27、新しい依頼
王都の繁華街に軒を連ねる栄光の女神亭。
明るいうちは静かなこの通りが、今日は妙に騒がしい。
“閉店中”の札がかかった栄光の女神亭の窓を覗き込む野次馬たちの視線がロムレスたちに容赦なく注がれる。
「凄い人気ですねぇ」
麗しの女店主は窓についたカーテンを締め、野次馬の視線をカットする。今日の彼女の服装は胸元の開いた黒のワンピースと頭頂部に付けた二本の角風ヘアアクセサリー。小悪魔コスチュームである。
それを横目に、ミーアは「ふふん」と得意げに笑う。
「ま、こんな“可愛すぎる警察官”を放っておいてた今までの方が異常だったんだよ」
「よく自分でそんなこと言えるな……言っておくけど、こんなのいつまでも続かないぞ。ヤツらすぐ掌を返すからな」
「良いじゃないか。石を投げられるより、よほどさ。心配して損した」
ロムレスたちの背後から声がする。
振り向いても誰もいないが、よく見れば床に水たまりのような楕円形の影が不自然に広がっていた。
「お前……!」
ロムレスは慌てて立ち上がる。
真っ黒い影から紫の髪が生えた頭がズルリと出てきて、ロムレスを見上げた。
「やぁ」
「セアル! 変な登場するな。見られたらどうする」
「魔導師です、とでも言えば納得するよ。王都のヤツなんてろくに魔物も見たことないだろう。だから“魔物園”なんて施設に来て痛い目を見るんだ」
そう言って影から浮かび上がるように出てくるセアル。
その腕には水色のプルプルしたゲル体が抱かれていた。
「あ、エリザベス」
「ピイ!」
エリザベスはプルプルと体を震わせてセアルの腕をぬるりと飛び出し、ミーアの膝の上に着地する。
「な、なんか懐かれてるな……気を付けろ。スライムは強酸の粘液を出す」
「人間とはいえ、命の恩人にそんなことしないさ。エリザベスも同じ年ごろの友達ができて嬉しいんだろう」
「え? 同じ年ごろなの?」
ミーアの問いかけに、スライムはプルプルと蠢いた。
つるつるとしたスライムの表面を撫でながら、ミーアは思い出したようにセアルに視線を向ける。
「そういえばさ、前にここの酒場の店主を見ると妹を思い出すって言ってたけど……」
ミーアはスライムをじいっと見つめる。
スライムを持ち上げ、下からも覗いてみる。
だがその透き通る体に女店主との共通点を見出すことはできない。
「どの辺が似てるのよ」
「いや、別に似てる訳じゃないけど」
セアルはそう言って、カウンターに立つ女店主に視線を向ける。
「私がどうかしました?」
首を傾げる女店主。
だがミーアはその時気付いてしまった。
セアルの視線が、女店主の顔のやや下方――零れ落ちんばかりの“胸”に向けられていることに。
「まさか……!」
ミーアはハッとした表情でスライムをポニポニと触る。
柔らかくもあるが手を跳ね返すような弾力ある触り心地とほのかな温かさを手に覚えこませ、そして次に女店主の胸に手を伸ばす。
「どうしたんです?」
「…………」
ミーアは職人のような手つきと顔つきで女店主の胸をポニポニする。
スライムほどの弾力はないものの、柔らかく、温かな触り心地には確かに似たものを感じる。
女店主の胸をひとしきりポニポニした後、次は自らの胸部に手を伸ばす。が、全くポニポニしない。
彼女は唇を噛み締めた。
「“君を見ても妹は連想しない”って言ってたの、こういう事か……!」
「何の話?」
「とぼけるな! これセクハラだからね? だいたいスライムが妹ってなに? あんたもスライムな訳?」
キツく問い詰めるミーアに、セアルはふっと悲しげな表情を見せる。
「エリザベスとは腹違いなんだ。母親がスライムでね。彼女も魔王である父の血をひいてはいるが、魔族とはかけ離れた性質を色濃く受け継いだために当主候補から外された。でも僕の妹であることには変わりないよ」
