第21話 烏丸雪子と勝手に書き上がる小説(5)
烏丸が作業部屋に入って、数秒後に俺と鷹見は一斉にクローゼットを飛び出した。
鷹見は電光石火の速さで麻酔銃を懐から引き抜いて構える。
俺も飛び出し、烏丸の目の前で身構えた。
「動かないで!!」
鷹見の叫び声が部屋に響いた。烏丸は相変わらず無表情を貫いていたが、ゆっくりと俺たちに視線を合わせる。
――やはり烏丸本人があの文章を書いていたのか? 精神病の類か?
頭の中で推理が駆け巡る。
鷹見は麻酔銃を烏丸の額に向けている。怪しい動きをしたら即座に撃つつもりだろう。そうはならないことを願いたかった。
「烏丸さん。俺たちがわかりますか。ここで何をしているんですか?」
俺は静かに、だがはっきりと烏丸へ問う。
すると烏丸の表情に変化があった。
俺をまっすぐに見据えて笑ったのだ。
にたり、と。
それはこれまで烏丸が決して見せたことのない、見せるはずのない表情だった。
一緒に食事をしていたときの、ふっくらとした微笑みではなく。
俺たちを嘲笑するような気味の悪い笑顔だった。
烏丸は答える。
「ここで何をしているかって? 決まってるじゃないか。小説を書くためだよ」
――これは本当に烏丸なのか。
そんな疑問が浮かぶ。様子がおかしかった。烏丸はこんな口調をする人間だっただろうか。
鷹見が鋭い口調で問う。
「烏丸さん。……あなたは烏丸雪子さんで間違いありませんね?」
「いいや」
烏丸は笑みを崩さずあっさりと否定した。
状況を飲み込めない俺と眉をひそめる鷹見に対し、彼女はさらに続ける。
「僕の名前はアゲハ。そう呼んでくれたまえ。アゲハ蝶のアゲハだよ。どう? 覚えた?」
アゲハ、と名乗るそれはPCの前に座り、足を組んでそう自己紹介してきた。
「あ、アゲハ……って……烏丸さんをどこにやった?!」
「別にどこにもやってないよ。烏丸雪子はここにいる。烏丸雪子の体はここにある。ただ、その意識は眠ったままなんだけど」
アゲハはとんとんと自分の胸を指で叩く。
見た目は烏丸だが、その表情も、仕草も、歩き方や口の動かし方も、口調も、物の言い方も、烏丸とは全く別人だった。
「――二重人格、ってやつ?」
鷹見が詰問するように言うとアゲハがまた口角を上げて笑う。
「そうそう。そういう感じだね。僕は烏丸であって烏丸ではない。烏丸の心の闇から生まれた存在……とでも言えばいいのかな。
いや、その言い方だと悪役みたいだな? とにかく僕は烏丸から分離独立したもう一つの人格なんだよね」
二重人格。
一つの人間の中に二つのパーソナリティが存在するという現象。
それが今、目の前にいる。気味が悪いが、攻撃的意思は持っていないらしく、暴力も振るわないし襲いかかっても来ない。ただ座っているだけだ。
鷹見は一歩近づき、銃を向けながら尋問を続ける。
「アゲハ。勝手に小説を書いてたのは、貴方だよね?」
「そうだよ」
「どうして?」
「別に難しい理由はない。ただ小説を書きたかっただけだよ」
「……貴方が烏丸さんの中に「発生」したのはいつから?」
「僕の意識が発生したのは最近だよ。うーん、だいたい2週間くらい前じゃないかな?」
2週間前というのは聞き覚えがあった。
烏丸がプシュケー・ギアを使い、ネットの情報を強引に脳へ流し込んだのがそのあたりだったはずだ。
するとアゲハが迷惑そうに鷹見の麻酔銃を指差す。
「鷹見さん、だっけ。その銃しまってもらえる? そういうの向けられながら話するの、いい気分しないんだよね」
鷹見はやや迷ったが、言われた通りに銃を懐へしまう。アゲハが目を細めてまた笑った。
「へっへへ。ありがと。助かるよ」
烏丸は体調不良などを訴えてはいなかった。自分ではアゲハに気づいていなかったということだ。
自分の体が勝手に動き、小説を書くなんて迷惑以外の何者でもない。
「アゲハ。お前の生まれた理由は、烏丸さんがネットのデータを無理やり脳へ送り込んだからか?」
「おお、察しがいいんだね。そうだよ。烏丸雪子の軽率な行動が、僕を産むきっかけとなった」
アゲハは眉を上げて感心したような声を上げる。
「もうちょっと詳しく話してあげようか。2週間ほど前、烏丸雪子はプシュケー・ギアを使い、ネット小説の文章を脳にブチこもうとした。
読んでる時間がないもんだから、その内容を脳に読み込ませて把握しようとしたんだね。
だが、脳にダイレクトにデータを入れるのはとても危険な行為だ。醤油や酢をそのまま飲み干すようなものだね。
だってそうだろう? 普通、情報というのは、目や耳というフィルターを通して認識してるんだから。
脳に、直に、情報を送ってはいけないのさ。言われなくても君たちは分かると思うけどね」
その言い分は理解できる。
烏丸のやったことは確かに軽率だったのかもしれない。脳に異常が起こりうるような行為は慎むべきだったのだろう。
