4、猫耳少女は銃が欲しい
「お・に・い・さぁん♡」
人混みに紛れ、背後から忍び寄ったミーアは、甘えた声を出しながら軍服に包まれた腕に自分の腕をスルリと絡める。
「うおっ……なんだ、昨日の娘か」
ロムレスはミーアから逃れるように体をのけ反らせる。
しかしミーアは追いかけるようにロムレスと距離を詰めて顔を寄せ、上目遣いで彼を見上げる。
「酷いですよぉ、勝手にいなくなっちゃうなんて。命の恩人にお礼の一つもさせてくださいよ」
「いや、良いよ仕事だから……っていうかミスリルの双剣ちゃんと返した?」
「え~? じゃあ、また持ち物チェックとかします? お兄さんにならポケットの中まさぐられても良いけど……」
ミーアは怪しい笑みを浮かべながらロムレスの腰に手を這わせる。
彼女の小さな手が固いものに当たったその時、ロムレスはミーアの手首を掴んで捻り上げた。
「イタタタ」
「やっぱりこれが目当てだったな」
ロムレスは険しい表情を浮かべながら腰に装備していた拳銃を持ち上げる。
ミーアは涎でも垂らしそうな顔でそれを見上げた。
「エヘヘ、バレてたか。だってその武器凄いんだもん。“ジュウ”? だっけ? 良いなぁそれ。ミーアもそれ欲しいなぁ。ねぇどこに売ってるの?」
「ダメダメ、これはお巡りさんだけの武器だよ。悪いこと言わないから、危ない遊びはもうやめなさい。お巡りさん来なかったら死んでたんだよ?」
「遊びだなんて、心外だな。相手が異世界人でナイフが効かなかったからやられちゃったけど、その武器があればミーアにも殺れたもん」
「その通りだね。でも君は銃を持ってないでしょ? ならもう危ない事には首を突っ込むべきじゃないね」
ロムレスの説教にミーアは露骨に不満そうな表情を浮かべ、小さな子供のように頬を膨らませる。
彼女がさらに口を開こうとした、その時だった。
「ウオオオオオォォォォォォォオオオオオオッ!」
地獄の底から響いてくるような咆哮。
それに続くように辺りに響き渡る轟音。まるで雷雲が地上に降りてきたかのような騒ぎだ。それを彩るように甲高い女の悲鳴なども聞こえてくる。
騒々しさに慣れている王都の住民たちも、さすがにこの音を無視することはできない。
周囲は騒然となった。
「なんだ、戦争でも起きたか?」
「異世界人だよ。きっとそう! ねぇ見に行こ!」
「いや、危ないから君はここに……」
「いいからいいから!」
渋るロムレスの腕を引っ張り、ミーアは彼を無理矢理騒動の中心へと引っ張っていく。
「ほら! ほら見て!」
ミーアは目を輝かせながらそれを指差す。
そこにいたのは男だった。体格の良い、エプロンを纏ったスキンヘッドの中年男。
手には赤い液体の滴る細長い剣を持ち、エプロンも同じ色の液体に塗れている。
「ね? やっぱり異世界人だよ。早く殺そ殺そ。またあの武器見せてよぉ」
しかしロムレスは眉間に皺をよせ、苦虫を嚙み潰したような表情で首を振る。
「いいや違う。あれはただの肉屋の店主だ」
「え? 肉屋? あれが?」
ミーアはきょとんとした表情で首を傾げる。
確かに男の血に濡れたエプロンの上では豚のイラストが笑顔を見せている。だがそれを着ている当人は近くに停めてあった馬車を剣で真っ二つにし、挙句それを持ちあげてみせたのだ。
肉屋どころか歴戦の戦士にもできないような人間離れした技を見せつけられて、ミーアは口をぽかんと開ける。
そして次に、したり顔でロムレスの顔を見上げた。
「分かった、私に銃を見せたくないから意地悪してるんでしょ? そんな焦らさなくたっていいのにぃ」
「馬鹿、よそ見するな!」
声を上げながら、ロムレスはミーアを担いで素早く横へ飛ぶ。
ミーアが瞬きした次の瞬間、つい数秒前まで彼らのいた場所には男の投げ飛ばした“馬車だったもの”が地面にめり込んでいた。
「ひいっ! ほら、あんな真似普通の人間にはできないよ! やっぱ異世界人だっ」
ロムレスにしがみついたままミーアは恐怖と興奮の混じった鳴き声を上げる。
だがロムレスは冷静に首を振った。
「よく見ろ、あの腕……異世界人ならああはならない」
通常の人間の腕力では持ち上げられるはずのない重量の物を無理に持ち上げたためだろう。その左腕はひしゃげ、皮膚から骨が突き出して血を流している始末である。
しかし男の顔は痛みに歪んでいるわけでもなく、だらしなく緩んだ口からは涎が流れ、半開きになった目は焦点が合っておらず、ふらふらと歩く姿はまるで夢遊病患者のようだ。