「へぇ、さすがは魔王。スライム姦とか、ハードなプレイするよね」
「こらッ! 下品なこと言うな!」
ロムレスはミーアをひっぱたき、そしてセアルにキツい視線を向ける。
「そんなことより報酬だ、報酬! 情報を早くよこせ」
「乱暴だなぁ。そう焦るなよ」
セアルはそう言ってロムレスの隣に座る。
「今度のは大物だ。今までとは比べ物にならない」
「もったいぶるな。どこにいる? どんなやつだ? 早く言え」
ロムレスがせっつくと、セアルは彼に向き合う。
そしてその表情をじっと伺うように口を開いた。
「すぐそこのバカでかい城にいる、魔王を倒した男だよ」
「は? まさかとは思うけど、勇者ってこと……じゃないよね?」
恐る恐る尋ねるミーアに、セアルは無言で笑みを見せる。
「冗談でしょ!? 勇者だよ? 世界を救った大英雄だよ? それを倒す? 魔族と一緒に王宮に乗り込んで? そんなのテロリストじゃん」
「でも彼は間違いなく異世界人だ。だよね?」
そう言って、セアルはロムレスの表情をジッと見つめる。
ロムレスは腕を組んでしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「そうだな。そろそろ手を打たなくてはな」
「ちょっと師匠、正気!? 兵士だらけの王宮に突っ込んでいくっていうの? 万一成功したとしても、王都どころか人里にいられなくなるよ」
「そうだな。だから、もう少しきちんと策を練らなくちゃいけない。そもそも真正面から戦ってもまず勝てないからな。王宮に忍び込んで寝首を掻くか、あるいは遠征先で奇襲を仕掛けるか……とにかく、念入りな準備が必要だ。相当の時間がかかる。まずやるべきは」
ロムレスが紙とペンを取り出し、今後の計画を練り始めたその時。
「そんな時間はないよ」
脇から聞こえたその声に、全員の動きが止まる。
誰にも認識されないまま、栄光の女神亭のカウンターが一つ埋まっていた。
三人がそれぞれ固まる中で、女店主だけが白髪の男の前に水を置く。
「準備中なのでこんなものしか出せませんが」
「あ、どうも」
「いや、待ってよ!」
我に返ったようにミーアは立ち上がる。
「マズイよ、聞かれちゃったじゃん。今の計画を騎士団とかにチクられたら私たち絞首刑だよ。殺られるくらいなら、いっそ殺る前に……」
背負った日本刀に手を掛けるミーア。
だがロムレスは彼女の手首を掴み、それを制止する。
「少し待て。少なくとも密告されることはない。この人は騎士団と、それこそ殺るか殺られるかってくらい仲が悪いからな」
「……また魔族?」
ミーアは鋭い目つきでセアルと白髪の男を交互に見る。だがセアルは首を傾げ、そしてロムレスが首を振った。
「王国魔導師のトップ、宮廷魔導師長様だよ」
「ま……魔導師!? しかも宮廷魔導師!?」
ミーアは目を見張り、口を半開きにして白髪の男を見る。
ポーションっぽい清涼感のある液体を売る“自称魔導師”しか見たことのないミーアにとって、魔導師というのはおとぎ話の中の存在でしかなかったのだ。
「それで、その、魔導師様がどうしてこんなとこに」
「ブランで良いよ。宮廷魔導師が仕事をサボっていると国民に知られると不味いからね。で、私がここに来た理由だが――当然仕事の依頼だよ、ロムレス君」
ロムレスはうんざりした顔でブランから視線を逸らす。
「また猫探しですか? 今忙しいのでそういった依頼は」
「いいや、違う違う。君たち、ちょうどさっきその話していたじゃないか」
「それって……」
唖然とするロムレスをじっと見据えて、ブランは何でもないことに様にサラリと言う。
「勇者殺し」