6、それ行けリンゲン観光
「楽しみだなぁ、リンゲン。ソーセージが有名なんだって。どのレストランへ行くか迷っちゃうなぁ。食べ歩きもアリだね。あ、このスイーツ美味しそう!」
「…………えっ、なんでいるの?」
まだ薄暗い早朝、リンゲン行きの馬車に乗るや否やロムレスは恐怖に顔を引きつらせることとなった。
ミーアが当然のような顔をして馬車に乗っていたからである。
リンゲンのガイドブックから顔を上げ、キョトンとした表情で口を開く。
「だってこの馬車、ミーアのだもん。さっき買ったの」
「え……え? 買った? 馬車を?」
「異世界人の奴隷商だよ? 馬車くらい買えるに決まってるでしょ。」
「元ご主人様の金か……いやいや、そうじゃなくてなんでここに。リンゲンのこと誰から聞いた? まさかあの情報屋か?」
「自分で言ってたじゃん。あの酒場の店主さんに“明日の朝リンゲンに行く”って」
「……お前、酔ってなかったのか」
唖然とするロムレスを見上げ、ミーアは悪戯っぽく舌を出した。
「ミーアを酔わせたいならバケツ5、6杯は用意してもらわないと」
「なんて女だ……」
「さ、早く乗ってよ。乗合馬車なんて乗り継いでたらリンゲンまで一週間はかかるよ。駆け出し冒険者じゃあるまいし、そんな回り道してる暇ないでしょ」
ミーアの甘い誘いに、ロムレスは揺れ動く心と連動しているかのように視線を泳がせる。
「い、いや……ダ、ダメだダメだ! 昨日も言ったろ。もう異世界人には関わるな」
「聞いたよ。危ないからでしょ。ならお兄さんはなんでこんなことしてんの? 危ないよ?」
まっすぐな眼で見つめながら問いかけるミーア。ロムレスは少し顔をしかめ、咄嗟に視線を逸らす。
「秘密……」
「あっ、ずるーい!」
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「えっ……本当にここ?」
馬車を降りたミーアはあたりを見回し呆然と立ち尽くす。
見渡す限りの山、そして川。ミーアは付箋の付いたガイドブックを抱きしめながら小さな肩を震わせる。
「ねぇ、レストランは? ソーセージ屋さんは? スイーツはぁ?」
「リンゲンと言っても広いからな。都市部に行けばあるだろ」
「うー……良いもん、帰りに寄るから!」
「良いのか。下手したら野宿だぞ」
「絶対嫌!」
そう口では言いながらも馬車に戻ろうとはしないミーア。
ロムレスは意外と強情なこの少女をどう扱って良いか分からず、取りあえず道を進んでいく。
「でもさぁ、こんな田舎に異世界人なんているのぉ?」
「分からん。ヤツらの考える事なんて予想するだけ無駄だ。だがあの剣を作ったのが異世界人であることは間違いない」
二人は馬車が通れない狭い道を徒歩で歩いていく。
慣れない田舎道に疲労したミーアがおんぶをねだり、ロムレスが根負けしそうになっていた頃。
ロムレスがふいに足を止めた。
「どうしたの?」
ミーアが怪訝な顔で尋ねる。
あたりには民家らしきものもなく、人の影もなく、聞こえてくるのは木々のざわめきばかり。
しかしロムレスは二人に向けられた視線をしっかりと感じ取っていた。
「……来るぞ!」
内ポケットに手を入れながら声を上げると同時に、草むらが激しく揺れ動く。
刹那、黒い塊が覆いかぶさるようにして二人に襲い掛かった。
「キャーッ!?」
可愛らしい悲鳴を上げながら、ミーアが黒い塊へ素早く数本のナイフを撃ち込む。ガラスを引っ掻いたような音を吐き出し、塊は二人の脇へ転がり落ちる。
「なにあれ、異世界人!?」
「さすがに異世界人も四足歩行はしないだろ」
全ての光を吸い込むような黒い体毛、夜空に浮かび上がる星のように輝く二つの目、口から飛び出した牙は燃えるように赤く、炎のごとく波打っている。
「フランベルクタイガーだ。魔王が倒されたとはいえ、この辺りはまだ魔物の領域だと思っていい」
「レストランもソーセージ屋もスイーツもないのに魔物はいるの!? もう最悪」
吐き捨てるように言いながら、打ち込んだナイフを回収すべく魔物に近付いていく。
「馬鹿! まだ早い!」
「へ?」
ミーアが素っ頓狂な声を上げるのとほぼ同時に、ひっくり返って腹を見せていた魔物が素早く起き上がり、後ろ足で地面を蹴り上げる。
空高く舞い上がった魔物は、牙を剥いてまっすぐミーアへと向かっていく。
呆然として動けないでいたミーアを正気に戻したのは、一発の銃声だった。
「おい、無事か!?」
脳天を撃ち抜かれて完全にこと切れた猛獣を見下ろし、ミーアはへなへなと座り込んだ。
「し、死んだふりとか……なかなかやるなお前」
銃を懐に戻しながら、ロムレスは呆れたようにため息を吐く。
「なに強がってるんだ、震えてるぞ」
「違うもん。コイツのあまりの毛並みの良さに衝撃を受けているだけだもん。見て、ツヤツヤ! 金持ちの家の猫みたい! マフラーにしたい!」
「見るべきなのはそこじゃないだろ」
ロムレスは突き刺さったナイフを抜きながら、まだ温かい魔物の腹に手を這わせる。
「ほら、よく見ろ。毛皮が厚すぎてナイフの先が肉に届いていない。こういうヤツにはもっと大ぶりの武器を使え。持ってるだろ、ミスリルの短剣」
「ミスリルの短剣なんて投げられるわけないじゃん! ただでさえ一本折れちゃったのに」
「投げるな。わざわざ武器を減らすような行動する方が悪いんだ。それから、攻撃は腹よりも首か頭だ。腹だと上手く攻撃が通っても致命傷にならない可能性がある。魔物の心臓は一つとは限らないしな」
「……なんか詳しくない? あっ、分かった。元魔物駆除業者だ!」
「まぁそんなとこだ。しかし、この毛並みは確かに……」
フランベルクタイガーの毛皮は濡れたように艷やかで、少し光沢があり、手触りはシルクのように柔らかい。
熱心に魔物の腹を撫で回すロムレスに、ミーアは面白くなさそうに自分の尻尾をいじくる。
「ま、ミーアの毛並みには負けるけどねー」
呟いたその時、ミーアの尻尾を覆う毛が大きく逆立ち、耳がピンと立った。
ロムレスも弾かれたように立ち上がり、銃を草むらへ向ける。
「あわわ……撃たないで」
両手を上げながらゆっくりと草むらから出てきたのは、長い髪を一つに纏めたいかにも田舎の村娘といった風貌の少女であった。