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24、遠い日の魔王城




 紫の雲が揺蕩う空、毛づくろいをするガーゴイル、たわわに実った巨大ウツボカズラの中では明らかに虫ではない“何か”が蠢き呻く。

 よく手入れされた庭、その中央にそびえるのは禍々しい瘴気を纏った漆黒の城。

 その影に隠れるようにして、頭から角の生えた子供が輪になって騒いでいた。


「なーんで由緒正しい魔王城にこんな低級モンスターがいるんだ……よッ!」

「ピイッ!」

「あはは! スライムって鳴くんだ?」


 子供たちはケタケタと笑いながら、手に持った棒で青い不定形のゲル体をつつきまわす。

 子供の一人が棒を大きく振り上げた、その時だった。


「おい、何やってる」


 その声に子供たちの体がビクリと震え、スライムをつつく手が止まる。そして彼らは近付いてくる人影を見上げて生唾を飲み込んだ。

 まだあどけなさの残る顔に似合わぬ大きな牙、ほかの子供たちより一回り大きな体、頭から伸びるのは水牛のような立派な角。


「ハーゲンティ君……」

「ご、ご機嫌いかが?」


 引き攣った口角を無理矢理上げ、子供たちは無理矢理笑みを作る。

 ハーゲンティはその太い腕で子供たちを押しのけ、小刻みに震えるスライムを見下ろした。


「最悪だよ。誰に許可取ってこんな真似してるんだ」

「い、いやその。俺たちは妹さんと遊んでいるだけで、はは……」


 そう弁明する小鬼の頭を掴み、ハーゲンティはギチギチと締め上げる。


「誰が、誰の妹だって?」


 バキッ――


「あっ」


 音を立てて、小鬼の頭が握りつぶされる。

 仲間たちは悲鳴を上げることすらできず、はじけたザクロのように頭の割れた小鬼をただただ見つめる。

 ハーゲンティはそれをゴミのように投げ捨てて言った。


「俺に兄弟なんていねぇよ、胸糞悪い。コイツは俺の実験体だ。魔王の血を引くスライムなんてレア物、そうそういないからな」

「すげぇ……さすがは“ご子息様”」


 小鬼たちは恐怖に腰を抜かしながらも、その目には圧倒的な力への羨望の色が混ざっている。

 だがハーゲンティは小鬼たちには目もくれない。彼はドラゴンの革袋から小鬼の腕ほどもある牙か角のようなものを注意深く取り出す。その先端は鋭く尖り、ほんのり紫色に変色していた。


