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2、猫耳奴隷のお仕置きタイム



「な、なに……するんだ」


 首元に沿うようにしてソファに突き立てられたナイフを横目に見ながら、奴隷に牙をむかれたご主人様は茫然と口を開く。


「君を奴隷商から救ったのは、君に自由を与えたのは誰だ? ……俺だぞ」

「自由? これが自由なら、奴隷なんてものは世界に存在しないよ。それにね、“ご主人様”。ちょっと勘違いしてる。ミーアが自由を勝ち取るのに、人の助けなんていらないの。これまでも、これからもね」


 ミーアはそう言って、首に巻きついた鎖を簡単に外して見せる。

 同時に、彼女は自らの主人の首をその小さな手で鷲掴みにし、視線で鉄扉を指し示した。


「さぁ、あの扉を開けて? あんたが深夜にこそこそと奴隷を搬入してたのは知ってるよ。みんなを開放させてもらう」

「解放……まさか噂の奴隷解放者ってのは」


 彼女は男を見下ろし、牙を見せつけるように笑った。


「そういえばあのお兄さんも奴隷商殺しがどうこうって言ってたね。失礼しちゃうな、殺さないようにうまーくやってたんだよ? あ、でも勘違いしないでね」


 ミーアはソファからナイフを抜き取り、慣れた手つきでくるりと回す。


「できる限り殺さないつもりだけど傷付けないとは言ってないし、ミーアが意図せず“死んじゃう”ことはあるかも。四肢が揃ってるうちにマスターキーを渡したほうがいいよ?」