男は血を纏わせた剣を振り上げ、集まった住人たちに振る。逃げ惑う住人と騒ぎを駆けつけて集まってきた野次馬たちが入り乱れて、辺りは大変な騒ぎである。
男の緩慢な動きのお陰で凶刃に倒れた者はいないが、それも時間の問題であるようだった。
「異世界人じゃないとしても、まともな状態じゃないのは確かでしょ? ならどうにかしないと」
「……それもそうだな」
ロムレスは抱えていたミーアを下し、不服そうな顔をする彼女に言い含める。
「君は絶対来るなよ。できればもっと離れたとこに逃げなさい。少なくともここより近付くことはないように」
「えー? お兄さんわざわざあんなヤバい人の側までいくつもりなの? そんなことしなくたってあの武器ならここからでも当たるじゃん」
「銃を使うのは異世界人だけだ。普通の人間には使わない」
「つまんなーい。っていうか……普通の人間の範囲に入らないでしょ、アレ」
ミーアの言葉には答えず、ロムレスは弾かれたように駆けだした。
「ッラァ!」
剣を振り上げ、揺らり揺らりと歩いていく男の膝にロムレスは蹴りを繰り出した。
あっけないほど簡単にバランスを崩し、男は吸い込まれるように地面に倒れこむ。
そしてロムレスは素早く腕を捻り上げて男を組み伏せた。
「よし、大人しくしろ……よっと」
ロムレスが少し力を入れると、男の腕からボキッという小気味良い音が響く。
「肩の関節を外した。もう大丈夫だ。おい、誰か縄をくれ」
明るい声を上げるロムレスの頬を、冷たい風が撫でる。
刹那、温かい液体がロムレスの顎から滴り落ちた。
「……は?」
ロムレスは目を見張り、組み伏せた男に視線を落とす。
腕が。男の腕があり得ない角度で曲がり、ロムレスの顔のすぐ横に剣を突き立てる。
「くっ!」
ロムレスは素早く身をかがめ、滅茶苦茶に動き回る男の剣をすれすれのところで避ける。そして荒れ狂う大蛇のごとく関節を無視して暴れまわる腕を踏みつけた。
「良いよ、そのままそのまま!」
刹那、はしゃいだような声を上げながら猫耳を生やした小さな人影が飛び出してくる。
彼女は鱗のように七色に輝く双剣を振りかざした。
「馬鹿! 来るな」
「大丈夫大丈夫、殺さないって。ただ腕をちょーっと斬るだけ」
ミーアは口の端を持ち上げて獣を思わせる尖った牙を覗かせる。
彼女は細い腕を振り上げ、男の腕に振り下ろした。
だが男の手はぐにゃりと曲がって方向を変え、剣をミーアの方へ向ける。刹那、二人の剣が激しくぶつかり合った。
キイイイイィィィン――
周囲に響き渡る、耳の痛くなるような金属音。
慌てて男から離れるミーアは、自分の手元を見た瞬間顔を青くする。
「わわ、わわわ……私の剣がっ!」
ずいぶんと短くなった剣を手に、ミーアは大きな瞳を涙で潤ませる。
「なんでミスリルの剣が折れるの!? わーん、ニセモノ掴まされたんだっ!」
「盗品のくせになにを……だが、お陰で分かった」
異世界人の体に傷をつけたミーアの双剣が偽物などじゃないことは確かだ。
しかし世界で一番硬い物質であるはずのミスリルで作られたその剣が折れたこともまた事実。
二つの情報から、ロムレスはある仮説を導き出した。
「あの剣、加護持ちだな」
ロムレスは心底嬉しそうに笑い、ホルダーから素早く銃を取り出す。
だが彼は銃の安全装置を外そうとせず、そのまま男の剣に向けてそれを振り下ろした。
銃と剣が交じり合った瞬間、ガキッという派手な音を立て、そして。
「やはりな」
真ん中から綺麗に折れた男の剣を見下ろし、ロムレスはニンマリ笑う。
もはや男の腕は動かず、白目をむいて呻き声を上げるばかり。
男の拘束を解き、すっくと立ち上がるロムレス。
ミーアは彼と、そして彼が手に持った武器に羨望の眼差しを向ける。
「すごい……銃って鈍器にもなるんだね!」
「え? ああ、まぁ」
「良いなぁ、欲しいな。ミスリルの剣折れちゃったしなぁ……」
自分の折れた剣とロムレスの銃を潤んだ瞳で見比べるミーア。
代わりにそれを寄越せとばかりに送られるミーアの視線から逃れるように、ロムレスは彼女に背を向ける。
「ねぇ、ねぇってばぁ。何やってんの? 財布取るの?」
「な訳ないだろ! 運ぶんだよ」
「あー、病院?」
「違う。酒場」
「酒場……」
ミーアの頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
しかし脳内に“巨大な酒瓶に漬けられた男”のイメージが浮かぶなり納得がいったような表情になり、彼女は茶色い尻尾をゆっくり揺らしながらロムレスの後を着いていくのだった。