26、王宮の隠し部屋
「聞いた? 郊外で魔物が暴れたって事件」
「もちろん聞いた。怖いわ、魔物なんてもういないと思ってたのに」
「ねぇ……もしかして門番の兵士が消えたのって」
「や、やだやめてよ。メルトは借金が膨らんで夜逃げしたって話でしょう?」
「あのメルトが借金なんて、信じられないわ。彼、結婚だって決まってたのよ」
「なら、もしあなたの言う通りなら、王都に魔物がいるってこと?」
「もしかしたらもう宮殿に入り込んでるかも」
「何言ってるのよ! 怖いじゃない」
ひそひそとうわさ話に興じるメイド。
あまりに夢中になっていて、二人はすぐそばに迫った小さな人影に気が付かなかった。
「……魔物出たの?」
「姫様!」
スカートのすそを掴み、不安そうな表情を浮かべるフリージア。
メイドたちは慌てたように笑顔で取り繕う。
「だ、大丈夫です姫様。もう魔物は倒されました」
「たとえ魔物が来ても大丈夫ですよ。なんせ宮殿には――」
「俺がいるからね」
その声にフリージアがパッと顔を輝かせる。
廊下を歩いてくるのは、燃えるような赤い髪をした少年。
「勇者さま!」
フリージアは両手を上げて彼に飛びつく。
「もう! 勇者様いっつもどこか行っちゃうんだから」
「フリージアが一人でトイレに行けるように魔物を退治してるんだよ」
勇者の言葉に、フリージアは顔を赤くして頬を膨らませる。
そして彼女はハッとした顔をして勇者の胸に顔をうずめた。
「どうした?」
「んー……勇者様、変なにおいするよ」
「ごめんごめん、長旅だったからね」
勇者は困ったように笑いながらフリージアをそっと床に下ろす。
彼の後ろに控えるフードを目深にかぶった女従者が、彼にそっと耳打ちした。
「勇者様、そろそろ」
「ああ。じゃあなフリージア。身支度整えるから」
勇者はそう言って、従者を連れて廊下を歩いていく。
それを見送りながらフリージアはまた不機嫌そうに口を尖らせた。
「ちぇっ、つまんないの。勇者さま全然遊んでくれないし」
メイドも自分たちの仕事に戻ったのだろうか。気付けばその姿はどこにもない。
暇を持て余したフリージアは、静かな宮殿内の廊下を亡霊のように彷徨い歩く。
生まれたときから見続けてきた光景、なんの発見もない退屈な散歩――のはずだった。
「……え?」
フリージアは不意に足を止めた。
見慣れた宮廷に、見覚えのある顔。
猫を探しに出かけた王都の路地裏で彼女を助けた医者、メアリーが廊下を一人で歩いていたのだ。
「なんでここに……おねえさん!」
フリージアは呼びかけながらその背中を追うが、聞こえていないのか無視しているのか彼女は全く振り向こうとしない。
メアリーを追って辿り着いたのは、普段人があまり通らない宮廷の端っこ。
廊下の先にあるのは壁。しかしメアリーの姿はどこにもない。
「おかしいな、確かにここに。ん?」
微かな風がフリージアの頬を撫でた。
彼女は恐る恐る壁を手で押してみる。すると音もたてず壁が動き、人が一人通れるほどの大きさの出入り口が現れた。
「何これ、隠し通路?」
フリージアは目を丸くし、そして胸躍る冒険の香りに目を輝かせる。
知り尽くしたはずの城が見せた未知の顔に誘われ、フリージアはなんの躊躇いもなく中へと飛び込んだのだ。
だが彼女がその先で目にしたのは、決して胸の高鳴るような素敵なものではなかった。
「あ……」
フリージアは悲鳴も出せず、ただ茫然と立ち尽くす。
鼻を突く臭気、薄暗い部屋の中で蠢く複数の影。
フリージアは最初、それが小柄な牛や馬だと思った。四つん這いになり、柵に囲われ鎖に繋がれたそれは家畜の姿そのもの。
だが目を凝らせば凝らすほど、そのシルエットは人間のものだった。
「あ……う……」
フリージアはその異様な光景に怯え、ゆっくりと後退りする。
「おいメアリー?」
「ッ!」
背後の通路から聞こえてくる声と徐々に大きくなっていくカンテラの光にフリージアはその小さな肩をビクリと跳ね上げた。
見つかってはいけない。
本能的な勘からフリージアは隠れ場所を探す。だが薄暗い空間と恐怖から足元はおぼつかず、檻に近付く勇気もない。
背後に迫る足音は、もうすぐそこまで迫っているようだった。
「開けっ放しにするなよ、不用心だな……あれ?」
カンテラの炎に照らされて揺らめく赤い髪。そして彼の影のようにピッタリと寄り添う従者。
「おかしいな。誰もいない」
その横顔に、フリージアは茫然と呟く。
「勇者……さま……なんで」
「しっ」
ブランがフリージアの口をそっと押さえる。
二人が身を隠したのは、石造りの壁の中。ブランに抱きかかえられたフリージアは、壁の中を自在に進んでいく。
「良いかい、このまま中庭まで送ってあげる。君は何も知らず、ずっとそこで花冠でも編んでいたことにしなさい」
「あれ……あれ、なに? なんで勇者さまが」
「私がきちんと調べておくから、フリージアは忘れて良い」
「でも、でも……」
「大丈夫。この城を守るのが私の役目だからね」
ブランはフリージアを中庭の花壇の前に下ろし、優しく微笑みかける。
「それに、私にはこういうのが得意な友達がいるから」




