8、獣人の毛並みは凄い
「ミーア! おいッ、どうしたんだ!」
屋根から転がり落ちてきたミーアを抱きかかえ、ロムレスは必死に名を呼び声をかける。
しかしミーアはぐったりと動かず、体はどんどん熱くなっていく。
「くっ……」
ロムレスは遠くに見える男を睨みつける。
今から全力で追えば、どんどんと小さくなっていく人影の肩を掴むことができるかもしれない。しかしミーアの意識は戻らず体温も上がり続けている。
ロムレスは一瞬悩んだ末、視線をスッと落とした。
「……ベッドを借ります」
「え? あ……」
ロムレスはマルタの返事を待たずミーアを抱えて家へ飛び込む。
マルタも困惑しながらロムレスたちの後を追うように家へと戻る。
しかしそこで彼女はさらに困惑することとなった。
「ちょ、ちょっと。こんな時に何を――」
マルタは顔を赤くして視線を泳がせる。
ロムレスがベッドに寝かせたミーアのシャツをまくり上げ、中をのぞき込んでいたからである。
「ない、ない、ない……ない!」
腹を見て、背中を見て、首を見て、脚を見て、あちこち調べながら彼はうわ言のように呟く。
「ええ? なっ、なにがないの!?」
マルタの問いかけをまたしても無視し、ロムレスは二人を残して家を飛び出した。
残されたマルタは茫然とミーアを見つめる。
「どうしましょう……ええと、とにかく熱を下げないと」
マルタは自分に言い聞かせるように呟き、バケツに入った水と布を用意する。
「いま体を拭いてあげますからね!」
マルタはゆっくりとミーアの袖をまくり、濡らした布を肌の上に滑らせる。
自然とマルタの息が上がっていく。
「わっ、スベスベ……それにとっても柔らかい」
ミーアの肌はまるで猫のそれのようにしなやかで、触り心地はシルクのように滑らかであった。
いつのまにかマルタは「ミーアの体を拭く」という大義名分を忘れて布をベッドの端に置き去りにし、シャツの裾を捲ってミーアの腹を撫でる。
「すご……これ…………したらどんなに……」
「ありましたッ!」
「ひやぁぁぁぁぁッ!?」
部屋に飛び込んできたロムレス。
マルタはしどろもどろになりながら手を背中に隠す。
「あわっ、あのっ、私はそのっ、彼女の体を拭いていただけで」
「これ貸してください!」
「へ?」
マルタは間の抜けた声を上げながら首を傾げる。
ロムレスが持っているのはすりこぎとすり鉢。
「え、ええ……良いですけど、どうするんです?」
「見つけたんですよ」
そう言って、内ポケットから果物の芯のようなものを取り出す。
ドヤ顔のロムレスに対し、マルタはきょとんとした表情で首を傾げる。
「……なんです、それ?」
「あたりを探したら落ちてました。人面樹の実です。外傷はないから、なにか食ったと思ったら……ビンゴでした」
「毒があるんですか?」
「ええ。実を付けるタイプの人面樹は動きがのろく、視力が弱いんですよ。だから罠を使って獲物を取ります。匂いに引き寄せられて果実を口にした獲物は高熱を出し意識を失う。ヤツらは熱に反応し、意識のない獲物をゆっくりと捕食する。恐ろしい毒ではありますが、致死性じゃない。ほっといても1日あれば回復する。これを使えばもっと早い」
ロムレスはそう言いながら数種類の草をすり鉢ですり潰す。
「それは薬草? なんか手慣れてますね」
「ええ。食糧が底を尽きたとき、この実と毒消し草を一緒に煮込んで食ったことがあります」
「あら……苦労してるんですね……」
ミーアの頭を少し上げ、すり潰した薬草に水を加えたものを彼女の口に流し込む。
「う、うー……」
毒消し草の青臭さに反応し、顔を顰めるミーア。
ロムレスはほっとしたようにため息を吐く。