「あの、一体何を?」

「……よし、まずお前が試してみろ」


 ハーゲンティは牙を逆手に握り、それを素早く振り下ろした。

 牙は小鬼の顔にかすり、彼の頬にほんの小さな切り傷を作る。


「え? え? なに? なにこ……あ、ああああ、あああああぁぁぁぁぁあぁぁああッ!?」

「お、おい。どうしたんだよ」


 顔を押さえてうずくまり、突然叫びだした小鬼。仲間が見守る中で、彼の体はみるみる紫に変色していく。

 やがて頬の傷を中心に小鬼の小さな頭は腐り、蝋が溶けるように崩れ落ちた。


「ヒュドラの牙だ。へへ、今度はちゃんと本物だな」


 動かなくなった小鬼を一瞥し、ハーゲンティはニヤリと笑う。

 そして今度は牙をプルプル震えるスライムに向ける。


「……大人しくしろよ」

「ピイッ! ピィィッ!」


 逃れようともがくスライムの上に、ハーゲンティはヒュドラの牙を突き刺し磔にした。


「ピイイイッ!!」


 悲鳴のような声を上げるスライム。

 刹那、スライムの色が赤く変わり、突き刺さった牙が綿菓子のように溶け込む。牙の先端の色が移ったかのように、今度はスライムの体が紫色になった。


「な、なんだ?」

「静かにしてろ」


 強い口調で小鬼を黙らせる。しかしその目は宝石でも見るみたいに輝いている。

 苦しみ悶えるように体を波打たせていたスライムだったが、やがて徐々に体色が元の青色に戻り、体のうねりも治まった。


「素晴らしい……解毒不能のヒュドラの毒をも分解するか」


 ぽかんとしている小鬼たちを、ハーゲンティは興奮気味に見下ろす。


「お前らには分からないだろうな、この素晴らしさ! 分解は錬金術の基礎だ。これを極めれば、俺の錬金術は次のステージに進む」

「あ、あの……」

「ふん、なんだそのアホ面。まぁお前らに錬金術の真髄が理解できるわけないのは重々分かってるけど、せめてもう少し“分かったような顔”をしたらどうだ?」

「いや、あの、その……スライムが」

「あ? ……あっ!?」


 振り返ったハーゲンティは目を見開き声を上げる。

 地面の影から伸びた黒い帯が、スライムを包んでいたからである。

 その影にハーゲンティは見覚えがあった。


「待てッ!」


 影の中に引きずり込まれていくスライムを追いかけて、ハーゲンティも影の中に飛び込む。


「――――捕まえたッ!」


 視覚など役に立たない影の世界を抜けた先で、ハーゲンティは伸ばした手に触れたものを両手で抱える。

 それは抱きしめると形が変わるほどに柔らかく、人肌程度に温かく、ドロドロとして、それでいて。


「……臭ッ!?」


 ハーゲンティは鼻を突き刺すような強烈な臭気に思わず手を離し、そこでようやく目を開いた。

 視界に飛び込むのは四足の脚がある魔獣の肛門。そしてそこにそびえる糞の山。彼が抱きしめたものの正体である。


「あの野郎……」


 茶色く染まった手をわなわな震わせ、ハーゲンティは額に青筋を浮かべた。


「セアルッ! どこだ、ブッ殺してやる!!」


 悪臭を漂わせながら、ハーゲンティは血眼になって城内を探し回る。

 壁紙やカーペットが汚れるのも構わず、からかってくる小悪魔たちを握りつぶし、体を拭こうとするメイドたちを吹っ飛ばし、扉を壊し、壁を突き破り、子供の隠れ場所になりそうなクローゼットを叩きつぶす。

 そして彼の汚い手が調理室のドアノブに伸びたその時、彼の前に燕尾服を纏ったゴブリンが立ち塞がった。


「お待ちくださいハーゲンティ様!」


 他の者にそうしたように、ハーゲンティは目の前の障害物を排除すべく腕を振り上げる。


「もうじき魔王様がお帰りになります! 城内の惨状を見たらなんとおっしゃられるか……」

「う……ち、父上が?」


 ゴブリンの言葉に、ハーゲンティはその手を止めた。

 赤黒いハーゲンティの顔色が、どんどんと青に変わっていく。


「調理室には近付かないでください。魔王様のお食事の準備ができなくなってしまいます。城内は我らに任せて、ハーゲンティ様は身支度を整えてください」

「……クソッ!」


 ハーゲンティは汚れた拳を壁に叩きつけようとして、直前で踏み止まった。悔しさに歯を噛み締めながらも、すごすごと水浴び場へと向かう。

 安堵するとともに、メイドたちは城内の清掃のために駆け出していく。そんな中、ゴブリンはこそこそと調理室へと入っていった。


「行かれましたよ」


 調理台の影に向けて声をかけるゴブリン。

 すると影の中からスライムを抱えた少年が浮かび上がってきた。


「ハーゲンティも馬鹿だなぁ。父上が今どこにいるか把握してないのかな? 今日帰ってこれるはずないのに。なぁエリザベス」


 緋色の瞳を腕の中でプルプル震えるスライムに向ける、紫髪の少年。

 ゴブリンは困ったような表情をしながら彼と目線を合わせる。


「セアル様、あまり無茶なことはしないでください」

「仕方ないだろ。ハーゲンティがエリザベスをイジメるから。可哀想に、また変なものを食べさせられたんだ」

「それならば……もし殺るなら、しっかり最後まで息の根を止めて下さい。セアル様ならできるはずです」


 真剣な表情を浮かべるゴブリンに、セアルは困り顔を浮かべて立ち上がる。


「そんなことしたら王位争奪戦に巻き込まれるだろ」

「爺はセアル様が魔王になってくださればこんなに嬉しいことはないのですが」

「僕、そういうの興味ないんだ。面倒だし。大人になったらこんなとこさっさと出ていくよ」

「ピイッ!」

「うんうん、エリザベスも一緒に行こうね」

「そんな……城を出るおつもりなのですか?」


 今にも泣きだしそうな顔をするゴブリンに、セアルは笑いかける。


「なんて顔してるんだよ。別に今生の別れになるわけじゃないし……なんなら爺も来る?」

「爺も連れていってくれるのですか?」

「もちろん。僕の家臣一号だからね」


 セアルの言葉に、ゴブリンはますます泣きそうな表情を浮かべる。

 どうしてそんな顔をするのか分からず、セアルは困惑顔を浮かべてゴブリンに手を伸ばす。

 だが、その手がゴブリンに触れることはなかった。


「あれ……?」


 ゴブリンの姿はなく、腕に抱いたはずの妹もいない。

 セアルは調理室を飛び出す。

 小うるさい悪戯悪魔も、神経質なメイドも、意地悪な兄も、誰もない。やがて静かな廊下にひとりでに火の手が上がり、城はあっという間に炎に包まれた。


「――ああ、そうだった」


 セアルはようやく思い出した。

 もう魔王城がどこにも存在していないことを。




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