 小さな手に似つかわしくない大ぶりのナイフを、主人の手の甲に素早く振り下ろす。


「……あれ?」


 ミーアはきょとんとした表情と満月のように見開かれた目を、ナイフの切っ先に向ける。

 その先端はまるで鋼鉄に突き立てたように無残に欠けていた。


「なんで?」


 手には傷一つ付いておらず、血の一滴も滲んではいない。

 男は「種も仕掛けもありません」とばかりに手をひらひらとさせ、そしてか弱き奴隷少女の髪をひっつかみテーブルにその小さな額を叩きつける。


「っ……ううっ」


 ぱっくり割れた額から湧き出た血液が彼女の形の良い鼻筋を通り、顎から滴り落ちて小さな血だまりを作った。

 男はミーアの髪を再び引き上げ、彼女の顔に唇を寄せる。厚い唇を割って出てきた男の舌が、少女の傷口の形を確かめるように這いまわる。


「気持ち悪いっ……」


 嫌悪の滲んだミーアの顔を覗き込みながら男は嬉しそうに笑う。


「嬉しい、嬉しいよ。そうだ、その目!」


 男は腹の底から歓喜の声を上げ、ミーアの髪を引きずって鉄扉へと向かった。


「俺はずっと、ずーっと君みたいな娘を探していたんだ。良いよ、扉を開けてあげよう」


 男はそう言って、鉄扉を片手で押す。

 耳を塞ぎたくなるような金属音を響かせながら、重い鉄扉がゆっくりと開く。

 鉄扉には最初から鍵など掛かってはいない。ただ、非力なミーアの腕では開かなかっただけ。


 そしてミーアは扉の向こうから漂ってくる匂いに思わず口元を押さえた。


「奴隷の搬入に気付いたのは偉いね。でも、君はまだまだ子供だ。奴隷がこの部屋から出てくるところを見た? ……見てないよね」


 男は錆びた鉄の階段を下りていく。一段下がるたびに強くなる腐臭により、やがてミーアは吐き気を堪えることが難しくなっていった。

 底にあったのは、まさしく地獄。

 血に塗れて錆びた鉄のベッド、手錠、大工道具、血の溜まった桶。

 隅の木桶には大量の肉塊。錆びた檻には、明らかに生きていないことが分かる人間。


「残念だったね、ミーア。君が救いたかった者はここにはいないよ」

「なに……なんなのここ……?」

「俺の遊び場だよ。もう従順な奴隷を痛めつけるのには飽きちゃってね。今度は奴隷とラブラブ夫婦ごっこしようと思ったんだけど……やっぱりこれだよ、これ。この刺激」


 男は血の匂いを肺いっぱいに吸い込み、錆びた鉄のベッドにミーアを叩きつける。


「痛ッ……」

「君みたいな奴隷に出会えるなんて。最高だ! 奴隷商殺しまわった甲斐があった」

「まさか、お兄さんの言ってた……ッ、奴隷商殺しって」


 頭蓋骨の軋む音を聞きながら、ミーアは醜悪な男の醜悪な笑みをその金の瞳に映す。


「一人の力で奴隷を集めるのは骨が折れるからね。知っての通り、奴隷ってのは消耗品だからさ」

「……この変態がッ!」

「へ?」


 男は口元をだらしなく開き、今日一番の間抜け面で今日一番気の抜けた声を上げる。そしてパチパチ瞬きをしようとして――できなかった。

 彼の右の眼球に、輝くナイフが刺さっていたからだ。


「あんまり綺麗だったから盗んじゃった。あんたみたいな変態にはもったいない代物だよ」


 勝利を確信し、笑みを浮かべるミーア。

 だが、彼女の表情は一瞬で凍り付くことになった。


「イタタ……この体に傷をつけるなんて、やるね。ミスリル製? オリハルコンかな?」


 魚の鱗のごとく七色に輝く刃を引き抜き、男は笑う。

 ナイフが刺さっていたはずの眼球には傷一つ、濁りの一つすらなく、ナイフには血の一滴も付いてはいない。芸術品のような一点の曇りもない刃で、男はミーアの頬を撫でる。

 紅を引いたように、ミーアの頬に一筋の赤い線が浮かび上がる。


「こんな一級品、どこでどうやって盗んだんだか……手癖の悪い奴隷を持つと苦労するよ。これはお仕置きだな」

「なんで……なんで……ッ!? このッ……バケモノ……!」

「酷いな。女神から授かった体を“バケモノ”呼ばわりだなんて。バチが当たるよ?」

「女神……? そんな……まさか!」


 ミーアの表情が恐怖と絶望に染まる。

 従順で可愛い奴隷を演じながらも、今まで内心嫌悪し、手玉に取っていたつもりだった取るに足らない奴隷商。そんなパッとしない男の正体が、とんでもない怪物であると彼女は悟った。


「異世界、人――」


 呟いた次の瞬間、ミーアの口から悲鳴とも呻きとも分からない声が上がる。


「ああ……猫耳ロリッ娘腹パンできるなんて、やっぱり異世界は最高だぁ……」


 その細く柔らかな腹に、男の大きな拳がめり込んでいる。

 ミーアはゴホゴホとむせながら、身を守るために冷たいベッドの上で背中を丸める事しかできない。

 だが、頭の中では必死に考えを巡らせていた。この窮地を脱し、この醜悪な男を殺す手段を。


 しかし彼女の好戦的な眼は、男の劣情をますます大きく煽った。


「あんまり興奮させないでくれ。ゆっくり楽しみたいのに……ああ、ダメだダメだ。これじゃあすぐ殺っちまいそうだ」


 男は興奮気味に言うと、美しいナイフを血と肉に満ちた桶にぶち込み、ミーアに馬乗りになってその細い首に手をかける。

 男の太い指は、少しずつ少しずつ力を増していく。

 それに比例するように、ミーアの眼から徐々に徐々に光が消えていく。


 視界がどんどんと白く霞んでいく中、ミーアは欲に塗れた男の獣のような息遣いと、そしてこの血生臭い部屋へ微かに風が吹き込んでくるのを感じた。

 刹那、ミーアが今までに聞いたこともないような、とてつもない破裂音が耳をつんざく。


「なっ……」


 ミーアを締め上げる男の手がにわかに緩む。

 ここぞとばかりにミーアは男の手を振り払って息を吹き返し、男をキッと睨む。だが吊り上げた目はすぐに丸く大きく開かれることとなった。

 男の額に風穴があいていたからである。


「どうも、警察です。ちょっと良いですかぁ?」


 この惨状に似つかわしくない明るい声を上げる男。

 ミーアはさらに零れ落ちそうなほど目を丸くした。

 血溜まりの中に浮かぶ異物。黒い軍服に身を包んだ、体格の良い男。


 ミーアが見たことのない筒状の武器を構えて笑顔を浮かべているのは、昼間二人に職務質問をした“警察官”であった。



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