「さすがに獣人は丈夫だな……さて、行きましょうか」
「え? こんな時間にどこへですか?」
「決まってるじゃないですか。あなたが話してくれた老人の家です。案内して下さい」
*****
「ここです」
森に隠れるようにしてそびえたつ巨大な建物。
月に照らされて汚くはないが簡素な造りで、無駄な装飾が一切ない。
まるで無機質な箱のようなそれはミーアの元主人が建てた成金趣味の権化の屋敷とは正反対に位置するようにも見える。しかし建物が放つ異質さにロムレスは異世界人特有のそれを感じ取った。
「血の付いた剣を持った老人はこの辺りに?」
建物を見上げながらロムレスが尋ねると、マルタは神妙な顔して頷く。
「ええ。丁度この辺りでしたね。幽霊のようにぬらっと立っていました」
「良く見えましたね。この暗さで」
「彼、カンテラを持っていましたから」
マルタの後を続くようにして、ロムレスは建物へと足を踏み入れる。
瞬間、彼を包む空気がガラリと変わった。
肌に纏わりつくような、じめっとした空気。そして鼻に染み付いた懐かしい臭気。
「……血の匂い……」
ロムレスは目つきを鋭くさせ、あたりを見回す。
よくよく目を凝らすと、薄暗い室内の壁は赤黒くこびりついた血飛沫でいっぱいだった。
柱には部屋中の血痕の発生源であるらしい一際大きな血痕と、日本刀で肋骨の隙間を貫かれた白骨死体が昆虫標本の如く磔にされている。
「見てください、ここ!」
マルタの声が静かな空間に反響する。
彼女の足元には、地下へ続いているらしい階段が不気味に口をあけていた。
「……異世界人ってのはどうして地下室を作りたがるんだろうな」
「え?」
「いや、なんでもありません。行きましょう」
ロムレスは何の躊躇いもなく不気味な地下通路へ足を踏み入れていく。
地下へ降りていくにつれ、二人の足音に混じって金属を引っ掻くような音が聞こえてくる。彼の鼻を突く臭気の種類も変わってきた。
階段を降り切ったとき、ロムレスはそれらの音と臭いの正体を理解した。
「よう、また会ったな」
鉄格子の奥で光るいくつもの目玉、炎のごとく赤々と光を放ち波打つ牙。
蠢く黒い獣を見て、ロムレスは冷ややかに笑う。
「どおりで毛並みが良いと思ったぜ。俺たちが遭遇したフランベルクタイガーもここから逃げ出したヤツだったんですね」
「ええ……まさかこんな近所で魔物を飼育していたなんて」
「うー! んー!」
獣の唸り声に紛れて、人間の呻き声が地下室に反響する。
部屋の隅で立ち尽くす老人。大きく目を見開き、細かく震える瞳で二人を凝視している。獣の餌だろうか。手に盛ったバケツは血の滴る生肉で満たされている。
「アイツです。アイツが刀を作ってるヤツです! 殺して! 早く! 撃って!」
狂ったように叫びながら、せがむようにロムレスの腕を掴むマルタ。
男の姿を前にしてロムレスはスッと目を細くする。その右手は、すでに懐へと伸ばされていた。
「……ダメじゃないですか。人の家の猫に餌を与えたら」
刹那、ロムレスは銃を取り出し引き金を引く。何度も、何度も、何度も、何度も。
鼓膜が破れそうなほどの銃声が屋敷に響き渡り、硝煙の匂いが地下室に充満する。
体験したことのない轟音に、魔獣たちは吠えるのをやめた。
老人は部屋の隅で小さく震えている。
しかし銃口を向けられた本人は、銃弾に倒れもせず、悲鳴すら上げず、眼球だけをギョロリと動かしロムレスを睨んだ。
「酷いじゃないですか、いくらなんでも急に撃つなんて」
ロムレスは銃を構えたまま唇を噛む。
放った無数の銃弾は体を貫くどころか、時が止まったかのようにマルタの周りに浮いていた。