18、キラキラの餌
「なんであんな危険な魔物置いてんの? 人とか襲わないのかな」
足早に歩きながら、ロムレスは怪訝そうな表情で口を開く。
「ヤツの触手は本来かなり伸び縮みするし、視力はほぼないが沼の中からでも獲物の接近を察知する聴覚があり、性格は凶暴かつ食欲旺盛だ。ヤツにとってはご馳走が目の前に並べられているような状態だと思うが」
「そんなのどうやってコントロールしてるの?」
「分からない。あまり檻には近付くな。まぁ“沼地の腸吸い”の触手はこの距離まで余裕で伸びるけど」
「ひぃ……」
ミーアはすっかり小さくなった“沼地の腸吸い”の檻を眺めて、歩く速度を少し早める。
しかし園内に設置された檻はそれだけではない。
「ここはそんなのばっかりだよ。あんな檻、粘土のように壊せる魔物は山程いるはずなのに」
ロムレスは警戒心をはらんだ視線をあちこちに向ける。
ボロ布を纏った少女のような魔物から、炎のたてがみを持つ魔獣、ヘドロのような不定形の魔物まで、まさに“魔物園”と言うに相応しい多様なラインナップ。
だがミーアにはそのほとんどの名前が分からなかった。
「んー、ご飯貰ってないとか?」
「そうでも無さそうだぞ」
ロムレスは近くの檻を指す。
ちょうど食事の時間らしく、バケツに入った生肉が檻の中へと運ばれていくところだった。
「すっごい食べてるねぇ。カワイイ~」
物々しい鉄の甲羅を背負った、ネズミのような魔物がわらわらとバケツの中の肉に群がっていく。
「あれは剣山モグラだ。普段は土の中に身を隠している非常に大人しい魔物で、極めて臆病かつストレスに弱い。ミミズや小さい虫など新鮮な生餌しか食べない……はずなんだが」
「……めっちゃ肉食べてるけど」
檻の中の剣山モグラに人間たちの視線を気にする素振りはなく、一心不乱に赤い汁の滴る肉をバクバクと貪り、狂喜乱舞とばかりに檻中を駆け回っている。
「あんなに活動的な剣山モグラは俺も初めて見た。そもそもアイツら、一日中土の中でじっとしていて餌だってほとんど食べないはずだ。ああ、見ろ。食いすぎて吐いてる。胃袋の限界を超えたんだ」
吐瀉物に塗れ、ひっくり返るモグラたち。
その吐瀉物にもモグラが集まり、一心不乱に貪っている有様だ。
「うえぇ……よほど美味しいのかなぁ。なんかあの肉、キラキラしてるし」
「キラキラ? なぜ肉がキラキラしているんだ?」
「知らないけど。美味しい肉だからじゃない?」
「そんなわけないだろ……」
呆れ顔のロムレス。
しかし剣山モグラの檻に餌を投げ入れた従業員の男は、ミーアに悪戯っぽい笑みを向けた。
「なかなか良い着眼点だよ」
「あっ、あんた!」
ミーアは従業員の男の顔を見るなり、目を丸くした。
緋色の目、紫の髪――
酒場でロムレスに意味深なことを言っていた自称情報屋の男をミーアは思い出した。
「なんでここに……? 情報屋ってのは仮の姿で、本当は魔物園の従業員なの?」
「うん、そんな感じ」
「違うだろ」
作業服に身を包んだ男を親指で指しながら、ロムレスはうんざりしたように言う。
「コイツが今回の依頼人だ。囚われの妹を開放したいんだと」
「セアルって言います。よろしく」
男はそう言って人のよさそうな笑みを浮かべる。
しかしミーアは怪訝な表情で首を傾げた。
「なんで依頼人がこんなとこで魔物に餌あげてるのよ」
「潜入捜査だよ」
「おいお前!」
背後からセアルの腕を掴む、彼と同じ作業着を着た男。
箒を押し付け、鬼のような表情で唾を飛ばしながらセアルに怒声を浴びせる。
「餌の時間が違うだろッ! 今は掃除の時間だ!」
「あれっ、そうでした?」
セアルのとぼけた言葉は男の怒りに油を注いだようだ。
「そうでしたじゃねぇよ! スケジュール頭に入れとけって何度も言ってんだろうが。お前新人か? ふざけた事してると汚ぇ魔物の檻にぶち込んで晒し物にしてやるぞ。なんだその顔は、てめぇいい加減に――」
男は耳まで顔を赤くしながら拳を振り上げる。だがその拳が振り下ろされることはなかった。
「うるさいな」
セアルは直立したまま、虫けらでも見るような目で男を見下ろす。
彼は指一本動かしていない。だが彼の影から伸びた黒い帯が男をギチギチと締め上げていた。
「んんんッ!? ううッ! ううー!」
黒い帯の隙間から呻き声を上げると、帯はますます男を強く締め上げる。
「うるさいって言ってるだろ」
ミシミシと骨の軋む音が聞こえる。
胸を強く締め上げられて呼吸もできず、男の顔がどんどん青紫に変色していく。
「なっ、なに? 魔法使い? まさか異世界人じゃ」
ミーアの言葉をセアルは鼻で笑ってみせる。
「まさか。僕は魔族だ」
「ま、魔ぞ――!?」
「声がでかい!」
ロムレスはミーアの口を押え、辺りを見回す。
幸い、周囲の客は剣山モグラの貴重な食事シーンに夢中で、三人の会話に耳をそばだてている者はいないようだった。
「同胞を、妹を、小汚い異世界人の手から開放するためにかつての宿敵と手を組んでるってわけ。泣けるでしょ?」
「宿敵って」
