害により断念。
けれど、無垢な子どもに勉強を教えるのは楽しかったし、その時には障害もあまり出なかった。
そのため彼は塾の講師として就職した。
今にして考えれば、最大の過ちであった。