「話を続けるよ。烏丸はそのあまりのショックで一時的に気絶した。あまりにも多くの「情報」が脳に入り込んできたわけだ。
ネット小説は何万文字もある。多いものだと100万文字にも及ぶ長編だってあるんだ。一気に海馬に流し込んだらそりゃ脳がオーバーヒートするってものだよね。
だが問題はそれだけじゃない。烏丸は、そのネット小説に書き込まれた感想やコメント……
さらに、小説について書き込まれた掲示板の情報もまとめて脳に送り込んでしまっていた。
それがどうまずいか、分かるかな」
何がまずいかと言われても正直分からない。
ネット小説に限らず、俺はそもそも小説をあまり読まない。脳にデータを流し込んだこともない。
俺が考えていると、鷹見の方が口を開いた。
「それは、例えば……小説への誹謗中傷とかも、脳に流し込まれてしまった、とか?」
「そう」
アゲハは頷く。
「烏丸も、分からないわけじゃないと思う。でも操作をミスって、入れるべきでないものまで脳に入れてしまったらしいね。
ネットはいろいろな意見が飛び交う場だ。作品を褒める人もいれば、無責任に批判する人間もいる。
烏丸はやめときゃいいのに、そういうコメントやら感想やらのデータまで脳にブチ込んだんだな。
インターネットという電子の海に浮かぶ、正直すぎるそれらの情報を全部脳に流し込んでしまった」
それがどんな体験か、想像もつかない。
だがいい体験ではないだろう。「あれがいい」「これは好きじゃない」というような、多種多様の意見を、
全て脳の記憶部分に植え付けるなんてのは、もしかしたら拷問に近いものかもしれない。
ましてや烏丸は、自分の才能を誇る、自信満々な人間ではないのだ。
「人の手には余る情報。人の脳には余る情報。恐ろしいショックだ。だが烏丸の脳には一気に多くの情報が注入されたわけだ。
例えば……ネットで流行るのはどういう書き方なのか。媒体によってどんなものが好まれ、選好されるのか。ストーリーの人気度合いはどうか。
どのような感想がつくか、とかね。それらが一気に脳へやって来たんだ。
常日頃から、書く事ばっかり考えている烏丸にとって、それらの情報はとてつもない刺激になった。
記憶という海に雷が落ち、意識という船は大きく揺さぶられた。もしかしたら、烏丸の嫉妬心や劣等感も、それにより増幅されてるかもしれないね。
……そしてその刺激によって生み出されたのが、僕だ」
意識が船だというなら、烏丸の頭にはいつの間にか二艘の船があったことになる。
部屋の中に侵入者の痕跡がないのも当然だ。何しろ自分自身の肉体が夜中に動き回っていたのだ。
「……さすがにこれは予想できなかったな」
「俺もだ」
鷹見が溜息をつきながら独りごちた。俺も頷く。わかるわけがない。
だが素直に証言を聞けるのはありがたいことだった。
「それで、アゲハ。さっきも聞いたが、夜な夜な小説を書いてたのはどうしてなんだ?」
「さっきも言ったろ? 小説を書きたかったからだよ」
「だが、烏丸さんは怒ってたぞ。恥知らずの文だと」
「あぁ……それは悲しいな。僕は烏丸さんの望みを叶えてあげたいだけなんだけどね」
「どういうことだ?」
問うと、アゲハは深い溜息をつく。
「僕は、烏丸雪子の記憶の全てを共有してるわけじゃない。覚えてないこともある。
だがその分、僕は烏丸雪子の無意識を理解することができる。
烏丸は今、苦しみの中にある。執筆がうまくいってないんだよ」
アゲハが笑うことをやめた。目を細め、悩ましげに腕を組む。
初めて見せた、彼、あるいは彼女の表情だった。
「烏丸雪子は、あまり筆の早い人間じゃない。それにやる気が出るときと出ないときの差が激しい。
執筆の速度が出ないわけだな。必死で納期に間に合わせるために、自分を奮い立たせてようやく書いてるわけだ。
書き物がうまくいかない作家は、一度はこんなことを考える。“ああ、何もしなくても小説が書き上がらないかな”とね」
もちろん、そんな都合のいい話はない。
ないはずだった。
アゲハが悩ましげな顔で言葉を続ける。
「たとえプシュケー・ギアがあったところで、文章そのものを考えるやる気がなければどうしようもない。文章を思いつかなければ、出力のしようがないのさ。
僕は、烏丸雪子の、そんな弱さから生まれた存在だよ」
弱さ。
烏丸は、俺たちに劣等感を垣間見せた。
そういったものが、アゲハを産む源泉になったのだろうか。
「僕は、ネットのどういうサイトで、どういう小説がウケるのか、ある程度は把握している。
烏丸の小説の続きを書いてあげることはできないが、よりウケる作品なら書いてやれるんだ。
烏丸の苦しみを少しでも軽くしてあげるために僕はいる。烏丸の無意識の願望を叶えてあげるために僕はいる。
僕は――烏丸が一切「産みの苦しみ」を背負い込むことなく、小説を執筆するための人格なのだよ!」