さらに口を開こうとするミーアを、ロムレスが遮る。
「おしゃべりはその辺にしておけ。お前もだ。その男を離せ」
「どうして? 良いじゃないか、別に。知り合いでもないんでしょ」
セアルは薄笑いを浮かべながら男を見下ろす。
男は既に意識を失っているらしく、うめき声も出さず白目を剥いている。
「そういう問題じゃないのは分かるだろ。死体があれば騒ぎにもなる。それに……昔は色々あったが、ひとまず今だけは互いに互いの種族を尊重しようじゃないか。最初にこの話を持ちかけてきたのはお前だぞ」
「……そうきたか。これは失礼」
男を締め付けていた帯がするすると影に戻っていく。
ロムレスは受け身も取らず地面に倒れようとする男を受け止め、引きずるようにして物陰に隠した。
「派手な事をしたら潜入の意味ないだろうが。ちゃんと成果はあったんだろうな?」
「もちろん。ついてきて」
セアルは箒を放り投げ、二人を引き連れて歩いていく。
「色々分かったよ。僕の同胞たちが飼い慣らされてる理由とかね」
セアルが作業着から取り出したのは、布袋に入れられた透明度のある細かい結晶。太陽の光を受け、キラキラ輝いている。
ミーアは袋に鼻を近づけ、ふんふんと嗅いでみる。しかし何の匂いもしない。
「なにこれ? 氷砂糖? 美味しいの?」
「もっと面白いものだよ。でもあまり近付かないほうがいい。良いものではないから」
「え? じゃあ何なの?」
「分からない。けど、これを餌に混ぜて与えると大人しい魔物たちも狂ったように暴れまわるんだ。でも時間が経つとゲンナリしちゃってね。で、またこれを与えると元気に走り回って客たちを喜ばせる」
「へぇー。舐めてみて良い?」
「やめとけ! お前もそれしまえ!」
ロムレスに叱りつけられ、二人は少しシュンとなりながら袋から視線を逸らす。
「まぁ、とにかくここの魔物たちにはみんなこういった粉を与えられているんだ。大人しい魔物には活動的になるような粉を、凶暴な魔物には大人しくなるような粉を。観覧に適した姿になるよう調節してるみたいだった。ここの魔物はこの粉が好きみたいでさ、好みに合わない餌でもよく食べるんだよね」
「スキルによるものか、あるいは異世界の技術か……ロクなものじゃないのは確かだな」
セアルは暗い表情を浮かべ、視線を足元に落とす。
「はぁ、妹たちが心配だ。無事だと良いんだけど」
「妹ってさ、どんな娘なの? あんたに似てる?」
「いやいや。僕なんかよりずっと美しく愛らしく健気で素直で純真で柔和で天真爛漫で――」
急に顔を輝かせ、嬉々として話し続けようとするセアル。
苦笑しながらミーアはそれを遮る。
「そ、そういう事じゃなくてもっと具体的に」
「具体的? ううん、そういわれると難しいけど。そうだ、君たちが入り浸っている酒場の女」
「え? お姉さんに似てるの?」
「似てるというわけではないが、彼女を見ると妹を思い出すんだ。ああ、君を見ても妹は連想しないが」
「ええ? ミーアのが妹キャラだと思うんだけどなぁ。それにしても兄妹仲良いんだね。ミーア一人っ子だから羨ましい」
「いや、仲が良いのは妹だけさ。兄や弟たちとは折り合いが悪いんだ」
「えー? なんで?」
「兄弟はみんなライバルなんだよね。人間風に言うと……えっと、家督争いってヤツになるのかな。まぁ、僕は一族の中ではあまり優秀な方じゃないしね」
「良いとこの家も大変なんだねぇ」
ミーアはしみじみ呟く。
しかし二人の雑談を黙って聞くロムレスはなんとも微妙な表情だ。
「良いとこの家……ね。で、どこにいるんだ妹は」
「もう少しだよ。ほらそこ」
セアルはその視線をやや離れた場所にそびえる小屋へと向ける。
室内展示されている魔物は何体かいるのだろう。園内には小屋がいくつか見られたが、それは他の物よりもかなり大きく、外装も明らかに華美であった。
しかしロムレスとミーアの目を引いたのはそこではない。
「“ふれあいの森”か」
「うちの妹は園長お気に入りらしくてね。ここは園長室も兼ねている」
「ふれあい……」
動物園でも小動物とのふれあいコーナーは定番だ。
しかし、あの小屋の中にいるのは小動物ではなくセアルの妹。
ミーアは彼をじっと見る。
若い魔族に美形が多いというのは有名な話だが、彼も例に漏れずその容姿は非常に整っている。
彼に似た妹ならば、それはそれは美しい少女だろうとミーアは考えた。
そうなると、小屋に掲げられた看板に書かれた“ふれあい”の文字がなんともおぞましく感じる。
「……はやく、助けてあげないとね!」
ミーアはそう言って、持っていたカバンの口を開ける。
中に詰められたのは、女店主から貰ったローブとミスリルの短剣。
「妖刀も持ってきたかったな」
「ある武器で勝負するのも実力のうちだ」
ロムレスはにこやかに言いながら銃を構える。既にコートを脱ぎ捨て、その全身はいつもの制服で固められていた。
「準備は良いか?」
ミーアが頷くと、ロムレスは荒々しく扉を蹴破った。
その顔に既に笑顔はなく、鬼のような厳しい眼光があるのみ。
「警察だッ!!」