第2話 自殺クラブ(1)
自殺クラブ。
小さなビルの地下で、その怪しげな集会は開催されていた。
俺はビルの階段を降りていく。
顔を見られないように、フード付きのパーカーを着込み、フードを目深にかぶる。
階段を下り切ると小さなドアがあり、一人の男が立っていて、微笑しながら話しかけてくる。
「矢守令次郎さまですね。お待ちしておりました」
「はい」
男はドアを開けてくれる。俺は促されるがままに中へ入った。
ドアの向こうは病院のように真っ白な壁で囲まれた廊下だった。たくさんのドアがあり、ドアごとに番号が割り振られている。
「矢守さんはこちらです」
先ほどの受付の男が背後から追いついてきて声をかける。
13、と番号の振られた部屋へと案内される。俺は黙って部屋へ入った。
部屋の中も真っ白だった。四畳半ほどの部屋にテーブルと2つのイスがあり、壁際にはベッドがある。
受付の男が先にイスに座った。テーブルをはさみ、俺と受付は向かい合う。
「それで矢守さん、自殺したいということでしたが」
受付が言うと、俺は机に肘をつき、額に両手を付け、深く頷く。
「はい。やっちゃってください。ちゃちゃっとお願いします」
「本当によろしいのですね? 考える時間を……」
「いい。いいんです、こんな人生もうたくさんだ。いいです。死にます、はい。今すぐやっちゃってください。
痛みも苦しみもなくパパッとお願いします。ここで終わりにしてください」
俺はまくしたてるように喋る。最後の方は声にもならない。
いつのまにかフードは脱げ、俺の顔はあらわになった。
俺の顔の、左半分にある火傷の跡が、相手にも見えているはずだ。
受付の男は何も言わずに黙ってうなづいた。
「わかりました。では早速やりましょう」
男はテーブルの引き出しから便箋を取り出す。
「遺書をお書きになりますよね?」
「あ、いいですそういうの。今すぐやってください。ホントいいです、今すぐ死にます」
「……そ、そうですか……。わかりました。それでは」
男は便箋を引き出しにしまい、代わりに注射器を取り出す。
「ではベッドに横になり、腕を出してください。麻酔をします。眠っている間に処置を施します」
俺は言われた通りにベッドに寝そべる。その左腕に注射針が刺され、すぐに意識が朦朧となる。
そうして俺は眠りに落ちていった。
◆◆◆
自分の人生が狂い始めたのは、今からほんの少し前のことだ。
俺こと矢守令次郎は、元々はただの警備員だった。
警備の仕事は性にあっていた。人付き合いが得意でもない俺が、とりあえずの体の丈夫さを活かすことができたからだ。
俺の顔は生まれつきやや迫力がある。怖い顔と陰口を叩かれることもある。映画の悪役みたいな顔だと自分でも思う。そんな俺が客商売などできるわけないと思っていた。
だがある時、ほんの些細なことから俺の運命は歪んだ。
家の近所を歩いていると、俺は工場の爆発事故に巻き込まれたのだ。
俺は顔の左半分に酷い火傷を負い、ずいぶんな入院をする羽目になった。
不運なことに、工場で扱っていた特殊な薬品のせいで、皮膚の移植手術もうまくいかず、火傷跡が顔に残り続けることになってしまった。
それだけではなく、俺は工場の爆発を仕掛けた犯人だと冤罪までかけられることになってしまったのだ。
爆発は人為的なものだが、監視カメラに映っていた犯人と、俺がそのとき着ていた服が似ていたのが運の尽きだった。
後になって冤罪だと判明はしたが、それまでマスメディアにずいぶんと取り上げられたものだった。
家には心無い落書きが書かれ、悪戯電話は日がな鳴り響いた。
少なかった友人は一人もいなくなり、外に出ることが怖くてたまらなくなった。
もう、生きる理由も、生きる楽しみも、何もかもがなくなってしまった。
そんなある時、路地裏に貼り付けられていた「自殺クラブ」のポスターが目に入った。
ファンシーでカラフルな絵柄に、ポップな書体で「自殺」という文字が印刷されているのはタチの悪いギャグのようだった。
だが、その時の俺には、そのポスターが救いに思えてならなかったのだ。
そうして、半ば吸い寄せられるようにして、俺は自殺クラブに申し込みをした。
◆◆◆
俺が目を覚ますと、真っ白な天井が目に入った。
照明の光が目に飛び込んできて眩しい。
あたりを見回すと、自分はベッドに寝かされたままでカーテンに囲まれていた。
離れた場所には医者らしき男が二人いるのが影になって見えた。
「……え?」
俺は体を起こそうとするが、目まいがしてうまく起きられない。
しかも両腕に違和感があった。肘から先の感覚がない。確かに腕はしっかりとあるが、皮膚の感覚が存在しなかった。
カーテンの向こう側からは話し声が聞こえてくる。
「あそこに寝てるのは矢守、だったっけ? 麻酔は効いたかな?」
「効いてるはずだ。たまに耐性がある奴がいるらしいけど、まあ大丈夫だろ」
「しかしバカな奴だよな。自殺クラブなんて申し込むなんてよ」
「まあいいじゃないか。利用価値があるってことだろ」
「ああ。いいアイデアだよな。自殺志願者の体を切断して、義手とか義足とかの実験体にするっていうのは。
全部終わったら息の根止めて、臓器売買にまわせばいいんだもんな」
「臓器も高く売れるからな。だいたい一人頭1000万円くらいの利益になるらしいね。ニンゲンに捨てるところなし、だな」
「いいねえ。ははははッ」
「このマニュアルに従えば、俺らみたいな人間でも手術できるしなぁ」
頭から波が引くように血の気が失せていった。
自分の手のひらを見る。手の甲や爪を見る。
まじまじと見つめると、違和感が目に付いた。細かい皺や、浮き出た血管がどこにもない。
それは自分の手ではなかった。
「……俺の手じゃ、ない。俺の手じゃ……」
今しがた聞こえた会話が、脳内にリフレインした。
――自殺志願者の体を切断して、義手とか義足とかの実験体にする。
――全部終わったら息の根止めて、臓器売買にまわせばいい。
それは明らかに、俺についての話だった。
後は言われるまでもない。
目の前にある俺の両腕は「義手」なのだ。
「ウソだろ……」
呟いた瞬間、カーテンが開いた。白衣の医者らしき男が二人立っている。
「おいどうなってんだ、モルモットが目ェ覚ましてるぞ」
「くそっ、取り押さえるぞ!!」
男二人は俺の腕と足を押さえつける。俺は必死に抵抗するがままならない。
「やめろ!! やめてくれ!! 俺を……俺を義手の実験体にするつもりか!!」
必死に叫ぶと男二人は笑いながら答えた。
「おいなんだよ、今の話も聞かれてたのか?」
「まあいいじゃねえか。また麻酔しちまえばいい話だ。おい、とっとと注射打て」
「そうだな。おい矢守! 別にいいだろ? どうせお前自殺志願者なんだからよ!!」
片方の男が注射器を取り出す。全身が泡立った。
殺される、と直感で感じた。
死ぬためにここに来たはずなのに、なぜか今それが無性に恐ろしかった。
「……やめろ……やめろッ!! 離せよ離してくれよッ!!」
必死に腕を振り回す。死に物狂いで振りかざした拳は注射器の男の顎へ当たり、男はそれでノックダウンして床へ倒れ込んだ。
「この野郎ッ」
もう片方の男が俺の首を締め上げる。息が詰まり、頭に血が昇っていく。
「お前死にたいんだろう? だったらそうしてやるよ。ありがたく思ってほしいね。
おまえは実験材料になって、体をバラバラにされて、値打ちを付けられて取引されるらしいぜ。
最後の最後まで人の役に立てるっつーわけだよ。
役に立たない人生が、最後にはきっちり役立って死ねるんだ、こんな最高なことないだろうが!!」
俺は言い返してやりたかったが、首が締まって声が出ない。
少しずつ意識が薄れていく。
だが、そのとき男の背後から大きな音がした。
ドアが蹴破られ、ずかずかと何者かが部屋に入ってきた。
「そこまでにしときなさい。弱いものいじめなんてするもんじゃないよ!!」
よく通る、強い声だった。
男は手を少し緩めて振り返る。
そこには一人の少女が立っていた。
灰色のズボンに赤いベスト。
大人びた整った顔立ちに、吸い込まれそうな大きな瞳。
後ろで束ねられた栗色の髪。
そんな少女が廊下に立っていた。
「……誰だ? モルモットじゃないらしいが」
「私はそんなんじゃないよ。悪いんだけれど、ここでおねんねしててもらうから」
少女は腰のホルスターから小型のピストルのようなものを取り出し、一切躊躇せずに引き金を引いた。
「なっ……」
軽い銃声がして、黒スーツの男の眉間に「針」のようなものが突き刺さる。
男は声すら上げずに倒れ付した。
「ふぅ。一丁上がりね」
少女はスタスタと歩み寄り、俺に手を伸ばしてくる。
「大丈夫? 危ないとこだったね。もう少しで実験材料にされるところだったんだよ、貴方」
「あ、あぁ……あんたは一体……?」
少女はきょとんと目を丸くしたが、ニッと歯を見せて笑いながら自己紹介した。
「あたしは鷹見。鷹見小晴。一応、探偵をやってる。よろしくどうぞ!」